「今を生きる」第454回   大分合同新聞 令和6年1月22日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(280)
 哲学、宗教の分野で「否定を通した肯定が本当の肯定である」という言葉を聞いたことがあります。仏の智慧は「物の背後に宿されている意味を感得する見方」と言われます。それに対して、世間生活での知恵は「物の表面的な価値を計算する見方」だと言います。
 「勿(もっ)体(たい)ない」という言葉は宗教的な深い心を表しています。最近の日本の食糧事情をニュースなどで聞くと、食料自給率はカロリー、生産額ベースともに低迷しているそうです。そのために輸入に頼ることになりますが、そんな事情の中でかなりの量が賞味期限切れなどで廃棄されていると聞きました。農家に生まれ、小学校の時、秋には全員で落穂ひろいをさせられた世代からすると本当に「勿体ない」ことです。
 「勿体ない」の「勿」は否定の意味があります。勿体(姿が無い)」というのを再度「ない」で否定して「姿形は見えないが、ないわけではない」という否定を通した肯定になります。という意味で否定を通した肯定になります。表面的には形ある物として見えないが、その背後には深い意味が宿されている、存在するということです。仏の智慧に通じた文化的な言葉です。外国語には対応する適当な表現がないようです。ノーベル平和賞を受賞した人が資源問題において、この言葉の素晴らしさを褒めていたと聞いたことがあります。その時の英訳が「too good to throw away」で、そのまま和訳すると「捨てるには良すぎる」。資源問題においては、的を得た適切な訳かも知れません。しかし、私と同じ世代の普通の家庭の夫が「うちの家内は私には勿体ないような存在です」と発言した時、上記の英訳で「捨てるには良すぎる」のように受け取られると、とんでもないことになってしまいます。夫が逆に捨てられて追い出されるでしょう。
 ロシアによるウクライナ侵攻で小麦の流通の障害が引き起こされ食糧安保の問題を考える時、日本の食糧事情を改善するためには大切にしなければならない言葉だと思います。「勿体ない」には、仏教の智慧に通じる深い貴重な意味があります。このように日常の言葉にも、仏教の智慧が背後に秘められているものが沢山あります。

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