「今を生きる」第452回   大分合同新聞 令和5年12月18日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(278)
 法話の中で、師から「私たちは一番大切なものに恩を感じていない」と言われて、それは「水や空気だ」と聞かされたことがあります。その時は、「それはそうだけど」ぐらいの感じで聞き流していました。それを思い出したのは後日、分別知(世間的な知恵)を超えた仏の無分別智(仏の智慧)についての説明で、私たちの思考を質的に超えた世界を示している「地水火風」のことを知ってからです。
 私の存在を現在に至るまで背後で支えている世界を当たり前、当然としてしまう煩悩まみれの分別知の目は、物事のあるがままの全体像が見えないのです。
 この世で仏の働きをするのが菩薩で、自分も目覚め(自覚)、他の人も目覚めさせる働き(覚他)をします。菩薩は迷える凡夫が目覚めるよう働きかけ、凡夫が目覚めた時、目覚めが実現(覚行窮満)した時に仏となるのです。凡夫が自分の分別の迷いに目覚めることを無分別智と言い、無分別智のことを説明する仏の教えに地水火風が例として出ているのです。菩薩は迷える私たちに無分別智の世界、仏の智慧を伝えたいと働きかけてくれているのです。
 地球の大地が事物を受けとめるに、軽重を分けることはありません。無条件にすべてを受けとめています。「水」が土を潤して植物を成長させるのに野菜や雑草、悪草や薬草を区別することはなく、汚れた所でも綺麗な場所でも差別しません。火が煮炊きをするのに、芳(こう)ばしいとか臭(くさ)いなどと差別をしません。空気には、風となって涼しくしようとか強風で木や家を倒そうという意図はありません。
 私たちが日常生活で苦悩するのは負け、損、悪、障害、嫌いなど、いわゆるマイナス価値要因です。仏、菩薩は衆生が外なる万差の相(すがた)に分別思考で苦悩するありさまを大悲されて、仏の無分別智で安(やす)んじようとしているのです。
 お寺で法話を聴くことで、自分の分別知とその背後に潜む煩悩の迷いのありさまに目覚め、無分別の智慧を身につけ、種々の苦悩を超えることに導かれるのです。世間のことでいろいろ悩み、虚しい気持ちでお寺へ参って、法話でじっくりと仏の清浄な心に触れて自分の迷いの姿を照らし破られ、仏の大きな智慧と慈悲の働きに心が満たされて帰ることを「虚往実帰」(むなしく往きて、実りて帰る)と言います。

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