「医療と仏教の協力」:雑誌「在家仏教」2005年8月号掲載 「長生き」 とは時間の長さだけを言うのでしょうか? 「健康」 とは身体が健全であればよいのでしょうか?今こそ仏教と医療が手をつなぎ役割を果たす時です。 私は今年 (二〇〇四年) 三月まで十年間、 大分県東国東郡の五ヶ町村で作っている病院の院長をしておりました。 五十五歳で辞めて今、 自分の故郷に帰ってきております。 たまたま学生時代に九州大学の仏教青年会 (仏青) にご縁がありまして、 仏青のボランティア活動と言うよりは、 実はそこの寮は部屋代がただであるということに惹かれて寮に入ったわけです。 しかしそれがご縁で福岡教育大学の細川巌先生に出遇えて、 浄土真宗の教えを今日までずっといただいてきました。 細川先生は、 私たちが学生時代の頃からよく 「世間の仕事は余力を残して辞めなさい。 後生の一大事が残っています」 とおっしゃっておられました。 私も世間の仕事は十年責任者をやれば一応お許しを頂こう、 これからは仏教をもう少しいただきたいと、 この四月からは世間から半歩退いたような形で、 ゆっくり医師としての仕事をしながら仏教と医療の橋渡しをしたいと、 それを今少しずつ始めております。 ■ 死の現場が家庭から病院へ 私はもともと九州大学の第一外科に勤め、 胃癌とか大腸癌という消化器外科を担当していました。 学生時代から真宗の方のお育てをいただいて、 最初は医学の仕事と仏教の仕事が別々のような感じがしておりました。 けれども、 臨済宗の秋月龍a先生が埼玉医科大学の哲学の教授をされている時、 医学部の学生に対し 「医療という仕事は、 人間が生まれて老いて病気で死んでいくという、 その生老病死に携わるのだ。 実は仏教も二千数百年の歴史で、 この生老病死の課題に取り組んで解決の方法を見出している。 医療の仕事に携わる者はぜひとも仏教的な素養というものを持ってほしい」 と語りかけていたということを本の中で読みまして、 「ああ、 そうだったのか。 自分が仏法を学ぶということと、 医療の仕事をするということは、 同じことを課題としているのだ」 と心強く思わせていただいたことでした。 ちょうど四十歳を過ぎた頃に九州大を辞め、 私の故郷・中津の国立病院に参りまして外科の医長をしておりましたが、 その時にぜひとも医療と仏教の協力する仕事をしたいと、 当時の院長に、 病院の中で週に一回ぐらい仏教講座をさせていただくようお願いしました。 院長先生の賛同を得て仏教講座を始めたのが十五年ぐらい前でした。 それを国立病院の中できちんと組織立ててしていこうと思った時にたまたま転勤となり、 東国東郡の病院に移りました。 平成元年に赴任し、 平成二年の四月から地域のお坊さんたちに協力してもらって毎週金曜日の夕方六時半から一時間ほど、 病院の中で仏教講座をするようになりました。 お坊さんたちに協力をお願いに行った時のこと、 安岐町の町会議員をしている臨済宗のお坊さんの所に行きましたら 「いや、 先生いいことを始めてくれますね。 今まで仏教は死んだ人を相手にしておけばよかったけれど、 これからやはり仏教は生きた人を相手にする時代ですね」 と言われました。 それから十四年ぐらい経ちますから、 年間五十回としますと、 もう七百回ぐらい病院の中で仏教講座をやっております。 広い畳の部屋があってそこでするのですが、 しかし世間一般の関心は 「病気さえ良くなれば別に仏教なんて関係ないわ」 という風潮ですので、 なかなか聞いてくれる人は少なく、 毎回五人前後でしょうか。 今は死の現場が家庭から病院の方に移っております。 ぜひともそういう生老病死の現場である病院で仏教的なことに接点があればいいなというのが願いで始めたわけです。 公的な病院でしたし、 そんなことをして何か問題があるかなと少し危惧したのですけれども、 国東半島が 「仏の里、 国東」 というキャッチフレーズで売り出しているからでしょうか、 文句はほとんど出なかったですね。 しいて言うならばキリスト教の人から 「仏教ばかりじゃなくて、 キリスト教もちょっと話をさせてほしい」 という声が上がるぐらいでした。 今、 医療の世界で、 お医者さんや看護婦さんたちにとって大きな目標になっていることは、 健康で長生きということだと思います。 この健康で長生きということを改めて考えてみた時に、 今、 医療と仏教が協力してやらなければ実現できないということが見えてきています。 けれども医療と仏教の役割分担が実現できていない。 その役割分担をどう考えていったらいいのかということです。 ■ 「病気は嫌」 と思う苦しみ 人間の苦しみ、 悩みがどうして起こるのか? その原理を考えてみますと、 自分の思いと自分の現実に差があるということですね。 サンスクリットから中国の言葉に訳す時に 「思うようにならない」 という意味を 「苦」 と訳したそうですから、 苦はもともと 「思うようならない現実」 ということです。 病気になると二重の苦しみがあると言います。 病気そのもので苦しむと同時に、 病気は嫌だという思いで苦しむというのです。 病気の人たちはみな健康になりたいと思うわけです。 ですから医療とは、 病気を健康の方に持ってゆくことによって、 思いと現実の差を縮める、 そういう形で人間の苦しみ悩みを取ると言えるわけです。 しかし病気を健康にするのは、 医学的知識を持っている医師や看護師さんたちだけの仕事なのでしょうか? アメリカの 「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン」 という有名な雑誌で、 私が大学を卒業した頃ですが、 編集者が面白いことを言っていました。 病気の八十パーセントは安静にして休んでおけば自然の経過で良くなっていく。 お医者さんが関わらないとどうしても良くならない病気は十二パーセントぐらいであると。 外科の仕事をしておりますと、 医師は患者さんの自然治癒力の上に乗っかって仕事をしているということがよくわかります。 例えば手術をして閉腹する時に針糸で開腹した所を寄せ合わせます。 寄せ合わせるのは医者の仕事です。 しかし組織がくっつくかどうかは本人の治癒力によるわけです。 本人の治癒力によってほとんど決定が為されているのです。 私たちはそれをちょっとサポートしているだけなのです。 そういう意味では十二パーセントということも、 そうかもしれないなと思います。 そして残りの八パーセントは、 お医者さんがかかわったばかりにかえって悪くなる。 医療ミスですとか、 合併症とか、 薬害などです。 病気を健康に戻すという仕事は医療関係者だけができるということではありません。 入院して治療する時に患者さんが家庭や職場のことばかり心配していたら 「家庭のことは私たちが全部しますよ。 だから心配しなさんな」 とか、 「職場のことは私たちが全部しますから」 といって、 療養環境を整えて上げることによって、 八十パーセントの自然の治癒力のところにいろいろ影響を与えることができるのです。 医学が関わる役割を過大評価しても過小評価してもいけない。 あるがままにみるということが大切だということです。 しかしお医者さんによっては 「俺が治してやった」 と言うわけです。 大分合同新聞のエッセイ欄で、 国東の方が書かれたものの中に、 「医者の傲慢、 坊主の怠慢」 というのがありました。 お医者さんはたったの十二パーセントのところの仕事をして 「俺が治してやった」 などと傲慢になってしまっている。 そしてお坊さんは死んでから出てくる、 生きた人を相手にしてないから怠慢であると。 「病気を治して健康にする」 という形で自分の思いと現実の差を小さくすることが可能であるということが、 原理として一つあります。 しかしこれには前提条件がありまして、 「良くなる病気」 の場合だけなんです。 良くならない病気の時はこれはできないわけです。 では良くならない病気の時はどうするか。 良くならない病気はどういうものかといいますと、 癌という病気は、 ある程度進行して今の医学では手が届かないという状態になってしまえば、 その時点で健康に戻してくれと言ってももう戻すことができません。 ほかにも、 いまだに原因がはっきりしない、 治療法もはっきりしていないという病気がかなりあります。 老化現象に関係した病気も、 元に戻してくれと言われても、 なかなか今の医学では請け負えません。 脳梗塞のように麻痺が出てきて、 一生懸命リハビリをしたけれどどうしても障害が残ったという人が、 これを元に戻してくれと言っても今の医学ではできないわけです。 この前、 日野原重明先生の講演を聴いておりましたら、 「みなさん、 良くなる病気と、 良くならない病気はどっちが多いと思いますか? 今は良くならない病気の方が多いのです」 とおっしゃっていました。 特に高齢社会では老化現象から来る病気が起こってきますから、 良くならない病気の方が多いということです。 そうしますと、 健康に戻りたいという思いと現実とのギャップはどうやって縮めることができるのかという問題が出てくるわけです。 ■ 死を受容できる人 生命倫理の分野でいろいろ発言されている元駒澤大学講師の中野東禅先生が論文の中で、 死を受容できたと思われる人の生前の生活態度や人生観を調査して、 死が受容できる人の共通点を十二項目リストアップされていました。 その中で興味深かった一つは、 今という時間が充実している人、 今の時間、 今に充実している人は死を悠々と受けとることができる、 そして感謝の世界を持っている人も死を受容できる、 と書いてありました。 現実と思いとのギャップを縮めるもう一つの方法は、 現実を受容する、 この事実において差が小さくなるということがあると思うのです。 関西の方の大学で難病といわれるものを専門とされているS先生は、 私よりも少し若いぐらいですけれども仏教に造詣が深い方で、 インターネットの中でやりとりをしました。 中学生の時にお母さんがSLEという難病に罹られたのだそうです。 最初のうちはお母さんが難病に罹った愚痴ばかり言って、 家の中でもお荷物みたいな存在だったらしいのです。 その後、 このお母さんが幼い頃からご縁のあったお寺さんに接点ができて、 そこでお話を聞くようになってきたらだんだん明るくなってきて、 「今まで家のお荷物であった母が、 家族を支えるような展開を遂げました、 それにはびっくりしました」 と書いてありました。 そしてそのことが縁で、 自分は高校の時から和尚さんのお話を聞いて、 四十三歳ぐらいの時に、 仏さまに懐かれている、 こんな豊かな世界があるのかということを感じ取れるようになりました、 と。 難病であっても、 その現実を受容することによって本当に生きていくということが事実としてあるということを知らされました。 キリスト教の方では星野富弘さんという方がいらっしゃいます。 この方は群馬大学を卒業し二十代で中学校の先生をされていて、 体操の模範演技をしていた時に首の骨を折って脊損になり、 手足が麻痺してしまった。 その後キリスト教に出会って、 今は口に筆をくわえて絵を描いたり、 詩を書いたりしておられます。 その星野さんが花の絵を描いて、 その上にこんな詩を書いておられます。 いのちがいちばん大切だと思っていた頃 生きるのが苦しかった。 いのちよりも大切なものがあると知った日 生きているのがうれしかった。 「健康が大事ですよ。 障害がないことが大事ですよ」 と思っていた時には、 生きるのが苦しかった、 障害を持って自分はもう回復不可能だったから。 でも、 いのちよりも大切なものがあると知った日に、 生きているのがうれしかった、 と言って現実を受け止める中に、 思いと現実との差が縮んでいるという事実を見せていただくのです。 医療と宗教がどこかで役割を果たす。 この両方の取り組みにおいて、 一人ひとりの苦しみ悩みを少なくすることを、 役割分担という形の中で考えていけるのではないかと思います。 私は医学教育を受けてきておりますので、 「何かを信仰したら病気が良くなります」 とはなかなか受け入れられません。 もしそう言う人がいても、 客観的な事実で検証していただかないと、 私たちは疑い深くて信用しません。 医療の世界はやはりそのぐらいの客観性を持ち得ないといけないと思います。 ですから現代科学を使って健康にする取り組みを一生懸命すると同時に、 宗教的な世界との接点を持ちながらやってゆく。 そして大きな世界との出遇いを通して現実を受容できるようになる中で、 一人ひとりの苦しみ悩みを救うという取り組みに協力することが大事ではないかと思っております。 ■ スピリチュアルに健全であるか 第二次世界大戦の後、 世界保健機構 (WHO) が世界の健康という問題を司るようになって、 健康の定義をしております。 日本の医療法も、 WHOの定義を踏襲しておりますが、 それによりますと、 健康とはフィジカル (=身体的) に健全であること、 メンタル (=精神的) に健全であること、 そしてソーシャル (=社会的) に健全であること。 今日までこの三つが健康の定義の大切な要素であることが続いてきました。 それが一九九九年にWHOの中で、 四番目の要素として 「スピリチュアルに健全であること」 という定義を加えようという動きが出て、 理事会で決定されました。 しかしそれを総会に移そうとした時に、 ある共産圏の国が反対をしました。 日本は時期尚早ということで棄権に回りました。 こういう問題は多数決で決めるのではなくて、 やはりみんなが共通に理解すべきということで、 総会には上程されないまま、 理事会の決定の段階で止まっております。 しかし 「スピリチュアルに健全である」 ということが健康の定義に加わることが世界の趨勢だということです。 このスピリチュアルをどういう日本語に訳すか医学界でも問題になっておりまして、 カタカナのままいこうではないかという話になんとなくなっています。 しかし健康の定義にこのスピリチュアルが入ってくる時代になってきた時に、 今までの医学教育、 看護教育だけではもう間に合わなくなってきてしまいます。 医療と仏教が協力して一人の人間の苦しみ悩みに取り組まなければやっていけない時代です。 福岡のキリスト教系の亀山栄光病院で活躍されている下稲葉康之先生が講演の中でおっしゃったことですが、 三十代のある方が福岡市内の病院で大腸癌の手術をされ、 運悪く二年後に再発した。 その手術をしてくれた外科の先生の所に行って痛みを取ってもらおうとしたのだけれども、 なかなか痛みが取れなかった。 その後、 ホスピスで麻薬を使うという治療法で痛みを取ってもらって小康状態を得ていたのですが、 お腹の再発癌から腸閉塞になったのです。 普通の腸閉塞であれば外科医が癒着剥離等の手術をするのですけれども、 癌の再発での腸閉塞ではほとんど手術できません。 それでもう飲むことや食べることは止めて、 点滴で生きるようになりました。 痛みはモルヒネで取り除いている、 栄養も点滴で摂っているという状態の中で下稲葉先生が回診をした時に、 この患者さんが 「先生、 私は死ぬために生きているのですか?」 と訴えたというのです。 この人は、 あと数カ月で死ぬ自分に生きる意味はあるのかという問題を苦しみ悩んでいるわけです。 身体的なところは薬でコントロールできている。 精神的にはしっかりしている。 社会的にも問題はない。 それなのに私の生きる意味はなんでしょうかという訴えが出てくるわけです。 ■ 罪悪感からの解放 アメリカのキューブラー・ロスという終末期の医療を担当していた女医さんが、 日本に来た時の講演の中でおっしゃっていました。 ある患者さんが癌で通院していて、 あと数カ月の命だというのがうすうす分かってきた時に、 「先生、 私はいい生活はしてきたけれども、 本当に生きたことがない」 と訴えたというのです。 「みんなに負けてはならぬと、 経済的にも、 家庭的にも、 社会的にも、 子供の教育も、 一生懸命やって、 そこそこのものは手に入った。 けれども、 あと数カ月の命だということが見えてきた時に、 私が一生懸命頑張ってきたことが本当に生きたことだったのだろうか。 負けちゃならんといって走り回っていただけじゃないだろうか」 と。 生きたという実感や喜びがないということを、 「いい生活はしてきたけれども、 本当に生きたことがない」 と言ったというのです。 まさに 「私の生きる意味はなんでしょうか?」 という疑問です。 このスピリチュアルというのは、 一つは人間として生まれた意味、 二つ目は生きることの意味ですね。 生きることで果たす仕事、 生きることで果たす使命。 こういうものを自分なりに頷けているということ。 そして三つ目は死んだらどうなっていくのかということです。 「お任せ」 という形の中で本当に安心しておりますという仏教的な視点をふまえて言うならば、 これがスピリチュアルということではないかなと、 私なりに理解しております。 それともう一つ、 いろいろな罪悪感からの解放ということがあります。 ホスピスで働く人たちからこんな話を聞きました。 ホスピスに癌の末期で入ってこられた八十代ぐらいの方が、 ソーシャルワーカーに、 私は戦争に行ってきたのだという話をするというのです。 戦争に行けば人を殺すというようなこともあり得たわけですね。 だからそういうことをポロリと洩らして、 肩の荷がかるくなったような感じになって少し穏やかになって、 一週間ぐらいして亡くなったということがあったのだそうです。 戦後 「私は戦争に行って……」 などと言えるような雰囲気ではないまま、 これまで過ごしてきた。 それを洩らすことで、 そういうことから解放されて穏やかに亡くなっていくということがあるのだそうです。 そういう意味で、 罪悪感からの解放というようなものが、 スピリチュアルという中にあるのではないかと思うのです。 私たち医師の仲間も、 こういう患者さんの全体的なものをカバーしていないのに 「俺が全部やっているんだ」 といって傲慢になると、 苦しみの全体が救えません。 自分にできることとできないことをわきまえて、 自分にできないことはそれをできる人に協力してもらいチームを組んで、 一人の人間の苦しみ悩みを救う、 そういう取り組みが必要になってきている時代だと思います。 ■ 医療関係者に死の教育を 私はずっと浄土真宗のお育てをいただいておりますので、 人間に生まれた意味、 生きる意味、 そして死んだらどうなっていくのかということは、 仏教的な素養をいただいていく中に自然に解決できると思わせていただくのです。 医師とか看護師さんたちが一生懸命健康、 健康と言うけれども、 こういうところまで含めて健康ということがこれから問題になってくる。 もう今、 既になってきております。 このことを見ても、 医療と仏教が協力してやらなければ、 一人の人間の健康が実現できないのだということが時代の流れの中にあるわけです。 しかし日本の医学界が仏教に理解を示しているかというと、 非常にさびしい現実であります。 理解がほとんどないと思われます。 前任地の病院で毎週開いている仏教講座では、 夕方仏教講座の案内の全館放送を三回ぐらいします。 お坊さんたちが衣を着て病院に入ってくるのがもう普通の光景になっているわけです。 しかしやはり若い先生たちなどは時に理解がなくて、 講師当番に来たお坊さんが悔しがるわけです。 「ある病棟に門徒の人が入院しているからお見舞いに行ったら、 ちょうどそこに若い先生がおって、 その先生から 『まだ来るのは早い』 と言われました」 と。 厚生労働省の統計を見ましても、 最近は人間が死ぬ場所の八割近くが病院になっています。 生老病死の現場が家庭から病院へ移ってきたということです。 昭和二十五年には病院で亡くなる方が十九パーセントだったらしいです。 ということは八割は自宅で亡くなっていたのです。 それが平成六年ぐらいから逆になりました。 自宅で亡くなる方が二十パーセントを切りました。 ですから病院が国民の八割の死の現場であるわけです。 しかし今までお医者さんとか看護師さんたちの教育に、 死の前後をどうしたらいいかという教育が全くといっていいほどなかったのです。 淀川キリスト教病院から大阪大学に移られた柏木哲夫先生が 「死の医学化」 ということをおっしゃっています。 今まで死はお医者さんや医療が扱わなくてもよい領域だったのを、 いつのまにかお医者さんが扱うようになって、 そして延命しかできないようになってきた。 余分なことをしているかもしれないと。 日本の文化の中にいつのまにか、 できるだけ死というものを見ないようにして病院の中に入れてしまい、 「お医者さんに任せているからいい」 という形ができてしまっているけれども、 多くの医療関係者は全然その素養がないわけです。 そこにいろいろな歪みが起こってきているというのが現実なのです。 ■ 長寿とは時間の長さだけ? 長生きについても、 医療と仏教が協力してやっていかなければいけないと思われます。 長生きは別に仏教など関係ないじゃないかと思われるかもしれませんが、 これも仏教のからみがなければ実現できないようになってきているのです。 現代教育を受けてきますと、 生きている時間が長いのが長生きということになっています。 最近、 新聞などにその地域で一番の長寿者に町長さんがお祝いを持っていったというような記事が出ています。 四年ぐらい前でしたか、 小児科の医師でもある田川市の前市長さんが国民健康保険の関係の会議でお会いした時におっしゃっていました。 田川市に百歳以上の人が七人おられたのだそうです。 敬老の日にお祝いを持っていったら、 「その七人のうちの二人は本当におめでとうと思いましたけれども、 あとの五人はおめでとうございますという状態じゃありませんでしたね」 と。 時間的な長さをもって長寿とするならば、 その現実で私たちが本当に願っている長寿ということが実現できているのでしょうか。 五年前から介護保険が始まりまして、 介護の現場で何がいちばん大きな問題かというと、 惚け症状が出てきた人をどう処遇するかということなのです。 現場は非常に悩んでいます。 厚生労働省の統計で見てみますと、 八十歳以上では手のかかる惚け症状が出てくる頻度が二十五パーセントとあります。 そして九十歳以上では、 国の統計はないのですけれども、 沖縄県の統計を見ますと三十七パーセントだそうです。 百歳以上では八十五パーセントぐらいです。 脳外科をされていて痴呆を主に扱っている先生の講演を聴きましたら、 初期の痴呆の状態も含めれば、 発症は大体この倍だそうです。 八十歳以上で五十パーセント、 九十歳以上で七十パーセント、 百歳以上では九十七・五パーセントだそうです。 これが医学界で出ている数字です。 惚けるということは、 世間ではあまり好ましいとは思われていません。 しかし北海道のアイヌの人たちでは、 高齢になって何かわからんことをしゃべり始めたら 「神の言葉をしゃべり始めた」 と言うのだそうです。 温かい呼び方ですね。 「うちの爺ちゃんもついに神の言葉をしゃべり始めた」 と。 しかしこういう問題が伴いますと、 多くの人たちは 「長生きも考えものじゃなあ」 と言います。 ■ 死なないいのちに出会う では私たちが本当に願う長生きとは何でしょうか。 『大無量寿経』 に四十八の願が書かれている中で、 十五番目の願に長寿のことが書かれています。 この十五番目の本願には、 浄土の世界、 仏さまの世界がわかってきたら、 本当の長寿が実現できるとあります。 ただし 「いのちの長い短いに囚われる人は除く」 と。 十八願で 「唯除」 という問題、 除くということに非常に深い意味があるということを教えて頂くのですけれども、 十五願においても、 この 「除く」 ということが意味深いと思わせていただくのです。 長生きということで面白いヒントを与えてくれたのは、 産業医科大学の哲学の非常勤講師をされていた古川泰龍先生です。 熊本で真言宗のシュバイツァー寺というお寺をしていらして、 東西文化交流ということでキリスト教との交流もされていたと本に書かれております。 私たちは時間を、 過去があって、 現在があって、 未来があると考えている。 特に現代教育で歴史を習いますと物事を対象化して見ていきますから、 自分とは無関係に時間は過ぎていくと思うわけです。 今は西暦何年で、 来年は私が生きていても生きていなくても何かが起こっていくであろうと、 いつのまにか自分とは無関係に時間は過ぎていくように考えてしまっている。 過去のどこかで私は生まれた、 未来のどこかで私は死ぬであろうと。 ところが古川泰龍さんの 『死は救えるか』 (地湧社) という本を読みますと、 多くの病気をした人や高齢になってきた人たちが、 よく死にたくないとか、 長生きしたいと言うが、 この 「死にたくない」 とか 「長生きしたい」 は根が同じである、 とおっしゃる。 死なないわけにはいかないから、 ちょっと値引きをして 「長生きしたい」 とこう言っているのだそうです。 そして、 この 「死にたくない」 と発言する背後にあるものを考えてみると、 自分は 「生まれて」 から 「死ぬ」 という有限の命を生きて、 だんだん死が近づいてきた。 「ああ、 もうこのまま死んでしまうのかな。 本当は死なないいのちに出会って然るべきなのに、 そういう死なないいのちに出会わないまま今有限の命を終わろうとしている」 と。 だから 「死にたくない」 というのは、 「死なない世界に出会いたい」 という、 無意識に宗教的目覚めを求めている叫びである、 と古川さんは言うのです。 無量寿、 仏さまの世界に出会いたいということです。 ある哲学者の本を読んでおりましたらやはり、 「死にたくないということは、 死なないいのちに出会いたいということなのだ」 と書いていました。 死にたくない、 長生きしたいということは、 「私は生まれてから、 死ぬという有限のいのちを生きている。 本来ならば死なないいのちに出会って然るべきなのに、 そういう世界がわからないまま、 今いのちが終わろうとしている、 こんなはずではない」 と。 これは宗教的目覚めを求めている叫びであるというわけです。 ■ 今、 今日、 ここしかない 禅宗ではよく 「今、 ここ」 と言います。 仏教はすべて 「今、 今日、 ここしかない」 のです。 それなのに私たちは身はここにおりながら、 意識はなかなか、 今、 ここにおらずに、 心は過去のことをうじうじと考えている。 「私は過去にこんな立派な経歴があった」 とか 「社会的地位が高かったのだ」 とか。 またはあの時ああしておけば良かったと言って後悔する。 もう終わったことなのに、 今またそれを持って来てとらわれる。 これを持ち越し苦労といいます。 その一方で、 まだ来ていない未来のことをいろいろ心配する。 これを取り越し苦労と言います。 身はここにおりながら、 意識は過去や未来を行ったり来たりして今になかなかいない。 それぐらい私たちは 「今」 がとらえにくくなっているわけです。 ある家庭でこういう会話があったそうです。 高校生の息子が 「お父さん、 僕は学校に行っても勉強についていけないし、 友達もできないから高校を辞めたい」 と言ったら、 親が 「この時代に高校ぐらい出とらんで将来どうするんだ」 と答えた。 子供が 「今、 困っている」 と言ったら、 親は 「明日をどうするか」 と答えた。 私たち大人は、 いつも明日こそ、 明日こそですね。 いつの間にか明日が目的になっています。 これは最近教えていただいたことなのですけれども、 パスカルがパンセの中に 「私たち人間は、 明日が目的で、 過去から今日が明日のための手段・方法になっている」 と書いています。 そして 「死ぬまで幸せになる準備ばかりしている」 と。 明日こそ幸せになるぞ、 このことが解決できたら楽になるぞといって、 死ぬまで幸せになる準備ばかりしているというのです。 幽霊というのは、 髪が後ろになびいていますよね。 これ、 おどろ髪と言うのだそうです。 そして両手が前の方に出ています。 そして足がないです。 おどろ髪が、 もう終わったことに持ち越し苦労をしている姿です。 手を前にしているのはまだ来ていない未来のことを取り越し苦労していることを示しています。 そして足がないのは今に立脚点がない。 言われてみれば私たちは今、 幽霊を生きているようなものです。 こういう私たちに 「今しかないんだよ」 ということを教えてくれるのが仏教です。 しかしそう言われても、 この 「今」 がなかなか難しいのです。 坂東性純先生のお話から頂いたことですけれども、 臨済宗の鈴木大拙先生が九十を過ぎた頃、 お祝いの席でお弟子さんから 「長生きの秘訣を教えて下さい」 と聞かれたのだそうです。 そうしましたら先生は 「今私は鎌倉のあるお寺の裏に住んでいて、 鎌倉の町に出るのに、 いつも百二十段の石段を上がったり下りたりしなければならない。 この石段を上がったり下りたりする時に私は、 今足を置くべき石段だけを見るようにしています」 とおっしゃったのだそうです。 先を見て取り越し苦労をせずに、 今取り組むべきことを大事にした結果が長生きということになりました、 と。 日蓮宗の八十九まで長生きされたお坊さんも、 お祝いの席があった時に同じく、 長生きの秘訣を教えて下さいと言われた。 そうしましたら、 「私は若い時からどうしたら長生きできるかということをいろいろ研究して、 長生きの秘訣を百以上知っております。 しかしどれ一つ実行しなかった。 これが長生きの秘訣です」。 長生きしようなどと考えるのではなくて、 一日一日を大切にしたとおっしゃるのです。 キリスト教の人はこう言うのだそうです。 「生きているうちに死んだ人は、 死ぬ時に死なない」 と。 生きているうちに死なないいのちに出会ったものは、 死ぬ時に死なない。 禅宗の至道無難禅師もこういう歌を詠んでいます。 「生きながら、 死人となりて、 なり果てて、 思うがままになす業ぞよき」。 キリスト教の言葉と同じですね。 生きながら死人となりてなり果てて、 そこに自由自在な世界が展開したと書いてあります。 今を大切にするという形です。 ■ 百年生きるに勝る一日 『法句経』 を見てみますと、 仏さまの世界に出会わなくて百年生きることと、 仏さまの世界に出会って一日生きることを比べたならば、 仏さまの世界に出会って一日生きることの方が価値があると書かれていますね。 信心・悟りという世界において 「百年生きるに勝る一日」 という世界をいただくのです。 『歎異抄』 第一章に 「弥陀の誓願不思議に助けられ参らせて往生をば遂ぐるなりと信じて念仏申さんと思い立つ心の起こる時、 即ち摂取不捨の利益にあずけしめたもうなり」 とあります。 「念仏申さんと思い立つ心が起こった時」 なのですね。 「念仏する時、 私が仏のはたらきの場になる」 といういただきがあるのだそうです。 なぜ 「南無阿弥陀仏」 なのかを聴いて聴いて聴き開いて、 私も念仏して生きていこうと念仏申さんと思い立つ心が起こった時に、 私が仏のはたらきの場になるのですよと。 またこんな味わいを言っている人がいます。 お盆の頃の歌ですが 「逝きし人みな我に還り来て南無阿弥陀仏と称えさせます」。 私にご縁があって、 もう先に仏さまになっている人たちがみんな私に来て、 私の口から 「南無阿弥陀仏」 と出て下さる。 念仏する時、 私が仏のはたらきの場になるというのです。 念仏申さんと思い立つ心が起こった時、 その一瞬に無量寿のいのちを生きるということは、 今の一瞬に永遠の今が始まるということですね。 この今を積み重ねていったことが結果として一ヶ月になり、 一年になり、 十年になっていくということなのだ、 と。 そうしますともう死を超えていけるわけです。 『在家佛教』 誌 (二〇〇四年九月号) に金光寿郎さんが書いていらっしゃいました。 良寛さんは門徒さんが 「もうお金も地位もいらない。 百年生きることだけなんとか実現したい」 と言ったら即座に 「それはたやすいことです。 今まで百年生きたと思えばいいじゃないですか」 と言ったという。 まさに今、 無量寿に通じているその心です。 永遠と通じる今を大事にする中に、 仏教を知らずに百年生きるに勝る一日がある。 そういう無量寿の世界です。 ですから今の一瞬に永遠を生きるという世界をいただく時に、 私たちは過去・現在・未来なんて学校教育で習ってきた物事を対象化する考え方の世界を超えるのです。 本当に私たちが仏法の智慧という世界をいただいたならば、 明日はないのだ、 幻なんだ、 今しかないんだ、 この今の連続しかないのだ、 そういただく時に、 本当に生死を超えさせていただく世界があるわけです。 私たちはなぜ明日が欲しかったのか。 「明日こそ何かいいことがあるぞ」 という心の背後には、 意識しなかったけれども今心の内面は不足不満であることを示しているということです。 ■ 知足という世界をいただく 私が 「今しかない」 という話をしましたら、 大分県のある町立病院の院長さんが、 「明日に明るい希望があるということが、 今生きているエネルギーになっているのではないですか。 それはどうするのですか」 と言われました。 「明日こそ良くなるぞ」 というのは、 今の心が無意識に不足不満なんです。 それが、 今ここで無量寿、 無量光、 南無阿弥陀仏と通じたら、 ここに自然と足るを知る。 知足という世界をいただいてきたら、 もう明日はお任せでいいのです。 明日が欲しいのは今が不平不満だからではないですか。 今がここで満足という、 中野東禅先生が死の受容のできる条件は今に充実ができている人なのだとおっしゃる、 そこに通じてきます。 今ここで無量光、 無量寿、 南無阿弥陀仏と通じたものは、 自然と少欲知足、 私は私で良かったという感動をいただく。 その者には明日はいらない、 お任せします、 です。 追い求める姿のイキイキであった者が、 仏法に出遇いあふれでるよろこびを縁ある人に伝えたいという願いを生きるイキイキへ展開していくのです。 今、 南無阿弥陀仏と生きさせていただく中に、 自然といのちの長い短いに囚われなくなってきている。 正にこの十五願です。 「浄土に生まれるものは本当の長寿が実現できます。 ただし、 いのちの長い短いに囚われる人は除きます」 と。 本当の長寿とは命の長い短いに囚われないような今日、 今、 一日一日を生きていくということなのだということを、 結果として教えられるわけです。 そうしますと、 私たちはいつの間にか数字を延ばすことが長生きだと思っていたけれど、 本当に私たちが願っている長生きは、 いのちの長い短いには囚われないような今、 今日ここで足るを知る世界に、 まさに仏さまの世界と通じることによって 「よかった」 という感動をいただいていくのだと、 そのことが本当の私たちが願っていた長寿なのだと。 ■ 頭の言いなりになって 私が受け持っている患者さんが、 九十九歳で頭がけっこうシャープなんです。 ただし歩けないので車椅子の生活をしています。 四月から受け持ちになりまして朝夕お会いします。 そうするとこの人が顔を合わせるたびに 「先生、 私は長生きをし過ぎた。 もう生き甲斐がないから早く死にたい」 と言われるのです。 いろいろ聞いてみますと浄土真宗の門徒だそうですが、 「私は早く昇天をしたい」 と言うわけです。 「浄土真宗だったら浄土に行くので、 昇天といったらキリスト教や神道の世界のようですが、 大丈夫ですか」 と尋ねたら、 「先生、 天国も浄土も通じてませんかねえ」 と言うんです。 私が 「あなた、 死にたい死にたいと言うけれども、 今晩ゆっくりあなたの心臓に聞いてみてください。 もし心臓も死にたいというのだったら、 たぶん時々さぼり出すと思う。 肺にも聞いて下さい。 肺が本当に死にたいというのなら、 呼吸も止まり出すかもしれんからね。 人間というのは、 頭は勝手なことばかり言うから、 あんまり頭の言うことは聞かんほうがいいですよ」 と。 そういうやりとりが何日か続いて 「先生、 心臓も肺も死にたいと言っとります」 と言う。 そこで今度は 「本当に死にたいのだったら、 一週間飲んだり食べたりしなかったらあなたの思う通りに死ねるから、 一度実験をしてみません? もし途中で喉が渇いたとか、 お腹が空いたと体が言い始めたら、 あなたの身体はまだ長生きしたいと言っているんですよ」 と言ったんです。 「なかなか実験を始めませんねえ」 と私がちょっと嫌みを言うと、 二、 三日したら 「先生も一緒に実験に加わって下さい」 と言うんですよ。 「いや、 あなたは死にたい死にたいと言ってるじゃないの。 私はまだ死にとうないから一緒に実験はせんよ」。 そして朝の回診の時に 「今日は美味しそうにリンゴを剥いて食べてますね」 と言ったら、 この人は 「先生、 手が勝手に動くんですよ」。 私たちは物事を対象化して見るという訓練を受けているものですから、 頭の言うことを聞くようになってきていて、 身体の言うことをなかなか聞きません。 ましてや、 いろいろなものに支えられているというところは見えなくて、 自分の局所しか見なくなってきているのです。 そういうのを仏教では 「智慧がない」 と言います。 こういう私たちに本当に智慧あらしめたい、 いのちあらしめたいという南無阿弥陀仏を、 私たちは善き師、 善き友を通して、 その生起本末を聞かせていただく。 そしてそういうお念仏の世界に出させていただくのです。 (たばた・まさひさ/大分県宇佐市・佐藤第二病院医師) このお話は、 二〇〇四年九月の福岡会場での講演録に加筆していただいたものです。 (編集部) |
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