「今を生きる」第469回 大分合同新聞 令和6年9月30日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(295)
日々の生活で、病気になれば、ひとまず健康への復帰を目指します。しかし、老化現象や生活習慣が関わる病では、人生の最終章における老病死をどう生ききるかということが課題になってきます。
米国の新しい糖尿病治療ガイドラインで、高齢者は「優(100点)」ではなく「良(80点)」か「可(60点)」を目指し、薬を増やさず、6剤以内にとどめた方が死亡率が低かった、という指針が示されていることに驚きました。これまでの量的ではなく、実質的な健康で長生きを考える上で貴重な視点となるでしょう。
日常の分別思考の背後に、「与えられている現実」にたいする不足・不満があり。このような無いものを追い求める、量的に多いことを目指す状態を仏教では「餓鬼」と言います。大谷大のホームページに、日本に住む欧州出身の修道女が、これについて述べた言葉が紹介されていました。
『日本は豊かな国だが、人々の心が必ずしも満たされずに悩んでいることは、一人一人に会うとすぐ分かってしまう』というものです。
「量的に多い越したことはない」という分別による自我意識には、どれほど物質的に豊かになっても満たされることのない欲求があるので、心が満ち足りるということはありません。彼女のように宗教的叡智(えいち、智慧)に触れた経験を持つ者には、人々の心の状態を感じることができるのでしょう。
仏陀(ぶっだ)には「自在人・満足大悲の人」と呼ばれます。それは、生きることに自由自在で、満ち足りた人だったからです。そこに、人生の老病死を生きる指針があるのではないでしょうか。
仏教では、無量の因や縁によって生かされている、支えられているという事実に基づいて、一瞬一瞬、存在・行動することを自由(自らに由る)と言います。その目覚めは、生きている限り自分の果たす役割、使命、仕事があると、おのずから気付かされることになるのです。
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