「なぜ、今、仏教が医療・看護・福祉の領域で求まられているのか」真宗学・第121号・P49-71・2010年3月発行

一.はじめに
 人間に苦しみ悩みをもたらす代表的なものとして生老病死の四苦がある。四苦の中の老病死こそ釈尊の出家求道の大きな縁となったものだとして四門出遊の話が伝えられている。老病死の苦悩は仏教の中心課題であり、医学の十分に発達してない頃は、仏教寺院がこの老病死の苦悩に対しても医療面で対応していたと思われる(1)。
 日本に仏教がもたらされ、国の権力指導層に受け入れられてからまもなく、聖徳太子が建立したと伝えられる四天王寺には「四箇院」(しかいん)といって、敬田院、施薬院、療病院、悲田院の四つが設置されたという(2)。施薬院と療病院は現代の薬草園及び薬局・病院に近く、悲田院は病者や身寄りのない老人などのための社会福祉施設であったようで、施薬院、療病院、悲田院は少なくとも鎌倉時代までは寺内に存在していたといわれている(3)。
 著者の学生時代、縁のあった九州大学仏教青年会は百年の歴史をもって現在も診療所などの活動が継続されている。発端は明治の時代、医学校(大学)開設と同時期に教官(教授をはじめ医師、看護婦)の有志によって、仏教精神を持って地域の恵まれない住民へ医療を提供するという志から始まったと聞いている(4)。人間の歴史の中で老病死の苦の課題は宗教が医療を内に抱えながら対応してきたと思われる。しかし、近代化の中で両者は分離してきている。そして現代の日本社会の中では仏教と医療の協力関係がほとんどできていないと思われる。
 明治時代に日本が西洋医学を取り入れて日本の医療システムを新規に構築する過程で、国の方針は医学知識、医療技術を取り入れるのには熱心であったが西洋医学の背後にあった宗教性を極力除いて構築してきたという歴史がある。近代科学の発展と共に医学の進歩は大きく、日本の公的な医療機関では宗教性を抜きにして医療システムの構築を行い、同時に医師・看護師教育の構築にも宗教性をほとんどのぞいて実行されてきている。日本の近代の福祉は宗教関係者によってかなり支えられてきたところがある(5)が、この二十数年の急激な高齢化社会にあって、介護保険の創設などの展開の中で介護・福祉の領域は多くの医療機関、関係者の関わりの施設が増えていったといういきさつがある。そこでもやはり宗教性は少ない状況でサービスや活動が展開されているのが現状です。そんな医療・看護・福祉の領域の現場で身体的な面での対応はできていても精神面(心理学的・精神的・霊性的を含む)での対応は十分になされているであろうか。学生時代から浄土真宗を通して仏教の学びの縁を継続して持ち、同時に医療の世界で三十数年の経験から見えて来た仏教への潜在的需要について考察する。

二.日本の医療現場の変化、現在の状況

(一)日本人の医療機関で関わる疾病状況の変化
 1950年代までは疾病の主たるものは結核に代表される感染症が大きな割合を占めていた。そして結核は多くの青壮年層の人たちを苦しめていた。そのために日本人の平均寿命は1950年までは六十歳未満であった。
 感染症に威力を発揮する抗生物質の発見は医療現場に大きな変化をもたらしてきた。感染症に対する治療は、自然の体に備わった治癒力に期待する療法から、病気(感染症)を薬剤によって退治(対治)するという発想の取り組みがなされるようになり大きな成果を挙げてきた。
 その結果、この半世紀に日本人の疾病構造に大きな変化があり、感染症は死因の順番で大きく後退して、現在の死因の上位は、悪性腫瘍、そして動脈硬化に起因(生活習慣に関係)する心臓血管障害、脳血管障害を合わせて約六十%を占めている。特に悪性腫瘍は三十一%であり、今後五十%に増えるであろうと予測されている(6)。悪性腫瘍の原因研究には世界中の多くの医学・生物学者が取り組んでいるが、いまだ解明されていない。確かなことは人間の老化現象に関係する病気だろうといわれていることである(7)。
 日本人の平均寿命は世界でも上位を占め、健康な老人が増えている。日本人として生まれた人の五十%以上が八十歳になる時代を迎えている。この五十年間で平均寿命は約二十年延びた、そして人間の寿命の天井が見えてくるまで延びたと思われる時代を迎えている。平均寿命の延び(六十歳を超えて)はまさに老病死の過程に直面する期間でもある。
 現在の田舎の一般の医療福祉の現場は日本の今後を予測させる高齢者でいっぱいである。今後二十年はいわゆる団塊の世代が高齢となる超高齢社会が予測され、生活習慣病や加齢現象に関係する疾病は完全には治癒しない、そのために病気と長年付き合っていかなければならない場合がますます多くなることが確実である。医療による治療で老病死の先送りはしてきたが、その限界も見えてきていると言うことである。感染症に対しては治療によって病気が治癒する可能性が飛躍的に改善してきている。しかし、最近のインフルエンザやエイズウイルスに代表されるウイルス性感染症に対する治療はまだ人間の英知も限られた手段・方法しかもっていないため、これからの取り組みが大いに期待されている。また高齢者の加齢現象で体力の低下した状態での感染性肺炎による死亡は依然として死亡原因の上位を占めている。

(二)医療の限界
 現代医療は科学技術の発展と共に長足の進展を遂げてきた。その医療における治療の概念は、「老病死はあってはならない、本来の『生(せい)』の姿ではない、元気で健康な若々しい『生』こそ本来の姿であって、不老不死を目指せ」、と取り組んでいくこととなっている。社会状況、経済状況、公衆衛生の改善、そして医学の進歩とあいまって、疾病の多くは治療で克服できるようになったり、長期管理で健康維持が可能になってきている。そしてその目標は「豊かな長寿社会」として実現するかのごとくである。
 私がまだ現役で外科医をしていたころ、七十歳代の男性の大腸がんを我われ外科チームが手術をした。消化管の癌なので五年間、再発の有無を注意深く経過観察しながら定期的に外来診察をしていった。そして無事に五年間が過ぎた。そこで「よかったですね、もう大腸がんの再発の心配はなくなりました。もう通院もしなくてよいですよ」と共に喜び合ったものである。しかし、その二年後、患者さんが再び病院へこられた。その時の症状は黄疸であった。検査をして、すい臓の原発のガンで肝臓に多発転移があることが判明した。セカンドオピニオンを聞きたいとのことで某大学付属病院へ紹介したが、同じ診断であった。結果としてすい臓ガンと多発した肝臓転移の病状が進行して亡くなった。
 このとき私は我われ外科医がしていることは手術によって病気の治療をしているが、結果として老病死を五年ないし七年先送りしただけであって、最終的には病気(老病死)につかまって、医療の敗北で終わったということである。いかに医療が発展しても医療関係者が努力して実施していることは老病死につかまることを先送りしているに過ぎないということであった。不老不死を目指した医療の敗北の実態があらためて明白に認識できたという思いを持った。
 長年の医療の経験から見えてくることは、「よくなる病気はよくなる。よくならない病気はよくならない」、そして加齢現象と思われるような疾患が増えてきて、治癒は期待できないが病気と付き合いながら管理していく場合が非常に増えてきたという事実である。
 平均寿命の延びた時間が人間の豊かさの実感や満足度を上げているか、それとも老病死の不安を生きる時間になっているか、このことが日本人にとって大きな課題である。

(三)健康で長生き、そしてその現状
 戦後しばらくまで(二十世紀後半まで)、感染症との闘いの長い歴史を持つ医療は、「健康で長生き」を目標として取り組んできた。国の行政も「健康で長生き」を目指して政策をすすめてきた。健康で長生きがあたかも目的かのように取り組まれてきたのである。かなりの成果があがり、長生きが実現できるようになった二十世紀の終わりごろ、国は二十一世紀の健康政策として「豊かな人生のための健康」と方向を軌道修正した。健康で長生きは決して目的ではない、豊かな人生が目的であり、健康はそのための手段・方法の位置になるものと認識するようになったことを示している。
 物の量的な豊かさを追い求める習性がいのちの時間的な長さを追い求め、その結果、世界に誇る長寿が実現し始めたとき、長生きは決して目的でないということに気づきはじめたのであろう。現在、日本人の半数以上の人が八十歳以上の長生きが実現できている現実の中で、長生きできた高齢者の実態、高齢者を取り巻く内外の状況の中で予想外の状況に戸惑っている事実が明らかになってきている。田舎で高齢者の医療・福祉にすこし関わっている現実の実態の中からうかがえることは世界に誇る平均寿命ではあるが、身心ともに「豊かな人生」が高齢者の日々の生活の中で実現できているだろうかということである。
 社会的な定年という区切りを迎えて高齢社会に入ろうとするいわゆる団塊の世代が、今後、老病死をどう受け取っていくかは今日的課題であると思われる。多くの人々の現状は「迷い」の姿を示している。浄土真宗の聞法をしながらも、その戸惑いを高校の元教師(管理職で退職)が自分の現実を次のように吐露して書かれていた。(8)
私の生活の中心は、(一)健康、(二)仕事、(三)お金ということになります。健康のために毎週一回は山に登っています。山道で毎週同じ人たちと会います。中高年以上の方で同じような方はたくさんおられます。次に仕事は週に一回ほど学校に行っております。これが今の私をかなりの部分を支えています。これがないと精神的にあやしくなるのではないかと思います。最後のお金のことはいつも頭の中にあります。お金のことが頭から離れません。生活できるだけのお金はいただいています。それでもいつもお金の不安があります。
 健康、仕事、お金、そういう元気に食べて生きていくための生活の基盤をいつも頭の中心に置いています。私は真の意味の「幸福実現党」です。この世を生きるのに幸せを中心に考えながら生活しています。「『吉』を願って『凶』を厭い、『禍』を離れて『福』を願う。これが我われの最大の関心です」とある師が言われています。良い事がやってきて、悪い事は来ないように、不幸や災難を免れて幸福や幸運を願うというのが私の現実の願いです。仏法のお話は聞いておりますけれども、どこまでも世間の私の幸せを求める事が基本にあります。自分の連れ合いから始まって、子供や親兄弟と、繋がりの中で、自分中心の無事・平穏な幸せを願っています。狭くて小さな自分の周りの世間で、小さな私の幸せを求めて生きています。
 私は三年前定年退職しました。退職の一年ほど前に私は早く辞めたいと思いました。既に退職した人を見て如何にも「隠居」の気楽な生活が羨ましかったのです。それを家内に言いますと、家内は「お父さん、やはりきちんと区切りをつけて退職した方がいいよ」と言いますから、それに従いました。私のことをよく分かっている家内の言葉通りでした。無事三年前、定年退職しましたが、退職と同時に私は自由で気楽な生活を得ることになったわけです。しかし、自由や気楽さを喜ぶよりは、自分の立場を失った喪失感が大きかったのは予想外でした。本当に淋しい。立場のないことの寂しさに圧倒されました。
 「世間の身の置き場がない」というのが私の現在の気持ちです。わずかな世間的場はありますが、基本的には退職して仕事をはなれて見ると、立場がなくなったというのが私のありのままの気持ちです。私にとって仕事を失う事は生きる立場を失う事でした。世間に認められたいという気持ちがあります。誰かの役にたっている。存在の意味がある。そういう自分を認められるような意味を求めています。「本当は叫び出したいのです。『死にたくない』と言って世界中に聞こえるような声で叫びたいのです。それも叫ばずに、みな歯を食いしばるようにして死んでいくわけです。甲斐のない我慢を繰り返して行くのです。そういう意味ではこの世界は文字通り娑婆世界です」と、ある師は言われています。「堪忍土(9)」というのはそういう意味という事です。
 よそ目にはいかに幸せそうに見える家庭にも、悲しみや不幸を嘆かない家庭はありません。それぞれが辛く苦しい事に耐えながら自分の人生を懸命に生きているのがそれぞれの人たちの現実です。みんな黙って辛抱して生きているのです。
具体的な聞法の歩みの中から見えてくる自分の現実を本音で書かれていると思われる。多くの六十歳代、七十歳代の方々の体感される共通の実感だと思われる。

(四)科学的合理主義思考、対象論理の弱点
 義務教育の中で、物事を対象化して客観的に見る、考えるという思考方法にどっぷりと埋没した生き方をする人が増えている。人生の中で、自分を取り巻く外的条件、状況が自分の幸・不幸を決めるという考え方の中にいる。そして生きていくための仕事、生活の糧としての仕事になってしまう傾向となっている。確かに与えられた仕事、種々の縁が熟してするようになった仕事、それは世間での位置づけがあり、誰かが果たさなければならない役割の必要があっての仕事である。しかし、その人でなければできない仕事というよりは、多くの場合はその人でなくても変わりになる人がいる。組織の中では誰かが欠けても必ず代用の出来る人がいるように組織作りがなされている。その結果、人間が物化、道具化、部品化するかの如き傾向すら見える。そんな中で幸福の条件を自分の周りに集める努力をすることが生きることだと考えてしまっている人が大多数である。健康で長生きができて、定年退職や還暦という節目を迎え無事に迎えたとしても、その後の人生の生き方の方向性を考えるときの戸惑いや迷いの現実は、世俗と自分の有り方の本質を露呈させる機会ということができる。
 科学的、合理的な思考は能率、効率を向上させて行く方向では良さが発揮される事実がある。しかし、人間に生まれた意味、生きる意味を考える時には適切ではない。我々が長年、訓練されてきた対象論理の思考法は人間に生まれた事の物語や、生きる意味、生きることで果たす使命、仕事、役割を考える「何故」の問いには答えようがないのである。
 すでに気づいていたときは生まれていたのだから、生まれたことの意味を考えても仕方がない。生きる意味なんて考えても答えが出るのは難しい。それよりも生きていかなければならない現前の事実があるのだから、その現実を愉快に、楽しく、健康で長生き……となってしまっているのが多くの現代人の現実と思われる。

(五)健康について(10)
 みんなが願っている健康について約十年前に健康の定義についての大きな動きがWHO(世界保健機構、国連の下部組織)であった。健康についてはWHOがその憲章前文のなかで次のように定義をしている。"Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity."  昭和二十六年官報掲載の訳では「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」ことを「健康」と規定している。健康の3つの重要な要素として(1)physical ,(2)mental ,(3)social ,があげられている。
 1940年代から約五十年間、そして現在も健康政策の基本要素の三要素を旗印として掲げられて全世界が取り組んできた。種々の感染症や外傷が医学・医療の大きな関心事であった時期は肉体的な健全性が最重要な課題であったが、社会構造の変化、すなわち工業、商業などの産業の発展展開によって、精神的な要素、人間関係の社会的な要素が大事な課題となるようになってきた。社会・経済状況、公衆衛生状況の改善が実現できた多くの国では平均寿命が大きく延び、国民の疾病構造の変化が起り、生活習慣病や老化に密接な関係が示唆される悪性腫瘍が死亡原因の大きな割合を占めるようになり、いわゆる老病死の現場の状況が大きく変わってきた。
 悪性腫瘍の場合に早期発見早期治療で、悪性腫瘍の発症した患者の約五十%が治療によって治癒可能であるが、一つの悪性腫瘍が治癒しても、その後、再び別の場所に悪性腫瘍が発生するという現実がおこるようになってきた。病気の経過の中で、治療で一時しのぎは出来たが、再発したり、病状が進行したりということもあり、悪性腫瘍での死亡数が増加傾向にある。
 近年、悪性腫瘍の治療に関して大きな発展があり、病気自体に対する治癒率の改善とともに、この二十数年はガン性疼痛に対する治療にも大きな進展があった、再発したり、進行した悪性腫瘍に伴い約七割の患者に疼痛を来たすといわれている。しかし、その疼痛でも、その八-九割は治療で管理できるようになった。また随伴する不快な症状にもかなりの対応ができるようになり、肉体的な症状は外来治療と看護サービスにて家庭でも管理可能になってきて来ている。 そして身体的、精神的(心理的)、社会的に良い状態が確保できるようになってから、今まで表面に出てこなかった心の内面的な問題の症状が露呈されてくるようになったのである。悪性腫瘍を患う患者さんが、日々の療養生活の中で医療関係者や家族に種々の訴えをする事実に関心が向けられるようになって来た。
 実際、直腸がんを患った医療関係者の心境がある医療関係の雑誌(11)に次に様に赤裸々に記されていた。
病名を告げられてから、予定の取り消し等をしながら、切ない、つらい、そして喪失感、苛立ちに悩まされた。 自分の生活が音を立てて壊れて行き、つらい絶望感で一杯となった。 キューブラー・ロスのいう「五つの段階」(12)ではなく最初から癌という病名への衝撃、それを否定したい否認、自分だけが何故癌だという疎外感、また隔離の感じで、見るもの全てが怒りの対象であるような怒りの感情、それに抑うつが入り乱れて、絶え間なく襲ってくる。もろもろの感情が一緒になって怒り狂った台風のように襲い掛かってきた。入院生活は毎日、大勢の見舞いがこられ、日中は賑やかなものでありましたが、心の中は空虚で孤独感に悩まされました。退院後、 慢性の抑うつな気分で、世界観が変わり、生活にも弾みが出てこなくなった。一人の患者として真に求めているものは『心のやすらぎ』『精神的なやすらぎ』『生き甲斐のある人生』であると思いました。そして癌という病気を通して『生きる』ことの意味を考えさせられています。
このほか、臨床の現場で聞こえる訴えは、「どうして私がこんな病気にならなければならないのか」「死とはどういうことか」「死んだらどうなるのか」「何のために生きてきたのか」「死ぬために生きているのですか」「自分の人生はなんだったのか」「悪いことはしてないのにどうして私がガンに」「私は本当は何を欲しているのか」「もうじき死ぬのだから、何をしてもしょうがない」「死んだら何も残らない、孤独だ、誰も分かってくれない」「私なんか役に立たない、迷惑をかける、本当なら姨捨山に捨てられてしかるべきなのに……」「早く楽にしてほしい」「いい生活はしてきたけれど、本当に生きたことがない」「早く死んでしまいたい」などである。
 これらの老病死の臨床の場で発せられる患者さんからの苦悩の訴えは、死の絶対的な不連続性によって引き起こされるものと思われ、今までの三つの要素(健康の定義)では分類できない領域である。そういう時代状況とイスラム教文化圏の生活と宗教の密接な関係が保たれている地域からの声が集約されて健康の定義に関する変更の動きが出てきた。1998年(平成十年)のWHO執行理事会(総会の下部機関)において、WHO憲章全体の見直し作業の中で、「健康」の定義を"Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity." 「完全な肉体的(physical)、精神的(mental)、Spiritual及び社会的(social)福祉のDynamicな状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」 と改めることが議論された。最終的に投票となり、賛成二十二、反対0、棄権八で総会の議題とすることが採択されたとのことである(10)。 定義の中に第4の要素として(4)スピリチュアル(spiritual、適切な訳語が認知されていない)という項目が加えられ、同時にdynamic という言葉が入って定義されたということである。
 しかし、総会の議題にして正式に決定されることは、総会(平成十一年五月、第五十二回総会)の委員会(総務、財政、法的事項を担当)において、数カ国から憲章前文について討議すべきとの意見も出されたが、現行の憲章は適切に機能しており本件のみ早急に審議する必要性が他の案件に比べ低いなどの理由で、健康の定義に係る前文の改正案を含めその他の憲章に係る改正案と共に一括して、審議しないまま事務局長が見直しを続けていくこととされた、ということである。

(六)細分化・専門化されてきた医療
 医学の進歩・発展で個々の疾病についての原因解明、診断、治療の長足の進展が為されてきた。しかし、その手法が分析的局所的研究の中で為されてきたために診療科の細分化が進み、確かに細分化された医療によって人類は多くの恩恵を被るようになってきた、一方、眼科や耳鼻科の医師が「病院の当直をやめさせてくれ、自分の専門領域以外の患者さんを診ることができない。」と田舎の総合病院で訴えられて管理者として困惑した経験が筆者にはあるように、患者の疾病の専門分野には詳しいが人間全体を総合的に見る力量が低下してきたという弱点を抱え込む結果になっている。
 筆者が大学病院に勤務していたときに麻酔科の医師が、ある診療科の患者さんの術前訪問をして患者さんの全身の評価(麻酔をかけるにあたって)を確認しようと訪問して診療記録を見ると、病気の局所については専門診療科として詳しい検査は為されているが、麻酔をかけるにあたっての全身状態の評価が、いろいろと欠けており、全身状態に対する把握ができてない、それで麻酔科医の間で、あそこの診療科は無医地区(細分化された領域の専科医は沢山いるのであるが、一人の患者を全人的に診察する医師が不在だ)だから注意するようにと言われていると聞いたことがある。
 細分化された診療科で患者さんの全体が見えない。私自身の経験であるが、知り合いが脳血管障害で脳外科に入院、治療を受けて大きな後遺症もなく退院できた。しかし、将来病気が再発すると死ぬかもしれないと心配して養生に心がけたそうである。その後、めまいの症状が時々出てくるので、脳外科、耳鼻科、循環器科、眼科に相談したが、どこにもめまいを来たす異常は見つからなかった。それで医療相談ということで我が家を訪ねて来られた。世間話から医療の話、そして個人生活のことなどいろいろと話をして気づかされたことの一つに、本人は良かれと思って養生ということで十二時間寝ていた(臥床、横になっている)のである。私はそれを聞いてびっくりした。めまいにはいろいろな要因が絡むので、一つの原因を特定することは難しいが、前記の専門医の方々は日常生活のこと、養生の様子までは聞いてないようで、その人には八時間以上は横にならないようにと話をしたことがある。局所所見に注意を集中させると、その人の生活全般のことへの注意がおろそかになる危険があることを思うことがあった。

(七)分段生死
 現代社会は生老病死の過程、すなわち人間として生まれ、この世を生きる、そして老い、病となって、最後は死ぬ、という人生の自然な展開において、「生(せい)」と「死」を分段(断)して、元気で、生き生きと、若々しく、楽しく生きることがわれわれの願っていることで、それを本来の「生(せい)の姿」と我々は考えがちである。 そのために老・病・死する「生」を否定するというか、あってはならないことである、老病死をなくす「不老長寿」を目指していくことが人間の思いであると取り組んできたのである。それが今までの人間中心主義、ヒューマニズムの在り方である。生まれて、生きることと、老病死を分けて(分段)、老病死を出来るだけなくして生きることで「生(せい)」を輝かせようとしていたのである。
 釈尊の四門出遊の物語で象徴的に示されるように、宮殿での生活は、あたかも老病死の姿を極力見えないように配慮がなされた生活だったのであろう。それは現代社会の中では人間の老病死の事実(現象、姿)は病院や種々の福祉施設の中にできるだけ管理されているようになっている日本の現実は、普段の生活の中では衆目の及ばない現場になっているのではなかろうか。
 老病死を否定するかのように「健康で長生き」を目指した生き方は、かなり確かに実現できている。しかし、老年期を迎えた多くの高齢者は「若さ」「元気さ」を誇り、それを求めて生きてきたのであるが、加齢が進むと共に否応なしに、否定しようとし、逃げ回っていた「老病死」に直面するようになっているのである。その現実の中で生きる方向性を見失い、迫り来る老病死の現実を受け取れず、愚痴や取り越し苦労の不安な現実を迎えているのである。輝く「生」とは反対の、生きる方向性を見失い、迷い、輝きのない長寿になろうとしている。

(八)病名告知
 患者さんに癌という病名を告げることを「がん告知」といわれているが、一般的にいうならば真実〔事実〕を告げる「 telling truth 」ということである。近代の西洋医学を取り入れた明治の時代から、平成の時代の最初の頃まで長い間パターナリズム( paternalism 、「父権主義」「温情主義」、知識のある医師が、病気の人の利益になるようにと、本人の意志に関係せず介入・干渉すること)が医療の世界を覆っていた。それが次第にアメリカ医学の動向の影響を受けやすい日本の現状と、人権意識のたかまりと本人の意思を尊重するという時代の動向の中で、また悪性腫瘍の化学療法に大きな改善が見られるようになったこともあり、患者本人の意向を踏まえて、共に治療に取り組んでいくことの大切さに気づいた医師たちが正確に病気の状況を患者本人に知らせるようになって来た。団塊の世代(1947年前後の生まれ)以前の世代にはパターナリズムの影響が残っていて悪い事実を患者に告げることに批判的な人もいるが、団塊世代以降の医療の現場の医師たちは患者さんに病名を告げるという時代の流れの中で事実を告げるということがなされている。しかし、告げることは淡々と事実を告げても、それに引き続いて患者さんの胸に去来する種々の心の葛藤に対して対応ができているかというと、それは難しい課題で医師たちもその課題を担いきれてないというのが現状であろう。それはあたかも患者さんの私的、個人的なことで、医療関係者の踏み込むような領域ではない、という雰囲気の中で、あたらずさわらずにすませていることが多いのである。
 現代医学が準拠する科学的合理思考は、対象化して客観的に観察するという訓練を積み重ねてきているので、そこでは個人的な感情は私的なことで、仕事の上では表面に出すべきことではない、という雰囲気で医療という仕事が展開している。対象論理思考自体が自分を問うたり、責めたりすることをしない傾向になる思考方法であるから。医療の中では医学的知識、医療技術は医師が主に担当する領域で、客観的なことが尊重される分野であるために患者さんの心の課題はあたかも私的な患者さん本人の課題であって医師はかかわるべきではない、いや、関わりだしたらその課題の内容の大きさに医師は担い切れないということをうすうす認識しているがために避ける傾向があるのである。
 まして人生経験の浅い若い医師にとっては、医学知識においては素人の患者との格差は歴然としているが、人生経験での、まさに老病死の経験については患者の方が実際に生々しく経験しておられるのであるから、人生経験の先輩にあたるわけである。人生経験においては医療側のパターナリズムはほとんど通用しないであろう。若い医師が「もうすることがない」として入院患者のベッドサイドへ行かなくなったりするという。生命に関わる病名は告げられても、後はまさに放置されるというのが日本の医療界の現状である。看護の職場では医師以上に患者との接点が多いところである。治癒する患者の場合は良いのであるが、治療に精一杯取り組んでも最終的に「死」ということになると、今までの努力が報われないという結果になる。重症患者が多い病院ではそんな場面も多く、そこではたらく看護師から「私たちは癒されません」と聞かされたことがある。そのことは、いわゆる「燃え尽き症候群」といわれる現象を医療人に引き起こしていると思われる。
 キリスト教文化との接点を持った医療関係者は日本の中で早くから緩和ケアに関心を持ち、キリスト教関係の病院でガン末期の患者さんへの取り組みをいち早く取り組み始められた。キリスト教関係の病院でも入院している患者の六十%は仏教徒であり、仏教界へ、「共に取り組んでいきましょう」とのエールを受けて仏教界の取り組みが始まったと聞いている。緩和ケア病棟では十分な情報提供をしながら悪い病名であっても告げるという先進的な取り組みがなされ、正確に病名を告げられた人の中に、その事実を受け取り、人間的に素晴らしい生き方、完全燃焼の人生を生き切っていかれる事実が散見されるようになった。それを経験した医療人の中から、「人間は最後の最後まで成長する存在ですね」との声を聞くようになって来た。そこから、パターナリズムで患者に良かれと悪い病名を告げないことは、患者の最後の成長する機会を奪っていた、ということに気づくようになってきたのである。本人の人権を尊重するという時代の流れの中で正確に病名を告げるということが医療界の合意という方向性になった。西欧では病院が宗教がらみの施設として展開してきた歴史があり、病院には常駐の宗教者がいることが普通になっていると聞いている。一方、宗教抜きの医療知識、医療技術を取り入れてきた日本では、今までの医療文化の弱点が、老病死にどう対応するかという課題に直面して、改めて露呈してきていると思われる。

(九)EBM(Evidence Based Medicine)とNBM(Narrative Based Medicine)(13)
 より効率の良い医療を目指して北米の医療現場から、今までの疫学的(統計的)データに基づいた医療としてEBMの考え方が展開され、日本の医療現場にも導入されてきている。医師個人の医学知識や経験に頼らず、医療を客観的かつ体系的に捉えようというサイエンスを主とした考え方である。能率、効率を目指す時代の流れの中で、いわゆる理科系の人間の多い医療現場では受けとりやすい方法論ということができる。説得力もあり、診断・治療などのマニュアル化に利用しやすいこともあって医学教育にも大きな影響を与えている。
 しかし、人間は物質で構成された生物であると同時に心を持った存在でもある。人間の全体像を考えるとき、客観的なデータだけで把握できないことも事実である。そこで最近、EBMに対して「NBM」という考え方が出てきている。「NBM」のNarrativeは物語の意味で、患者との対話を通じて患者自身が語る物語(人生観、価値観、病気観など)から疾病の背景を理解し、抱えている問題に対して全人格的なアプローチを試みようという臨床的手法で、EBMとNBMを合わせて人間の全体像を把握していこうという考え方である。ある臨床経験豊富なチャプレンが、「医療は、少しでも科学的根拠に基づいて様々なことに対処しようとする。それは大事だし、もっと広がってほしい。だけど患者さんは合理性だけで生きているわけじゃない。情緒的だったり直感的だったりする面がたくさんある。病院に行ったらいきなり合理的に生きなくちゃいけないとなると息が詰まるのではないでしょうか。絶望したり不安に思ったり、いろんなことがあるけれど、それって人間だよね、って受け容れる場が必要でしょう」と発言されている(14)。
 日本の義務教育では物事を対象化して考える手法で教育を進められ、専門的な医療関係の教育でもサイエンスとしての思考方法で考えることが多く、そんな医学教育で育ってきた医療人には、国民の多くと同様に、人生の物語といわれても、なじみが薄く、価値観、病気観はあっても人生全体(老病死を含めた)を通した人生観を持つ人は少ないようである。生まれることに関して、妊娠出産の生殖の機序は理解しても、自分の事としての意味や物語性までは考えていないであろう。即ち人間として生まれた意味(物語)、そして生きることの意味、生き甲斐、生きることで果たす仕事・役割、老いることの意味(物語)、そして死んでいくことの物語を持ち得ていないことが多いと思われる。

 (十)人間のいのちの生物学的知見と仏教
 生物学的な生命の探求で明らかになってきている生命現象や、そして人間のいのちの在り方は、仏教の教えで示される縁起の理法や諸行無常の言葉が示すようなものと矛盾することなく整合性のあることにおどろかされる。1930年代後半にルドルフ・シェーンハイマーが示した動的平衡、そしてその後の分子生物学で解明されてきている生命現象の代謝の事実、「肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実態があるように感じている。しかし、分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たちの生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい『淀み』でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。その流れ自体が『生きている』ということであり、常に分子を外部から与えないと、出て行く分子との収支があわなくなる」と福岡伸一氏(15)が書かれているように、これらの生物学における最新の知見においても縁起の法との整合性があるという事実である。
 またマルコフ連鎖と呼ばれる複雑系科学の基本概念があるが、それはある状態から次の状態へ移行するとき、移行のルールだけが決まっていて、同じプロセスが何度も繰り返されていく過程をマルコフ連鎖(16)と呼ばれている。生体(人間を含む)とは、ある自己形成の結果出来上がった環境の中で新しい自己形成の法則がDNAから読み取られ、新しい自己形成が始まり、その自己形成が終わるとまたその結果を環境とする次の自己形成の法則がDNAから読み取られて、次なる自己形成が開始される………というように、小さなマルコフ連鎖が順々に繰り返されて作られる大きなマルコフ連鎖の結果生まれてくる、いわば複合的な自己形成過程の産物が人間であるとされている。まさにそれは縁起の理法そのものである。 DNAの遺伝情報(部品のカタログ集や法則のルールブックみたいなものと考えると良い)がすべて解読されたからとして、複雑系のヒトは千変万化で、諸行無常で絶えず変化している存在であるから、人間という存在全体の理解はできないだろうといわれている。
 縁起の法では、固定した確かな「私(我)」という命はない。絶えず変化する私の存在は「無我」ということを示している。そして縁起の法では、ガンジス河の砂の数の因や縁が仮に和合して、私という現象が存在している。そして、一刹那ごとに生滅を繰り返していると教えてくれているのである。生命現象は複雑系といわれるがごとく人間のいのちは無数の要因の関係した動的現象としての生命であり、生物学的知見と縁起の法と整合性の合うことにびっくりする。

三.生老病死の同じ課題に取り組む仏教と医療
 明治以降の日本の医療界は宗教抜きでの医療活動が展開されてきている。今までの医療は「健康な国民を作る」ということが大きな目的であり、時代の過酷な試練の変遷の中で平均寿命の長さは世界に誇る事が出来るようになった。しかし、多くの高齢者が実現できた長寿を本当に喜んでいるであろうか。豊かな人生をおくるためにも老病死を意味あるものと受け取る仏教の智慧が求められている。
 現代社会では仏教は世間の中で葬儀、法要を行う機能が表面的に出ることが多く、死者儀礼を担当するかの如き認識が世俗を席巻している。心ある僧職の方々は生きている人間の生老病死の四苦に取り組み、生死を超える道を伝えたいとの熱意で取り組みをされているが、浄土の真宗で生きる力をいただく念仏者は、いわゆる浄土真宗の門徒の中にどれくらいいるのであろうか。著者の勤務した公的病院の中での定期的な仏教講座開催の取り組みの準備の中で、ある僧侶を尋ねて協力依頼をしたとき、その僧侶が素直な感想を次のように言われました、「先生、良いことを始めてくれますね。私たちは今まで死んだ人を相手にしていればよかったが、仏教はこれからは生きた人間を相手にする時代ですよね」と。
 埼玉医科大学の哲学教授であった、故秋月龍a師(臨済宗、師家)は医学部の学生に、「皆さんが、今から医療という仕事に携わるとするならば、それは、人間が生まれて、生きて、老いて、病気で死んでいくという、『生老病死』の四苦にかかわる仕事なのです。この生老病死の四苦の課題に仏教も取り組んで解決の道を見出し、二千数百年の歴史をもっています。同じことを課題としているわけですから、医療の仕事をする者は、ぜひとも仏教的素養というものを持ってほしい」ということを語りかけていた、と著作の中で言われていた。
 浄土の真宗は、仏教の智慧によって生死の四苦を超える道を説いている。本願(念仏)の心に触れて、「人間に生まれてよかった、生きてきて良かった」という人生を歩む者として導かれるのである。医療・福祉の現場で働く人の多くの臨床経験から聞こえてくる言葉は「生きてきたように、死んでいく」である。生き様が、死に様ということである。死に様はいろんな縁で展開するので、必ずしも綺麗ごとで語ることは出来ませんが、大事なことは、常に、「今、ここで、いかに生きるか」が問われていることである。長足の進展を遂げた現代の医療知識、技術で確かに多くの人は病気の苦しみから解放されるようになった。しかし、病気による苦痛を一時的に先送りは出来たとしても、人間として生まれたからには「死ぬ」ということは避けることはできない。仏教の智慧による老病死の苦悩の解決の方向性が現代日本の医療・看護・福祉の領域における老病死の受容の諸課題に光をあて、関係者、そして多くの国民に救いをもたらすであろう。健康の定義にスピリチュアルという内容が加わるようになってくると、健康を考える上で幅が広がってきている。 医師は死亡診断書を書くときに、死亡原因として主病名を書きますが、診断名を特定するのに苦労することがある。病気は死ぬことの縁ではあるが原因ではないからである。人間に生まれたということが死ぬ原因であるからである、と仏教は教えているのではないであろうか。確かに死亡診断書には原因疾病として病名を書くのであるが、生死を超える道から、人間として生まれた意味、老病死の物語りを感得する者は、健康に病み、健康に老い、健康に死んでいくという物語が受け取られるようになるのである。老病死の受け取りが健康ということと対極にあるかのような理解が今まで為されてきたものが、医療が仏教との協力によって、医療の恩恵をこうむると同時に、光明無量に照らされ、照らし破られたものは自分の有様への自覚、目覚めの上で、老病死を自然の経過としてあるがままに受け取れる柔軟性をもつことができるであろう、そして実りある豊かな完全燃焼の、未練を残さない人生へと導かれるであろう。

四.まとめ
 今まで世界で経験したことのない急激な高齢化、そして世界一の長寿社会を迎え、疾病構成の変化する中で複数の病気と付き合いながら多くの人が老年期の二十数年間を過ごす時代となった。老病死をなくす、不老不死を目指す医療が、宗教抜きの医療システム構築、医療人教育をしてきたために医療人の多くに老病死を受容する文化を持ち得ないまま医療文化が創られてきている。理性、知性を大事にする教育制度(家庭を含む)の中で、老病死をどう受け止めていくという文化が国民の中でも失われようとしていると思われる。その為に直面する老病死の現実に医療・福祉の関係者も当事者である多くの国民も世俗的な諦めや愚痴の訴えが多く、迷い、苦悩している。生死を超える仏道、無条件の救いを実現する浄土教が、医療・看護・福祉の分野で求められている。後生の一大事ということで示される、人間に生まれた意味(物語)、生きることの意味(物語)、生きることで果たす使命、役割、仕事、そして死んでいくことの………安心、を感得する世界、智慧が教える物語(人間に生まれてよかった、生きてきてよかった)を生きることに導く大乗仏教の世界が求められている。

(1)ビハーラ活動実践研究会編、「ビハーラ活動―仏教と医療と福祉のチームワーク―」(1993年、本願寺出版)、中村元氏執筆箇所、ビハーラ活動の源流、一-二十一頁、
(2)ビハーラ活動実践研究会編、「ビハーラ活動―仏教と医療と福祉のチームワーク―」(1993年、本願寺出版)、桜井瑞彦氏執筆箇所、仏教とビハーラ活動、二十一-五十九頁
(3)中垣昌美「仏教社会福祉論考」第一章第二節 仏教福祉の定義(1998、法蔵館)、九-十四頁、
(4) 「創立100周年記念誌」」(慈悲のこころ 百年)、社団法人九州大学仏教青年会、2009
(5)中垣昌美「仏教社会福祉論考」第二章第四節、仏教社会福祉学の学門的成立、(1998、法蔵館)、五十-五十四頁
(6)平成20年人口動態統計、「日本医事新報」,12-13頁,No.4457,2009年9月26日
(7)長寿がガンを生む理由(日本経済新聞の記事より、2009年7月27日)
(8)私信;(塚本勉、「飯塚の会通信」、No.402,2009,9 発行)
(9)堪忍土とは、娑婆世界、この土では凡夫は煩悩を忍受し、聖者は身心の苦悩を堪え忍んで教化するので名づける(真宗新辞典、法蔵館)
(10)WHO憲章の健康定義が改正に至らなかった経緯、臼田寛、玉城英彦 、「日本公衆衛生雑誌」、2000年、第47巻、第12号、1013-1017頁
(11)がん患者のこころ、藤本孟男、「九州大学小児科同門会会誌」第113号、13-17頁2000 年
(12)E.キューブラー・ロス著、川口正吉訳「死ぬ瞬間」,1971年、読売新聞社、65頁
(13)「ナラティブ・ベイスト・メディスン」、臨床における物語りと対話、トリシャ・グリーンハル他編者、斎藤清二、他訳 金剛出版、2001年
(14)「対がん協会報」、日本対がん協会、第550号(2009年10月1日)の記事から
(15)「生物と無生物のあいだ」 福岡伸一著、講談社、2007年163頁
(16)フィロソフィア・メディカ(複雑系科学入門)、中田力、「日本医事新報」 92-95頁,No.4457,2009年9月25日

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