生きることの物語:田畑正久 (京都光華女子大学、真宗文化17号掲載、平成20年3月)

初めに
 みなさん、こんにちは。今ご紹介頂きました、九州の大分の方で、今は普通の医師をしておりますけれども、元々は消化器外科といって胃癌とが大腸癌とかそういう外科の手術をずっとしておりました。
 先程ご紹介頂いたように、医療という仕事は、人間が生まれて老いて病気で死んでいくという生老病死の「四苦」という課題に取り組んでいるんですけれども、仏教もまさに、いや、仏教が本当はもともと生老病死の四苦を二六〇〇年の歴史で取り組んできたわけです。医療も生老病死の課題に取り組んでいる。同じものを取り組んでいるわりには、日本の中ではなかなか医療と仏教の協力関係が上手くいっていないということがあります。というのは、私達の地域でもお坊さんの恰好をして病院の中に入ってくると、入口あたりで婦長さんか事務長さんが「ちょっとそんな恰好では困ります」こういうふうな雰囲気がどうしてもあります。
 私は二十数年前、シカゴの方に留学していました。シカゴには東西の本願寺の別院があるんですね。私は両方とも行きましたけれども、特にお西の方の別院によく子供を連れて日曜学校に行っておりました。その時もそこに九条英淳という京都出身のお坊さんがおりまして、その方が、「米国ではメンバー(日本では門徒)が入院すると必ず僧侶はお見舞いに行くというのが仕事になっています」と。「もしそれをしないと職務怠慢と言われます」と。そして「僧侶という資格で行けば病院のどんなところでもフリーパスで入れて頂けます」と、こうおっしゃっていました。そういう意味で人間の生老病死の課題というものは、医療と宗教が協力して初めてその解決があるんだということを、まだそういうことを考える文化があるということでしょうね。残念ながら日本は宗教抜きの医療が今日まで来ておりまして、なかなか医療の現場で宗教的なことというのは難しいんです。
 約十年くらい前、私が経験したことですけども、七十代の方の大腸癌の手術をし、手術は上手くいって、それから五年間ずっと経過を見ていきました。五年経過したところで患者さんに「あぁ、よかったですね。もう大腸癌の心配はありませんよ」と、こう言って、地域で開業されている、元の主治医へお返ししました。その二年後、今度は身体が黄色くなって戻ってきたんです。黄疸です。それで調べて見たら今度は膵臓癌ができていて、肝臓の方にもたくさん転移があり、手術できない状態でした。それで亡くなりました。この時に私は、「私たち外科医がしてきたことは、老病死の問題を五年ないし七年間先送りしたけれども、結局はそこでまた老病死につかまってしまったなぁ」、「医療の仕事というのは、ちょっと先送りするだけであって、最終的には老病死につかまって死んでしまう、本当の問題解決には何もなってないな」ということを印象深く思い知らされました。

細川巌先生との出遭い
 私は学生時代、九州大学の仏教青年会(仏青)という寮がありまして、ここは医学部と法学部の学生さんたちが主に寮生活をしていまして、先輩方がボランティア活動する、その加勢をする学生さんは部屋代がタダ。その「タダ」に引かれて私は仏青の寮に入ったわけです。そしてそこに入っているうちに、学生の世話係、総務という係りをすることになりました。仏青を代表して挨拶をしてくれといろいろ言われるわけですけれども、こちらは本音で「仏教なんかなくても生きて行ける」とその当時はまだ思っておりましたから、なかなか挨拶しようにも本音は言えんなぁということで、何とか形だけ整えておりました。
 ちょうどその頃、福岡と北九州の間に福岡教育大学というのがあるんですけれども、そこに化学の先生で細川巌という先生がおられまして、その先生が仏教研究会をしているという記事が、朝日新聞でしたかね、三行くらいの記事が出ていまして、「他の大學、どんなことやっているかな、ちょっと覗きに行ってみようか」とまさに野次馬根性で行きました。で、その先生のお話を聞いて、今まで考えもしないような、仏教というのはこういうことなんだなと思わせるお話をお聞きました。それは「私たち人間は卵のような存在である。卵は殻の中にある。殻を自己中心の思いという。殻の中の存在の私は何を考えているか、しあわせになろうとする。そのためには自分でしっかり考えて、みんなから善い人間だと思われたい、悪い人間だと思われたくない。できるだけ得になることをここがけて、損になることはできるだけしない。出来ることなら勝ち組に入りたい、負け組に入りたくない。そのように善悪、損得、勝ち負けに振り回されながら生きている。そういうことを繰り返していると、次第に老・病につかまり、ついには卵は腐って卵の死を迎える。卵は腐って死ぬために生まれてきたのかというとそうではない。卵は本当は親鳥に抱かれて熱を受ける。人間だと仏の教えを受けるということである。熱を受けていくと卵は殻の中で成長していき、ものを見る目、考える頭、羽ばたく羽根、人生を歩く足、ができてきて、時期熟して、ついに「ひよこ」に成る。ひよこになることを禅では悟り、浄土教では信心をいただくという。ひよこになってみて、自分が殻の中にいたことに気づき、そして大きな世界あることを知る。このひよこは大きな世界を光に照らされながら成長・成熟していき、ついには親鳥と成る。親鳥になることを完成した人間になる、仏になるという。こういうのが仏教である。」というような趣旨の話でした。
 その中で大きな世界(仏の世界)に出れるんだというお話でしたので、先生に「どうしたらそういう仏の大きな世界に出ることができますか?」という質問をしたら、「毎月一回こういう会をしていますから、一年続けてみてください」とこういうお話でした。それが結局三十数年の聞法という形で浄土真宗のお育てを頂いて、卒業以来、外科の仕事をしながら聞法ということをずっと今日まで続けさせて頂きました。
 今、改めて仏法に出会えてよかったなぁという思いがしております。医療の現場は生老病死の課題が渦巻いているところですけれども、なかなか宗教、仏教というものを取り入れて対応しようという雰囲気がまだないところなんです。しかし今、終末期医療ということでホスピスとかビハーラという、もう避けては通れない課題になってきたなというところで、そういう宗教と協力するという動きが少しずつ出てきております。そこのところから今日は“生きることの物語”という形でお話させて頂こうかなと思っております。

医療と仏教の協力関係
 私が最近出会った象徴的なことを二、三ご紹介します。つい最近、七十代の方が肺癌になりまして、手術できない状態で化学療法を受けておりました。そして化学療法を受けているのだけれどもなかなか効果がなくて、脳転移をきたした。そして脳の転移についてはガンマナイフという最新の治療を始めたのですけれども、その途中で意識障害が出てきて、そしてだんだん弱ってきて、素人目にも後一ヶ月以内だなと思われる場面があった時に、ちょうど私が受持ちになりました。たまたま妹さんがお二人お見舞いに来られたんです。そして妹さんが病状説明して下さいということで病状説明をしました。その妹さんが帰り際にこう言ったんですね。「お姉さん、また元気になって美味しいものを食べに行こうよね」。素人目にも数週間後には死ぬということがわかっているお姉さんに「お姉さん、また元気になって美味しいものを食べに行こうよね」とこう言ったんですね。まさに私たちは元気になれることは幸せだ、美味しいものが食べられるということが幸せだという人生を生きてきた者にとっては、まさにそういう言葉かけが、できる最善なんでしょうかね。
 本当に医療の現場で終末期の医療という形で取り組んでいる多くの方がおっしゃるのは「生きてきたように死んでいく」こと。まさに「生き様」が「死に様」というのが本当にその通りですね。何を大事にして生きてきたかというのがそのまま出てくるわけですね。それは他人事ではなくて、私たちも医療の現場では、例えば、糖尿病の患者さんが治療になかなか協力しないというよりは、生活習慣病ですので、自分の生活習慣を改めようとしない患者さんおられます。そうするとこちらはいろいろ薬を出すけれども、薬を服用することによって血糖が下がって空腹感が出てくる。するとまた余計に食べる。そうすると私達が治療していることはかえって体重を増やす効果になって悪循環になってくる。生活習慣を改めない限りはこちらがいくら治療的なことをやっても、かえって悪くなる結果になりそうな方たちがおられるわけです。そうすると「あなた治療をしないとこんなふうになりますよ」と、患者さんとの対話がくりかえされて治療が進むわけです。
 「治療しないと糖尿病は二十年で死ぬ癌だと言われていますよ」と、こういうようなことを糖尿病の専門医は言ってしまいがちになるんですね。しかし、糖尿病の治療をしなければ二十年で死ぬ癌ですよ、命取りになりますよと言うけれども、糖尿病の治療をしたら命取りにならないのかと。
 最近こういうことがありました。私の同級生が、仏教の勉強を少しし始めたんでしょうね。お坊さんにいろいろ仏教の質問をすると「是非、続けて聞法をしてください」と。そしたらその彼が「そんなに“聞法しろ、聞法しろ”と。おれたちは食べなきゃならないんだ」と。「食べるのに忙しいからなかなかお寺に行けないんだ」とこういう感想をいうわけです。そこで私が言ったんです。食べないと死ぬと思っているかもしれないけれども、食べていてもやっぱり死んでいくよ、と。これはまさに、「治療しないと死にますよ」と言うけれども、治療して行けば死ななくてもよいようになるのか、と言ったらそうじゃないんですね。生老病死には必ずつかまっていくという現実を私たちは忘れてしまって、治療したら良くなるという。
 それは私たち医師もそういう教育を受けてきているわけです。どういう教育かというと、病気のいろんな症状をよく聞いて、診察をして、いろいろ必要な検査をして、病気の診断をつける。診断をつけて治療をする。こういう治療をするとこういう結果になりますよ、というところまで教科書にちゃんと書いてあるんです。ですが、その後はほとんど何も書いてなんです。治療して年を取ったらどうなっていくかとか、治療しても再発したらどうなっていくか、ということ。それから先のそういうことへの対応はほとんど書かれていないんです。だから、「生きる」ことの全体が見えてないわけなんです。仏教のいう「人間に生まれた意味」「生きることの意味」、そして「生きることで果たす自分の仕事、使命」、「死んでいくことはどういうことなのか」という生老病死の全体が見えていなくて、小さな赤ん坊が成長して大人になるまでの記載はたくさんあるけれども、その後がない。これがまさに私たちの生きることの全体が見えていないという理性、知性のあり方じゃないかなと。そこに仏教の智慧によって「人間の全体が見える」という世界がないために、こういう問題が起きているなということを思わせて頂きます。

「健康で長生き」は目的か?
 多くの人たちは、「また元気になっておいしいものを食べに行こうよね」と、こういうことが私たちが「幸せな人生」だと思うわけですね。例えば、私たちには教えてもらわなくても「幸せになりたい」という思いがあるんだと、これはアリストテレスが言っているそうです。私たちはどうしたら幸せになれるのかということを考えると、どうしても幸せのためのプラス条件と幸せのためのマイナス条件があるんですね。病気はマイナス条件だ、健康はプラス、身体が若々しいのはプラス、年を取るのはできるだけ先送りしたい。ものが豊かであることはプラス、ものが足りないことはマイナス、役に立つ人間はプラスであり、役に立たない人間はマイナスだ。迷惑をかけることがマイナスで、迷惑をかけないことがプラスだ、とこういうふうにしてプラスを一生懸命大きくし、マイナスを少なくして、私たちは幸せになっていくんだと、ほとんどの人間が考えています。その結果、今私が見ている、医療の現場、福祉の現場では、あるお年寄りがこう言いますね。「先生、年を取って何も良いことないですね。腰は痛くなるし、眼は薄くなるし…」愚痴を言うひとがたくさんいます。「いやぁ、年を取るのは楽しいことですね」という人がおるといいなと思うんですけれども。
 東本願寺の専修学院の元院長をされていました信国淳先生は、私と同郷の宇佐の出身の方なんですけれども、本の中でこう書いておられます。「年を取ることは楽しいことですね。今まで見えなかった世界が見えるようになるんですよ」と。まさに、本当に今まで見えなかった世界が見えるようになる智慧を頂くという、人間として成熟するという物語が、今はだんだんなくなっていっているというのが現代社会じゃないかなと思うんです。幸せのためのプラス価値を一生懸命上げて、幸せのためのマイナス価値をできるだけ下げていくことが、生きることだ、生きる物語だと思うと、どういうふうになるかと言いますと、みんな老病死につかまるわけです。老いることはマイナス、病むことはマイナス、死ぬことはマイナスです。そうすると結局は、不幸の完成で人生を終わるということになるわけです。私は大分県の公民館なんかでの話の時によく言うんですけれども、「いや、大分県民一二〇万人が最後は“不幸の完成”で人生終わるんですよ、いやぁ、素晴らしい大分県ですねとは誰も言いませんよね」。だけどみんなそう思っているんですよ。幸せになるということは幸せになるためのプラス価値を上げ、幸せのマイナス価値を下げることが生きるということの意味なんだと。そしてみんな幸せになっていけるんだと思ってますけれども、最終的には願い事叶わず。「元気になっておいしいもの食べに行こうよね」は、結果として二週間後に残念無念の人生になりました。まさに不幸の完成で人生終わるということです。
 これはパスカルっていう方がちゃんと言っているんです。パスカルの『パンセ』という本の中に書いてある言葉ですけれども、「明日こそ幸せになるぞ、明日こそ…死ぬまで幸せになる準備ばっかりで人生を終わる。」とこういうわけです。本当に今、今日よかった、ではなくて、このことが解決できたらもうちょっと楽になるぞ、このことが上手くいったらもうちょっとプラスが増えるぞ、明日を目的として生きている人間は、死ぬまで幸せになる準備ばっかりで人生終わってしまうと。
 そんな考え方で生きていくと、よく考えて見ると不幸の完成で終わるということが明らかに見えているんだけれども、その前に「幸せ」という立て看板をかけて、その不幸の完成という断崖絶壁が見えないようにしている。そして断崖絶壁を目指して本人たちは幸せになれるんだと思いながら、断崖絶壁まで突っ走っているというのが私たち人間の「生きている」ということだいうふうに言いあてています。
 やっぱりそこに私たちは「生きる」ということをどういうふうに考えるかということは、本当に医療の現場でも大切なんですね。確かに肉体的には私たちは小さな子供が成長して、二十代、三十代をピークにして体力的には衰えていくかもしれませんね。でも医療の現場では緩和ケアとかリハビリとかホスピスの病棟で働く職員の人が言うんですね。「いやぁ、人間っていうのは最後の最後まで成長する存在ですね」とおっしゃいます。どういう意味で成長するかというと、その人たちの分類の中で人間の死には四種類あるんだと書いてますね。「肉体的な死」。これは生身がなくなっていくということ。「精神的な死」「心理学的な死」。心理学的な死は、生きる意欲をだんだん失っていく。「社会的な死」は社会的な人間関係というか、世間との接触がだんだんなくなっていくということ。確かに身体が衰えていけば、肉体的には衰え、精神的にも、心理学的にも、社会的にも衰えていく。でも精神的、文化的なものは最後まで成長するんですよ、という言い方をされる。まさに残された人生を燃え尽きるように生ききっていくという姿を見ると、人間は本当に最後まで成長する存在ですねとおっしゃる。そういう現象が時々あるとこういうわけですね。これがまさに私たちが人間としての成熟ということを教えてくれているんじゃないかなと。「年を取るということは楽しいことですねと、今まで見えなかった世界が見えるようになるんですよ」、という生き方があるんだなぁと思わせて頂きます。

人間に生まれる(生まれた)物語
 「生きることの物語」の中で、どうしてこういうことが問題になってきているのかと言いますと、今、国民、日本人の場合は三人に一人が癌で亡くなっております。これはゆくゆくは二人に一人になるだろうと予測されております。というのも、癌というのはある意味は老化現象の一つとしか思えないような形で出てきておりますので、ある種のものは治療が可能かもしれませんけれども、結局、先送りするだけであって、一つの癌がよくなっても、またさらに新しい癌が出てくるというかたちでつかまってしまいます。そうすると、ゆくゆくは二人に一人は癌で亡くなるだろうということが予測されている時にですね、その現場ではどういうようなことが起こっているかと言いますと。
 例えば、福岡の方ではある三十代の方が大腸癌になって手術を受けた。手術自体はなんとかそこでクリアしたけれども二年後に再発した。そしてだんだん痛みが出てきた。手術をしてくれた外科医の先生のところへ行ったけれども、少しは痛みは取れるけれども、十分には取れなかった。まだ麻薬を使うという方法が十分に知られてなかった頃ですね。それでホスピスに行って、麻薬を使うことによって痛みを取ることができて、「あぁ、良かったな」と思っていたけれども、今度は病状が進んで腸閉塞になった。腸閉塞になったら食べたり飲んだりできませんから、少し点滴をしながら生活をしていて、痛みはモルヒネでとる、食べる、飲むのものは点滴で治療していた時に、回診の時に医師にこう言ったんだそうです。三十歳の患者さんがね。「先生、私は死ぬために生きているのですか?」とこう訴えた。まさに自分と同じ病気をした人が、あの人が死んだ、この人が死んだということが情報として入ってきた時に、自分も痛みが出てきた、食べれないようになってきたとなれば、自分の病状もあと数ヶ月の命だなと、私に「生きる意味」はあるのでしょうかと。私に「生きる物語」はあるのでしょうかと訴えてきた。「死ぬために生きているのですか」と。医療関係者はそれに答えることはできないわけです。
 もう亡くなりましたが、アメリカのキューブラ・ロスという方が、やっぱりそういう場面に遭遇していますね。ある癌の末期の患者さんで、痛みを取る治療をしていた時に、患者さんが「先生、私は良い生活はしてきたけれども、本当に生きたことがない」とこう訴えた。社会的、経済的、子供の教育、家庭の管理、一生懸命やってきてそこそこの生活ができた。だけども、自分があと数ヶ月の命だという状態になった時に、私が生きてきたことは本当に“生きた”ことだったんだろうか。何か「負けちゃならぬ」と思って走り回っとっただけじゃないだろうかという思いが、「良い生活はしてきたけれども、本当に生きたことがない」と。生きることの意味、生きることの物語を問いかけてくるわけですね。それに対して私たち医療関係者が十分に答えることができるだろうか。
 先ほど紹介した「また元気になっておいしいものを食べに行こうよね」という、こういうような親しいものにそらごとの言葉掛けをせざるを得ない。また私たちは同じような発想で、病気の人のお見舞いに行った時の言葉かけになっているのが、去年の十一月の大分新聞に、六十代くらいの方が『頑張れ 頑張れ』という題のエッセイを書いておられます。ちょっとご紹介します。

『頑張れ 頑張れ』(大分合同新聞、2006年11月8日「おじさん図艦」飛鳥圭介) おじさんは友人の病院を見舞った。友人はまだ四十代なのに癌におかされ、医師から家族に余命を宣告されていた。久しぶりに見た彼はやせ衰え、おじさんはショックを受けた。が、「元気そうじゃないか」と思ってもない言葉が口をつく。「元気だったら入院なんかしてませんよ」いかにも辛そうに友人は力なく答えた。おじさんは口ごもった。「そのまぁ、君は若いんだからせいぜい頑張って一日も早く良くして…」遮るように彼が言った。「頑張れって?私は必死に頑張ってます。これ以上どう頑張ればいいんですか。教えてください」彼の目からは涙がボロボロ吹き出した。全身が痛くて身の置き所がないような毎日なのだとも泣きながら訴える。おじさんは顔を背けて涙をかみ殺した。「おれ、死にたくないんです。まだ死ねないんです。助けて下さいよ」訴え続ける彼から目をそらし、おじさんは心の中でひたすら「頑張れ、頑張れ」と繰り返すばかりだった。こんな時、「頑張れ」という言葉の他にどんな言葉があるのだろうか。

とこう書いてあります。「生きるという物語」を、幸せになっていくんだ、幸せになるためには幸せのためのプラス条件を上げて、マイナス条件を下げていくということが幸せになることだという物語を生きている者にとっては、「頑張れ」以外の言葉かけがどこにあるかと、こう言わざるを得ないですね。
 この人に是非とも「お念仏があるのよ」と言いたいですけれどもまだご縁がありません、接点がありません。医療の老病死の現場で本当に「生きる」ということをどういうふうに考えているかということが、老病死の現場でもろに出てくるわけです。そうするとその現実が受け取れない、この現実が受け取れないことをどうしていったらいいのか。私たちはどうしてそういう現実を受け取れないのかということを考えた時に、私たちの発想がどうも悪いなと思うわけです。
 私たちは現代を生きていますと、科学的と言いますか、合理的な発想と言いますか、特に医学は、例えば救急車が患者さんを運んで来ます。救急車で運んで来る場合は消防士の人たちが、生きているか死んでいるかの判断をして、生きている人だけを運んで来ます。時々、間違うことはありますけれども、病院に運んで来て、そこで生きているか死んでいるかをはっきり区別するわけです。生きているということと、死んでいるということをはっきり区別しないと医療の仕事は始まらないわけです。死んでいる人には何もしない。生きているか生きている可能性のある人には蘇生術をして治療をしていくということ。そこでの発想は何かというと、生きているということは死んでないということですよ、死んでいるということは生きてないということですよと、こういうふうにはっきり区別するわけです。こういうのを「分断(段)生死」。私たちは過去のどこかで生まれて今生きている。そして未来のどこかで死ぬという、こういうふうに「生きている」ということと、「死んでいる」ということは別々のことなんだと、私たちの科学的な発想はしていく。そうすると、今、私が生きているということを「死」は邪魔するんだと。今私は快適な生活を営んでいるのに、この老病死は私の生きている快適な「生」を邪魔するものだと、こういうふうになってくるわけです。そうすると、老病死は嫌なものだ、怖い、先送りしろ、できるだけ見たくない、とこういうふうになってくる。そうするとこの老病死を受け取ることが難しくなりますね。
 でも仏教はそうじゃないんだとこういうわけです。どういうことかと言うと、「私の命はガンジス川の砂の数ほどの因や縁が仮に和合してあるんだ」というわけです。ガンジス川の砂の数は一〇の五六乗という単位でありますけれども、それくらいの因や縁によって私はたまたま仮にあるんだと。でもその一つの縁が欠けたら、次の瞬間にはゼロになる、空(くう)になるというあり方をしているんだという、それは一刹那ごとに生滅を繰り返しているという。ある方が計算をしたら一刹那は一/七五秒だと言っております。私たちが生きているということは、六〇兆の細胞が本当に生滅を繰り返しているんです。私たち見た目には変わらないじゃないかと言うかもしれませんが、例えば、人間の中の赤い血液、これ赤血球と言いますが、これの寿命は一二〇日なんです。だから一二〇日たつとこの血液は全部入れ替わっています。もうちょっと小さい成分、血小板は寿命が三日から一〇日と言われています。生物学的には1日3−4千億個の細胞が死んでは生まれるということを繰り返しています。それぐらい見た目には変わりないようだけれども、私たちの身体の細胞はまさに生まれては死に、生まれては死にの繰り返しの事実の上に私たちが生きているということなんです。ということは、生きているということと、死ということは裏表で、生まれては死に生まれては死にを繰り返しているというのが、ある意味では私たちの姿、生きているということなんでしょうね。
 養老孟司先生がベストセラーの『バカの壁』を書いていらっしゃいますけれども、この先生が対談の中でこう言っていますね。「昨日の私は、昨日の夜死んでいるんだ」と。そして「今日の朝、今日の私が誕生している」と。「今日の夜、死んでいくんだ」と。それくらい変化をしていくんだと言っています。私たちの仏教の先生はこう言っていましたね。「朝目が覚めた時に、今日の命を頂いた。南無阿弥陀仏…と、お念仏で今日の命をスタートさせて頂き、今日の夜、あぁ、これで終わるんだと思って、お念仏で終わらせて頂きます」と。「今日一日お念仏でスタートし、終わりがお念仏で終わる。そしてその時々思い出してお念仏すれば、今日一日お念仏の一日でしたと、鷹揚に頂けるのが仏教です」とこうおっしゃっています。まさに私たちは一日一日が、生まれては死に生まれては死にを繰り返している。いや、それは少し時間を延ばしているだけであって、一刹那ごとに生滅を繰り返しているということは、毎日死んでいるわけです。ということは遠い未来に「死」があるんじゃなくて、毎日死の練習をしていますよというのが、私たちが本当に生きているという姿になるわけです。それはまさに「分断(段)生死」とは違うわけですね。そういう智慧の視点が出てきて、私たちは毎日、生まれては死に生まれては死にを繰り返している、死の練習は毎日しておりますよということが本当に智慧の目で頷けてくれば、「死」ということは仏さんに「おまかせ」です。「私は今生きている、生かされていることを精一杯生きて行きます。南無阿弥陀仏」とそれでいいんですよと。それを私たちの分別は「生きているということは死んでないということなんだ、死んでるということは生きてないということなんだ」と、分断してなおかつ老病死は困ったものだと、こういうふうになりがちですけれども、それは智慧がないわけです。本当は私たちは全体が見えた時に、まさに生きているということは、ガンジス川の砂の数ほどの因や縁によって生かされている、支えられている、願われている、教えられているというのが私たちの命の本当のあり方です。
 信国淳先生の五巻の本が最近、出ました、その最後の配本にCDが付録として付いていますけれども、そのCDを聞いていますと、人間のいのちを「寿命」という表現でおっしゃっています。見える命は見えない寿(いのち)によって支えられているということがこの「寿命」という形で表現しているいのちの姿なんだと。私も広辞苑をちゃんとひいてみましたら、二番目にちゃんと「寿命」って書いていますね。本当に私たちにはいのちというものが、見える命は見えない寿によって支えられているということが本当の命のあり方なんだということ教えてくれている。それがまさにガンジス川の砂の数ほどの因や縁によって、私が生かされている、支えられている、願われている、教えられているというところが本当の智慧の目で見えた私たちのあり方なんですよ、ということに気づかされてくると、この“分段生死”という本当に小さい見方で本当に老病死が受け取れてないなということに知らされてくるわけです。
 命のあり方の中で、特に“老いる”ということが問題なんだろうなと思うんですね。私たちは、小さな赤ん坊が、小学校、中学校、高校と行ってだんだん成長して行くところは非常に明るい希望を持って、大人になっていくところまでは、まさにかつての日本経済が右肩上がりの時のように非常に明るくおれるんですね。その後どうなるの?が出てこない。大人になった後。私が公民館で生涯教育なんかでみなさん方に聞くんです。「みなさん方、長生きしたいですか」と言いますと、多くの人たちは「はい、長生きしたいです」と。そこで私は「そしたら毎年年を取って老人になりたいんですね」と言いますと、「それはちょっと困る」と。どういうことかと言いますと、長生きはしたいけど年は取りたくないと、こういう矛盾したことが私たちの思いにあるわけです。何故かと言うと、年の取り方がわからんようになってきているのが現代じゃないだろうか。老いるということは“老成”と言って、人間として成熟していくことなんだと、こういう文化がいつのまにかなくなって、若いことが何か良いことみたいにちやほやされる社会は、ある意味、未熟社会じゃないかと思うんですね。人間としての成熟するという文化がなくなって、未熟さを尊ぶという形になってきている。

仏教が示す「物語」?
 よく人間ドックなんかで健診を受けた人、七十代くらいの人に検査結果で、「いやぁ、あなた本当に七十越えてるんですか。六十くらいの良い成績ですね」と言いますと、ほとんどの人がニコ〜っと喜びますけれどもね。これは本当は「若いですね」と言われた時はみなさん方は、バカにされたと腹を立てないといけないことなんだと私はよく言うんです。「若い」という言葉は誉め言葉じゃなくてですね、これは「頭が軽い」と言っているわけですから。そういう意味では、年と共に人間として成熟していく、熟れていくということが本当に今求められていることじゃないかなと。それがまさに「生きるということの物語」にも繋がっていくわけですね。
 私たちが仏法で「生きる」ということの物語の中に、人間として成熟するということを言うわけですけれども、仏法では私たちの心の状態を六道という形で教えて頂いていますよね。“地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天”と。仏法は私たちに、“ヒト(人)から人間へ、そして成熟(完成)した人間(仏)へ”とこういうことを生きるということの物語で教えてくれているんじゃないかな、というのが一つあるわけです。だから、人間の恰好をしているけれども動物的な人であって、間柄を持つ存在、多くのものによって生かされている、支えられているという世界が見えない、餓鬼、畜生を生きている私が、仏法のお育てを頂き、またいろんなご縁を頂いて人間として成長することによって、初めて間柄を持って生かされているという自覚の人間になって行き、そして智慧を頂いて、本当に完成した人間になっていくとう歩みが、仏教が教える、生きていく、成熟していくという物語じゃないかなと思わせて頂きます。そのことを私たちはいつの間にか忘れていると言いますか、人間の恰好をしているけれども、ほとんどまさに地獄、餓鬼、畜生を生きている私なんだなぁということを教えて頂くんですね。
 私自身のことでご紹介しますと、今ご紹介頂きましたように、三年前まで、国東(くにさき)の市民病院で職員が今では二九〇人くらいおる病院の院長を十年間して辞めたんですけれども、私の仏教の先生が「世間の仕事は余力を残して辞めなさい」、「後生の一大事の解決がついてなくてどうしますか」ということを学生時代からお聞きしておりましたので、余力を残して辞めたつもりなんです。仏教の勉強と医療と仏教の橋渡しの仕事をしたいなと思って少しずつ取り組んでいます。その病院で十五年間仕事をしてきました。その病院は大分県の瀬戸内海に面しております国東半島の東半分の五か町村で作っている病院なんです。私はその前は、中津の国立病院の外科の責任者でおりまして、その東国東広域病院、今の国東市民病院のほうに、ちょうど私の先輩が院長をしておりましたので、ゆくゆく院長を継ぐつもりで移ってくれんかという話がきたんですね。私は自分の生まれ故郷が大分県の宇佐というところで、そこから五十キロの距離がありますから、私は「中津の国立病院で良いから、移動したくない」とお断りしていたんです。また一年くらいして教授と医局長が、「なかなか田舎のほうに行っていいという人材がおらんからお前、もう一度行くことを考えてくれないか」とこういうふうに言ってきました。私も困りまして私は仏教の先生に相談しましたら、仏教の先生が「そうだね、田畑くん。そんなに大学が言うんだったら、苦労するかもしらんけど、行ってみるか」とこう言ってくれたものですから、すぐに「はい」と返事をしたわけです。私はその時、「あそこに行ったら本当に院長になれるのかなぁ」とか、「あぁいう田舎に行ったら自分のプライドが傷つかないだろうか」とか、「本当に給料が上がるんだろうか」とか、そういうことを自分なりに考えていたんです。そうしたら仏教の先生からお手紙が来たんです。「あなたがしかるべき場所に行って、しかるべき役を演ずるということは、今までお育て頂いたことに対する報恩行ですよ」とこういうお手紙がきました。私の発想に報恩行というのは全くなかったんですよ。いかに「取ろうか、取ろうか」としか考えてなかったですよ。これがまさに餓鬼なんです。いかにあそこに行って、ポジションを取ろうか、お金を取ろうか、自分のプライドが傷つかんように、まさに「取ろう、取ろう」としている自分の餓鬼の姿を本当に知らされました。人間の恰好をしているけれどもまさに餓鬼だった。
 私が今度は、それから十年くらいした時でしたか、母校の九大で『医学入門』という講義をさせて頂く時に、九〇分の講義、医療と仏教が協力して人間の苦しみ悩みを救うんだ、という講義をさせて頂きました。そしたらちょうどたまたま東大から来た私より十くらい若い教育担当の教授が、医学部の学生さんにこう言ったのです。「みなさん、命だけは大事にしてくださいよ」。私の講義の話と関係ないし、何で今頃医学部の学生さんに「命だけは大切にしてくださいよ」と言うのかなと思ったら、その後、「今、一人のお医者さんを育てるのに五千万円かけていますからね」とこう言ったんですよ。どういうことかと言いますと、私たちの時代は二千万から三千万、今、国立大学で一人のお医者さんを育てるのに、国民の税金が五千万円使われているということらしいです。そこで育つ私を含めて医師が、国民の税金で医学を学ぶ場を頂いた、国民の税金と先輩方の御苦労で医学を学ぶ場を頂いたといって、お医者さんが育っていったら素晴らしいお医者さんが育つんじゃなかろうかなと思うんです。今はどうですかね。私が勉強して入学できたのよ、私が勉強して卒業できたのよ、私が勉強して資格が取れたのよ、これは何ですかね。餓鬼ですね。「取ろう、取ろう」としているわけです。いわゆる指導的立場の人を育てる教育は、人間を育ててなくて餓鬼、畜生を育てるかもしれないわけですよ。本当に人間の恰好をしながら、多くのお陰様でそういう場を頂いたというそういう世界が見えない。人間を育てるというよりは、まさに三悪道を生きる存在を育てている可能性が十分あるなということで、自分自身のことで思わせられました。そういう意味では本当に、人から人間へ、そして完成した人間へという、こういう生きていくという物語が、いつのまにかわからなくなってきているんです。やっぱりそこに、人間としての成熟という世界が見えなくなってきているということを自分自身の思いでも知らされたわけであります。
 今、そういう医学とか生物学が考える人間の生きているということの物語をどういうふうに言っているかと言うと、象徴的なことは、もう十年くらい前ですけれどもドーキンスという方が、『利己的な遺伝子』という本を書いて、それが日本語訳が出ているんですけれども、その中で「私たち人間は遺伝子の乗物である」遺伝子に操られている存在だと。どういうことかと言いますと、例えば、私たちが何も食べずにしばらくおりますと、だんだんお腹が空きます。お腹が空くと血糖が下がってきます。そうすると、空腹ホルモンが上昇して食欲中枢を刺激し始めて「だんだんエネルギーがなくなりましたよ」と刺激するわけです。そうすると私たちは、「お腹が空いた」となるからものを食べるわけです。ライオンだったら「お腹が空いた」という空腹ホルモンが上がってくると、そこで獲物を捕るという動作を始めるんだそうです。苦労して獲物をとり食べます。食べたらだんだん血糖が上がってきて、あるところ以上まで上がるとそこで食べるのを止めるんだそうです。目の前に獲物があったとしてもそれ以上取らないんだそうです。まさにホルモンによって動物の行動がコントロールされているわけです。だからホルモン、タンパクの生成を管理する遺伝子、その遺伝子の乗物であるというのはそうかもしれないですね。
 人間はちょっと違うんです。どういうふうに違うかと言うと、皆さん方がお昼ご飯を食べた後、例えば友人が美味しそうなケーキだとかフルーツを持ってくると「あぁ、美味しそうだわ」と言って、いくら満腹であっても更に食べる。人間は単にホルモン、遺伝子だけでコントロールされていないという要素があります。かえってそれがいろんな病気を作っておりますけれども、科学的な合理主義でみたら、人間が生きていく物語なんて遺伝子の乗物で、遺伝子に操られて動き回っているだけ。そこに人間に生まれたことの意味なんてないですよ、勝手に親が生んだんじゃないの、とこう言う、これが私たちの状態。私もよく小さい頃はよく、もうちょっと恵まれた家庭に生まれたらよかったのにとか、もうちょっと勉強しないでも良い大学にさっと入れるぐらいの能力に生んでくれたら良かったのにと、いつも不平不満を思っておりました。まさに被害者意識ですよね。頼みもしないのに勝手に生んで、という思いですね。私が人間に生まれた意味がわからない。そして生きる意味がわからない。死んでいく物語もわからない。これは現代社会の宗教抜きでやっている現代の教育の、まさに凝縮した形です。私も仏法のご縁がなかったら、地獄、餓鬼、畜生を生きていてもそのことに気づかない。世間の表層を、勝った負けた、損だ得だ、善だ悪だと、のたうち回って生きていたんじゃないだろうかと。仏教に出会ったことによって少しは、少しは免れているかなぁと。いや、免れてない一面もありますけれども、本当に仏法とのご縁がなければ、地獄、餓鬼、畜生を生きるしかない自分だったなぁと思わせて頂きます。

人間に生まれる(生まれた)物語
 私が人間に生まれたという意味を強く印象づけられたことは、こういうことがあります。私がアメリカに行っている時に、アメリカで私を指導する先生方と会話があった時に、第二次世界大戦の話になったんですね。私はその時に、「私は戦後二十四年の生まれだから戦争は私には関係ないわ」というような発言をしたわけです。そうすると何となくその場がしらけたわけです。日本から来ている私が「戦後生まれだから関係ないわ」なんて言っても、アメリカで戦争を体験し、苦労をした世代からしたら、そんなこと許されないような雰囲気がどうしてもあるわけです。理性的な人間というのは、私の生まれる前なんて私はどうにもできないことだし、死んでから後のこともどうにもできないんで、私の責任範囲は、生まれてから死ぬ範囲しかないんだとこういうふうな思いがあるですけれども、でもそうじゃないんだと印象づけられたことは、「天命の飢饉(ききん)」の記録なんです。その一部を紹介し読んでみます。法蔵館から出ている『ひとりふたり、くらしと仏教』という小さい冊子の一九九九年の冬号のところに出ています。

 十年ほど前、福井県板井群のある寺院で過去帳を見る機会があった。各年は半紙一枚程の死者数だが、天明期には二年にわたって数十枚の紙数が費やされていた。どの頁も法名、俗名、年齢の単調な羅列だが、さすがに町の文化財、どんな小説よりも圧倒的な迫力を持って無言の告発をしていた。まず子どもたちが、続いて老人が、女性がだーっと無機的に記されている。これはお伽噺ではない。二一〇年程前だから、およそ六、七代前の先祖の人々が実際に体験した事実である。おそらく「清く、正しく、美しく」がモットーの家庭は、まず全滅だろう。人の物を盗んでも食いつなぎえた者だけが、生き残る世界。平成の私たちに命をつないでくれた先祖は、親殺し、子殺し、妻殺しの地獄図の中をくぐり抜けてきた人々だったのである。外国のある報告書では、この種の体験者は容易に生殖機能を回復できずに、自滅の道を歩んでしまうケースが多いと記されている。
 深すぎる心の傷を負った北陸の人々はボロボロになった命をいかに癒していったのか。当時の人々にとっての経典は、蓮如上人のお文だけであった。暗記しているものといえば、“例え罪業が深重なりとも必ず弥陀如来救いまします”の他にどれほどもない。頭の中で済ますことが可能な機の深信の理解ならばどんなに幸せなことだろう。罪悪は深重そのものの地獄図を体験した人々は、必ず「弥陀如来救いまします」のわずか数十文字だけを唯一の支えとして、以後の過酷な人生を辛うじて生き抜いて行った、と私は思っている。(「罪業は深重なりとも」金龍 静著、)

 こういう文章が出ていました。この時私は「生まれる前は関係ない」と思っていたけど、そうじゃなかったんだなぁと。私は、日本に生まれ、この両親の元に昭和の時代に生まれたということは、その過去がちゃんとあったということ。生命三十数億年の総決算が今は私に来ているんだということを、この文章を見ながら思わせて頂きました。私だけ良い人間になって良い所どりをしておった。嫌なことは関係ないわ、良いところだけ私のものよと、こういうふうにいつのまにか自分の餓鬼根性が出てきて、全体が見えていない。私たちはここで今、仏法に出会わなければ、思い通りにならない、まさに「人生苦なり」という現実を生きている、今、私が解決できていないということは、まさに生命三十数億年の連鎖の中で、解決がつかなかったということの現れ以外の何ものでもないじゃないかと思わざるを得ないわけですね。過去を本当に調べたのかと言われたら調べてないんです。今自分の迷っている、苦しんでいることを考えれば、過去に解決がつかなかったとしか思えないじゃないか、として見えてくるわけです。今、ここで私は生きている。ここで解決しなければ、またずーっと解決のつかないまま進んで行くだろうと。弘法大師が言っている言葉に「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて生の初めに暗く。死に、死に、死に、死して死の終わりに冥し」という歌がありますね。今、現在自分が明るい世界が見えていないということは、ずーっと暗い世界を来た総決算として、今、冥いんだと。そして今ここで解決がつかないとするならば、またずーっと冥い世界を生きていくとしか思えないというのが、まさに「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて生の初めに暗く。死に、死に、死に、死して死の終わりに冥し」という生き様の今なんだということでしょうね。私が今ここで仏法の教えに出会わずに、まさに生死の流転を繰り返していく中で、智慧に出会わないまま迷って終わってしまっていいのですか、というのがまさに私が今生きているということじゃないかと。そうすると、ここに私が生まれてきたということは、仏法に出会ってこの苦しみを越えるために生まれてきたとしか思えないじゃないかと。そこに人間として生まれたということの物語がある。いや、人間の恰好をしているけれども、まだ人間になれてないじゃないか、とこう言って、私たちに迫ってくるものがあるんじゃないかなと思いますね。
 どうしてこういうことが思えたかと言いますと、お念仏というのは、『観無量寿経』の中で人を9種類(九品)に分けて、一番下の分類、下品(げぼん)、下品とは造悪無善の存在、その下品下生のところに「何も良いことのできないものは、まさに我が名を称えよ」というところでお念仏が出てきているわけです。私が本当に下品下生の気づきの所(自覚)に本当にお念仏が頷けるんですよという話を大分の方でしましたら、今、一生懸命聞法をしてくれている夫婦がおりましてね、そのご主人がお話の後、手を挙げて質問をしたんです。「先生を病院で見ていると非常に温厚だし、本気で下品下生だと思っているとは到底思えませんけど、先生は本気で下品下生だと思っているんですか」とこう質問をしてきました。その時私思ったんです。「餓鬼、畜生だったな。本当にまだ人になれてないじゃないか」とこう思ったんです。「下品下生以下なんですよ」と言わざるにはおれないわけです。それは、仏法の光に照らされて見えてくる自分のあり方を思わせて頂くのに、まさに地獄、餓鬼、畜生をはいずり回っている私なんだという思いを知らされるということ形が、仏法のお育ての中で分かってくるなぁということを思わせて頂きました。そういう意味では、人間の恰好をしているけれども人間になれていない。人間に生まれるということはここでは本当に仏法を聞く耳を持ち、仏法を聞く場としてこの人間に生まれさせて頂いたとしか思えないじゃないかといことが、まさに人間として生まれたという物語(意味)ではないかなぁとこう思うんです。

生きる物語、意味
 「生きていくということの物語」は何か。私たちはしあわせということは、誰も教えてくれなくても、しあわせになりたいんだと思っているとアリストテレスは言っています。このしあわせという意味は、私たちは何時の間にか「しあわせとはしあわせのためのプラス条件を上げて、マイナス条件を下げていくことがしあわせになるんだ」と思いがちです。私が学生時代に読んで理解できなかったことがあるんですが、三木清の『人生論ノート』というのが新潮文庫から出ておりますけれども、「幸福について」という項目があるんですね。そこにはこう書いてあるんです。“幸福とは人格である”。私はそれを読んで「“幸福とは人格である”って何のこと?」としか思えなかったんですよ。何故か。私たちは“幸福”とは、しあわせのためのプラス価値をいっぱい持ってる人で、マイナス価値の少ない人がしあわせなのに、“幸福とは人格である”なんて全然的外れのことじゃないのとしか思えなかったんです。だけども、仏法のお育てを頂いて、仏法には智慧の世界があるということを知らされてくる時に、見える命は見えない寿によって支えられているんだと、そういう“お陰様”とか“もったいない”とか、見えない世界が見えてくる、そういう人格に成熟していくというということを、三木清は言っているんだなぁと。“幸福とは人格である”どういう人格かといえば、智慧のお育てを頂いて、智慧の眼を頂いた人格になっていくということが“本当の幸福”なんだと。三木清は「もし幸福が手に入ったならば、世間的な“しあわせ”と言われるような条件を、外套を脱ぎ捨てるみたいに脱ぎ捨てていって、まさに素っ裸になっても、私は私でよかった、という状態になるんだ」とこう書いています。まさに見える命は見えない寿によって支えられているという智慧の眼を頂いた人格になれば、外のしあわせのためのプラス条件、マイナス条件には多く囚われなくなっていくんだ、という世界に導かれて行って、そして尚かつこう言っています。「この幸福を武器として戦う者は、戦いの途中に倒れても幸福に死んでいくんだ」と書いてあるんです。私たちは戦いの途中で、人生の途中で死んだら残念無念になりそうなのに、この幸福を手にした者は人生の戦いの途中に倒れても幸福に死んでいくんだと、こう書いてあります。だから、いつ死んでもいい、いつまで長生きしてもいいという世界に出させて頂く人格になっている者は、そのしあわせのためのプラス条件、マイナス条件には囚われないという世界を生きているわけです。だから、戦いの途中に倒れても幸福に死んでいくんだと書いていますね。
 「しあわせ」ということを考えた時に、私たちはしあわせの字を「幸せ」とつい思いがちですけれども、広辞苑を引いてみますと、一番最初に「仕合わせ」が出ています。これはどういうことかと言いますと、「仕」というのは、漢字ができた頃は「上の者に仕える」という意味合いの「仕事」です。私はある時、「田畑さん、仏教の聞法をしていくと仏様から仕事を与えられるんですよ」とこういうことを、聞法をし始めた二十代のまん中へんくらいに先輩から聞いたことがありました。私はその時何のことかわからなかったんです。でも今頃になってこういうことを聞かせて頂く時に、あぁ、仏さんから仕事を与えられる、そういう仕事に出会うということが「仕合わせ」ということなんだなぁと。「仕合わせ」というのは「仕事に出会う」ことなんだと。別の表現でするならば、私の聞法の先輩になります広島大学名誉教授の松田正典先生が、お話の中で「献身の対象に出遇うことが本当の幸福」であると。自分の身を捧げる対象が見つかる。そういうことが本当の幸福なんだと言っていますね。だから私たちは、仏様から私たちに与えられた仕事に出会って、そのために一生懸命仕事をするということが自分の本当の幸福に繋がっていくんだと。お金を稼ぐ仕事だったら、私たちはいかに少なく働いて、いかにいっぱいもらうかということしか考えないんだけれども、本当は仕事に意味があれば、少々の苦労はしてでも私たちはやりたいわけです。本当にそこに損得抜きで、この仕事は私の身体を、命を捧げてでもやるんだという、そういう出会うべき仕事に出会ったら、そういう金儲けや、損得を考えなくてやっていける。まさにそういう仕事に出会うということが人間としての幸福なんだと、こういうことを教えてくれているのです。
 論語では“五十にして天命を知る”と書いていますけれども、これはまさに人間としての成熟の中でこの世に誕生して、五十にしてこの世での仕事に出会うということが“天命を知る”ということです。だけれども、仏法の“仕事”というのは、二十歳なら二十歳の仕事があり、三十歳なら三十歳の仕事があり、五十歳なら五十歳の仕事があり、八十歳なら八十歳の仕事があり、寝たきりになったら寝たきりの仕事があるんだと教えてくれるんですね。だから、私たちは何か一つだけではなく、その時々にまさにいろんなご縁の中でその時々の仕事が与えられるんです。そこでは世俗的に役に立つとか役に立たないとか関係ないんだと。
 これは北陸の方の松本梶丸先生のお話の中にありましたけれども、ある方が子どもさんを亡くして、子どもの死をなかなか受け取れなかった。その時ふとお父さんのことが思われたと。その方が小学校五、六年の時に、お父さんが結核で家で療養していたそうです。世間的に、小学生五、六年の子どもがいる男親が家で寝たきりで療養していると、役立たずで迷惑ですよね。だけれども、この人が小学校五、六年の時に、お父さんのお世話を時々すると「すまんのう、ありがとう。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」「すまんのう、ありがとう。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」必ずこれを言っていたんです。その当時はよく意味がわからなかった。だけど自分が今子どもを亡くすという事件に出会って、その現実が受け取れないと思われた時に、あの時お父さんはどうして「すまんのう、ありがとう。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と言っていたのかなと考えたことが縁で、仏法の聞法をするようになったということです。そして子どもの死をなんとか受け止めることができるようになったとこういうわけです。まさに寝たきりで迷惑をかけていたお父さんも、ちゃんと仕事をしていたんです。私たちは、物を稼ぐ稼がない、お金を稼ぐ稼がない、物を生産する生産しないが仕事だと思うけれども、その存在が仕事をするんだ、ということを教えてくれるんですね。まさにそこに寝たきりになってもちゃんと仕事があるんだということを私たちは仏法を通しながら教えて頂くなぁと。そういう仕事に出会うということが、“仕合わせ”ということの意味なんだとこういうことです。

老病死をどう受け止めるか
 私たちは人生の中でいろんなことを経験しながら生きていくわけです。私たちの仏法の先生が残してくれている言葉、細川巌先生は「人生を結論とせず、人生に結論を求めず、人生を往生浄土の縁として生きる これを浄土真宗と言う。」という言葉を私たちに教えてくれています。
 どういうことかと言うと、私たちは世間で、あの人は上手くいったとか上手くいかなかったとか、成功者だ失敗者だとかいろいろ言うけれども、この人生でのいろんな出来事というのは、決して結論づけることはありませんよと。まさに“人生を結論とせず”。自分のこととして結論づける、または人のことを、あの人は運が良かったとか運が悪かったとか、別にそういうことを言う必要もありませんよと。「人生に結論を求めず、人生を往生浄土の縁として生きる」。この人生のいろんな出来事は、私が人間として成長し成熟するご縁としてあるんだと。なかなか人間と成れてなかった私たちがいろんなことを経験しながら人間として成長し、成熟していって、ついに本当に間柄を持つ、感じる人間になっていくという歩みが、まさに私たちの人生の“生きる”ということの意味なんですよと。「人生を往生浄土の縁として生きる。これを浄土真宗という」と。
 仏法がなかったらどうなるかと言うと、“老い”ということに関してボーボワールがこう言っています。「人生の最後の一五〜二〇年間、人間が一個の廃品でしかないという事実は我々の文明が挫折したことの証明だ」と。私が受け持っていた88歳の患者さんで、高血圧と不眠症で定期的に通院されていた女性が、あるとき私の処方した睡眠薬を沢山服用して自殺未遂ということがありました。その患者さんが再び通院してくるようになってから、私にこう言ったのです「私なんか役に立たない、みんなに迷惑をかける、本当なら姨捨山に捨てられてしかるべきなのに、あのときあのまま眠りたかった」。こういう思いをさせる発想、まさに、人生の最後の一五〜二〇年が単に廃品でしかないような思いをさせる文明は挫折してるんじゃないでしょうか。私たちの世の中が、理性、知性、能率、効率…という形で人間の仕合わせを求めて行くんだと言いながら、結局それでみんなが人間に生まれて良かった、生きてて良かったと言って、本当に人生を生ききっておれるかどうかです。私が見る医療や福祉の現場では、「先生、年取って何も良いことないですね。腰は痛くなるし、眼は薄くなるし、耳は遠くなるし…」とこう言って愚痴を言う人が多いですね。これはまさにボーボワールが言っていることに相当しないだろうか。

死んでいく物語
 今度は“死んでいく物語”はどういうことなのか。今、私のところに通ってきている中学校の恩師の方がおられるんですけれども、この方は軽い脳梗塞になりまして、何とかリハビリをして回復したんです。そして退院する時に、いろんな人から「先生、養生しないとまた脳梗塞になって死にますよ」とかなり脅されて退院しました。その先生は非常に真面目な先生だったから、おうちでまじめに養生していたそうです。美術の先生なので、遠方へ車で遠乗りをしてスケッチに行こうとすると、ある距離を超えるとめまいがすると言うわけです。ある時に車を運転していたらめまいがして、急いで車を止めて、車が路肩に乗り上げて畑の中に入り込んだと。そうしたら近所の人が救急車を呼んでくれて、また脳外科に連れて行ってくれて、CTとかMRIで検査したけど、どこも異常がない。しかし、ちょっと長距離を乗るとめまいがする。それで、脳外科は異常ありませんというから、心臓の方に心房細動という持病がありまして、それで市民病院の循環器で二四時間心電図などの検査をうけたけど、どこも異常がない。めまいがするから耳鼻科かな?。耳鼻科に行ったけれども異常ないって言われた。眼科かもしれんと思って眼科に行ったけれども異常がない。どこに行っても異常がない。
 私は消化器外科をしていますから全然素人なんですけれども、ある時、教え子ということで相談に来られたんです。日曜日に私のところへ来て質問をするわけです。いろんな質問をされました。まず「田畑さん、脳梗塞になった者はまた脳梗塞になって死ぬというけど、これは本当ですか」と。私は「いや、先生、そんなことはないでしょう。脳梗塞になった人が途中で交通事故で死んだり、他の病気で死ぬことはいくらでもありますよ」。その後、私はちょっと付け加えました。「でもね、先生。老病死には必ず捕まりますよ」と言ったんですよ。そうしたらこの先生こう言いました。「こんなに養生してもやっぱり死ぬんですか」と。それでいろいろ「どんな養生をしているの?」と聞いてみたら、タバコをやめました。お酒もやめました…。みんなが「安静にしてることがいい」と言うから十二時間寝とりましたと、こう言うんですよ。「先生、それが悪いのよ」と、いうことになりましてね。それとプラスαの要素がありましたけど。循環器、脳外科、眼科、耳鼻科の先生は皆わからなかったですよ。私は専門家じゃないのに。生活全体が見えてくると原因もみえてくるということもあるわけです。局所の専門家は局所は詳しいけれども全体が見えない。この先生が最近続けて通院して来て、いろいろ対話をしてだんだん仏法の方にも理解を示してくれているんですけれども、今度はこう言うんです。
 私の同僚が最近、脳梗塞になったと。近くの脳外科に行って何とか回復して退院したけど、今度脳梗塞になったら死ぬんじゃないかと非常に不安で、家に帰っても不安だという。死の不安に襲われてそれで奥さんに、夜再発したら死んでしまうかもしれないから、すぐに分かるように隣に居てくれ、と言うと。そしたら奥さんに「子どもみたいなこと言いなさんなよ」と軽くあしらわれて。それでまた不安になってパニック障害になり、再び入院したというんですよ。私が心配してるのは、死の不安でパニックになっている人たちを、今、私たち同僚のお医者さんたちが、その不安にどう対処するかということ。私の発想で言ったらたぶん、抗不安薬をやりますよ。死の不安の解決はせずに、抗不安薬という症状を抑える薬で対応していくわけです。本当の解決になるかどうかですよね。その恩師が同僚に「あんたは、脳外科にいってもつまらん。田畑先生の所に行った方がいい」と言っているんだそうです。まだ来られてませんけれども。

死後の世界について
 私たちは死ぬ不安を、薬で良くすることができるだろうか。死んでいくということはどういうことなのかという不安ですね。これは、私も六〇が近づいてきて、だんだん自分の同級生が一人死んだ、二人死んだとか、ちょっと年上の従兄弟たちが死ぬという話が出てくると、あぁ、いつ自分の番かもしれんなということが思われてきた時に、本当に死の問題が解決ついているのかということが、身近な問題として迫ってきました。その時に私がどういうふうに思っているのかなぁということですよね。「死の不安」ということは、死んでいったらどうなっていくのかと不安になるわけです。お釈迦様は、死の問題は“無記”と言って何も書いてない。死後の世界が「あるというのも間違い、無いというのも間違い。」というのがオフィシャルな答えなんですけれども、そのことをどう受け止めるか。
 道元禅師の言葉、「自己をはこびて 万法を修証するを迷いとす。万法をすすみて 自己を修証するはさとりなり」。これは仏教的な発想を教えてくれているなというのでご紹介したいです。どういうことかと言いますと、私は私の周囲のいろんな出来事を、これは利用価値があるかな、利用価値がないかな、これは便利がいいかな、便利が悪いかな、そして、便利のいいものは取り入れよう、私にとって好ましくないものは除いていこうと、私たちは理性、知性で考えていきます。先程の仕合わせのためのプラス条件はいっぱい集め、マイナスは少なくしていこうと。これがまさに道元禅師の「自己をはこびて 万法を修証するを迷いとす」。このやり方で人生を生きていこうというのは“迷い”の生き方なんだと。私たちはみんなそれをやっているんですよ。この発想に潜む思いは何かと言うと、“渡る世間は鬼ばかり”という発想なんですよ。信用ならんぞ、これは本当に頼りになるかならんか、よう自分で吟味しなきゃならんぞと言って、このプラスはどうも良さそうだから取り入れて私の仕合わせに利用しよう。この×の分はどうも私にとって敵みたいだ、この△のものは内心何を考えているかわからんから関わらんようにしていこうと言って、自分の人生を成就していこうという、私たちの発想はまさに“迷い”だというわけです。“渡る世間は鬼ばかり”と言ってるけど、その本人が“鬼”なんです。周りを鬼だと言ってる時は、自分が鬼になってるわけですよ。これを道元禅師が「自己をはこびて 万法を修証するを迷いとす」。仏法は大事らしいけど私が仏法を判断できる。仏法が本当に利用価値があるかどうかを自分が判断して良いとこどりをしていこうという発想です。仏法は素晴らしいですよと言っているけれど、本音は仏法を良いか悪いかを判断できる俺の能力があるんだとなってるわけです。私の方が仏さんより偉くなってるわけです。だから頼りにならないわけです。お念仏したぐらいでどうして救われるだろうか、頼りにならんなぁ…と。
 だけども道元禅師は、いろんな出来事は私に何かを教えようとしてあるんだと。「万法をすすみて 自己を修証するはさとりなり」。先程の縁起の法です。色んな出来事は、私という命は、無量寿の多くの寿によって支えられている、生かされている、願われている、教えられているんだということをみていくと、私の周囲はきっと私に何かを教えようとしてあるんだということになってきたら、私の周囲は吉川英治が“我以外皆我が師なり”と言いましたね。私たち仏法を頂く者は、私の回りにあるものはみんな菩薩さんだと見えてくるわけです。“渡る世間はみんな仏さん(菩薩さん)ばかりだ”と見えてきた時、そこに人生に対する信頼が自然と出てくるんです。それは何故かと言えば、仏法の学びをしながら仏法の大きさにだんだん気づかされてくるわけです。まさに無量寿・無量光という、阿弥陀という圧倒的な大きさに本当に自分が感得できた者、本当に大きなものに触れた者は二つの行動を取るんです。一つは「讃嘆」仏さんをほめたたえるという行動です。もう一つは「本当にお粗末な私です」「参った」という懺悔(さんげ)、どちらかです。
 「私は仏教を大事にしています」という時には先の迷いの発想なんです。私の方が偉いわけです。「私は仏教を大事にしています」と言った途端に、この人は仏より大きくなっている。すなわち仏を大事にする力がある、財力がある、能力があるという発想になっているわけです。だからそういう発言をした時には、「この人は仏教を大事にしてないな」ということがわかるんです。だから、本当に仏法がわかった人は頭が下がって「南無」となる。「南無阿弥陀仏」というのはまさにそこのことを示しているわけです。だから、本当に仏法の大きさに触れた者は、「我が名を称えよ。念仏する者を浄土に迎えとるぞ」というこの教えに素直に反応して「南無阿弥陀仏」と念仏できるわけです。それは、これが損か得か、勝ちか負けか、本当かな?じゃないんですよ。疑って疑って疑い抜くことを通しながら仏さんの大きさに触れた者は、必ず「南無」をせずにおれないんですね。そうすると仏さんにお任せでいいわけです。
 本当に死んでいった先を確認したのか。そんなことはせんでいいんですよ。今、生きている、今、生かされているという確かさで、今、迷ってきている私が本当に仏法に出会うことに、「よかった」とお念仏を喜ばせて頂くならば、「死んでから先、仏さんにお任せしております、南無阿弥陀仏」でいいんじゃないでしょうか。それを、あなたちゃんと行って確認しましたか?と言わなくてもいいのです。仏の智慧に照らされて見ると、確かなことは「今、今日、ここに生きている」ということだけです。明日、未来はないのです。未来のことを取り越し苦労しなくてよいのです。今、今日を生かされていることに応えて精一杯生きていくことに尽きるのです。
 死んでいくということはどういうことか。一休さんは、「死にはせぬ。どこにも行かぬ。ここにおる。尋ねはするな。物は言わぬぞ」と。( 一休和尚の歌は「今死んだ、どこへも行かぬここにおるたずねはするなものはいわぬぞ」とも言われている )死んでから先どうなるのか、客観的に確認も何もいらない。「死にはせぬ。どこにも行かぬ。ここにおる。尋ねはするな。物は言わぬぞ」。生死を超えた世界に出させて頂くんだということです。法蔵菩薩の本願が、念仏する者、浄土に迎えとると、このことを素直に頂けるのは、仏さんの大きさがわかってきて、そして渡る世間は仏さんばっかりだとこういうふうになる。
 そうするともう一つ言えることは、私たちは迫り来る老病死すらも、私に何かを教えようとしてあるんだということになる。決して人間としてダメになっていくんじゃないんだと。年を取るということは楽しいことですね。今まで見えなかった世界が見えるようになるんだという、そういう老病死すらも私に何かを教えようとして、迫り来ているんだな、楽しみだな。渡る世間は仏様ばかりだという、その現実を、私たちはお念仏で受け取らせて頂きながら、今、生きていくのです。
 確かなことは二つあるという。“今、ここで生きている”ということの確かさは間違いないでしょう。“人間は必ず死ぬ”というも確かです。この二つは誰がどう言おうと確かだと思うんです。必ず死ぬということはまぁいいんです。お任せする。“今、生きている”ということの確かさを私たちは頂いていけばいいわけです。今ここに、ガンジス川の砂の数ほどの因や縁が仮に和合して生きている、生かされている、教えられて今あるんだということ。そして生滅を繰り返して私たちが今あるということ。死んだらどうなるの?。仏様が念仏する者を浄土に迎えとるぞとお経の中でおっしゃっているんですから、お念仏していけばいいんです。
 だけど、理性的な人間、私のところに今来ています八〇を超えた元数学の教師がおられましてね、真宗のお東の門徒さんです。慢性肝炎で肝癌になる心配を非常にしていますから、「先生、せっかく浄土真宗の門徒さんだから、仏教の勉強をしませんか」と私が言うと、そしたら、「わしはまだ早い」と。八〇を超えてもまだ早いと。それでまた癌になる心配、寝たきりになる心配をしながら、最近は植木等さんが死んだニュースを見て、自分と同じ年だと。あぁ、もう親しい人が死んでいったと涙ながらに私に言うわけです。老病死を不安がるわけです。
 私が「先生、南無阿弥陀仏がわかったら、もうちょっと鷹揚に生きていけますよ」とこう言ったんです。そしたらね、「訳のわからん“なんまんだぶつ”なんて言いとおない」と言う。南無阿弥陀仏は圧倒的な大きさだから、三十年聞法してお育て頂いても南無阿弥陀仏、仏様がわかったとは言えないわけですよ。まさに“訳がわからん”。だけども、その大きな物(無量光)に照らされて見える私の姿だけはよくわかってきます。まさに、地獄・餓鬼・畜生を生きている私の姿はよくわかるわけです。だけども、その無量光がわかったかと言えば、圧倒的な大きさですから、到底わかったとは言えない。本当に大きな世界ですね、と讃嘆するしかない。そしてその大きな物に照らされた私の愚かさを「南無阿弥陀仏」とお念仏させて頂くしかないわけです。この先生とも対話をいろいろやっているんですけれども、法蔵菩薩にとって、本当に老病死に苦しんでいて、本当に自分の計らいの中でがんじがらめになって、心配して、取り越し苦労を一生懸命しているこの人がまさに「痛ましい」と大悲せずにはいられないでしょう。
 自分の“訳のわかるもの”だけを頼りにこの八十年間の人生を生きてきて、今更“訳のわからんもの”という、その心は非常にわかるんです。だけど“訳のわかるもの”だけが全てだ、自分がわからない南無阿弥陀仏はないんだというくらいに、ある意味では知性の傲慢さの中に入っているわけです。自分を超えた世界があるんだということに気づかんがために、狭い世界で、取り越し苦労、持ち越し苦労で毎日が不安なわけです。今の不安じゃないですよ。未来の不安を今、持ってきて一生懸命不安になっているんですよ。私この先生に言ったんです。「先生、浄土をどう思われますか」「浄土なんて地図にもないし信じられません」と。それで次に、「先生、明日はあると思いますか」と聞いたんです。「あぁ、明日はありますよ」とこう言う。それでは「明日を見せてください」と私は言ったんです。「え?」とキョトンとしていましたね。
 ある人から教えて頂きました。「明日というのはまだ来ていない今のこと」なんだと。場所の概念ではなくて、まだ来てない今のこと。この浄土も同じことなんですよ。迷いの闇の姿が見えた今なんですよと。浄土というのは場所の概念じゃないんです。私の迷いの闇が晴れた今なんですよと。だから、一方では“見ることも示すことのできない”明日が確実にあると言いながら、“浄土”は見えないから“訳がわからん”から信じられないとこう言う。こういうのを智慧がないといいます。よく考えてみれば、“浄土”というものは、妙好人の才市は「浄土はどこか。ここが浄土の南無阿弥陀仏」とこう言っていますね。まさにお念仏させて頂くここが“浄土”なんだと、こういう頂きができるわけなんですよ。そういう大きさに触れたものは、死んでから先は仏様にお任せしております、でいいんです。
 死んでから先のことはよくわかりませんよ。私はよく死んでいる人を見て死亡診断書を書きますけれども、あれは死に様、死体を見ているだけだと言うんです。私たちの意識が死んでいくというのはどういうことかと言ったら誰もまだわからないんだと。肉体が死んで行ったりすることはありますけど、私の意識がなくなっていくということはどういうことなのか、誰もわからない。大阪大学名誉教授(哲学)の大峰顕先生は次のように言っています。今ここにいる人は私を含めて、まだ死んだことがないのですから、死とは何かは分かりません。患者さんの死に立ち会う事の多い医師や看護師でも、死そのものは見たことがありません。死に様、死体を見ているだけです。死そのものは見たことがありません。死体を見ているだけです。我々だって家族が死んだといっても、やはり死体を見ただけであって、死そのものは絶対見ることは出来ないのです。だから死について独断や偏見を言っちゃいけません。例えば、死んだ人は消えて無になるなんて、わかったようなことを言ってはいけません。あれは死体や身体上の変化を言っているだけであります。死者は、我々生者の目から見えなくなっただけのことであって、存在しなくなったなんてことは言えないと思います。人間にとって一番悪いことは、知らないくせに知ったかぶりすることです。
 私たちにとって大切なことは、今生きている、生かされていることを一生懸命して、私に与えられた現実を精一杯生きさせて頂くという姿勢の中で生きていくことだと思います。そこに私たちの、理性を拠り所としていたものが、自分の理性の拠り所の狭い姿で、損得、勝ち負け、善悪…という、自分の偏見とか、我見とか、思い過ごしとか、自分がイメージしたものにしばられて、最終的に老病死の愚痴を言っている私たちの現実を痛ましく大悲されて、何とか智慧を届けたい、命を届けたい。それを名前となって届けよう。それで「南無阿弥陀仏」と『観無量寿経』の中で私たちに教えてくれているわけです。お経は釈尊の目覚め、悟りの内容を相手の機に応じて(分かりやすい言葉として)我々に教えてくれているのです。その内容が「お念仏する者を浄土に迎えておるぞ」、であるわけです。私たちは長年仏法のお育てを頂きながら、お念仏して、今生かされていることを精一杯生きさせて頂きましょう、南無阿弥陀仏となるのです。
 ギリシャの哲学者がこう言ってます。「生きているうちには絶対に死なない。そして、死んだら“死”なんて考えない」とこう言っているわけです。だから私たちは今生きているうちには絶対に死なないんだというぐらい居座りまして、そして今、生かされているんだということを精一杯お念仏で生きていくんだと。後はなるようになる。それは結果として報恩行になっていくのです。お任せします。「南無阿弥陀仏」と。
 私たちが仏法のお育てを頂いていく歩みの中で、この生老病死の現場で医療と仏教が本当に協力しながら、生まれるということの物語、生きることの物語、死んでいくことの物語をどう受け止めて行くかということを考えると、仏教は素晴らしい物語を私たちに教えてくれているなぁと思わせていただいています。
 ちょっと宣伝をさせて頂きますと、私、『歎異抄に聞く会』というホームページ(  http://www8.ocn.ne.jp/~sangha/ )を開いておりますので、もし関心のある方は、『歎異抄に聞く会』で検索して頂いたら私のホームページに辿り着くと思いますので、見て頂いたらと思っています。どうもご静聴ありがとうございました。

(H20年4月14日一部修正、田畑正久)

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