「今を生きる」第468回 大分合同新聞 令和6年9月16日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(294)
哲学者マルティン・ハイデッガーは、分別思考を計算的思考だと言っています。科学的、医学的思考がそれです。人体の解剖や生理、病理学などを学び、体や病状の機序(からくり)を理解し、応用して健康の方向へ治療(管理支配)しようとするものです。
よって死は敗北であり、救命・延命に努め、老病を先送りして量的な長生きを目指します。しかし、医療や福祉の領域で百歳まで生きてお祝いを受けたとしても、心から満足している人はまれなのではないでしょうか。量的な長寿を実現しても、足るを知る(知足)にはならないようです。
仏教の智慧(無分別智)を全体(根源)的思考といいます。それは、人間に生まれたこと、生きること、老い・死の意味を考えるものです。英語の「why」で始まる疑問への応答する哲学・宗教的思考で、科学的・医学的思考の苦手とする思考です。
映画「大病人」(伊丹十三監督)で次のような場面があります。胃がんの患者に医師と家族が相談して告知せず、胃潰瘍という病名で入院治療を受けさせていた。しかし、がん患者と同じ点滴を受けていることから、自分もそうではないかと疑い始めた彼は、「俺の人生をどう考えているのか」と主治医へ問いただす。すると、医者は「私の専門領域ではない」と逃げるーというものです。
多くの病院で治療方針の理念として、「全人的医療」とか「患者に寄り添う医療」が掲げられています。しかし、多くの医療人が身に付けた科学的、医学的思考からは身体的疼痛や病気には寄り添うことができても、生き死にに関係する場面で、患者の人生には寄り添うことは困難でしょう。
2012年から、東北大に臨床宗教師(終末期にある人の心のケアをする宗教者)の養成講座が始まりました。それは、岡部健医師が自身のがん体験を踏まえ、「死にゆく者への道しるべを失った日本の文化」に対してその必要性を感じ、創設に尽力との思いから始まったと聞いています。
「死にゆく者への道しるべを失った日本の文化」に対してその必要性を感じ、創設に尽力との思いから始まったと聞いています。
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