「今を生きる」第476回 大分合同新聞 令和7年2月3日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(302)
人生において願い事がかない、自分の思い通りになった有頂天の状態を、六道最高位の天界といいます。例えば、健康で長生きができている状態も、一種の天界かもしれません。世間ではこれを天国と表現しますが、天国とは仏教では迷いの世界として示します。
そのため、葬儀などで亡くなった人に「天国でゆっくりとお休みください」と言うのを聞くと、少し違和感を覚えます。肉体が滅して身の迷いを超えた(成仏した)人に「まだ迷いの世界にいる」と言っていることになるからです(神道やキリスト教では天国の受け止め方は違うと思います)。
迷いのありようを示すのが「天人五衰(てんにんごすい)」の言葉です。これは、願いが成就した有頂天の人でも、長寿の末に必ず五つの衰えの相が現れるというものです。「涅槃経(ねはんぎょう)」には、@衣服(羽衣)がほこりとあかで汚れるA頭上の花冠(装飾)がしおれるB体が汚れて臭くなるC若い人の台頭で脇の下に冷や汗が流れるD自信が脅かされ、自分が居る場所を喜べない(不楽本座)―とあります。75歳を超える身としては、実感するところです。
お経には、天人五衰の苦悩は地獄で受けるそれの16倍と説かれています。天台僧源信の「往生要集」では、人間よりはるかに楽欲を受ける天人でも、最後はこの五衰の苦悩は免れないものであり、速やかに六道輪廻(りんね)の迷いから解脱すべきと述べます。
仏教では、自分の迷いの状態に気付き(自覚)、目覚めの道を他の人に伝える利他的な(他の人のための)働きを展開するのが菩薩(自覚覚他)です。人生で自分を叱ってくれたり、道へ導いてくれたりする良き師や友に恵まれ、この教えを聞き続ける人の上にその相を見ることができます。
宗教的な目覚め・気付きの世界を経験した人の言葉、「(自分の)置かれた場所で咲きなさい」「ないものを欲しがらずに、あるものを喜ぼう」「しかるべき場で、しかるべき役割を演ずることは、今まで育てていただいたことへの報恩行」などは心に響き、生きる勇気へと導かれます。空過流転の人生になるといわれる餓鬼・畜生・修羅的な生き方からは出てこない発想の世界です。仏教は人生の孤独、空過、不安を超え、精神的に豊かな生き方を教えています。
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