「今を生きる」第430回 大分合同新聞 令和4年10月31日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(256)
農業、漁業のように自然を相手に仕事をする人は、身体や外界の状況の把握を大事にします。一方知的な仕事をする人は知性・理性の概念を大事にして、計算的思考の傾向があります。
日本の戦後の経済成長期に人口の都市集中があり、産業構造が変化してきました。そして経済を優先する社会になり、あたかも金さえあれば何でも思い通りになるかのような社会状況、人間の分別思考を大事にする、脳の知的な活動を中心にした「脳化社会」になっています。
脳化社会とは、人間が「ああすれば、こうなる」と考える通りに動く社会をつくりあげていくことを、解剖学者の養老孟司氏が命名しています。脳化社会は具体的には都市社会のようなものです。都市では、考えや思いが効率よく実現できるように環境をつくっていきます。そこでは便利で快適な生活空間が実現しています。汚い、不便、不快、臭い、寒暖、人の裸、怒り、争い、管理されてない草ぼうぼうの公園や並木など分別で悪いと思われる事象を表面に露呈しないように、人間の知恵で管理支配しようとしてきました。
人に不快な思いをさせる写真や映像はメディアに出しません。分別思考がつくり上げている虚構社会と言ってもよいでしょう。戦後七十数年にわたって戦争のなかった日本人には、ウクライナでの悲惨な蛮行はニュースを見るのも嫌になります。まさに仏教で教える地獄・餓鬼・畜生の三悪道の人の在り様の現実を見せつけられます。
仏教はあるがままをあるままに受け取り、道理にかなった合理的な思考を尊重します。一方科学的分別思考は人知を尊重して理想を追い求めますが、物事を対象化して客観性を尊重するあまり、人を物や道具のように見てしまう危険をはらんでいます。
仏教は周囲との関係を持ち、地獄・餓鬼・畜生ではない人間として生ききる道へと導くのです。『往生要集』の著者源信は「予が如き頑魯(がんろ、かたくなでおろかなこと)の者」と三悪道の自覚に立って、凡夫をも救う往生浄土の仏道を明らかにされたのでした。
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