『現代日本の医療文化と仏教文化』
田畑正久
「生死を超える絆、親鸞思想とビハーラ活動」
2011年度 龍谷大学 人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター研究叢書(平成24年3月)p3-18


はじめに
 高齢社会に急激な速さで突入しようとして、現在の日本社会にさまざまな課題が露呈してきている。中でも多くの高齢者が否応なしに直面する老病死にいかに対応するかという課題である。日本には、世界に誇れる国民皆保険制度があり、また虚弱高齢者を支えるシステムとして介護保険が造られ順調に運営されているが、それらはいわばハード的な一面である。高齢者を支える心や精神面での対応は日本の医療制度の弱点であると思われる。
 宗教色をなくした医学教育によって育った医療関係者が支えている医療の現場では、身体的な老病死に対しては救命・延命手段が講ぜられているが、全人的な対応の求められる生活や生命の質を問題とする場面も多く発生しており、その対応はうまくなされているとは言い難く、種々の課題を抱えている。
 医療と仏教の協力関係構築に向けた取り組みには、医療と宗教(仏教)の密接な協力関係が期待される。本論考では、両者の背景にある医療文化と仏教文化の課題を検討して、同じく生老病死の四苦に取り組む両者の協力関係の構築への方向性を見出していきたい。

1.医療文化と仏教文化の背景にあるもの

(1)医療文化の背景
 現代医療はサイエンスを基礎としている。サイエンスの根本原理は、客観性と再現性である。いつでも、どこでも、誰がやっても、ほぼ同じデータが得られるときに、その結論がサイエンスの枠組みに組み込まれていく。医学も科学的合理思考でサイエンスに基づいて人体に関する知見や経験を積み重ねて来て、その結果が医療に応用されている。
 サイエンスにおいては、個人的な個別体験はデータから極力除かれるように配慮されており、そのためには、「誰が何をした」と主語を使って表現するのではなく、主語を消して「何が起こった」と客観的に表現することが尊重されている。客観的な事実やその統計資料にもとづく医療( EBM , evidence based medicine)ということである。 しかし、この思考では自分を見る視点が表面的で自分の内面性を課題とすることが抜け落ちる傾向にあり、あたかも自分が除かれるような弱点をもっている(※1)。
 普通の常識では、主観と客観とがあって、客観が主観に映っている、私が見ていると思っている。内に見ている私(主観)が居り、外に花が咲いている(客観)。そこで花が咲いているという認識が起こるのである。 「主観は客観を離れた主観、客観は主観を離れた対象である」というのが我々の考えである。 外にある花が、目を通し見て、鼻を通して花の匂いが入ってきて、花が咲いたと認識すると思っている。目の網膜に目のレンズを通して、外にある花や木、山や川が映って、それを私の脳が認識していると思っている。我々はそう信じて疑わないのである。しかし、それは脳が造り出した錯覚である可能性がある(※2)。
 科学的な思考は唯物論的な思考になる傾向があり、人間の心の内面とか、精神的な活動や実存的な課題に対しては客観的な事実、事象として把握しにくいために研究の対象となりにくく、意識の中枢と思われる脳の科学的な研究などはまさに始まったばかりである。精神活動はまだ未解明の部分が圧倒的に多いと推測され、心の内面の課題は私的な領域で、客観性を尊重される医療の領域では無視されてきた傾向がある。

(2)仏教文化の世界
 一方日本において仏教は、江戸時代からの檀家制度の影響により、一般的には家の宗教であって、個人の宗教だという意識は余りない。葬儀や法事としての関心事ではあっても生きた人間を相手にした仏教という理解は非常に少ない。 しかし、本来の仏教は生きた人間を対象として医療に密接な関係を持つ生老病死の四苦の課題に取り組んできた、貴重な文化の思索の蓄積を持っている。
 仏教が日本文化にどう貢献したかというと、「内観の一道」といわれている。「人間の目は外の事象を見て、認識していくのが自然のあり方である」と現代人は考えている。そして戦後の日本の発展を支えたのは科学的合理思考の結果であり、現実生活では物の豊かさを享受している。そのために現代人の多くは、「仏教が教える智慧の世界を無視しても世俗の生活に不自由はない」と思ってしまっているかのごとくである。
 仏教の智慧は物事の背後に隠されている意味、物語を感得する智慧ということができる。それは釈尊の悟りの内容として、経典を通じ、時代、地域、社会を超えて、具体的に生きる道として受け取った人々を通して、今日まで思索が深められて、伝えられてきた仏法だということができる。
 「私とは一体何か」「どこから来て、どこに行くのか」「人間として生まれたこの意味はあるのか」「生きる意味は何か」「死とは何か」「死んだらどうなるのか」などの人間の存在の基本的、実存的な問題に答えを与え、気づき、目覚め、悟りの内容として、多くの人を、迷いを超える道、具体的に人生を歩むことのできる道、仏道に導き、民族宗教を超えた普遍性のある法として伝えられてきたのが仏教である。
 特に善導・法然を通して親鸞にいたる浄土教は、在家者、庶民の無条件の救いを、本願、念仏によって実現するものとして深められてきている。

2.文化の違いから起こる種々の問題
 明治時代以降、日本の医療は宗教性を極力排除して展開されてきた。そのために科学的合理思考は医療の発展に大きな貢献をし、結果として、今日の世界に誇る平均寿命の長さをもたらした。特に栄養不足や感染症に対しては医学の進歩と公衆衛生的な改善が大きな貢献を果たした。そして、その結果として急激な高齢者社会に入ろうとする日本の現実がある。日本人として生まれた人の半分が80歳を超え、男女合わせて平均寿命82歳を超えるようになった。しかし、私が、医療や福祉の現場で出会う多くの高齢者は、長寿を必ずしも喜んでいないように思われるのである。

(1)キュア(CURE、治療)とケア(CARE、看護・介護)
 現代の日本の医療界は医師の発言力が強く、医師の専門とする治療の分野が大きな位置を占めている。治療(CURE、キュア)の概念をわかりやすく表現するならば、「患者が直面した疾病にたいして、老病死はあってはならない、元気で生き生きした健康の状態が本来の『生きている』ことの相であるから、その本来の健康に戻そうとすること」である。
 一方、ケア(CARE)とは人間が老病死するのは自然な経過であり、老病死の過程で引き起こってくる種々の問題に対応してお世話するという概念だといえる。このようにキュアの概念よりも、ケアの概念の方が人間にたいして全人的な把握がなされており、仏教の智慧の眼による把握に近いと思われる。
 病院の中には、集中的に治療をする部門としてICUという所がある。 ICUとは「インテンシィブ・ケア・ユニット(Intensive Care Unit)」の略名で、CAREの英語が治療と訳されてしまっている。日本の医療界は医師主導で運営されている面があるため、ケアを含んだ治療という意味合いもあって治療とされたのであろうが、キュアとケアでは本来その概念に違いがあると思われる。ケアの概念により、人間を全人的に、人間として生まれ、生活して、老いて、病み、死んでゆくことが自然なことであると認識するのは、仏教の視点でもある。
 確かに医療においては、キュアの概念のごとく、外傷や疾病を健康の状態に戻す治療により多くの人々の期待に応える活動を展開し、多くの恩恵を人々に提供してきた。 しかし、一方では加齢現象に起因する病気や治療できない病状へと進んだ患者に対しても、医師がキュアを主にした医療を続けると、すなわち、「老病死」はあってはならないことになる。その治療の先には如何に努力をしても、医療の敗北が待っているということになる。患者も見果てぬ夢を追いかけながら死んでゆく現実がある。 このようにして、医療に携わる者は経験が長くなればなるほど、嫌というほど敗北を味わっていくことになる。
 アメリカで専門医の資格をとって帰国した某有名病院の外科医が「できる限りの私の判断で手術をしたので、あとで状態が悪くなったとしたら、それは患者が悪い」と、敗北感を避けるがごとく自信に満ちた発言をしたことが思い出される。 また一方では著者の先輩になり大分県の外科を指導していたT名誉教授ことが思い出される。T先生は、80歳前後のころ別府市で著者が主催している「歎異抄に聞く会」に参加してくれるようになった。ある会の時、後半の質疑応答の時間に、先生が「手術をしてうまくいった人のことはあまり覚えておりません。しかし、手術したけどうまくいかなかった人のことが、時々思い出されて、夜、眠れなくなるんですよ」と感想を言われた。非常に真面目な先生だと思った。「うまくいけば忘れて、うまくいかなければ敗北で、その原因は何か」と反省されている。自責の念を抱えて現実を背負われて、道を求めておられる道魂に、私は感動した。
 『平穏死のすすめ』という本(※3)がある。著者は、ずっと血管外科医をされていた方であるが。大きな病院の副院長までされてから辞められて、現在は特別養護老人ホームの医師をされている。そこで6年間経験したことを書かれたものである。 その中には、私が驚いたことが二つ書かれていた。一つは、「自分は60歳になるまで、自然死というものを見たことがなかった。特別養護老人ホームに来て初めて、人間が自然に死んでいくのを見た」と。おそらく血管外科医であるから、最先端の治療をどんどんしながら、合併症や多臓器不全で亡くなっていく死は経験されたであろうが、人間が高齢で死んでいくという自然死(老衰)を見たことがなかったと。そしてもう一つは老人保健施設や特別養護老人ホームで、高齢者医療に携わってみると、それまで自分が行ってきた血管外科の仕事は、「対症療法にしか過ぎなかった」と言われていることである。
 医学の世界では、根治的手術とか対症療法という言葉が使われる。 対症療法というのは症状に応じた治療、姑息的な手術とも言われて、何となく低いレベルに見られる手術である。それをあえて「自分が今までずっとやってきたことは対症療法にしか過ぎなかったと気付かされた」と書いているのである。
 医師がおこなっている医療のことを、私は老病死の「先送り」と言ってきた。つまり「『老病死』につかまるのを、5年ないし7年先送りするだけだ」と言ってきた。この医師は「対症療法にしか過ぎなかった」と書いているのである。その意味では、医療の世界で治療に携わってずっと仕事をしてきたとしても、患者さんを長い期間で診ると最終的には「死」を迎えなければならないので、敗北の医療になっていくということである。世俗社会では大多数の人が「幸せ」を目指しながら、結果として、老病死につかまってしまい、まさに「不幸の完成」で人生を終わってしまうことと同じ性質の問題である。

(2)廃品と思わせる
 次に二つ目である。私が外科医を辞めて、一般の高齢者医療をするようになった頃、88歳になるご婦人が高血圧と不眠症で通院してきておられた。ある時彼女は、自宅で意識がなくなり倒れて発見され、家族によって脳外科のある私の勤める病院に救急車で運ばれてきた。脳梗塞か脳出血かと頭のCT、MRI検査をしたけれども、どこにも異常がない。そうこうしているうちに意識が戻り、様子を聞いてみると、私が処方していた睡眠導入薬をたくさん服用したということであった。薬剤の影響がなくなると、すぐ退院となった。 そして、また私の外来診療にお嫁さんと一緒に来られた。 お嫁さんが「先生、この前ね、おばあちゃんが薬をいっぱい飲んだんですよ」と、おばあちゃんがすかさず「わしゃ、あのまま眠りたかった」と言われた。そして、「私なんか役に立たん、みんなに迷惑をかける、本当なら姨捨山に捨てられてしかるべきなのに、あのとき、あのまま眠りたかった」と言うのである。このことは、どういうことかと言うと、「自分は廃品だと決めつけている」というわけである。
 フランスの思想家ボーボワールは「老い」という本の中で、「人生の最後の10年、20年を廃品と思わせるような文明は挫折していることの証明だ」と書いている。すなわち「仏教なんかなくても生きていける」と豪語している科学的合理主義による医療文化が最終的に「患者に役に立たない、迷惑をかける」と思わせるということは、その思想・考え方は壁にぶつかっているということを証明していることになる。

(3)理知分別は身体の責任者として全うできない
 三つ目は、私の受け持っている患者で、87歳になる元中学の数学の教師、東本願寺の門徒さんである。ちょうど80歳前後から受け持っていて、糖尿病、高血圧、C型肝炎があった。C型肝炎がガンになる確率を少なくする注射のために、週に3日ずっと通院されていた。非常に真面目に来られるし、祭日と重なって注射の日が1日欠けることを非常に気にする方であった。「先生、真面目に来られますね」と、私が言うと、「ガンになったらおしまいですからね」と、しきりとガンになる取り越し苦労をしておられた。週に3日の会話の中で人間関係が十分にできた頃、私が、「先生、そんなガンになる取り越し苦労ばっかりせんで、もうちょっと鷹揚(おうよう)に生きたらいかがですか、仏教の勉強をしませんか」と誘いをかけたところ、「わしゃ、まだ早い」と言って関心を示さない。その後、種々の対話の中で、その方が「ガンになったらおしまいですね」と言われたので、私が「先生、先生の家は浄土真宗でしょう。南無阿弥陀仏の意味がわかったら、もうちょっと鷹揚に生きていけますよ」と言ったら、「訳の分からない南無阿弥陀仏だけは言いとうない」と、言われた。
 しかし、一昨年の秋、この患者の肝臓にガンが二つ発症した。今までは健康で長生きで、この方向で良いと思っていた方向性がグラグラッと揺らぎだしたら、何か感情失禁のような反応が出てきたりする。そして、最近はちょっと落ち着かれているが、対話の中で、ふと「運命だ、あきらめるしかない」と発言されたのである。
 「訳のわからん南無阿弥陀仏だけは言いとうない」と言う主体の理性・知性の分別により、今までの人生を、訳のわかるものを集めて堅実な人生を歩んできたのである。しかし、最後の最後になって、自分を自分たらしめている理知分別が理解したり、把握できない「運命」に身をゆだねざるを得ないことを表白されたということは、自分の体全体の責任者として、「私の分別を全うできない、自分の身体を引き受けて生きていく主体性を全うできない」、ということを示しているのである。
 今まで自分の分別で「これは間違いないものだ」という確かなものを積み重ねて、堅実な人生を歩んできて、「南無阿弥陀仏なんて、訳がわからんから嫌だ」と言っていた者が、それをずっと通していくならば「運命」ということは言うことはできないだろう。しかし、最後になってきて、「運命だ、あきらめるしかない」と発言することは、まさに自分の理性、知性、分別が自分の体の責任者として全うできないということを露呈したということである。

(4)死亡診断書の課題
 日本では死亡診断書は医師しか書くことができない。そして死因の病名を書くように指針で示されている。死亡診断書の課題は既に論じた(※4)ので簡単に示すが、死因を病名で書くことで医療人も国民の多くも、人間が死亡する原因は病気や外傷によると考えるようになっているのである。
 例えば、冬になるといつもインフルエンザが流行する。そうすると新聞に、某老人保健施設で3人、インフルエンザで死んだ、などと報道されることがある。老健施設でインフルエンザで3人も死んだ、あたかも病院・医療施設が何か手抜きをしていたのではないか、医療的な対応が悪かったのではないかという、犯人探しに近い報道がなされることがある。
 二人の寝たきり状態の虚弱高齢者がいるとする。どちらかの一人がインフルエンザにかかったとして、予備体力のないその人は風邪が肺炎へと進み死亡したという現象が起こった。二人のうち一人は風邪も引かず、小康状態が続いている。一方、インフルエンザに罹患した人は病状が進み死亡した。両者の違いはインフルエンザにかかったかどうかの違いである。そうすると死亡の原因はインフルエンザにかかったことが決定的な要素になるので、死亡原因はインフルエンザいうことになる。そこで死因はインフルエンザと書くことになる。 しかし果たして、死因はインフルエンザと言ってよいのであろうか。
 現象を細分化して一因一果の因果律で分かりやすく思考していくと理論的にはインフルエンザが死因となるであろう。 しかし、一人の人間の全体像を大きな視点で見ると、人間として生まれたことが死ぬことの根本原因であって、病気はその縁なのではないであろうか。 科学的に表現するならば、人間として生まれたことは、結果として死ぬということを必然としている。それが死の根本的な原因なのである。そして死の縁は無量であるが、 具体的に示すならば交通事故のような外傷や、種々の疾病などとなるであろう。
 前述の二人のことを客観的な目で検証してみると、二人は人間としてうまれて、健康状態が続いていたが加齢現象で平均寿命をすでに超えて、超高齢者となり、しだいに体力が低下して、栄養状態、免疫状態も悪化して寝たきり状態になっていた。家庭での対応は家族の種々な条件のために無理だということで施設介護となって久しかった。肺炎に何度かかかったが、今まではなんとか体力があって回復した。そんな状態の中でそのうちの一人がインフルエンザにかかり、種々の治療の甲斐もなく死亡した。そんな状況があるがままの事象であったとすると、死亡診断書の死因はインフルエンザと書くのが普通である。 しかし、二人とも寝たきり状態ということは、人間の体力でいうと、7,8割の体力は損なわれ、何かのきっかけがあれば、病状が悪化して、いつ死んでもおかしくない状態になっていたというべきであろう。 何かきっかけがあれば、すぐにパタッと落ちるような低空飛行をしている状態に、インフルエンザが駄目押しをして落ちた、即ち死亡したということである。
 医療界では、人間が死ぬ理由を病気だと決めつけている一面があり、それは人間の生命現象の全体像の把握においては不十分であるといってよいのではないだろうか。その影響で一般の人々も人間が死ぬのは病気が原因だと考えるようになっている。
 ある小学校低学年の女の子が、長年その子をかわいがっていたおばあちゃんが病院で死んだときの父親との会話である。
 女子:「お父さん、病院って、病気を良くするところでしょう」。父親:「そうだよ、病院は病気を良くしてくれる所だよ」。女子:「それならおばあちゃんは何故死んだの……」、「おばあちゃんが悪かったから……」。それとも「わたしたちが悪かったの……。」、「それとも病院が悪かったの…」。父親:「………」と黙らざるを得なかったという。
 医療関係者は「治療によって病気はよくなる」というメッセージを患者に発信するから、患者が死亡した時に、その原因の犯人探しをすることが起こってきている。それが極端になると「病院で死亡したら、医療ミスか、医療過誤か……」、と疑われる、ことが起こっている。
 専門医として細分化した日本の医療現場では、40年間近くの経験で自然死、老衰死を経験したことがなかったという医師もいるくらいである(※3)。
 これはある僧侶が言うように、「死亡の原因は人間に生まれたことが一番の原因であり、それを病気が最後のあと押しをした」と、見るべきであろう。 仏教で言うならば、「ご縁であった」と言うことになる。人間の死については、仏教が教える「縁起の法」として理解するほうが全体を把握できていると思われる。

4.科学では見えないもの
 科学的視点で見えないものとして、時間が見えない、空間が見えない、今、自分に何が起ころうとしているのか、その自分の未来の姿は何か、自分の心の様々な動きが見えない、他人の心が見えない、というようなことが言われている。(※5)
 我々の分別は世俗の中で「科学で世の中のことは全部把握できる」と豪語しており、戦後の物質的な豊かさの成功体験がそれを大きく支えている。親鸞聖人の在世の時代は科学の未発達な時代であった。地震や飢饉など天変地異が起これば、そこに何かサムシング・グレート(Something Great)が関与しているかも知れないと、自然霊、人物霊を神様として祈願をしていた。その意味では迷信というものがはびこっていた時代に、親鸞聖人は、迷信や日時の方角を選ばないなど、そういうことを一切拒否されていた。なぜでならば、それは親鸞聖人は智慧の目によって無明性を超えておられたからであろう。
 自分の心のあり様が智慧の光に照らされてはっきりしていた(無我)からだと思われる。仏の光に照らされたときに、自分の愚かさに気付き、霊や迷信などに振り回されなかったのである。
 科学の発達した現在、天気などの自然現象も多くは科学で解明されるようになった。そのために迷信などに振り回されなくてもよくなったはずである。そして科学的な思考に従って、宗教などなくても生きていけるという考えで、進んでいくように思われる。しかし分別で対応できない壁に直面した時、その傲慢さのために、宗教的な方向を志向する時には、宗教文化の蓄積を無視してアニミズム(原始宗教)の宗教へと里帰りする(※6)といわれており、実際、そのような現象が見られている(※7)(※8)。
 自然科学の発達により多くの現象の説明には神というものを必要としなくなってきたが、人間の老病死の課題はまだ、解明されずに残っていて、現在我々人間の心を苦しめ悩ませている。 そこにおいて、宗教的な無明性が一段と深まっている時代ではないかと思われる。
 このようにして、「仏教などなくても生きていける」と豪語している医療文化のなかで、いろいろな歪みや弱点が吹き出してきている。では、宗教と医療との協力関係を築くには、どのような方法があるのであろうか。

5.仏教文化の支えがあってはじめて医療文化が花開く
 私たちは、この医療と仏教は並列してあるように思いがちであるが、よく考えてみると、この世俗の世界は、仏様の世界が包含していると見るべきであろう。私の迷いの姿を知らせるという働きにおいて、仏があるのである。我々の無明性に逆対応して仏は真(まこと)なるはたらきを展開している。医療が、仏教文化の基礎の上に医療文化それ自身の有限性を自覚しながら展開されるとき、医療は本当に生きた実(みのり)あるものとなり、人類に恩恵をもたらすことができる6のではないだろうか。
 今村仁司氏は人間という存在を「欲望する存在である」(※9)と定義している。私たちは「欲望する存在」であるから、自分の思いや欲が満たされると、「よかった」と満足する。その思考の延長上に欲望が満足されることが救いだと思うようになっている。
 臨床の現場において、悪性腫瘍の根治手術をして良くなった時、患者は「救われた、助かった」と語るが、それは人間の全体が救われたのではなく、単に病気が治っただけなのである。一時的な思いや欲が満たされたということだけで、1年も経過すると、いつの間にその事を当たり前と思うようになって有り難みはなくなっていることが多い(※10)。 しかし、宗教が教える救いは、もっと深い存在の基礎の部分、「存在の満足」(※9)の世界を私たちに教えてくれると、今村氏は自身の思索を通して指摘し、自己の実存、身柄全体を引き受けて生き、そして生ききる責任主体となっていく道を示している。
 三木清が、『人生論ノート』(※11)で「幸福」について述べる中で、「幸福とは人格である」という表現をしていることは今村氏の思索に通じるところである。
 仏教は我々の存在のあり方とか人格性に深く関わっている。そして我々の存在の背後に隠された意味や物語性に気付き、目覚めさせる働きを説く教えとして伝えられてきた。
 松田正典氏(※12)は科学技術の教育に携わり、かつ、仏教との接点を持ち続ける中から現代文明の課題を良い方向に持って行くためにアミタクラシー(※12)という概念を提唱し、その基礎の上にメリットクラシーを展開する必要性を訴え続けておられる。
 私は、これまで仏教と医療の協力という並列関係での協力ということで捉えていたが、その協力関係のあり方は並列的ではなく。仏教文化の支えがあってはじめて医療文化が花開くのであろう。これを世間的な例えを使って言うならば、インフラ設備という基礎があり、その上に世俗の便利で快適な生活空間が展開されるのに似ている。世俗の表面的な問題だけではない。トイレを最新の水洗トイレにしても、下水道関係の整備がなされてなければ、水洗トイレも十分に機能しない。見える世界は目に見えない世界によって支えられているのである。人間存在のあり方に智慧の光を当てて知らされる、存在の満足という世界への目覚めが非常に大事なのである。
 医療文化が本当に生きて働くのは、仏教文化が底辺にあった上で、医療文化が展開される時なのである。その時こそ、患者さんも本当に救われ、家族も救われ、医療人も働いていてよかった、家族もよかったという世界を、皆で共有できる世界が生まれるのではないだろうか。

6.老病死にどう対応する
 医療文化のよってたつ科学的合理主義、すなわちサイエンスは、主語を消して「何が起こった」と客観的に表現することが尊重されて、客観的な事実や統計資料にもとづいて思考されている(EBM、 evidence based medicine )。病気や治療の説明には納得できる情報を提供するが、病気を抱える一人の人生における意味や物語性(※13)について、哲学・宗教的な面からの配慮ができにくいという弱点がある。また情緒的な事柄は患者の個人的な内面の問題であるから、医療の現場では扱うべきではという雰囲気が長く続いてきていた。
 しかし、生命に関わる病気で、まさに老病死の課題に直面した時には、患者やその家族から発せられる苦しみ、悩みにおいては、病気観、人生観、死生観、価値観をも含んだ全人的な問題点が表白されてくる。それは病気や治療の合理的な説明だけではカバーしきれない領域の広さを含んでいる。そこにある問題は人間存在そのものに起因する、実存的な課題でもあるからである。
 現代の医学・医療は、「ひたすら老病死を先送りする不老長寿」を目指して人間の叡智を総動員してきた。 しかし、その目的は永遠に適わないであろう。すべての不老長寿の試みは失敗に終わるのは自明のことである。自然の流れに逆らう不老長寿が実現したら、多分悲惨な社会になって逆説的に人類の自滅の道になるであろう。
 不老長寿の取り組みが、結果的に実現しなくても、その取り組みのなかで種々の疾病に対する知見が増えて、治療方法は改善されていくことは期待される。そのことで限りなく長寿に近づくことも大事であろうが、一方で天寿(即ち、与えられた寿命を精一杯生き切ること)を完全燃焼して生ききることの大事さにも気付く智慧の世界に目覚めることは、より大切であろう。人類の思索の蓄積である、哲学、宗教、仏教も人間の貴重なる叡智に含まれていることを知るべきである。
 阿弥陀仏の本願の教え、南無阿弥陀仏の生起本末を聞きひらく歩みにおいて、自分の愚かさ、凡夫性、煩悩具足の私を知らされる。その救われがたき「私」を目あてに本願が届けられようとしていることに驚かされる。仏の心、念仏をいただく私の歩みにおいて、不思議にも摂取不捨と収め取られ、永遠の今を生きる世界に導かれる。そこには生死を超えた「念仏の中の生活」が展開する。命の時間的な長い、短いに捉われずに、今、今日を目的の如くに精一杯、念仏して生き切る存在たらしめられる場との出遇いである。(※14)
 念仏の歩みおいて、我々は深い宿縁を知らされ、人間として生まれたことの有り難さ、そして仏法との出遇いのかたじけなさを喜ぶのである。(※13)
今、ここで生かされていることの背後にある意味を感得して念仏する者は、多くのものによって生かされている、支えられている、教えられている、願われているという、見えないけれどもある世界を感得する智慧をいただいた人格と転じられる。三木清はそれこそ、本当の幸福なだと実感したのである。三木清は『人生論ノート』の中で「幸福を武器として闘う者は倒れてもなお幸福に死んでいく」と書かれている。そして、「本当の幸福が手に入った者は、いわゆる世間的な幸せと思われるようなものを、外套を脱ぎ捨てるみたいに脱ぎ捨てていって、いうならば素っ裸になっても、私は私でよかったという世界を生きることができる」と書いている。まさに、そこに生死を超えた行者の、仏教の智慧の世界を生きる生き様を教えてくれている。

まとめ
 科学的合理思考のサイエンスによって立つ医療文化、人間の知恵を総動員した取り組みで長寿が実現しつつある。その伸びた時間を本当に喜び、私は私でよかったと生き切る時間にするためにはどうするべきであろうか。我々人類には量的な多さ、長さの追求は、それはそれで大いに尊重されるべきであるが、その実現は有限である。現代日本の医療現場に身をおく時、量的な捉われから開放されたて、量的世界から質的世界への転換が求められていると思えてならない。
 生老病死の四苦、とくに老病死に対応するためには、人間として生まれさせていただき、この世で多くの恩恵の基礎の上に生活をさせていただいていることへの気づきの基礎の上で考えることが大切ではないだろうか。生きることの必然として加齢現象があり、老病死は自然なことである。仏教の智慧では老いも、若きも、一日一日の生活はそれ自体で完結しているのである、時間・空間や量的な捉われは念仏によって超えられるのである。それは決して未来のための今日ではない。
 生かされている限りは最新の医療を含めて、あらゆるものを利用して長生きしようという思いはある。しかし、それもご縁の中でのことである。その煩悩性、無明性は、念仏して慚愧するしかないが、与えられた時間、仕事は仏からの戴き物として精一杯生き、念仏して我々の業を果たさせていただくのである。まして現代医療によって延ばしていただいた、戴き物の生命(いのち)を、「生かされている、願われている」との気付きによって、自分の役割、使命、仕事を引き受け背負うことができ、その中で精一杯生かされるのである。
 「能力があるから、経済力があるから、技術があるから、年齢が若いから」などを理由に最新の医療を受けるのは当然のこととして、医療の恩恵を受けて、限りなく自分の欲や思いを実現するために与えられた生命(いのち)を酷使して恥じないことでよいのだろうか……。生死の迷いは、惑・業・苦と苦しみに連鎖を繰り返すしかない。
 人間存在の本質的なところへの目覚めを促す仏の智慧、仏教文化を基盤として、まさに「人身受けがたし、今すでに受く。仏法聞きがたし、今すでに聞く……」の気付きの世界を共有して、医療が展開されるとき、医療関係者と患者・家族が共に老病死に対応し取り組む仲間として歩み行く方向性が出てくるであろう。
 医療だけで生老病死の四苦の一時的な先送りをして、一時的な救いに似た感覚は得られることもあるであろう、しかし、それは末通ることではない。仏教文化の基盤の上に医療文化が展開されるならば、治療の効果の有無に関係なく「人間に生まれて良かった。生きてきて良かった、南無阿弥陀仏」という世界に導かれるであろう。このような存在の満足、智慧の世界、仏教文化が世俗の文化を支えているのである。
 私の迷いの姿、私の愚かさを照らし出す働きにおいて、仏さんは働いているのである。その働きを私たちは、「南無阿弥陀仏」という念仏を通して知らされていく。「本願」・「南無阿弥陀仏」をいただくことを通して、いのちの仲間としての人間関係が成就されるならば、医療の現場に身を置く患者は、家庭のことは家族、職場のことは同僚に、医療のことは医師・看護師にしっかりお任せするという安心の世界を持てるであろう。そして「生命(いのち)のことは、仏さんがいらっしゃる、生きる、死ぬは仏さんがよいようにしてくれる」と仏さんにお任せして、自分の業を引き受けて生きさせていただく存在となれるのである。
 医療者が仏の心をいただけば、煩悩に振り回されることが少なくなり、より理性的に、より知性的に患者のために、生命・生活の質(QOL, quality of life)をも考慮に入れながら医療を虚心坦懐に果たすことができるであろう。
 仏教文化を基盤して生きることができれば、人間に生まれたことの意味、生きることで果たす自分の役割・仕事・使命にも気付かされ、「この世での仕事が終わったら、ちょうど良いときに仏さんがお迎えに来る」、ということもうなずけるようになる。
 迷いの存在であったものが、人間に生まれさせていただき、仏教の教えに出遇って、迷いを超える道に立たされる。この世を最後の迷いとして、往生浄土して仏に成らせていただくのである。そういう物語を生きる存在たらしめられる者は、この世を凡夫としてあるがままを、あるがままに受け取って、煩悩の身のままに自由自在に生き切る道に立つのである。
 医療文化を支える基盤(基礎?)としての仏教文化、その両者がうまく働いていくことのできる場、それを浄土と言うことができる。生きることの安心を実現する場を浄土として多くの人が共有できるならば、医療は多くの人にとって救い成就の場となっていくであろう。そういう社会の実現が願われることである。


(※1)田畑正久『医者の目、仏のこころ』、法藏館、2011年4月
(※2)クリス・フリス著・大堀壽夫訳『心をつくる、脳が生みだす心の世界』岩波書店、 2009年
(※3)石飛幸三『平穏死のすすめ』講談社、2010年
(※4)田畑正久「老衰という死亡診断書について(医療文化と仏教文化の課題)」(『死生観と超越、仏教と諸科学の学際的研究』、2010年度報告書、龍谷大学人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター、2011年3月、p.243-248)
(※5)岡亮二「分けると、分かる」(『科学と迷信』龍谷大学文学部ミニ講義編集会、2001年3月、p.45-49)
(※6) 二葉憲香『無宗教時代と仏教』、百華苑、1961年
(※7)村田久行「らしんばんケータイと霊視」『緩和ケア』vol.1、No.5、2007年、p383-384
    霊を見ることのできるという自称、スピリチュアルカウセラーの医学界雑誌への投稿はふさわしくないのではないかと雑誌からの退場を促している
(※8)矢作直樹『人は死なない』バジリコ株式会社、2011年
    霊と対話を媒介する人を介して、亡くなった母の霊と対話することで安心したとの趣旨を書いている
(※9)今村仁司『清沢満之の思想』 人文書院、2003年
(※10)延塚知道、「真宗シリーズ 如来の大悲に育てられて」『同朋』 2012年2月号、p42-47
(※11)三木清『人生論ノート』 新潮文庫、1954年
(※12)松田正典『真実に遇う大地』 法藏館、2007年
 イギリスの社会学者・マイケル・ヤング(Michael Young)は、1958年に発表した小説の中で、当時のイギリスの社会を、「メリトクラシー」(meritocracy、マイケル・ヤングの造語 『メリトクラシー』至誠堂選書(1982))、すなわちメリットがない人間は生きていくことができない社会である、と風刺した。現在の日本は、50年前のイギリスと同じ状況にある。メリットかデメリットかの「ものさし」で計る科学技術文明は、功利主義、能力主義、成果主義の尊重された文明観である。社会にとってメリットのない人間は切り捨てられ、役に立つ人間だけが尊重される。
 松田正典は、「アミタクラシー」(amitacracy)を提唱している。それは、あらゆる人間が如来によって、役に立つか否かとは無関係に、あらゆる人間がその価値を認められ、生存を保証されて生きていくことのできる社会である。 「アミタ」(amita)というのはサンスクリット語で、量ることを超えたという意味で、漢訳仏典では「無量」と訳されている。したがって、「アミタクラシー」(amitacracy)とは、「人間の価値というものはいかなる尺度によっても量ることができない」、という仏教文化による社会のこと。阿弥陀の本願力によって煩悩具足の私が往生浄土させていただくという確信を得て、往生浄土の道を生き抜くという仏教文化である。
(13)田畑正久「医療・福祉の現場で求められる「物語性」についての考察〜人間に生まれた物語性〜」『真宗学』 第123・124合併号、2011年3月、p.125-144
(14)田畑正久「仏教と医療の協力」『仏教文化研究所紀要』 第47集、2008年12月、p.139-161。

(C)Copyright 1999-2017 Tannisho ni kiku kai. All right reserved.