「今を生きる」第435回   大分合同新聞 令和5年1月30日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(261)
 経験を積んだ良識ある医療者の多くのは「病気を診る」のではなく「病人を診ましょう」と若い医師にアドバイスをします。人間の全体像を見ることの大切さです。しかし、医師に人間の全体を見るということを期待するのは無理なように思われます。それでも最初から無理と言っているのではなく、努力してもらいたいという気持ちはあります。
 現在の医学生は、在学中に私の卒業した50年前の3倍以上の医学知識を覚えないといけないと聞いたことがあります。
 病状を詳しく聞いて観察することが基本ですが、全身症状を把握するには、局所の観察だけではなく病人全体の観察が求められることがあります。同時に信頼性のある医療情報と引き合わせながら診察することが必要です。そのためには医療者として常に医療情報の更新が求められます。
 人間の全体像を把握するには、いわゆる五官(眼・耳・鼻・舌・身)による観察が大切です。その上に心理学・精神科学による精神活動の観察・思索が必要です。
 精神科医で作家の加賀乙彦氏は死刑囚でキリスト教の洗礼を受けている若者との対話を16年続けましたが、受刑者が40歳の時に刑が執行されました。そして、最後の3年間に彼と文通したという女性から600通の往復書簡を頂いたそうです。その後、死刑囚の母親からも遺言として母子の往復書簡が送られてきて10年間をかけて読み通したそうです。
 それまでは自分なりに死刑囚の人間像を把握している自信があったのに、女性と、そして母親との対話から三様の人間像が見えてきてビックリしたと講演録に出ていました。人間の全体像の把握は通常の思考だけでは困難と実感したそうです。さらに、生きる死ぬにかかわる場合には、哲学・宗教学的な人間の内面的な精神生活にも配慮が願われます。仏の智慧(無量光)に照らされて内観し、人間の深層心理の広がりや全体像を垣間見る時、その広がりにまさに目が覚めます。
 宗教哲学者の大峯顕師は、「その内観の世界を知らずに人生を終わったら、人生の半分を味わずに終わったことになります」と述べました。人間の全体像を見ることの深さを教えられます。

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