「今を生きる」第436回   大分合同新聞 令和5年2月20日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(252)
 医療の世界では局所の病気を診る方が病人全体を診るよりも、少し気が楽です。しかし、どの診療科でも悪性腫瘍や難病があり、その場合は、否応なしに患者の生死が課題になり、病人の生活全体を観ざるを得ないようになります。
 進行がんでこれ以上の治療は困難で、治癒が不可能になり緩和ケア中心になると、患者から「死ぬために生きているのですか」と訴えるように質問されたり、「よい生活はしてきたけれど、本当に生きたことがない」と愚痴みたいに言われると、医療者は対話に困ることがあります。
 こういう場合は、日頃の患者さんとの人間関係が問われてきます。医学の専門知識を持つ医療者と患者の表面的な関係、患者の日常生活も少し把握している関係、患者の心の内面まで触れる会話のできている関係、さらに特殊な例ですが、仏の智慧に照らされる経験を共有できる関係などがあります。
 医療の現場で患者さんの苦悩に対応することが求められる場合、肉体的な苦痛に十分に対応できていないと、痛みに振り回されて心の深い領域での訴えが出るまでに至らないケースもあります。逆に心の痛みが表白されていても、医療者にそれを受け止める感受性がないと見過ごされてしまいます。医療は地域の人間関係、文化状況、社会・経済状況、宗教状況などの総合的文化の一部門なのです。
 国は人生会議(アドバンス・ケア・プランニング、ACP)」と言われるものを医療現場で促進しています。命の危険が迫った状態で、約70%の方が医療やケアなどを自分で決めることや患者の希望を医師等に伝えることができなくなるからです。人生会議とは、もしもの時のために自らが望む医療やケアについて前もって考え、信頼できる人や医療・ケアチームと繰り返し情報を共有する取組のことです。
 生命が切実になるケースで望まれる治療やケアについては、医師らから本人や家族へ情報提供と説明がなされた上で、本人の意思決定を基本として進めることが大切だからです。
 ただ大まかな希望を伝えても、専門的な細部の対応は医療者にお任せになるでしょう。生きる死ぬの医療現場では医療優先でしょうが、仏教には「生老病死の四苦」を超える智慧の蓄積があります。人生会議などに仏教者が関わる文化が育っていくことを願われます。

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