「今を生きる」第438回   大分合同新聞 令和5年3月27日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(264)
 仏教学者が、科学的合理思考を尊重する多くの日本人の生き方を「心の内面から湧き出るような悦びがない」と指摘しています。
 何かを欲する時、英語では I want … と表現します。Want の名詞形は「不足・不満・困窮」という意味です。イキイキと明るい方向性を目指して欲しいものを集めていこうとしますが、心の内面に不足・不満・困窮があることを示しています。それを満たすためのイキイキした欲求ですから、「内心境に渉る」というように心の内面が表情に出るのでしょう。これを仏教では「餓鬼」と言います。
 妙好人という仏教で篤信の人の言葉に「ない物を欲しがらずに、ある物を喜ぼうよ」というのがあります。この言葉には、仏の智慧を頂いて生きる者のたしなみがあります。
 ローマ時代の哲学者エピクトテスは自分の周囲の状況を自分の権内にあるどうにかできるものと、そうでないものを峻別して、どうにも出来ないことは受け入れ、そうでなければ自分の考えで最善を尽くしたそうです。その両方の状況を踏まえた上で自分が何を演ずる(行動する)ことが期待されているか、自らの置かれた状況に由って、じっくりと思考して行動することを「自由」(自らに由る)というそうです。
 キリスト者の渡辺和子氏は「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を残しています。『夜と霧』の著書で有名な精神科医フランクルは「人生に何かを期待するのではなく、この人生は私に何を演じさせようとしているか」を考えることが大事だと言っています。
 神学者の森本あんり氏は「自由とは本来、自分の欲望の赴くままに生きることではない。古典的な理解では、むしろそれは隷属であって、自由とは自己統治を意味する」と言っています。「人は生まれながらに自由なのではなく、習慣と学習と徳育によってはじめて自律し。自由になる。だから一般教養の教育が必要なのである」と指摘していました。世界は有限ですが、私たちの欲望には限りがありません。だから人の自我意識が充足することはあり得ないのです。
 人生においては、自分の手でつかみ取るだけでなく「与えられている」という感謝の感覚を持つことも大切です。文化の深みには、宗教が織り込まれているのです。

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