「今を生きる」第447回 大分合同新聞 令和5年9月25日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(273)
全人的医療と言われるようになり久しい、大分大学医学部でも総合診療・総合内科学講座があり、総合診療の専門医を多く誕生させています。
私は医療と医学は漠然と同じことと私は思っていました。しかし先日、「日本医事新報」に載っていた、医学教育に関わる一人の医師によるコラムが目に留まりました。かって油をかぶって自死未遂をした患者を担当した時の経験を示し、「誰もが納得する医学教育は実施するが、心理、倫理、宗教、法律などを含んだ医療は教えるのは極めて難しい」と書かれていました。
難渋しながら広範囲熱傷の急性期治療を超えて人工呼吸器から離脱するも、救命の確率は半分以下。家族は治療を希望せず、その後の難しい治療に医療者が取り組んでも、長期のリハビリやどこまで日常生活に復帰できるかなど先も見えない。明確な治療方針の答えが出ない局面で、今後の治療を受けるかどうかを本人に問うた時、「治療を受けたいです、お願いします」と言われたそうです。その時の病室内の重苦しい空気を今も忘れられない、と述べていました。
医療は医学の応用であり、医学知識は年々増えています。医療者は最先端の医学知識を学び、それを応用して救命・延命に取り組んでいます。注意深い細やかな対応、治療方法や時期の決断を迫られこともあり、ストレスを感じることも多いでしょう。明確な答があるわけではない生命倫理的な課題や社会的な局面、これらの問いにも、医療者は向き合うことが求められます。
コラムの中で、医師は「医療の世界は限りなく深く広いということを認識させられた」と報告していました。そして「患者の背景や経緯を知った上で行った医療に、最後まで表に出せない自己の内面(善悪、苦楽、医療者の負担の多い少ないなど)の負の感情をゼロにできなかった」と告白されていました。
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