「今を生きる」第477回 大分合同新聞 令和7年2月24日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(303)
最近の統計では、日本人の2人に1人ががんに罹患(ルビでりかん)し、3人に1人ががんで死亡しています。この病気はすぐに「死」をイメージされますが、日本では診断された人の約6割が治療によって治癒しています。一方、患者によっては、延命治療や症状の緩和ケアと向き合っていくことを求められる時代にもなってきました。
病気に向き合うのは患者ばかりではありません。これまで「死」は個人的なことと見なされ、医療者は一歩距離を置いてクールに見るという傾向がありました。しかし、最近では本人やその家族だけでなく、医療者自身も人ごとでは済まされなくなっています。そのため、治療だけでなく、人間の全体を診るということが求められるでしょう。
現在、このような意見を持っている医師によってがん患者の心の問題に配慮するため、さまざまな取り組みがされています。その一つが「がん哲学外来」です。この分野で活躍する後輩に、フリーランスの緩和ケア医師林良彦さんがいます。7月には、彼が大分大会会長を務める「がん哲学外来市民学会」が大分市で開かれます。
医療は、人間の英知を結集して「健康で長生き」を目標としています。それを目指していても年老いて病気になれば、「どんな最期を迎えたいか」という看取(ルビでみと)りの質を高める医療が求められるでしょう。人間にとって「死」は普遍的課題であり、「老・病・死とどう付き合っていくか」ということなのです。
仏教では、釈迦の生涯における出来事を八相成道として、@入胎A誕生B処宮(社会生活)C出家D降魔(迷いを超える)E成正覚(自らの心を清め覚(ルビでさと)り、心の静寂を得る)F転法輪(迷いを超える道を多くの人に伝える)G入涅槃(ルビでにゅうねはん)―と示されています。
人間として生まれ、成長して社会生活を送り、道を求めて出家し、道を妨げる魔と闘い、目覚めて人間として生きる道を成就して仏陀となったのです。人間成就の道を歩まないと、Cが「死」となります。死で全てが終わってしまう「死への生」は、分別思考では苦悩となり、安心とはならないでしょう。
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