「医療は地域文化―医療と仏教」(雑誌「アンジャリ」2005年6月号)

●はじめに(「人の死」をどうとらえるかは、その国の文化の問題)
 ある雑誌に、尊厳死や安楽死に関心をもつ医師が、オランダの医療事情を視察した報告が掲載されていた。オランダでは、寝たきりの患者がびっくりするぐらい少ないという。
 紹介されたある施設に行き、寝たきりの患者がほとんどいないので、「寝たきりの患者さんを処遇するところが見たい」と言うと、怪訝な顔をされたというのです。
 できるだけ工夫をして食べてもらおうと努力はするが、それでも食べる意欲を示さないときは、それが本人の意思だということで、延命処置(経管栄養、経胃ろう栄養等)はせず、後は自然な経過で亡くなっていく(結果として、寝たきりの患者が多くない)というのです。これ がヨーロッパでの常識です、という趣旨の報告でした。
 つまり、人間の生き方、死に方をどう考え、どう受け入れていくかは、その国の文化の問題だということです。

●生老病死
 人間として生まれて、生きる。そして老いて、必然的に病気になり、最終的に死ぬという過程は、誰もが通る道です。この「生老病死」に色をつけ、意味あるものにするのが文化でしょう。この生老病死こそ、人生そのものです。人生には必ず苦しみが伴うから、「四苦」と表現されます。この四苦との取り組みこそ、文 化だと言えます。
 約二十年前、埼玉医科大学の哲学教授であった秋月能現師(臨済宗の僧侶) が著作のなかで、「医療も仏教も、共に『生老病死』の四苦を課題とする。そして仏教には、その取り組みにおいて二千数百年の実績がある。医療関係者は、ぜひとも仏教的な素養をもって医療に携 わってほしいと願っている」と述べられていました。私自身、それを読んで医療と仏教の学びの関連性を、あらためて強く感じ、勇気づけられたことでありました。
 同じ課題に取り組むべき医療と仏教の連携はどうでしょうか。日本の医療現場の実態は、両者の協力関係とはほど遠い関係である、というのが現実です。筆者が二十年前、米国に留学中、シカゴの中西部仏教会(浄土真宗本願寺派)の九条英淳師と接する機会があったとき、師が 「アメリカではメンバーが入院したとき、僧侶がお見舞いに行くことが必須の役割とされ、それをしないのは、職務怠慢と言われます。だから、そのための情報ネットワークをもつようにしています。そして、お見舞いに行くと、病院のどんな場所(日本では、医療関係者しか入れないような集中治療室等を含めて)でも フリーパスで入れてもらえます」と話されたことが思い出されます。

●唯物論的な科学的思考と還元主義
 戦後生まれの私たち団塊の世代は、戦後教育の申し子で す。少し荒っぽく言えば、見えるものだけが確かだ、脳の活動を含めて、生き物の活動はすべて原子・元素の動きに還元される、というような教育を受けてきたように思います。医学も、理科系の分野ということで、いつの間にか「死んでしまえばおしまい」「死後の世界は無い」という死生観に、どっぷりとつかってい たのです。
 生きている時間がすべてだ、という思いが「生きている時間を延ばすことが善だ」という考えに結びつき、延命を錦の御旗の如くに掲げて、自然に近い、老衰による死をも認めないような雰囲気が病院を包んでいたのです。
 「老衰という死亡診断書はよくない」という言い方もされていました。
 病気を治癒に導くために、治癒可能な病気についての診断、治療の知見は積み重ねられてきました。しかし、病気に よって死ぬことや、老衰に近い形で死ぬことは、医学の敗北であったり、恥ずべき部分か暗部であり、その過程への関心は少なく、その知見の積み重ねは、ほとんどなかったように思われます。
 まして、医療関係者で囲まれた密室に近い病院での対応は、他者の介在を許さないような場所となり、医療関係者の独り善がりな対応で、事は足りているということになっていました。
 医学教育や医療研修の中でなされる教育は、病歴を聞き、診察、検査、診断、治療という課程が主でした。しかし、治癒できない患者や死に臨んだ患者に、どう対応するのかという分野はあまり関心をもたれず、医療関係者の個人的な経験や感性にまかされていました(「死の医 学化」と言われるように、本来、医学が関わらなくてもよかった領域が、国民の八割が病院で死亡するという現実のなかで、死が医療の領域に取り込まれました。医療施設で、救命、延命の教育を受けてきた職員による対応で、死に対して適切な対応ができているかどうかという課題があるのです。
 ある識者はこの現状を、「医者の傲慢、坊主の怠慢」と指摘しています。つまり、医療が担当する領域が時代と共に変化して広がるなかで、かつてのおまかせ医療″の影響を引きずりながら、カバーできない領域まで抱え込んだため、不十分な対応にもかかわらず、医療当事者の「十分にできている」とする謙虚さのない姿勢に、「倣慢」という批判の言葉が出てきたのでしょう。また、旧態依然とした死後の葬祭を主任務とする宗教界 の一面をみて、生きる人間を相手にした取り組みをしてほしい″との願いが、「怠慢」との言葉となっているのでしょう。

●医師として三十年間
 私は医師という職業を選んだのですが、学生時代に浄土真宗の師との出遇いがあり、聞法を続けながら消化器外科の仕事に従事してきました。最近の十年間は、田舎の公立病院の院長として管理職を務め、いろいろな経験を積ませていただきました。二〇〇四年四月より、再び一医師として働 きながら、「仏教と医療の協力関係」の構築に向けた取り組み 三十年間、医師として働いてきて思うことは、よくなる病気はよくなる、よくならない病気はよくならない″ということです。よくなる病気に対する医療関係者の対応は、治癒を目指して取り組みます。それで、多くの疾病は治癒していくのです。しかし、病気か、老化現象と考えるべきなのか、境界のはっきりしない病気も増えてきています。
 人生の全期間をみるという視点からいえば、医療の仕事は結果として、老・病・死の一時的な先送りをすることであると思われます。よくなる病気に対しては、最新の知識と技術で努力しなければならないが、それも自然に備わる治癒力の上に乗っかってできることであるという自覚が大切だと思うのです。一 方、よくならない病気に対して、私を含めて医療界の取り組みはどうであったのか。緩和ケアに関しての知見が増えてきたいま、振り返ってみると患者の苦悩を少なくするという取り組みが 「十分ではなかった」という反省が出てきます。

●患者との対話
 昭和六十年代、癌という病名を患者には言わない″という雰囲気が、まだ日本の医療界を包んでいたころ、私はある国立病院で仏教系のある短期大学長の胃癌の手術を担当しました。癌という事実を告げないままの治療でした。進行癌であり、数年後再発をしました。患者は学者で、念仏もされている人でし た。家族と相談したうえで、本人に知らせたほうがいいと判断して、病名、病状の事実を告げることになり、主治医による説明がなされました。当時は、日本の医療界も、少しずつ癌の告知がされるようになっていました。
 報告をもらった後、私は患者を病室に訪ねてびっくりしました。それは、患者のことでびっくりしたのではなく、自分のことでびっくりしたのです。臨床経験も十五年以上積み、外科の責任者として仕事を切り盛りして、それなりに自信をもてるようになっていたときのことでした。癌という病名を告げた後、私 自身、患者との対話ができないのです。それまでは本当の病名を告げずに、いわば嘘≠言って患者との一時的な対話をしていたのです。少々のことにはごまかしの訓練を積んでいて、種々の患者の訴えには、即座にそれなりの答えをしていたのです。
 ところが、本当のこと″を言った後の対話についての訓練がまったくなされていなかったのです。私は学生時代から細々とはいえ、開法を継続してはいたのです。しかし、言葉を失うとはこのようなことか、と惜然としました。その短期大学長(患者) の著作の内容の話で、何とか間はもたせることができま したが、本当にびっくりしました。まして、宗教と縁のほとんどない多くの医師のことを思うと、これは大変なことだと直感しました。死がイメージされる病名の事実を告げた後、対話をどう進めるかは、日本の医療界の未経験の領域だったのです。
 その後、医療界での対話の訓練は十分なのでしょうか。温かい対話が十分になされているか気になるところです。

●患者の物語
 診察室で訴えとして表白される言葉は、患者を主人公として語られる物語です。対話を通 して、病気の全体像がイメージされていきます。場合によれば、全人的なその人の生活歴、人生観、価値観まで推察される対話が必要になることもあります。医療者は、想像力をはたらかせて患者の生活の全体の物語を構築していきます。客観的検査データをも取り入れて、患者の全体像を把握し、診断・治療へと結びつ けていくことになるのです。
 治癒していく病気では、対話不足も大きな問題になりませんが、治癒できない場合や、死に結びつく病気の場合は、その受容が大きな課題となり、十分な対話を欠くことはできません。対話をし、物語を共有することが患者のみならず家族や縁者、そして医療者に大切なこととなります。生きていくこと、死んで いくことの物語を共有できたときに、患者が最後まで生き切ることを関係者が支えることが可能になる、と思うのです。まさに地域文化の課題であります。

●専門化、細分化
 日本では戦後、医療の分野では細分化が進み、狭い分野での専門家が尊重される雰囲気ができていました。そのために、最新の知識や先端技術を学び、多くの経験を積んで競争していくことになっていました。
 医療が専門化し、細分化すればするほど、病気や病変の局所の情報が尊重され、多くの知見が積み重ねられ、病気の機序や病態については、より詳しくなってきています。そのことで、検査、診断、治療の進展が見られ、その恩恵も多くの人が享受できるようになってきました。
 大学病院で外科の仕事をしていたときに、麻酔のために術前訪問に来ていた麻酔医が、ある病棟のことを「あそこは無医地区ですからね」と冗談を言うのです。聞いてみると、専門分野のことは詳しいが、全身管理が疎かになっていると言うのです。麻酔をかけるためには、患者の全身の把握が必要です。術前訪 問は、まさに患者の麻酔管理をしっかりするために、前もって全身の診察、検査データの確認をするのです。ところが、病気の局所についての検査、所見は十二分に調べられているが、全身の診察、検査が十分になされていないことがたびたびあって、「要注意」と麻酔医の間で言われているというのです。医師の数に不 足はないのですが、「無医地区」と言われるのはそのためです。
 この冗談が象徴的であるように、専門化、細分化は局所の専門家を育てるシステムとしてはよいのですが、患者の全体をみるという視点では、多くの問題を内包しています。このことに気づいた医療界は、二〇〇四年度から、新しく卒後研修制度を義務化して、患者の全体を診察できる医師の養成へと二年間の研 修制度を始めました。今後、実のある制度にしていくことが期待されています。

●仏教と医療の協力関係の構築へ
 人間の全体を把握して理解するためには、人間をどう考え、どうとらえていくのかが大切 になります。人間の健康について、長い間、三つの要素(@身体的、A精神的、B社会的)が考えられてきました。ところが最近、人間全体を把握しようとするとき、この三つだけではカバーしきれないという課題が注目されています。一九九八年の世界保健機構(WHO)の理 事会で、健康の定義に四番目の要素として、「スピリチュアル」という項目が加えられました。まだ総会の決定ではないのですが、時代の流れはスピリチュアルという面を認知する方向だということです。私はスピリチュアルの内容を、(1)人間に生まれた意義、(2)生きることの意味、(3)死んだらどうなるかに ついて不安がない、(4)罪悪感からの解放、等と考えています。浄土真宗で 「後生の一大事」と言われる内容に近いものです。
 緩和ケアを担当する友人から、こんな話を聞いたことがあります。進行癌の患者に対して、肉体的な痛みに麻薬等で十分対応し、看護面でも手厚い看護で対応し、家族にも参加してもらった。そうすると、「どうして私がこんな病気になったのか、生きる意味はあるのか」等のスピリチュアルな面の訴えが表面に 出てくることがしばしばある、と言うのです。これはいままでの医学、看護学教育だけでは対応できない領域だと思います。つまり、人間がいかに生き、いかに老い、いかに死んでいくかの普遍性のある物語が大切だということです。
 医療者は、患者の種々の人生観、価値観への柔軟な包容力のある対応が求められるのです。もし医師、看護士だけで無理なら、他分野の人々との協力関係が求められます。医療は患者、家族、縁者、医療者という地域の構成員の共同作業で成立するものです。各関係者の協力での取り組み、地域の総合力の表れと なるのです。まさに地域の文化力が豊かであることが望まれるのです。

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