「今を生きる」第434回   大分合同新聞 令和5年1月16日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(260)
 「私はあなたを愛しています」ということを英語では I love you と表現します。インドのヒンディー語では、「私に今あなたに対する愛の気持ちが起こって、私にその思いが留まっています」と言うそうです。私の思いや感情は変化し無常であることを背後に含んだ表現になっています。
 哲学者プラトンは「人間の愛は、いつも自分にないものを恋い慕う。貧乏が富裕を、欠乏が充足を、無名が有名を、男が女を、女性が男性を恋い慕う。それが人間の愛の本質です」言われています。そしてその原則は人間社会の全ての分野(経済活動、人間関係等)の核心でもあると言われています。
 その思いがある故に、人は美よりもより美しいものへ、価値よりもさらなる価値へ、真理よりもさらなる真理を追求して、そこに進歩・発展があり、学問、芸術、哲学、宗教があり、文明文化の向上の必然性があった、と思われます。
 しかし、その思いには問題を秘めているようです。その第一は「充足すれば止む」です。人間の愛欲は欠乏している時に激しく燃えさかる。しかしその欲望を遂げ、満ち足りると倦怠を生む。しかも飽食のはては、関心が新たな対象へと移ってゆく。これが悲しい性質です。
 問題点の第二は、それが「価値への思い」であるということです。充足への憧れは、価値の追求に他ならない。欠乏を満たすものは、私にとって価値あるものです。価値への憧れは、価値ありと感じるものには働くが、価値なきものには働かない。価値ありと期待する対象に対する愛、しかも価値を感じた時にのみ発動する思いです。
 問題点の第三は人間の欲、思いが、自己の充足、自己の価値観にもとづくことであり、絶えず自己的であることです。人間愛は自己愛である。自己の満足、幸せ、喜び、楽しみが目的であって、他者を愛するのも、結局は自己が愛されたいからです。
 医療現場で入院中の親を「できるだけ長生きさせて下さい」という子の心情はよく分かるのですが、時に患者が身体的に種々の苦しみに直面している場合に、その子の思いは全面的に患者の親に善かれと思っているのではなく、親がこの世に存在することが「私にとって嬉しい」ことなんです、と親を思っている以上に自分の思いを大事にしていることが見えることがあります。

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