「今を生きる」第459回   大分合同新聞 令和6年4月8日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(285)
 仏教では、分別思考を超えたものを中道と表現します。釈尊は、苦行生活を6年ほど続けましたが、それでは悟れないことに気づいてその修行を捨てました。そして、菩提樹の下で瞑想をし、悟りを得たと伝えられています。その時の「苦」にも「楽」にも捉(とら)われない道が「不苦不楽の中道」といわれます。
 これは苦楽、善悪、損得などの世間的概念を超えた思考です。別の表現では無分別智と言います。前回、人間の苦悩や不安は分別思考が原因であると書きましたが、否定するのではなく、その考えに捉(とら)われるのが問題なのです。私たちは、プラス価値を増やし、マイナス価値を減らすことで幸せだと感じる思いにとらわれています。老病死は全ての人が逃れられないものですが、マイナス価値と考えるから受け入れることができないのです。仏教はこのことを迷いと言い当て、それを超える道を教えています。
 分別思考は、いろいろな問題を局所的に考え、対応するのに大きな成果を上げています。医学・医療もその一つの領域です。癌の治療方法は、種々の進歩で。いわゆる「5年、10年生存率」が上昇。生活習慣病も疾患も患者と医療者の協力で、平均寿命は男女合わせて約85歳に伸びています。ただ、長生きできるようになったとはいえ、イキイキと生活しているでしょうか。
 仏教は、イキイキの姿に2種類あると教えてくれます。一つは、心の内面の不足不満で(意識していないかもしれませんが)、何かを取り込もうとしている餓鬼の姿。もう一つは、「置かれた場所で咲きなさい。ないものを欲しがらずに、あるものを喜ぼうよ」という心意気の、生きる喜びにあふれたものです。
 三浦梅園は「人生恨むなかれ、人知るなきを 幽谷深山 華自ずから紅なり」という言葉を残しています。これは、「私は私でよかった」という仏の智慧に通じる世界です。禅仏教で有名な鈴木大拙師は「おのずからそのものがそのものであるという、それをさして自由という(自らに由(よ)る、周囲との関係性で存在する)と紹介しています。
 仏教では、全ての存在は二人称的関係性存在(縁起の法)だと教えています。普遍的宗教は、比較を超えて(比べない)「存在の満足」の自覚を促すのです。多くのものに支えられている、多くの命あるものに生かされている、願われている、教えられている、育てられているのです。(続く)

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