「今を生きる」第443回   大分合同新聞 令和5年7月17日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(269)
 知恵と智慧という言葉は似ていますが、仏教ではこの二つは違う意味になります。
 日常生活で普通に使われる言葉が「知恵」です。知恵には二つの意味があり、一つは物事を判断する時の脳の働きですが、知恵が身につくと分別の小賢しさが出てきます。損得や勝ち負けを計算して判断するからです。もう一つは、色々と頭を働かせることを世間的には「知恵が回る。回転が速い」などと言いますが、「知恵がある」というと一般的には頭が良いという意味で使われます。しかし、これは自分の内面についてではなく、主に自分の外のものを対象にした時が多いように思われます。
 一方の智慧は、真実がどのようなものかを探る時の頭の働きです。表面的な利益ではなく、もっと深い本質を見抜くはたらきです。 「真実とは何か。仕合わせとは何だろうか」などと、もっと深い本質を見抜こうとする働きです。
 智慧に似た言葉に「叡智」があります。叡智とは、辞書には、「物事の道理を悟りうる優れた才知。哲学で物事の真実在の理性的、悟性的認識」と示されています。哲学・宗教に通じるのが智慧・叡智だと思われます。深い思索や洞察などの智慧を身に付けた人を「叡智の人」と呼ぶことがあります。深遠な思索や普遍的宗教の悟り、目覚めによって心の内面性を照らされ自分の姿を知らされると、物事の背後に宿された意味を感得する世界へ導かれます。
 「知」は、連ねる・並べるといった意味のある「矢」と、話すことを表すはっきりと口で言う意味があるようです。そこから転じて、得た知識をもとに善悪や損得を計算して、はっきりと口で言うという意味があるようです。
 そして知に「曰(いわく)」がついた「智」という字は、自分が知識として多くの情報を知っているだけでなく、その知識の本質や真偽を見抜き、他人に物事の核心を分かりやすく説明できるという意味があるとされています。知の発展が今日の生活の豊かさ、便利さ、快適さを実現してきたのですが、生活を俯瞰した時、人生においては知識の積み重ねだけでは見えないものがあることを仏教の師より教えていただきました。あふれる情報によって世界を広く見せてもらえますが、その情報の真偽を見分けることが必要です。世間で言う博覧的な知恵が人生を深く教えてくれるとは限らないのです。仏様の教え(智慧)の如くに充実して生きることが願われます。

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