宗学院公開講座(二〇一〇年度) 福祉、看護、医療の現場で求められている仏教 平成24年3月(2012年)、宗学院(浄土真宗本願寺派)p235-266. はじめに 二〇〇九年より龍谷大学実践真宗学研究科でお世話になっています、田畑です。龍大にスタッフとして呼ばれたのは、最近、学際的と言いますか、領域をまたがるところの領域で種々の展開が期待されるという時代を迎えておりまして、私の場合は医療の仕事、消化器外科というのをずっとしてまいりました。医療という仕事をしながら、幸いに私は学生時代に、医学部の五年の時に、浄土真宗とのご縁が出来て、とぎれとぎれではありますけども、ずっと聞法を重ねてきたと、同時に外科の仕事もずっとしてきたということで、両方の分野に関心をもって取り組んで来たということです。 埼玉医科大学に秋月龍aという臨済宗の方で哲学の教授がおりまして、この方が医学部の学生さんに、皆さん方がこれから仕事をする医療というのは、人間の生老病死に関わる仕事だ、仏教も同じ生老病死の四苦の課題に取り組み二千数百年の歴史を持つのです。同じ事を課題とするわけですから、ぜひとも仏教的素養というものをもって医療の仕事に携わって欲しい。ということを医学部の学生に語りかけておられたということが、秋月先生の著作に出ていまして、ああ、自分が聞法していくということと、医療ということは、同じ事を課題としているのだなあ。と改めて思いまして、勇気づけられた思いがしたことがありました。 一、ビハーラの試み 私は外科の仕事をずっとしておりまして、年齢で丁度三十九から四十ぐらいの時です、丁度中津の国立病院、今は中津の市民病院というところがあるのですけれども、そこの外科の責任者として赴任をして外科の仕事をしておりました。中津は、昔で言ったら豊前ですけども、浄土真宗の土徳のあるところだということで、患者さんの枕元に結構仏書がおいてあるのです。そして病院は老病死にまつわる色んな訴えを聞くことがある場です。ある時に、悪性リンパ種という病気の患者さんで、大学で治療を受けて、もうそれ以上の治療がないということで帰って来られて、しかし、しきりと死の不安を訴えられるわけです。その患者さんと色々お話しをしている内に聞いてみると、若いときから聞法の縁があったという、そういう患者さんでした。こういう人たちが、そういう病気を縁として、さらに展開して頂けたらいいのになあという思いがおこってくるのです。そういうような、それに類する様な事例が度々あるわけです。 私自身は、外科の仕事をしながら気がついたことは、良くなる病気は良くなっていく、けれども良くならない状態になってきた時に、そういう人達に対する対応は、当時の医学は殆どというか全くないわけです。そういう人たちに、「良くなるかもしれません」という嘘を言いながら、対応していく中で、亡くなっていくというかたちでいいんだろうかという思いがしました。私はそのころ丁度、西本願寺もビハーラの活動を始めるという情報がちょっと入りまして「あっいいな」と思いまして、病院の中で「ビハーラ研究会」という会を勝手に作りまして、それで院長に相談をしまして、病院の中で患者さん達は夕ご飯の後、何もせずにぼーっとしています__から、僧侶の方に病院の一室に来ていただいて聞法の場を作るということが要るんじゃなかろうかと考えました。 それで、最初誰かに頼もうにも、直ぐに組織作りが出来ているわけじゃありませんから、私が厚かましくもしようということで、お話をさせていただくというようなかたちを、ちょうど三十九から四十くらいの時、始めました。そうこうしているうちに、組織的に取り組むということを考えて、地域の僧侶の方達に協力していていただこうということで、個人的に知っている人達に何人か声をかけてしていたのですけども、個人的な取り組みではちょっと埒があかんなあと、もうちょっと本願寺の方に加勢していただこうということで、中津の組の方にお願いをして、本格的に取り組もうかと思っていたところで丁度転勤になりまして、中津の国立病院を辞めて国東の今、市民病院と言いますけれども、そちらの方に移りまして、そして先ず院長に「仏教とからめた終末期医療をやりたいんだけど、いいだろうか」と相談して、「やっていいよ」と許可をもらって、地域の僧侶の方達に、色んな宗派の方に声をかけまして、平成二年の四月から毎週金曜日の夕方、僧侶の方達に病院の中に入って来ていただいて、仏教講座というのを始めました。それからずっと平成の十七年頃まで、十六年間くらい毎週ずっと続けました。 私はその病院を平成十六年で辞めたわけですけど、その病院で仕事している時に、非常に印象的なことは、七十代の方の大腸癌の手術をしまして、癌の手術ですから、その後五年ずーっと経過を診て行きました。それで、この方も無事五年経過したから、「良かったですね。大腸癌の影響ももうないですよ」と開業医の先生にお返しをしたのです。そしたらその二年後に、身体が黄色くなって黄疸という状態で又帰って来られた。検査してみましたら、膵臓の方にまた新しい癌ができて、肝臓の方にたくさん転移している、それが原因で黄疸ができているということでした。結局、手術出来ない対応出来ない状態でして、亡くなられたのです。この時私は、私たち医学が医療がやっていることは老・病・死を五年乃至七年先送りしただけであって、結局はそこで医療の敗北というかたちで終わったなあ、という思いがしました。 しかし仏教というのは、生死を超える道というかたちで教えてくれている。生死を超えるという世界を多くの人たちに解っていただくということは大事ではないか、という思いがしたわけです。 二 宗教抜きの医療 今日の演題の中にあります福祉とか介護・看護・医療は、これはみんな共通点は老・病・死の課題を抱えているということです。この老・病・死の課題を抱えている福祉・看護・医療こういうところでは、悲しいかな、日本の医学・看護教育は、仏教抜きでずっと展開して来たのです。ヨーロッパから、ドイツから西洋医学を学ぶ時に、宗教性抜きで、医学的知識と医学的技術だけを求めて、取り入れて、宗教性というものは全く抜きで展開した。だからその後の医学教育・看護教育には、殆ど宗教性というのは、特に公の教育においては無いわけです。まあ、キリスト教との関係の看護学校とか、そういうところであれば、キリスト教とか宗教性というものは、教育の中になされるでしょうけども、公であったり、準公立であるところでは、宗教性というものは極力排除して教育がなされてきた。日本の病院の中で大きな病院と言うと、どうしても国立病院とか県立病院とか公的病院が多いわけです。そこで亡くなって行く、老・病・死で悩む患者さんが、「宗教性抜きで老病死に対応出来るのか」こう言いますと、殆ど対応出来ないわけです。 しかし残念なことは、私、国東市民病院に十六年間継続して仕事をしたのですが、患者さんの方にそういう宗教性を求めるようなものがあれば、「言って下さい」とか、「お手伝いしますよ」とか、「関係のある方に連絡をとりますよ」とか声をかけても、なかなか患者さんの方からは声がかからないわけです。ということは、もう一般住民も、老・病・死の現場で宗教性というものを求めようということすらも、なかなか無くなってきているという現実があるのだなあ、ということを思いました。公の病院であっても、病院側がそういう宗教性ということを出すことは出来ないけれども、患者さんからのリクエストがあれば、それに対応しても問題は無いわけです。そのリクエストがやっぱり出てくるというのが無いと、病院サイドも対応のしようが無いわけです。そこにそういう、地域文化というものが、そこに反映してくるわけです。 三 命の尊厳 医療・看護・福祉の領域では、「命の尊厳」ということは言われているし、注意はされています。命の尊厳ということは、建前としてみんなが知っています。だから命の尊厳ということは具体的にどうするかということです。そうすると、現代人の発想からすると、命が有る状態を長く延命するというかたちが、命を尊重した、尊厳を大事にしたことだということになるのです。だから例えば癌患者さんの場合、最近は化学療法がかなり進んでいますけども、化学療法はどうしても、私たちが現役の頃二十数年前は副作用が結構多くて、途中で色んな副作用のために中断しないといけないという状況が多々ありました。その化学療法をして、その五年生存率というよりは一年生存率が何%上がりますというような、%のレベルであって、中々これしたらかなり良くなりますよというような今よりまだ悪かった時代ですね。そうするとそういう苦しい思いをして、一年、平均とすると何ヶ月でも延命出来たとするならば、それは医学の私たちのやり方は良かったんだと言って学会で華々しく発表出来たわけです。但しその状態が、本人が苦しい副作用の状態で苦しんでおっても、それは関係ないわけです。命の長さが延びた、私たちが医療によって延命した、命の尊厳ということを尊重して良い結果になったんだ、こういう風になっていたのです。 しかし、もし自分自身がそういう状態になった時に、入院生活を一年する方を選ぶのか、それよりも入院せずに家庭生活を四ヶ月とか五ヶ月する方を選ぶのか、こういう風になってきた時に、入院生活を一年するよりは、家庭でゆっくりできる生活を四ヶ月の方でも良いんじゃないかと、こういうような、言うなれば、「クオリティオブライフ」(QOL、,quality of life)という、生活の質とか生命の質とかいう言い方をしますけれども、そういうことを尊重しないといけないのではないか、いやそれこそ患者さんが求めているものではないか、こういう様な流れが出て来まして、やっと単に「命の尊厳」ではなくて、いのち、生活の質ということを大事にしようという流れが出て来ました。 けれども、医療界・看護界から出てくる、医療の生命、生活の質と言う場合はね、深さがなかなか無いんじゃないかなと私思うのです。その事が非常に楽だとか、そのことが非常に快適であるとか、そういうどうしても未だ精神的というよりは、表面的な楽というか、見た目に何となく良いような表面的なところだけを問題にして、その人達の内面性の深まりということをあまり問題にしない、いやそんなことが問題であるということは夢にも思わないわけです。 これは例えば、人間のその苦しみというものを救う時に、私達はどういう風に考えるかと言った時に、苦しみの原因は自分の現実と自分の思いに差があるということが、思い通りにならないという苦悩のもとですね。だから自分の思いと現実を縮めるということを通して、その苦しみが少なくなるという方向が一つあるわけです。しかし、医療サイドが考えるその解決の方法は、この病気の状態を健康の状態に戻すということが、これが患者さんの苦しみを救う言うなれば唯一の方法だと考えているわけです。だから、老・病・死というものはあってはなら__ないことだ、元気で若々しく活き活きと「生きている」ということが本来のあり方であって、老・病・死はあってはならないこと、こういう風に考えているわけです。そして、その苦しい老・病・死の状態を何とか不老長寿の方向に持って行こう持って行こうと努力する、それが出来ないとするならば、もう今の状況ではそれ以上のやり方は無いんだと。そして、どうなるかと言いますと、いま病院で亡くなる方が八割以上なんです。昭和二十五年は逆だったんです。病院で亡くなる方が二十%以下だったんです。多くの人たちはみな家庭で亡くなっていたんです。人間の歴史始まって以来ずっと亡くなる場というのは、家庭であったのです。それが昭和二十五年から、平成六年までに大きく変化しまして、いま国民の八割以上が病院で亡くなる時代になりました。 そこでなされる対応は、老・病・死はあってはならない事だ、というかたちになればどうしても、それを健康に戻せ、健康に戻せるかもしれないと言って、そういう延命とか、救命とかの方に動かざるを得ないわけです。そうすると、国民の八割が病院で亡くなっていく状態であって、本当に病院でなされている老・病・死に対する対応が、充分な状態であるだろうかということを考えれば、それはやっぱり色々今は少し反省はなされていますけども、私なんかが大学を卒業した三十数年前は、だんだん状態が悪くなって行きますと、家族の人に出て行ってもらって、そして心臓マッサージだ人工呼吸だとか、そういうようなかたちでする時代があったのです。今から考えると「本当に申しわけないことをしていたな」という思いがするし、しかしその当時は、それが医療だというかたちで、私たちは教育されてきた者ですから、そのことの問題に気づくということは中々、後になってからです。しかし、そういうことに気づくということがあれば良いんだけども、気づかないままそれが唯一出来る方法だとこういう風なかたちで、医療の世界、看護の世界、福祉の世界でもそういうことがなされている可能性があるわけです。 四 老・病・死の受容 私がいま別府の方で「歎異抄に聞く会」というのを、あるお寺さんを会場にさせて頂いています。丁度私の先輩になる、九大の名誉教授をされております外科の教授がおりまして、この方が八十ちょっと過ぎですけれども、私の会にときどき参加してくれるのです。そして、私が先ほどのそういう人間の苦しみを救うのは、思いと現実の差を縮めるということがあるんだ。医療は確かに、病気の状態を健康の状態に戻すというかたちで人間の苦しみを少なくする。しかし、もう一つ方法があるんだ。この思いが、この現実を受容するというかたちで展開していくという事の中に、その現実を受け止めて生きて行くという世界が展開するというのが、仏教が教える老・生死を超えるというかたちです。信心を頂くとか、さとりというかたちのなかに、二次的にその現実を受け止めて生きていくという方向性を頂く、こういう方法があるんだ。という話をさせて頂いたら、その先生がびっくりされるわけです。 私は現役の時に外科でずっと仕事をしていたけれども、そんな方法で人間の苦しみが軽くなるとは思いもしませんでした。と、こう言われるのです。確かに外科の教授で癌の手術を一生懸命されてきた先生ですから、病気を健康な状態にする、これに全力を尽くすというかたちでされてきた、それはそれで非常に尊い事ですけれども、良くならない状態が出て来た時に、その現実を受容するというかたちで、生死を超えるというかたちで、展開があるのだということは、全く発想に無かった、_とこう仰るんです。 最近、東京の駒込病院という所の佐々木先生という医師が、「がんを生きる」という本をこの半年前でしたか出されております。私その先生の本を読んで感じた事はどういうことかというと、癌の治療をする為には、人間の考えられるあらゆる叡智を総動員して治療しよう、何か助ける為の色んな工夫をしようというようなかたちで取り組まれているのです。それはそれで私は、非常にその恩恵を蒙って、多くの人たちが大分克服出来るようになって来たと思うのです。ところが、今度はその病気がもうこれ以上治療出来ないという状態になって来て、いわゆる緩和ケアという状態をするようになって来たら、その先生の書いているトーンがちょっと変わって来るのです。どう風に変わるのか。癌の治療の為にはあらゆる叡智を総動員してやろうという姿勢が、癌の治療でもう良くならない状態になって来てからは、そこで自分はそういう特定の宗教を信仰してないからというかたちで、宗教というものを取り入れようという姿勢が殆ど薄くなるわけです。そして自分の分別の範囲内でやるんだというような姿勢で、自分の分別という自分が拠り所としている理性・知性の拠り所としているところをも覆してでも患者さんを救おうという、患者さんの為にしようという姿勢じゃないのです。 極端な言い方は、患者さんの立場であれば、その人の主義主張で自己責任で行けば良いわけですけれども、そのことを援助する立場の医療サイドの方が、自分の理性・知性という分別の立場をも再検討しようとせずに老・病・死に対応するから、解決の方法が見いだせないわけです。老・病・死に対応しようという時に、必ず壁にぶつかるわけです。だけど、こちらの姿勢は変えようとしないわけです。癌に対する治療で総動員するのであれば、自分の依って立つ所すらも壁にぶつかったのであれば、それをもちょっと仏教の智慧という世界にも声に耳を傾けて、そのことをも取り入れて、取り入れてと言ったら悪いですけれども、死の不安を超える方向をやはりその老・病・死を受容するというか、老・病・死に取り組むというかたちで、オープンな心で、やってくれれば良いなあと思いました。そういう印象があります。 ということは、私たちが老・病・死の現場で、どうしても自分の依って立つところの理性・知性・分別をも問題とするやり方で、もうこの自分の依って立つところすらも少し問題として取り組んで行ったら良いなあ、取り組んでくれたら良いなあという思いがするわけです。私たち現代というのは、ある仮説を立てて、今までの事象が全て仮説で説明が出来るのであれば、その仮説が正しい法則だとなっているわけです。しかし、今までの千の事象は説明出来た、しかしここで新しい千一番目の事象が出て来た時に、これを解決するには今までの仮説では足りないという事になって来たら、今までの仮説を捨てて、その仮説に合わない事象をも含めた新しい仮説を設定して、今までずっと人間の進歩がなされてきた。で、この老・病・死という現実に出くわした時に、今の私たちはどうなるかと言いますと、役に立たない、迷惑をかける。これは、フランスのボーヴォワールという方が、「老い」という本の中で、人生の最後の十五年・二十年を単に廃品としか思わせない文明は挫折していることの証明だ、と書かれているのです。ということは、私たちが拠り所としている、現在の看護・介護・福祉・医療が拠り所としている、理性・知性・分別という拠り所が、老・病・死の現実にぶつかった時に、これが運命だという風に自分の主体性を運命の方に譲り渡すか、それとも自分は駄目だと言って廃品の如きに思わせるというかたちで、老・病・死を受け取るしかないということは、その発想が無理があるということをある意味で教えてくれているんじゃないだろうか。 その問題を超える道として教えてくれているのは、仏教の縁起の法とか、仏教の智慧の世界で、生死を超えるというかたちで教えてくれている、そこにやはりもう一度尋ねて行く、聞いていくということが無ければ、この老・病・死というものは、今の私たちが拠り所としているところの科学的合理主義の思考だけでは、解決を見出すことが出来ない課題にぶつかっていると思うのです。その壁にぶつかって居ることを謙虚に受け止めながら、そのことを超える道を教えている仏教ということを、私たちは共有していくというかたちの取り組みが求められているのではないかという思いがあるのです。 五 死は敗北か つい最近こういう事がありました。私たちが死というものを受容するということは、浄土の教えでは、往生浄土というかたちで、決してどこか変なところに行くのではないのだ、ということを教えて頂いているわけです。しかし、現代教育の中ではどうしても分からないままで、いつの間にか、死んでいくということは何かどこか分からない変な所に行くというような概念として、直面せざるを得ないのです。 私のところで、九十過ぎのお年寄りが胃瘻の経管栄養をしていました。寝たきりですから、だんだん手足が硬直してきまして、そして医師会病院から、慢性期になってきたし、もう治療の対象にならないからといって、私のところに送られて来たのです。その時に患者さんの家族に、私のところでは不自然な延命はしません、本人の苦しいとか痛いということには対応しますけれども、それ以上の不自然な延命はしません、看守りを基本とします。というかたちで一応説明をしていたのです。 そうしたら、入院して来られて暫くしてある時に、意識障害もあり、手足が硬直していますから、どうしても本人が食べたい食べたくない関係なくして胃瘻を通して三食入れているわけです。これはまさに福祉の現場であり介護の現場でも医療の現場でもあるわけです。そうすると一年中調子が良いわけではないです。たまたま何かの影響で、調子が悪く嘔吐したわけです。私達でしたら、嘔吐しても、直ぐに首を避けたり、手で吐物を避けられるわけです。ところが、手足は硬直し、寝たきりで意識もはっきりしていなければ、嘔吐しても口腔内に戻ってきて、誤嚥とか窒息になるわけです。それで、職員が気づいて何とかきれいにして、私に電話がかかって来た。「嘔吐し、顔色が悪いからすぐ来て下さい」と言われ、直ぐに病院にかけつけて患者を診ました。確かに顔色が悪い、しかしもう九十過ぎて寝たきり状態である。「看守りでいい」という合意で入院したわけですから、口の中を綺麗にして、そういう異物がないことを確認して、一応家族にもこういう状態ですと電話で説明をして、私は一旦帰りました。 そうしたら、十時くらいでしたか、病院から電話がありまして、「先生、三番目の娘さんで看護師をしてるのが、『医者呼べ』って叫んでます。先生ちょっと早く来て下さい」と私に電話があったのです。で、私も直ぐに飛んで行きました。そして行ったら確かに夕方診たときよりちょっと悪くなってまして、しかし看守りで良いと合意していたし、そのまま酸素吸入をしながら、夕方から3リッターくらいで様子見てたのです、そしたらその看護師をしてるという三番目の娘さんが、私に先生ここの病院は酸素たった3リッターしかしてないんですか、どうして5リッター・6リッターってしないんですか。 と、こう言ってくるわけです。ここで何リッターが良いと言って論争しても仕方ありませんから、「そうですね」て言いまして、その通りにしました。そしたら今度は、先生ここの病院は酸素やる時に加湿器使わないんですか、ネブライザー使わないんですか。と、こう言うわけです。私の所、長期のそういうことを想定してないもんですからねー。と言いましたら、ヤブの病院という目で睨んでまして。今度は暫くすると、「先生こんな状態で点滴もしないんですか」と、こう言ってくるわけです。長年治療してて、寝たきりで、血管確保なかなか難しいし、看守りで良いということでしたから、してなかったんですけど。「点滴もしないんですか」と言うから、じゃあしようかと言いまして、看護師さんが苦労して難しい小さい血管を見つけまして点滴を始めました。そしたらやっぱり状態としてもだんだん悪くなっていったら、「ここの病院においといても埒があかん」とこう言い始めるわけです。それで、「医師会病院に送ってくれ」とこう言われまして。私も、いやあ、こんな、また元気になれるとかそういう状態であればお願いしても良いけれども、こういう状態だから、いくら医師会病院でも看護師さんたちを、夜中の今から総動員して医師を総動員して治療するというかたちで、こういう老衰の状態のわるい場合は先生達に送るのも気の毒で、私からは送れません。あなたたちが個人的に頼むんだったらどうぞ、て言ったら、前の主治医を電話で呼び出すわけですね。そして「その先生が受けてくれると言った」とこう言うわけです。私もその「受けてくれる」と言ったから、また電話して「こうこうこういう患者さんで、先生よろしいでしょうか」と言ったら、「先生どうしてこんな夜中にそんな患者さん送ってくるんですか」っ言うんですよ。そうこうしている内に状態が悪くなって来まして、「送る途中で悪くなるかもしれませんから、このままここで見ましょうよ」と言いますと、だんだん状態が悪くなって来たら、家族が「おじいちゃん呼ばんとあっちへ行ってしまうぞ」とこう言うわけです。そして「おじいちゃん、おじいちゃん」と病室の中でですね、何人かが集まって、大きな声で呼び始めるわけです。そしてその甲斐無く亡くなったわけですけれども、そうすると、こういう病院で亡くなったということになってくると、家族とすれば何か、最後何もしてくれんという雰囲気で、私たちも何かヤブの病院のヤブの医者というような目で見られるわけです。被害妄想ですかね。 そうすると、私はいいにしても、看護師さんたちが一生懸命してくれたのに、最後にそういう変な別れ方が医療現場ではあるのです。まさに、その老・病・死を受容するという文化が、いつのまにか死んだら悪いところに行くみたいなかたちで、呼び戻せっていうかたちになって、結局現実の受容が出来ないというかたちの中で、医療・福祉・看護の現場がそういう雰囲気の中で、家族がそういうことを求め、医師・医療人も、救命・延命という以外に他にその老・病・死を受容するという文化がなかなか分からない、そうするとかたちだけでも、そういうことをしながら、一生懸命しましたけれども最後は無理でしたというかたちで終わるということになると、大分の県立病院の婦長さんが、「先生、私たちは癒されないんですよ」とこう言うわけです。だから確かに急性期の病院であっても、そういうその老・病・死の現場で、老・病・死はあってはならないことだ、元気な活き活きとした生が本来の姿なんだというかたちで、みんながこうコンセプトを持っていると、そういう老・病・死を「あってはならないことだ、出来るだけ無いように無いように」と言って、最後は結局は、敗北で終わって行くのです。 今その癌という病名で死ぬ方が亡くなる人の三十一%、そしてその脳梗塞とか心筋梗塞で亡くなる方が三十%ですね、その二つが日本人の六割の死因を占めているわけです。しかしこれが、最近の医学界の新聞、医学会の雑誌を見ていると、これにある程度治療のメドが付いたとしても、人間の寿命は大体百二十だろう。と皆さん共通で書いてます。ということは、百二十以上の寿命はもう無理だろうということです。そうすると、老・病・死ということを受け取るということが無いと、受け取れる文化というものが無ければ、皆そこで敗北で終わってしまうというかたちになっているわけです。 六 スピリチュアルという課題 話があちこちと飛ぶかもしれませんけども、その医療・看護・介護・福祉のその老・病・死の受容をどうするかということで世界中が考えている中に、ご存じの方も多いと思いますけれども、いま健康の定義が、丁度十年前から、変更していこうという動きがあるのです。今までの定義は、「身体的に健全である。精神的に健全である。社会的に健全である。」でした。身体において異常がない。そして、メンタルというのが精神的と訳されていますけれども、そういう心の問題がない。社会的というのは、人間関係、地域社会での人間関係、職場での人間関係、家庭での人間関係がちゃんと出来るということが、社会的ということです。この三つが健康の定義で、一九四〇年代から今日まで来ていたわけです。 そしたら丁度十年くらい前、その健康の定義だけでは、どうも人間の苦しみ悩みの全体をカバー出来ていないということが、だんだん皆さんの認識に上るようになって来まして、そこで四番目の要素としてスピリチュアルということを加えようというのが、WHOの理事会で決定がなされたわけです。このスピリチュアルというのを、いま仏教界もどういう風にそれを表現したらいいのか、特に医療界もスピリチュアルという項目を健康の定義の中で、どういう風に取り扱ったらいいのか、まさに今取り組みの途中なんですけども、これWHOの理事会の決定がなされましたけれども、総会の決定になされてないものですから、世界中で未だ保留になっています。しかし時代の流れは、そういう健康の定義にスピリチュアルということを入れざるを得ない時代になって来ています。 そのスピリチュアルということは、今コンピューターで、インターネットでみますと、半分以上はいかがわしい内容です。だから、スピリチュアルということを浄土真宗がどういう風に受け止めていくのかということが求められているのです。単にそのスピリチュアルという言葉だけの問題にするのではなくて、まさに臨床の現場でそのスピリチュアルという問題がどういう風にして出て来たのかということを考える必要があります。これは一つの例でご紹介するならば、福岡の方でですね、三十代の方が、大腸癌になって手術をした。運悪く二年後に再発をした。そしてだんだん痛みが出てきた。しかしこの痛みに対して、外科の先生は十分なる痛み止めの対応が出来てなくて、キリスト教関係のホスピスの方に入院した。そこでモルヒネとか麻薬を使って痛みは充分に取って良かったなという状態だったのですが、今度はお腹の癌で腸閉塞になった。普通の癒着性の腸閉塞だったら外科が得意とするところですけれども、お腹の中の癌の固まりのなかに腸が何カ所も巻き込まれた腸閉塞は、手術のしようがないのです。この人も、食べる飲むが出来ないから、点滴をしながら療養生活そしている時に、回診の場で、その回診に来たドクターに、「先生私は死ぬために生きているんですか」と問うたと言うのです。「私に生きる意味はあるのか」と問うた。そういう訴えが医療の現場でなされたときに、その問いに対して答え得る医師・看護師が日本の中に居るでしょうか。生きる意味はあるのかと問うて来た、そういう問題が出てきた時に、この人の問題は、身体的な問題ではない、精神的な問題でもない、社会的な問題でもない、まさに自分の実存的というか、自分がこの生きる死ぬの課題を問題としたのです。こういうような私に生きる意味があるのかと、こういう問題がまさにそのスピリチュアルで問いかけられているもの、領域の問題なのです。 これは、浄土真宗の信心をいただく歩みにおいて知らされることは、人間に生まれたということの意味が少しずつ頷けてくる、仏法に出会うために人間に生まれたんだなという、そういう思いが、人間に生まれた意味というものが頷けてくる、そして生きて行くというということは、私たちが本当にその仏法の智慧を頂いて、本当にその往生浄土の歩みをずっとさせて頂くんだという、そういう世界を知らされる。そして死んで行くということは、「お任せします南無阿弥陀仏」とこう言える。その世界を持ちえる者にとっては、スピリチュアルということが問題にしている領域というものは、信心をいただくことで見えてくる世界と重なっているわけです。私に生きる意味はあるのか、なんで私がこんな病気になったのか、死んで行くということはどういう事なのか、という問題が患者さんから訴えられて来て、そのことに対する答を医療サイドが持っていない。 このスピリチュアルということが問題になり始めた、丁度二十年くらい前、そのころ医療界の中でスピリチュアルという課題を取り組もうとし始めた頃、ある研究会がありました。そういうスピリチュアルという課題が話題になった時に、ある都会の大きな病院の院長先生がこう言ったのです。「うちの病院では患者さんからそんな訴えは一つも出てきません」と。「だから、そんなことに関わるのは医療の問題じゃないんじゃないですか」という風に発言されたのを思い出します。今だったら分かるのですが、大分にゆふみ病院という緩和ケアを中心にしている病院があります。そこで院長されていて今は厚生連鶴見病院の院長をされている、門司のお寺の次男の方ですけど、藤富先生という方がいらっしゃいます。その先生が、私にこう言われました。藤富先生も外科をされてたのですけど、外科で自分がその癌の痛みを治療していた時には、やっぱり足りなかったと、今思う。そしてその麻薬を十分に使いながら、痛みを取ってあげるということが大事だなあと分かって来た。そして、看護もですね普通の病院よりも手厚い看護の要員を用意して、手厚い看護をする。そして家族も寝泊まりが出来るような設備も作って、そういう癌の末期の患者さん達に対応していた時に、改めて「何で私がこんな病気になったんだ」「何も悪いことしていないのに」「死んでいくとはどういうことなのか」「私に生きる意味はあるのか」という、そういう問題が露出してくるんだ、と言われました。そういう話を聞いた時、ああ二十年前のあの話は、あの先生の病院は痛みに対する配慮が出来てなかったから、そのスピリチュアルの課題まで行き着いてなかったのですね。患者さんに痛い痛いと我慢させていた。そうすればそこまで行き着かないわけです。そういう痛みに対する、肉体的な痛みに対する薬、色んな設備的なものが充分に調えられて来ると、そこで初めてスピリチュアルな課題か露出してくるんだということです。そこで、改めて医療界はそれに対応出来ないという現実をまのあたりにしている。 今年の春、イギリスのいわゆる緩和ケア、イギリスというのは緩和ケアの発祥の地なのです。そのイギリスの緩和ケアで何が大きな話題になったか。今までの日本での緩和ケアというのは、癌とか肉腫いわゆる悪性腫瘍と、エイズの人たちだけがそういう施設を利用出来る適応だったのです。保険の面で。だから普通の病気だったり、違う病気だったら、そこを使えなかった。それは色々制度上の問題ですけども。私たち仏教サイドから言うならば、老・病・死の課題は癌の人たちばっかりに限らないではないか、本願寺のビハーラ活動の中にも、決して癌ばかりじゃないですよというかたちで書かれていると思います。そしたら、今年の春のイギリスのその緩和ケアの学会で話題になったのは、緩和ケアを癌以外の人にも適応しようじゃないかということでした。非常に大きな注目の変化だったというのです。まさに私たちのサイドから言うならば、仏教はもう既に、その老・病・死の苦しみは癌の人ばかりじゃないじゃないかというかたちで、ある意味気づいていたわけです。それが今医療界の中で、やっと癌以外の人達にも緩和ケア、そういう色んな種類の痛みに対する対応をしていこうじゃないかという流れがやっぱり、ちゃんと出て来たわけです。 この緩和ケアにおけるスピリチュアルというのは、これも医療・介護・福祉まで絡みがあるわけです。こういうスピリチュアルという課題が、解決出来るようになって来たら、こんな展開があると思っているのです。以前、私__に、お坊さんが冗談でこんなことを言っていたのです。患者さんが死ぬのは病気じゃありませんよ、寿命で死ぬんですよ。いや人間に生まれたということが原因で死ぬんですよ。と、こう冗談めかして言っていたのです。で、私たち医師は、死亡診断書に必ず死因は、肺癌だとか、肺炎だとか、病名を書いていたのです。だけども、考え様によっては、本当に正しく全体を見るならば、僧侶の方達が言っていたことが本当に正しかった、病気というご縁で死んでいったんです。人間が死ぬのは、人間に生まれたからだ、これが一番大きな原因だということです。で、このスピリチュアルという課題は、身体的とか精神的とか、社会的な問題を全部カバーしたようなかたちでのスピリチュアルの位置づけになっていくわけです。そうすると、どういうことが出て来るかといったら。今まで仏教界が言っていた、人間が死ぬのは病気じゃありません、病気はご縁です。 人間が死ぬ原因は人間に生まれたからです。そうするとどういう展開があるかと言ったら、健康に老いて、健康に病んで、健康に死んでいくという世界が展開してくることになるのです。これは今までの医療界ではあり得なかったことなのです。健康ということと、死ぬということと、全く対極にあるものだと思っていたものが、このスピリチュアルという課題が出てきたら、健康に老いて、健康に病んで、健康に死んで行けるんだ。という展開が必ず出てくるわけなのです。これは、私は仏教が教えてくれている、智慧の世界から見えてくる世界は、そうじゃないかなあと思うのです。こういう老・病・死に、どう対応していくかという課題が、仏教が、もうちょっと一般の人達にも医療関係者の人たちにも、そういう世界があるんだということを教えて頂くということは非常に大事じゃないかなと思います。 七 医療と宗教 私が、アメリカでチャプレンという職種の資格をとって日本に帰って来たのだが、中々そういう人たちが働く場がないという人がおられて、その人と数年前会う機会がありました。そしてその色々話しをしている中でびっくりしたことは、その方がチャプレンという職種を大学にも置くようにしてくれると良いですね。というような言い方をされるのです。「えー大学にチャプレンとか要るんですか」と言いますと、向こうでは消防署とか軍隊とか、あらゆる職場にチャプレンという職がありますよ。とこう言うわけです。それが一つ驚きました。 もう一つは、「チャプレンの人たちは、患者さんに対して色んな取り組みをされているんでしょうね」という話をしましたら、私たちが向こうで仕事してた時に、時間的な配分で言うならば、医療関係者のメンタルケアが七割です、患者さんのそういうケアが三割りです。とこう言うわけです、私反対じゃないかなと思ったんですが、そうじゃないんです。ということは、老・病・死に直接する職種の人達というのは、そういう老・病・死というものに対応しながら、最後に死んでいく、まして敗北で死んでいく、一生懸命したけども最後は駄目でしたというような終わり方で終わっていくようなかたちの職種というのは、自分の一生懸命したことが報われなかった、というようなことがあります。そこにそういうかたちでのストレスというのを抱え込んでいるのかな。それは今まで日本ではそんなことを考えもしていなかったのですけども。そういうかたちでアメリカで訓練受けた人が仰る。 私が、いま鹿児島でチャプレンの仕事をされておられます長倉先生という僧侶の方がいらっしゃいまして、その人にこの前ご縁があってお話しを聞いたら、日本でも、私もそういうかたちで仕事をしていますけれども、看護師さんとか職員の人たちとの接点というか、対応の方が時間を多くとられますよ。と言われます。ということは、医療とか福祉とか看護の現場においては、そういう職員のメンタル的なことをフォローしたり、その支えるというかたちの需要が潜在的にやっぱりあるっていうことじゃないだろうか。だからそこに、そういうことが求められているんじゃないかな、ということを、まだそんなにたくさん聞いたわけじゃないですけれども、思うのです。ということは、そういう老・病・死の受容ということが出来ない発想の中にはどうしても種々のきしみが露呈してくることがあり、そこでこのメンタルな救いというものが潜在的にあるということに対して、今までほとんど対応がなされてなかったなあ。私は、こういう事もまさに今の医療とか福祉・看護の領域で求められているものではないか、と思うのです。 八 医療と仏教の協力関係 いま私のところに五十人寝たきり状態の方が入院しています。私のところのグループに佐藤第一病院があり、急性期の病院です。急性期対応の病院で入院が長くなると、慢性期になってきて私の所に来るようになっているわけです。五十人が入院していまして殆ど寝たきりで、五十人のうち食堂で食べるのが五人前後でしょうか。そういう日本の慢性期とか最後の老・病・死の現場というのは、大体日本中同じような状況なのです。それで、そういう寝たきりの人達を、どういう風に対応したら良いかということは、日本でも「これで良いのか」という声もありまして、日本の医療の視察団、医師会の視察団がオランダに、ヨーロッパの老・病・死の現場をどういう風に対応しているかと、視察に行かれたのです。そしたら、そこは入所者が大体二百八十人くらいいるんです。で一年間の死亡数は百人くらいで、三分の一が大体死んでいっている。だけど寝たきりの人が、殆ど居ないというわけです。それで日本から行った医療団が、もうちょっと状態の悪い人たちをどのように処遇されているのか見たいんですけど。とこう言ったら、「何が見たいんですか」と向こうが怪訝な顔をする。それでもう少し食べられないようになってきたら、鼻から管入れたり、胃に穴あけたりという対応をするんじゃないですか。というと、「あ、そういうことですか」と言ったんです。 オランダでは、食べさせる工夫はするけども、それ以上本人が食べないということであれば、それは本人の意志だから、経管栄養とか経胃瘻栄養とかそういうことはしません。とこう言われるのです。あと、自然と枯れ木が枯れるが如く亡くなっていくというのが、ヨーロッパの常識です。と、こう言われたのです。ということは、それが人間の老・病・死の迎え方の一つの文化として、それがみんなが認めているという事です。そうすると、この日本との対比は「えー」とこう思われるわけです。それは、良い悪いは別の問題だとしても、そこにその人間の命をどういう風に生ききって行くということが大事なんだろうか。そういうことに対する文化、私、医療というのは地域文化、で地域文化に欠く事の出来ない宗教・仏教というのは、その中の一翼を役割を演じて頂かなければいけないわけです。そういう老・病・死をどう受け止めて行くかという対応の中に、単なる医療サイドの発想だけではなくて、そういう仏法を、仏法を頂いた上での発想というものを、その中に一緒に取り組んで行くという、老・病・死を共に同じ課題とする中で取り組んで行くということが、本当に求められているということを思うのです。 例えば、ある時、大分合同新聞に、こんなエッセイが載りました。ある六十過ぎの方がエッセーを書いていまして、そしてその中で、これは二〇〇六年の十一月八日ですね。「おじさん図鑑」という名前で出ているのですが、「がんばれ」という題でして、こう書いてある。 おじさんは病院へ友人を見舞った。友人は未だ四十代なのに、癌に冒され医師から家族に余命を宣告されていた。久しぶりに見た彼は痩せ衰え、おじさんはショックを受けたが、「元気そうじゃないか」と、思ってもない言葉が口をつく、「元気だったら入院なんかしてませんよ」如何にも辛そうに友人は力なく応えた。おじさんは口ごもった。「その、まあ君は若いんだから、せいぜい頑張って、一日も早く良くして」。遮るように彼が言った、「頑張れって、私は必死に頑張ってます。これ以上どう頑張れば良いんですか、教えてください」。彼の目からは涙がぼろぼろ噴き出した。「全身が痛くて、身の置き所もないような毎日なのだ」と泣きながら訴える。おじさんは顔を背けて、涙をかみ殺した。「俺、死にたく無いんです。まだ死ねないんです。助けて下さいよ」。訴え続ける彼から目そそらし、おじさんは心の中でひたすら「頑張れ」「頑張れ」と繰り返すばかりであった。こんな時「頑張れ」と言う言葉の外に、一体どんな言葉があるのだろうか。 これも一つの、地域の文化というか、そういう老・病・死に対して、頑張れば必ず報われるんだという、今までの私たちの発想の中で、「頑張れ」「頑張れ」という言葉だけしかないという。お見舞いに行った時の言葉を失うということがあります。この患者さんに対する言葉かけということで、私は思い出すことがあるのですけれども。私が中津の国立病院に居る頃ですから、丁度二十年位前ですね、未だ癌という病名を言ってなかった頃です。 癌という病名を言ったら、本人が気を落として場合によれば自殺するかもしれん、そういうことがあるから、そういう重大なことは言わないでいくというパターナリズムという流れがあったのです。皆さんがたの中にご存じの方も居られるかもしれませんが、ある学者さんが胃癌になりまして、私が手術をしたのですけれども、二年後に再発をした。私の仏教青年会の後輩の内科の三島君というのが受け持って、対応してくれていたのですけれども、この三島君が、田畑さん。あの患者さんは、病気が良くなったらあれをしよう、病気が良くなったらこれをしようと言ってますけども、あの人はもう病気が良くならないわけだから、もしそういう遣り残しの仕事があるんだったら、本当の事を言って最後の仕事を仕上げてもらった方が良いんじゃないですか。そういう話になりまして、そこで家族と相談して、本当の病名を言うことになった。私毎日夕方仕事が終わってから病室を訪ねてましたから、本当の病名を言った後、その後輩から「田畑さん。あの人、本当の病名と状態を言ってますからね」と電話を受けてから、訪ねて行って部屋を開けて入ろうとした途端に、びっくりしたんです。何でびっくりしたかというと、言葉が出ないんです、私の。私ちょうど四十才でして、外科の責任者でしたから、患者さんからどんな質問が出ても、さっと答えられる自信があったのです。だけど、その時は言葉が出なかったのです。なぜ言葉が出なかったかといえば、今までの訓練は嘘を言う訓練だったのです。どんな質問が出ても、ごまかす訓練をして来たのです。そこで本当の病名を共有してから、患者さんとの対話の術を、医療界は全く訓練していないのです。それから、やっと平成になりましてから、本当の病名を言うようになって来ました。 しかし、本当の病名を言った後の患者さんとの対話が、医療界で充分なされているか。つい最近、私が、うちの後輩で責任ある立場に居る外科の医師に、「最近患者さんに全部本当のことを言っているけれど、どうなの」とこう言ったら、「先生言ったら良いですよ」と言う。「どういいの」と言ったら、「いや、患者さんに本当の事を言ったら、治療に協力してくれますから」と言うのです。「ちょっと違うんじゃないか」と私は言いたかったけれども、本当の病名を言って、本当にそこに老・病・死を共に取り組んで行くというならば良いけれども、「医者の言うことを聞いてくれるようになります」とこうなる。そうすると相手が病気の人でしょ。こっちは知識もあり頑強な人でしょ。もう立場が強い人と、弱い立場になったら、本当にそこに患者さんが、本当にそれで尊重されるかというと、そうされない可能性が出て来ています。 私は、その後管理職になったりして、現場を離れたりしているものですから、まさにその癌のそういう病名告知の現場というものは、ちょっと私はそれから遠ざかっているのです。後輩の様子なんか見てみると、どうも本当にその病名を言った、確かにインフォームド・コンセントで本当の病名を言うのだけど、その病名を言った後の老・病・死にどう受け取って行くかということに対する取り組みということは、医療サイドは医学教育の中に無いわけです。それを共有して生死を超えていくとかいう発想は無い。良くするという方向ではあるかもしれないけれども、良くならなくなってきた時に、そのことに対して医療サイドは何か出来るか。無いのです。患者さんはそこで放置されているわけです。だから、本当にその本当の病名言った後の私たち医療の側も、そういった人と、そう言う問題をどう共有して生ききっていくかということの支えを、どういう風にするかと言うことについては、だんだん足が遠くなって行くわけです。そういう状態になって来たら、研修医だとかお医者さんが足繁く行かなくなるわけです。言う言葉を持たない。良くなる時には、良かったですね、良くなりますねということは共有出来ますけれども。良くならない状態が出て来たときに、老・病・死という現実を共有して、共に生きて行くというかたちに対しての医療界の準備が、私は出来てないと思います。 そこに、やっぱり仏教サイドの方からそこらへんに対して、やはり何か一緒に取り組むというかたちが求められているんじゃないだろうか。だけど、そのことに対して医療界が、自分たちは充分やれているんだという傲慢さの中に居る可能性があるわけですけれども。大分合同新聞に十数年前、山本保という毎日新聞の文化部の部長さんをされていて大分に帰って来た方がエッセイを書いていまして、その題が「医者の傲慢、坊主の怠慢」と書いてありました。医療にたずさわる者は、そういう老・病・死への対応を本当に十分やってないのに、「やっとる」という傲慢さがある。大分の国東の方で僧侶の方が、患者さんとの接点はどうしても亡くなってからの接点になってしまうという現状を、文化部の部長さんをした人が、そういう題でエッセイを書かれていました。その人とその後会うことがあったのですが、そのことを聞いたら「そんなこと書いてましたかね」と仰ってましたけれども、非常に身につまされる言葉だなあと思いました。その言葉を、田畑先生が言ったというかたちで、仰る方がありますけれども、私が言ったんじゃないのです。 そういう風に、その老・病・死をどう受容するかというところの課題というのが、医療界と仏教、看護・介護で、そこのところ一緒に取り組むということを進めて行って欲しいなあと。その医師看護師教育が、どうしても公のところでなされ、国立大学とか国立病院とか、そういう所でなされることが多いと、どうしてもそこで仏教的な視点を入れにくいわけです。患者さんのリクエストがあれば、それに応えるというかたちでやれるんだけど、そのリクエストが出て来なければ、病院サイドも取り組めないのです。それは、常日頃からの老・病・死が課題になった時は、仏教の方に尋ねるということを、やっぱり地域文化として培って頂ければ、そう言う声が上がって来れば、それはもう無条件で病院サイドも、そういうことに対して色々準備しましょうというかたちで動けるわけです。 今、東西の本願寺関係で、看護学校とかそういう福祉の関係、特に看護の関係というのは中々、調べてみたら思ったほどは無いのです。そういう看護教育・医学教育の中に、龍大の精神みたいに龍大で学ぶ他の学部の方々もみんな一応仏教というものを基礎のところで学ぶという機会があれば、そこでご縁が出て来るわけですけども、今のその医学教育・看護教育はそういう場すらないから、中々その取り組みが進まないのです。 宮崎県の宮崎大学の医学部になってますけれども、そこで教育を担当されている林先生という方がいらっしゃるのです。内科で研修している医師が、良くなる病気の時には良いんだけど、良くならない病気の時に一生懸命されて、そこに何か燃え尽きるようなかたちで壁にぶつかって、その医師が非常にメンタルに落ち込んでしまうような時があるそうです。そういう時に仏教的な視点というものが大事だと気づかれたそうです。宮崎には林先生の教え子の栗田さんという人がおりまして、その栗田さんというのが、行信教校で一年間勉強して、宮崎の方で僧侶と内科の先生を一緒にされてて、そう言う人と接点が出て来まして、やっぱりそこに医学教育の中に、そういう仏教的なハートの部分が、やはり大事だということを気づいて取り入れてくれる人達が、少しずつ誕生して来ているのです。やっぱりこういう芽を大事にして行くということが、本当に今求められているなあと思います。 九 修短自在 最後に、ちょっと私のこれは独断かもしれない、先生方のご意見をお聞きしたいと思っていることがあります。これも全く個人的な事なのですけれども、死ということの受け止めというものを、どういう風に考えて行ったらいいんだろうかというかたちの一つが、『大無量寿経』の中の本願の中の十五願の受け取りです。私は、これがそのことを一つ教えてくれているのじゃないかな、と思います。これは「眷属長寿の願」という名前で、教科書的には書かれているのですけれども、その原文は私なりに独断と偏見で言うならば、浄土の世界に生まれる者は本当の長寿が実現出来ます。と書いてあります。その後です、「その本願の修短自在ならんをば除かん」、と書いてあります。それは、ある人を救わんが為に私はいつ死んでもいい位に一生懸命頑張るとか、この人を救わんが為には何回でも生まれ変わってでもどんなに時間がかかってもやりたいという、そういう命の長い短いに囚われる人は除くという表現になってあるわけです。私は、いろいろ解説書などを読んで、よくまだ解らないところがあるのですけれども、浄土真宗のその本願、南無阿弥陀仏というお念仏の世界に、心にふれていくものは結果として、命の長い短いということに囚われないというかたちの展開がある。そうだなあと思わして頂くわけです。そうすると、その「修短自在ならんをば除かん」ということは、私たちが長生きしたいとか色々こう思いがあるのだけども、本当にその仏法の心に触れたならば、命の長い短いに囚われない、いつ死んでもいい、いつまで長生きしてもいい、おまかせします南無阿弥陀仏という、そういう世界に出会えて行くということではないだろうか。そういう意味では、この十五願というのが、本当にそのお念仏の心に触れるものは結果として「修短自在ならん」というかたちで、いつ死んでもいい、いつまで長生きしてもいい、おまかせします、私は今生かされていることを精一杯一日一日生ききっていきます、南無阿弥陀仏と。そういう世界にださせて頂いたことが、私たちが本当に願っている長寿ということじゃありませんか、ということを教えてくれているのではないかなあと。 それで、普通私たち医療界が「健康で長生き」「健康で長生き」ということをまあ旗印みたいに言うのですけれども、私たちが願っている長生きというのは、量の長さですね。だけども量が長かろうが、短かかろうが、この世での仏様から頂いた仕事が終われば、丁度いいときにお迎えが来る。いつ死んでもいい、いつまで長生きしてもいい、生かされていることを一日一日、お念仏して生ききって行きます。あとはお任せしますというかたちで生ききって行くという展開があるならば、それが質的に本当に今の一瞬で永遠に通じるという世界を頂きながら、生ききって行くわけですから、本当にそこに生死を超えるというのは、まさに十五願が教えてくれている世界への気づきということが、私本当の長生き、生死を超える世界ということを、教えてくれているのではないかな。 ちょっとこれは、私の独断と偏見かもしれませんけれども、私がこういうことを言ったら、大分の方である僧侶の方が、「先生の言ってることは西本願寺の解説書と違うから間違っていると思います」と言われましたけれども、「その解説はどなたが書かれてましたか」「いやそれは分かりませんけども」と仰っておられましたけれども。 おわりに 九州で細々と仏法のつまみ食いをしながら聞法してきて、今こういう場を与えられておりますけれども。まさに、医療・福祉・介護の現場は、そういう老・病・死を受容するという文化を、殆ど持ち得てない。そういう職種で、そういう職場で、多くの人達が働きながら、本当に働いて良かったという職場にして頂くために、そういう生死を超える教えの展開する、文化を共有するということがあると良いのになあ、ということを思います。ちょっとそのはしりみたいなのですが、東京に宮崎幸枝という先生がいらっしゃいます。あの先生は病院の中で二ヶ月に一回、そういう緩和ケアじゃないけどビハーラという講座を、職員とか患者さんにずっと聞いて頂いているそうです。そうすると看護師さんたちが、老・病・死というまさに重病の患者さんのところに、今まではつい足が遠ざかっていたのが、少し明るくなって、対応が出来るようになっている。そういうふうに変わってくるんですよって仰っていました。やはり、そこに老・病・死をどう受容するかという講話を聞くことを通しながら、その医療や福祉や介護の現場で、そういうことに対する職員の対応ということで、そこに働いて良かったという思いを共有出来るような、職場になれれば良いなあと、本当にこう思っています。 今日は、「福祉、看護、医療の現場で求められている仏教」という題で、お話をさせて頂きました。時間が早めに終わりそうですが、質問を少し受けるかたちで、補足させて頂けたらと思います。 質疑応答 問 講演ありがとうございました。私、医療従事者です。医者ではございませんけれども、大阪の北野病院というところで薬剤師をやっております。主に癌の患者さんなんかもありますけれども、精神科の方を中心に回っております。 言葉というものの持っている素晴らしさと、逆に刀にもなるということを、本当に痛感しております。最近は精神科の医者も緩和ケアに絡んでこようというという動きがあります。私はそこですごく危ないんじゃないかなと、ものすごく心配しているんです。実は、私二年前に癌になりました、ステージ四つのうちの三つめです。自分の命というのは、そろそろ危ないかなと意識しながら、日々暮らしております。そのように自分は癌なんですけれども、精神科の医者が、まるで内科医・外科医に出来ないことが、自分たちには出来るが如く、この中に何かを持っているみたいなかたちで、そう言葉で言って、でも実際には、患者さんを傷つけたりしている。その傷つけていることさえも気づかない。そういう現実があると思うんですね。 実際、いま患者会にも入って、患者さんの直接の言葉を聞くと、やっぱりそんな声たくさんお持ちです。私がちょっと懸念しているのは、僧侶のみなさんも気をつけて頂かないと同じことになってしまうと、すごく思うんです。__親鸞が言葉の命というものを法然聖人から受け取られた、それは分かるんですけれども、下手をすると阿弥陀様というきれいな言葉に包んでしまって、これをもってすれば皆さんを説得出来るんじゃないか、という風に思いこんでしまうと非常に危ない。先生が仰った、先ほど「健康に老いて、健康に病んで、健康に死んでいく、そうなんですよ」と健康な人が言った時に、癌の患者がどう思うか、それを考えずに使ってしまうという怖さがあると思うんですね。ですから、わたくしがお伝えしたいのは、本当に言葉に命を込めて喋れる人間というのは、ごく限られた人間でしかないのに、現代の日本文化というのは、まるでみんな誰でも目指せば出来るが如くダーと走って行く。私は、そこに何か、危ないなと思うんです。決して悪いことをしているわけではないんだと思うんです。人を傷つけようと、そんな邪念で言っているんじゃないと思うんです。でも、この日本人が持っているこの文化の怖さというものを私すごく痛感しまして、自分の病気と患者さんの会での言葉とか聞いたり、こちら側で医療者が使っている言葉を聞くと、何かいよいよ、それこそ正像末じゃないけれども、危ない時代に入っているんじゃないかなという気がするんです。あの特に質問では無いんですけども、こういう事を考えておる人間が居るということを、ちょっとまたお考え下さい。 答 あの私自身も患者さんとの対話をしながら、人間関係が出来てる状態と、出来てない状態で、やっぱり言葉というものは使い分けないと。単に公式を言えば良いということじゃなくて、この人は今どういうことを課題としているかな、どういうことを問題とされているかなあ、というかたちを思いながら、お話をさせて頂くんですけども、どうしても私たちは自分がこの程度で良いだろうと思っているというのは、どうしても私たちの主観が入りますからね。最近もある患者さんの家族からですね、苦情が来たりして、ああやっぱり充分言葉が足りなかったんだなあということを、最近思わせることが一つありました。そういう意味では、やはり、人との接点の中で、本当に人間関係を作りながら、ここまでは言ってもいい、ここまではまだ通じてないということを、測りながら対応していくというかたちが大事だなというのは、本当にその通りだと。その時に、どうしてもこちらが押し売りでやったり、やっぱり言葉足らずでなっているという可能性の謙虚さというものを持っておくという事が大事だと思うのです。本願寺のカレンダーに、「愚かさとは、深い知性と謙虚さである」、という言葉が、何年か前のカレンダーにありましたけれども、やっぱりそこに自分の愚かさという事の、仏の智慧に照らされた自分の愚かさに気づく者は、やはりそこに自然と謙虚というものが身に備わるんじゃないかなと思っております。自分の事でも、そういうことに心がけたいなと。 問 今、先生の言葉を聞きながら少し思ったんですけれども、私はどっちかと言うと僧侶寄りの考えを持っています。で、あの「これが真実ですよ。阿弥陀様のこの大事ですよ」ということを感じて、「分かって下さいよ」という言葉を言ったとしても、「機の深信に法の深信あり」みたいに、それが一致した時は、必ず真実だと思うんです。でも、それが一致しない時は、相手にとっては真実ではない。そのことを、こちら側が考えた時にその「愚かさ」ということにつながるんではないかなと思います。ありがとうございました。 ( 宗学院論集第84号に掲載、2012年 ) |
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