現代と親鸞:生死を超える道の課題(下) 田畑正久

 現在の日本人の死亡原因として悪性腫瘍(癌)、老化現象に関係する動脈硬化による脳・心臓血管障害、肺炎が上位を占めています。
  消化器外科の仕事をしてた時のことです。72歳の患者さんで大腸癌が見つかり我々の外科チームで手術をしました。術後、外来通院で経過をみていき、5年間が無事に過ぎて、「大腸癌の再発は心配ありません。これで完全治癒と判断して良いです」と言って紹介元の前医へお返しをしました。病院との縁が切れたと思っていたら、その2年後、黄疸が出て来院。検査で膵臓癌が肝臓に多発転移を起こしての症状と判明しました。長生きすることで一つの癌を克服しても次なる癌が発症するということです。また高齢者が老化等で体力が弱くなると、肺炎という病名での死亡が多くなります。高齢者の肺炎の治療を積極的にして平均寿命を延ばしても、そのことがより高齢者の肺炎の罹患率をより高くする結果になります。そして肺炎による死亡がより多くなるという大きなジレンマに気付きつつあるのであります。 現代医学の進歩で種々の病気を一時的に克服したり、病状の進行を遅くしたり、先送りすることはかなり出来るようになり、患者に一時的な希望を与えることが実現しています。しかし、老・病・死からは誰も完全に逃れることは出来ないのです。
 「生死を超える道」こそ医療界に、そして一般の人々に理解してもらいたい世界であります。 科学的合理主義をよりどころとする多くの同僚医師の考え方は唯物論の色彩が濃いもので、いや私自身がそれでありました。いまだその名残が意識に染み込んでいます。哲学・宗教は実学でないが故に軽んじていたという反省を今になってしている体たらくの私であります。 医療界で働く医師の多くは「生死を超える道」なんてあるはずがない、死んでしまえば火葬されてみな「無」になるのだ、という思いを常識として持っている集団のように思われます。そして死に対しては無意識に眼をふさいで、ひたすら「健康で長生き」を追い求めて患者と共に見果てぬ夢を追いかけています。そして人間の生死の課題を含めて世の中のことは分かっているという傲慢さの中に陥っていることが多く、その無智さに気付くことは少ないのであります。
 長年の仏教のお育ての中で自分の智慧のなさをやっとのことで知らされつつあります。親しい従兄弟の、49歳、62歳での癌での死亡、昨年暮れの知人の54歳、62歳での急死。今年になって50歳の職員の急死に私は出会いました。普通、歳の順番に死んでいくと漠然と思っていたがそうではない。そして老・病・死を他人事にしていたことをいやと言うほど知らされ、教えられました。 これらのことを通して、私という存在が「実体」としてあるのではなく、多くの因や縁によって「現象」として在らしめられている、という縁起の法に目覚めしめられるのです。そしてその因や縁が欠ければゼロ(人なら死)となる可能性のある「あり方」を今、今日ここでしているのだと知らされます。今日、生まれた赤ん坊から百歳を越える老人まで、死に対しては皆同じ横一線に並んでいるのです。
 仏説無量寿経の本願の第十五願には「たとい我、仏を得んに、国の中の人天、寿命能く限量なけん。その本願、修短自在ならんをば除く。もし爾らずんば、正覚を取らじ」があります。独りよがりの解釈かも知れませんが、この本願文の心は「浄土の世界に生まれる者は本当の長寿が実現します。ただし、命の長い、短いにとらわれる人は除きます」という意味でいただけるように思うのです。そして本当の長寿とは命の長い短いに囚われない今、今日を念仏で受け取り生きていくことと教えてくれていると思うのです。今、今日、ここで仏のいのち、無量寿に通じる世界、「念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき」(歎異抄第一章)に永遠の今が始まる。そして永遠の今に在り続ける世界を「南無阿弥陀仏」とたまわるのです。
 科学的合理主義の思考では、数字や形で見える世界を事実として尊重して、生きている時間が量的に延びることを長寿であると考えて、その時間を延ばすことが医療の使命であると思って励んできました。明日こそ、明日こそと未来が在ると思って、明日が目的で、今、今日が明るい明日の為の手段・方法の位置になっていることに気付かなかったのです。目的ではなく手段、方法のような位置の「今」を、「今日」をいくら積み重ねても空しいものになると知らされるのです。 気付いてみれば今、今日しかないのです。「今」は物理学的には極微の一瞬であるために現代の知性には「今」が受け取れないのです。お育ての中で「今」しかないと知らされる時、生死を越えた世界からの働きを感得するのです。その今が無限の拡がりのある永遠につながるという内観の世界に気づかされるのです。今の一瞬に質的には永遠の世界(無量寿)を生きる内観の世界をたまわるのです。
 医療者も患者も、そして一般の人々も「生死を超える道」に目覚める世界を共有することが出来るとどんなにかよいことでしょう。

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