現代と親鸞:生死を超える道の課題(上) 田畑正久

 大学を卒業後、技術の取得や知識を含めた経験の蓄積の時期、すなわち研修医や若い時期には見えなかったものが、一つの医療機関に続けて長く勤務したり医師としての経験が長くなると人間の全体像が見えてくることに気付かされます。私も消化器外科の専門医を目指した時期は種々の病院を1,2年で勤務移動しながら先輩から教えて頂きながら仕事をしていました。しかし、経験と共に次第に責任ある立場を任されるようになり、一箇所の病院へ長く勤務するようになってからは患者さんとの長い付き合いが多くなってきたのです。
 私の専門である外科は悪性腫瘍(癌)を扱うことの多い分野です。手術によって良くなる患者さんも多いのですが、根治手術が出来なくて病状が進行していく患者さんや術後数年で再発したりする患者さんの死に対面せざるをえない場面を避けることは出来ません。面識の出来た患者さんの中には、いったん外科系の病気は良くなっても、しばらくの期間を置いて、違う病気で病院の中で再会することになることもしばしばです。そんなことを繰り返しながらお互いに歳を重ね、老病死を迎えるお互いだ知るのです。以前は自分との年齢差のある人の死が、私自身が50歳を越えると年齢差が少なくなり、時には年下の患者や縁のある人の死に出会うことが多くなっています。
 30年近い医師としての経験を含めて見えてくることは「良くなる病気は良くなる。良くならない病気は良くならない」ということでした。まさに老・病・死は避けることが出来ないということであります。同時に私も死すべき身であるという事実に気付かされるのです。確かに医学の分野で先進的な取り組みをされている医師たちはよくならない病気の原因究明、診断、治療の研究に果敢に取り組んでおられる尊敬すべき存在であることは認めなければなりません。
 医療が目指すところはキュア(cure,治癒)であり、その先にあるものは不老不死、すなわち老いること、病むことを克服して健康で長寿を目標とするのであります。その背後に隠れている思いは「病む」ことや「老いる」ことは本来の、あるべき「生の姿」ではないという思いであります。感染症や外傷などの疾病との闘いの医療の中では、病気に打ち克つ為の医療が医学の目指すところであるようになっていました。確かに多くの感染症は医学の管理のなかに取り込むことが出来ました。医学の進歩と豊かになった社会全体が公衆衛生、栄養状態の改善と向上に結びつき現在の日本の長寿社会が実現しています。しかし、この50年間に疾病構造が大きく変化してきたのです。今日の医療現場では生活習慣病(以前は成人病といわれていた)といわれる病気が大きな位置を占めています。その多くは老化現象に起因する病気ではないかと思われるものです。
 老化現象の一つと思われる悪性腫瘍。老化に関係した血管の動脈硬化に由来する脳や心臓の血管障害等の疾病による死亡原因は日本人の死亡の60%を占めるようになって来ています。その多くは老化現象によるがゆえに根本的な治療は無理で、病気との長いつきあいをすることで上手に管理していくことの大切さを知るようになってきています。
 キュアに似た概念でケア(care,看護)という言葉があります。看護師(婦)さんに代表されるケア(看護・お世話)とは老・病・死すべき存在の人間をお世話するといういう考え方であります。日本では看護師はこれまでの医師の助手の仕事であったり、療養中の患者の身の回りのお世話をするというイメージが強かったのですが、西欧の考え方が移入され「病気や傷害で引き起こされる患者の人間的な反応」を診断して対応するというような定義づけがなされるようになってきています。聖路加病院の日野原先生は日本の看護が良くなれば日本の医療が良くなるという信念のもとに積極的に活動をされています。その結果、各県に看護大学が作られ看護の質の向上が図られるようになりました。
 確かに治癒を目指す医療は人類に大きな救いをこれまでもたらしてきました。社会生活の現場でも大いにその力を発揮しています。しかし、戦後の経済発展と共にもたらされた高齢社会、世界に誇る長寿の日本では国民の半分以上が80歳を越えるまで生きることが可能になりました。高齢社会を先取りした地方の地域医療の現場で見えてくる現状は治癒出来ない病気や老化に関係した疾病をもつ高齢者の多さであります。
 高齢社会であらためて自然の流れである老・病・死の受け取り方が課題になるのです。老病死は本来の「生」の姿ではないというキュア(治療)の概念によって不老不死を目指して対応するか、老病死は本来の「生」の姿である。老病死する人間のあり方のあるがままの人間の生き様に如何に対応するかというケア(看護)の概念を持って対応することが全人的な対応になるかという問題に発展しています。
 「老いる」ということ確かに生物学的には衰えるという一面はありますが、質的な面(精神的・社会的・文化的)では人間として成長・成熟するという展開があるという症例が緩和ケアの医療現場において報告されています。「歳を取るのは楽しいことですね。今まで見えなかった世界が見えるようになるのですよ」の先達の智慧の眼での受け取りの言葉に教えられます。老病死を如何に受けとめるか、生死を超える道の課題こそ今日的な問題となって来ているのです。

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