「老病死をご縁といただいて」田畑正久
宗報第515号(浄土真宗本願寺派)2010年1月p2−4掲載
親鸞聖人750回大遠忌をお迎えするあたり

 平成の現代、日本人として生まれた半分以上の人が80歳を超えて長生きする時代を迎えました。今後、医療の進歩で平均寿命が延びたとしても、もう十年間ぐらいであろうと思われます。医療や福祉の現場で、80歳前後の世代の人たちを診察する中で見えてくる老病死の受け取りは「戸惑い」や「迷い」の相(すがた)と思わせられます。こんな状況で平均寿命をもう十数年延ばしたとしても、「迷い」を繰り返すだけにならないかと心配させられます。
 釈尊の出家求道の課題は「四門出遊」の話に象徴されるように自分自身の生老病死の四苦であったのです。そして生死を超える道に目覚め、悟りの内容を我われに教えとして説いてくれたのです。
 インド、中国、日本へと伝わった大乗仏教は法然上人によって浄土の教えとして花が開いたのです。当時、学仏の最高の府、比叡山で親鸞聖人は20年間の求道で救いの道を真摯に求めるも、空しく過ぎようとしていたのでした。しかし、縁があって浄土の教えを説かれる法然上人に出遇われ、親鸞聖人のその後の人生を決定するものになったのです。
 法然上人なき後、浄土の教え、念仏こそ時機相応の教えであること示すべく「教行信証」を著作されました。また多くの人々にも仏の心を伝えようと晩年には和讃等を書き残してくれました。阿難に説かれた仏説無量寿経、本願・念仏の教えこそ、すべての人が無条件(老少、善悪、学問・経験などの有るなしを問わない)に救われる、釈尊出世本懐の教えであったことを明らかにしてくださったのです。
 現在、戦中・戦後生まれの多くの人たちが高齢者の仲間に入ろうとしています。仏の心に接することの少ない義務教育をうけ、さらに高等教育を受けて成人した人々は生活の糧を求める方法や、元気で長生きの方向はよく分るのですが、これから否応無く直面する老病死をどう受け止めて生きるかを教える仏の智慧の世界との接点が少ないのです。結果として、人間として生まれた意味が分らず、身体的な健康や若さを追い求め、生きることの意味や、生きることではたす使命・役割に暗く、人間としての成熟の道を知らずに迷い、老病死の現実が受け取れない、という状況が起こってきています。そんな親たちに育てられた子や孫の世代は仏法への縁はさらに少なくなってきています。
 日本がこれから向かえる高齢社会は人類が初めて経験する社会現象です。そこでは老病死をどう受け止めて生ききっていくかが大きな課題です。現代の物の豊かさを実現した科学的思考の延長線上では老病死の現実を受容することは難しく、無宗教を誇る多くの現代人は老病死を先送りして、見ないように、避けて、逃げ回るのですが、潜在的な不安を抱えながら、最終的には老病死に直面して愚痴や世俗的な諦めの生活とならざると得ないようです。ある識者は「人生の最後の五年、十年を単に廃品としてしか感じさせない文明は挫折しているこの証明だ」とも言われています。
 福祉・介護・医療の制度が如何に充実していっても、そこに生老病死の四苦を超える智慧の心がなければ、「画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く」のことわざの如く、一人一人の人生に心の豊かさや、深い味わいを持ち得ない、人間味のない三悪道(地獄・餓鬼・畜生)の世界が展開するのではないかと危惧しています。老病死の現実を仏教の智慧での受け止める時、「人間として生まれてよかった、生きてきてよかった」、と生きることの輝き、そして生きてきたことの知足へと導いてくれるのです。
 仏教は日本の文化に「内観」という画期的な世界を展開することに貢献しました。我々の育てられた科学的思考の問題点は思考の対象として自分が除かれていたということです、自分が見えてなかったのです。自分の相(すがた)が見えてなかったということは物事の全体(諸法)をあるがままに見ることができてなかったということです。光明無量(智慧)によって自分の姿が赤裸々に照らし出され、懺悔せずにおれない私に目覚める時、摂取不捨の救いに、“南無阿弥陀仏”と感謝せずにはおれない世界が恵まれていたのでした。
 「老」の課題は、確かに身体的には老化するでしょう、しかし、「老い」は心の成熟の歩み、智慧をいただき、目覚めの人格主体になる道でした。「病」の課題は現代医学で対処しなければなりませんが同時に、元気で生きていることの「有ること難し」に目覚めるご縁としての出来事でしょう。「死」の課題は取り越し苦労として悩むのではなく、死を智慧の眼で見るとき、今、ここで生きている、生かされていることの輝きに導く縁になるのです。聞法にて、諸々の生死勤苦の本を抜く智慧、仏の心をいただく歩みにおいて、老病死は往生浄土の縁として受けとっていく道に導かれるのです。

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