講演録「死生観と医療」
田畑正久
日本統合医療学会誌 2014年第7巻1号 p75-81


はじめに
 今回、「死生観と医療」というテーマで講演する機会をいただきました。多分、私が龍谷大学の大学院、実践真宗学研究科のスタッフとして「医療と仏教の協力関係」構築に向けての取り組みをしているからだと思います。
 私は一般外科、消化器外科を専門として仕事をしてきました。それとは別に、私は大学生の時、仏教のよき師に巡り会い、仏教、特に浄土真宗を通して継続した仏教の学びをしてきました。その関係で現在は京都の龍谷大学の真宗学の分野で学生さんと一緒に学びを続けています。

仏教との出遇い
 話を進める前に、私と仏教の出遇いについて、短くご紹介します。その内容は医療と仏教の関係を考える上でも大事になりますから。
 私は戦後の教育を受けましたから、仏教に関しての知識は歴史か倫理の授業で聞いたぐらいでほとんどありません。しかし、仏教に対しての偏見は持っていました。仏教は現代では役割を終えて、科学の発達してない時代の遺物みたいなもので、昔の科学教育を受けてない人が、死ぬ前に藁をも掴む思いで「南無阿弥陀仏」と念仏しているようなものだと思っていました。
 縁あって化学の教授で仏教、浄土真宗のお話をされていた細川巌先生に出遇い、以後40年近い浄土真宗のお育てをいただいています。平成8年に先生は76歳で亡くなりましたが、最初に聞いた先生のお話が印象的でした。
 我々は生まれたままでは殻の中にいる卵みたいな存在である。分別という殻の中で、幸せになろうとして、幸せのためのプラス価値になるものをできるだけ増やし、マイナス価値のものを減らしていこうと考えている。そして善悪、損得、勝ち負けを考えながら生きていくことになる。しかし、卵の中の存在は善悪、損得、勝ち負けに振り回されながら、いくら頑張っても卵は遂には腐って死を迎えるしかないのです。しかし、卵は腐って死ぬために生まれてきたのかというと決してそうではない。卵は親鳥に抱かれて熱を受ける、親鳥とはこの世でのよき師、よき友である。熱とは仏の教えである。仏の教えを受けるうちに物を見る眼、考える頭、食べるくちばし、羽ばたく羽根、歩む足ができて、時機熟して、ヒヨコになる。ヒヨコになることを禅仏教では「悟り」といい、浄土教では「信心をいただく」という。ヒヨコになってみてはじめて、自分が分別という殻の中で自己中心の思いで生きてきたことを知らされる。そして、その殻を超えた大きな世界、仏の世界のあることを知るようになる。ヒヨコになったものは大きな仏の世界から、仏の教えを受けながら親鳥になっていく、これを仏になるという。
 こういう喩えを聞いて、自分の今までの22年間の生き方は卵の殻の中の生き方であった。世の中はそれしかないと思っていたのに、それは殻の中の狭い世界である、それを超えた大きな世界があるということをはじめて聞いて、驚きました。是非その大きな世界に出てみたいと思って、質問の時間に、「どうしたら、その大きな世界に出ることができるか」と質問をしました。すると先生は、「毎月この会座をしているから一年続けてみてください」と言われました。それが私の仏教の学びの始まりでした。

計算的思考
 医学・医療は科学的思考で物事を理性的に考えていきます。科学的合理思考で多くの進歩がなされてきました。しかし、科学的思考は哲学的に計算的思考といわれて、物事のからくりを解明して人体や病態のメカニズム(機序)を理解する面では大きな貢献を果たしています。その結果を利用して、医療において人体や病態を理解して管理支配をしていこうとします。しかし、人間全体を、人生という全体像を考えようとする時、対象があまりにも大きすぎて、そして未知なるもの、客観的に表せない領域も多いので理性知性分別の計算的思考で管理支配することは無理だということが分かります。

(根源的)思考
 人間の思考に計算的な思考とは別に全体的、根源的思考があるとマルティン・ハイデッガー(1889−1976)は指摘しています。全体的思考とは「物のいう声を聞く」という姿勢で考える。管理支配しようとしない思考であるという。仏教の思考は道元禅師(1200-1253)が「仏道をならうというは、自己をならうなり、自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法に証せらるるなり」で示されるように、最後の部分の「万法に証せらるるなり」とは全体的思考と通じるもので「万法」とは、いろいろな物柄、現実という意味で、この現実は私に何を教えようとしているのか、というように「物のいう声を聞く」姿勢を教えている。
 世間の知恵は「物の表面的な価値を計算する見方」であり、仏教の智慧は「物の背後に宿されている意味を感得する見方」ということが出来ます。科学的思考では数字や形などで示せるものは客観的に皆が認識できて評価されるために、そういう客観性のあるものを確かなものとして認め、白黒はっきりしないものや、形で表せないものは除いて考えていく思考です。計算的思考の科学的思考は工業製品を作る上では大きな力を発揮しますが、「人間とは?、人生とは?」という課題には、対象が大きすぎたり、未知なるものが圧倒的に多いために十分に機能しません。

医学の思考
 医療の基本は科学的思考で病気や身体を考えていきます。その時に尊重されるのは客観的事実です。そういう医学を Evidence based medicine (EBM) と言っています。 科学の進歩に沿って医学、医療は大きな進歩を遂げました。その恩恵を我々は現在享受しています。
 しかし、人間全体、人生の全体が問題となる時、科学の計算的思考は不十分な所があると仏教は指摘するのです。予定外の病気などに罹患して、人生を考えなおさざるを得ない時、「人間として生まれたことに意味はあるのか?」「生きることに意味はあるのか?」「死んでいくとはどういうことか?」という課題には対応できません。
 科学的思考では言えば、「死んでしまえばお終い」「いのちあっての物種(ものだね)」という考えで医療は救命、延命に取り組んでいるのです。最近同級生の小児科の医師から相談を受けました。彼が主治医の神経難病の子供が10歳代で入退院を繰り返し、酸素吸入が必要となってきた。その母親は一生懸命に看護・介護をしている。その母親にどういう対応をすれば良いのだろうか、という相談でした。「死んでしまえばお終い」という発想では、老病死は不幸の完成になるのですから母親に対応する言葉かけは難しい、いや、できないでしょう。
 そこでは関係者の人生観、価値観、死生観などが問われます。そういう意味で仏教の死生観はどうなっているのかがみなさんの関心事だろうと思います。

死にゆく者の道しるべ
 平成24年4月より東北大学の文学部に臨床宗教師を育てるコースが始まりました、国立大学にです。その課程が始まるにあたっては大きな貢献をされた、岡部健医師の存在があります。岡部医師はガンの在宅での緩和ケアに長年取り組まれているうちに、自分が進行した胃がんであることが判明して、これからどう生きようかと思索する中で、「日本の文化に、死にゆく者の道しるべを失っていることに驚いた」と言われています。
 医療は治癒を目指して、どんな病気でも、本来の若い時の元気な状態に戻すことを目指します。老病死はあってはならない状態と考え、元の健康な状態に戻すことを使命として取り組んできた為に、いざ、自分が老病死に直面した時、その老病死の受容の方向性の文化的蓄積がなくなっていることに驚かれたということでしょう。それは戦後から今日までの日本の文化状況を言い当てています。

仏教の教える物語
 EBMに対して物語に基づく医療、Narrative based Medicine (NBM)ということが医学界でも10数年前から言われるようになってきていることはご存知だと思います。科学的な思考は物事のからくりを解明するのは強いが、物語を示すにはどうしても弱いところがあります。「自己的な遺伝子」(1976年)という本を書いた英国の動物行動学者R・ドーキンスが、人間とは遺伝子に操られた乗り物みたいなものだと表現しています。その思考の先には生きる意味はない、虚無的な世界観になるしかないでしょう。
 仏教では三世(過去・現在・未来)にわたる救いを説くと言われています。仏教の思考と世間の思考の違いは最初に示した卵の喩えがそれを教えてくれています。我々の普段の思考は科学的思考の訓練を学校教育で受けてきました。医学・看護教育も同じ思考方法によっています。その発想は理性、知性、すなわち分別を拠り所としています。科学的思考は仏教の智慧からみると十分に全体像を把握してないと教えるのです。どうしても表面的な思考になり、背後に宿されている意味などは把握できないのです。
 仏教は自分の姿を照らしだす鏡であるといいます。物事を対象化して外界の現象を説明する道具(方法論)ではないということです。仏教が日本の文化に何を貢献したかという問いに「内観(内省)」という分野だといわれます。内観とは仏の智慧、無量光によって照らし出されて見えてくる自分の相(すがた)を知るということです。仏教の智慧に照らされて、自分の愚かさ、迷いの姿に気付くところから気づかされる物語があるのです。その気付かされる物語は、歴史的に過去の事象を説明したり確認したりするようなものではないということです。

死生観
 仏教では生死観といいます。死生観は明治以降の外国語の訳をする時に生まれた言葉のようですが、医療文化は欧米の影響が多いために死生観という表現をよく眼にします。両者は同じことを示しています。仏教では、生まれること、そして生きていくうえで、老いること、病むこと、死ぬことに起因する苦しみ悩みを「四苦」、「生老病死の四苦」と表現します。仏教でいう生老病死の四苦はまさに、医療の課題でもあるのです。同じことを課題とする両者が日本の中で協力関係ができてないということが、医療現場の大きな課題の一つだと考えています。
 欧米の病院では病院付き宗教者(チャプレン、聖職者)が施設内にいて患者の心の問題の相談に乗るということが日常的になされているのです。聖職者が病院の中にいないので、患者から発せられる心の問題は無視されているか、心ある医師か看護師が領域を超えて受け止めることになっているのです。

生老病死の物語り
 仏教の教えを受け、智慧をいただく歩みの中で人生における生老病死の物語性が知らされるようになります。それは、「人間として生まれる物語」「生きることの意味、物語」「死んでいくことの物語」です。

(1)人間に生まれる物語
 中国での浄土教を確立した善導大師の著作に「観経疏」があります。その中で「自(みずか)らの業識(ごっしき)をもって内因となし、父母の精血をもって外縁となして、因縁和合するがゆえにこの身あり。」の文章があります。業とは過去からの因や縁の積み重ねを示し、識は心の仕組みで表層・深層を含めた領域を示す言葉です。
 「業識」で示されている内容は仏教の智慧によって感得される領域であり科学的思考では理解が難しい言葉です。現在の心の有り様を作り上げている過去からの積み重ねと理解してください。 意識についての仏教的思索は歴史的展開の中で大きな深まりを遂げてきました。心理学的に意識が届かない深層心理・無意識の世界が大乗仏教の発展と共に究明され、これらを末那(マナ)識、阿頼耶(アラヤ)識と表現しています。
 仏教が教える深層心理・無意識の世界は、客観的な事実の証拠があるということではなく、目覚め、悟りの展開において感得される世界への洞察の内容と理解して下さい。
 仏の智慧(無量光)に照らされて知る私の迷いの深さはただ事ではないと知らされます、今、ここで深い迷いを生きているという事実は、今まで過去に解決のつかなかった愚かさの結果であると思えるのです、迷いの主体(仏教は固定した主体を認めない、無我といいますが、便宜的に主体と表現します)が空過流転を繰り返して今日に至ったのであると感得できるのです。
 お経にはそういう存在に仏は智慧と慈悲をセットにして、迷える衆生を救う働き(本願、南無阿弥陀仏と表現する)を展開していると仏の悟りの内容が説かれています。自分の深い愚かさに気付き、迷いを繰り返して救われるはずのない自分こそがまさに仏の本願の救いの対象であることに目覚め、驚き、感動させられた者は、素直に仏の働き(慈悲、無量寿)を受けとって生きていこうと転ずるのです。
 働きとしての仏を感得できるようになった者は、人間に生まれなければ、仏法に出遇うことがなければこんな大きな仏の世界に気付くことはなかっただろうと思えるのです。仏教の教える物語の方向性は、迷える動物的なヒトから、考える人間になる、そして成熟した人間、仏になるということです。智慧によって気付かされる自分の愚かさ、迷いの自覚から善導大師の言葉が味わえるのです。
 深く仏法をいただく念仏者が「私は何億という男女に私の親になって下さいと頼み続けたが、断られ続けて、この度あなたの親になっても良いよと言ってくれる両親に巡り合って私はこの世に生を受けた」と味わっておられました。そうなると両親への恩は感謝しても感謝しきれないものがあります。
 愚かで迷いを繰り返していると気付いた者は、そのままでおれないのです。気付かしめた智慧の世界に転じたいと思うのが自然な成り行きです。そういう目覚めの世界を生きるためには、人間として生まれて、仏法との出遇い、浄土教では、本願、南無阿弥陀仏の心に触れることが大事になるのです。
 善導が著作の中で表現しているように「種々の因縁が熟して、両親を縁としてこの世に私は生まれさせていただいた。私は迷いを超えたい。真実の世界を生きたい。」という意志をもって生まれてきたという物語性に頷くことができるようになるのです。

(2)生きることの物語
 道元禅師の言葉の「万法に証せらるるなり」は諸々の物柄(因や縁)の関係性によって私という存在は有らしめられている、は転じて、生かされている、支えられている、願われているということです。生かされていると気付く者は生かされていることで果たす役割に目覚めるのです。生かされていることで果たす役割に目覚めた者は、家庭で、地域社会で、職場で必ず役割を果たすようになるのです。
 その役割は仏からいただく使命、仕事と受け取るようになります。仏からいただく役割、それは仏からいただく仕事です。そういう仕事に出会うことを「仕合わせ」ということができるのです。仏からいただく仕事は自分の置かれた状況で年齢とともに変化していくこともあります。その時、その場での仕事を目的のように取り組んで生きていくのです。
 仏からいただく仕事は必ずしも、物を生産したり、お金を稼ぐことに結びつかないこともあるでしょう。しかし、その仕事を生きることで果たす使命のように、そのことが目的のように取り組むことが大事になるのです。
 念仏者の言葉に「人生を結論とせず、人生に結論を求めず、人生を往生浄土の縁として生きる、これを浄土真宗という」があります。人生の中で仏からいただいたいろいろな仕事や出来事は、その結果がどうであろうとも、私が人間として成長し、成熟するご縁になっていくということです。
 生きることで果たす私の仕事を考える時、40歳の頃、某病院の外科部長として任地に移った時仏教の師からいただいた手紙の一節が思いだされます。それは「あなたがしかるべき場所で、しかるべき役割を演ずるということは、今までお育ていただいたことに対する報恩行ですよ」という趣旨であった。我われが生きることで果たす仕事は使命であると同時に報恩行でもあると気付かされるのです。ユダヤ人の精神科医師ヴィクトール・フランクルは、私が人生の意味は何かと問う前に、人生の方が私に対し問いを発している。私は、人生から問われている存在である。人生は私にある役割を演ずることを期待しているのです。生かされているということは必ず、私には役割があるということです。その役割を果たすことが大事だと教えています。
 自分を含めて、私の周囲の人や患者の言動から思われる生きることの物語は、世俗的な自我意識は固定した「自我」というものがあり、その分別が本音で、「この世では、利用できるものは何でも利用して楽しまなければ損だ」と思っているように思われます。老病死をないものとして明るい方向だけ見て行こうとする自我意識は順境の時は問題がないように夢見て生活していますが、避けることのできない老病死に直面した時、智慧のない自我意識は愚痴を言うしか老病死に対する受け取りが出来ないのです。この生老病死の四苦の課題こそ釈尊の出家修行思索の大きな理由だったのです。
 仏教の智慧をいただくことであらゆる人生の出来事が、人間として、成長、成熟するご縁としてうけとれるように導かれるでしょう。念仏者の言葉「歳をとることは楽しいことですね。今まで見えなかった世界が見えるようになるんですよ」と言える世界が開けてくるのです。仏教(道)の救いは「人間として生まれて良かった、生きてきて良かった(現在完了、そして継続)」と言える物語の道に導くものです。
 確かに、老病死は受け取ることが困難ですが、その現実の中で「人生を味わい直す機会となる」ということです。仏法の智慧に出遇うことによって、過去の辛いこと、嫌なこと、恥ずかしいこと、等の諸々があったとしても、仏法の智慧の世界に出遇うためにはなくてはならない貴重なご縁であったと受け取れる世界になるのです。仏教の言葉で「転悪成善」といいます。
 そして老病死の最後の死の受け取りの物語の問題です。

(3)死んでゆくことの物語
 死後の世界は分別の存在の私には分からないのです。釈尊は死後の世界については「無記」と言って、そのことを議論することを避けています。分からないものを有るとか無いとか、いろいろ言っても虚しい議論になるからであります。仏教の智慧から見ると理知分別は智慧がないために迷いを繰り返し、愚かな存在であると見抜かれているのです。その愚かな煩悩具足の凡夫を目当てに本願、南無阿弥陀仏が届けられようとしている。名前(南無阿弥陀仏)となって「智慧といのち」を届けようとする仏のはたらきであり、願いなのです。
 仏の智慧に照られて自分の愚かさに気付かされる者は、素直に仏の教えの如く生きようと転じられるのです。具体的には仏の智慧をいただき、念仏する生活です。そこでは人間の生きる死ぬは仏の仕事の領域であり、生きる・死ぬは仏にお任せ、その結果、私の取り組むべきことは、今、ここで、仏の心を受け取り、南無阿弥陀仏と念仏して、生かされていることで果たすの私の役割を精一杯果たしていこう、となるのです。今、ここでの充実を目指し、明日や未来の夢を追いかけません。
 本願は「念仏する者を浄土に迎え取る」ですから、必ず浄土に往生させてもらい、成仏するようになっているのです。生まれる、死ぬは仏の領域ですから仏へお任せです。死後の世界があるだろうかないだろうかと考える私の分別が智慧がない、愚かであると仏の智慧ではっきりと目覚めさせられていますから、生死の問題を考える時は、私の分別で迷うのではなく、迷いを照らし出す仏の智慧で受け取ろうと転じられるのです。生きる、死ぬは仏のお任せ。私は、今、ここで生かされていることを素直に受け取り、私に人生が(周囲の状況が、現実が)期待する生き様を精一杯、生き切ることが大事ということになります。仏道とは私が私に成りきる道であると教えるのです。私が私に成りきることが仏になるということに通じていくのです。仏教はこの世だけでの救いを教えるのではなく、過去・現在・未来の三世を貫いての救いを教えます。

(4)三世の救い
 大分県中津市に東本願寺の御講師の一人であった雲華(うんげ)というお坊さんが幕末から明治にかけておられました。この雲華という方と、漢詩の有名な方で儒教にも詳しかった頼山陽と仲がよかったそうです。その頼山陽が絵を描いたというのです。どんな絵かというと、孔子とお釈迦さんが相撲をとっている絵を描いたという、お釈迦さんが投げられてひっくり返っている絵です。孔子が投げ飛ばしたという絵で、お釈迦さんは転倒して笑っている絵です。頼山陽は雲華さんにこの絵に、讃、詩を書いて欲しいと頼みました。釈迦と孔子が相撲をとったけれども、やっぱり釈迦より孔子の教えが立派だと。釈迦の教えはつまらないということを頼山陽は腹に含めて、これにどういう言葉をつけるかと聞いてきたのです。
 雲華さんはじっとその絵を見られて、そしてさらさらさらっと讃を書いたのです。「孔子三世を知らず 釈迦転倒して大いに笑う」と。孔子はこの世しか知らないからお釈迦さんはひっくり返って笑ったと。孔子の教えは素晴らしいが、この世(現在)での身の処し方を示しているだけである。お釈迦さまは過去・未来・現在を貫くところの法によって人々の救われる道を明らかにしている。過去や未来を知らないのは現在を知らないのと同じであるということです。生まれたことや死んでいくことの意味や物語が分からないのですから、本当は自分のこともわかっていないということです。
 生老病死の意味・物語に気付かせてくださるのが仏法の法です。ですから往生というのは何かというと、信心が開かれた時に始まる生活です。信心とは仏様の教えの言葉が、もっと言うと南無阿弥陀仏の呼びかけの救いの言葉が私に届いた時に往生という浄土の生活が始まるのです。生と死の迷いを超えて涅槃に往く人生が始まるのです。死んでいく人生ではないのです。仏の世界に生まれて成仏しいく。その世界を浄土・涅槃というのです。
 仏教の教える物語は客観的な歴史的事実として示すのではなく、智慧の目で感得できる物語の世界です。計算的思考、科学的思考では理解できない物語ですが、世俗を超えた目覚めの世界で受け取れる物語で、人生を生きるうえで質的な豊かさを実現する文化であると受け取っています。
 最後に具体的に仏教を生きた人の世界を紹介して講演を終わります。

その1. 今夜は浄土に詣らせてもらうよ 高田俊彦 (金沢市 62歳 )
 曾祖母“よみ”は文久三年(一八六二)生まれ、昭和二十八年(一九五三)四月に死んだ。享年(きょうねん)九十歳、村の最高齢者であった。“よみ”が死んだとき、私は高校二年生になったばかりであった。
 私にとって物心ついてからの最初の家族の死であったが、そのことより、いつもの寺詣りに出かける時と同様に、何かいそいそと死を迎えたということの方が、強く心に残っている理由である。 あの晩は、能登の春にしては暖かかった。“よみ”が隣室にいる私を呼んでいるのに気付いたのは、十時ころであったか。“よみ”は「今夜は、間違いなく浄土に詣らせてもらうよ」といって、自分の寝ている藁(わら)ぶとんの下から大切にしてきた胴巻きを引き出させて、取って置けと私に合図する。息をついで、年長である私が妹三人の手本となるように、貧乏にひがむことのないように、父母を大切に等々珍しく遺訓めいたことを語り出す。
 日ごろとは違う物言いに驚いている私に、「死ぬということは、少しも特別なことではないがやぞ」「人は、阿弥陀さんの所から来て、また阿弥陀さんの所へ帰る」「浄土では皆いっしょになれるがや」と、諭すように、ゆっくり話す。
 しばらくして、“よみ”は母を呼べという。藁ぶとんに半ば身を起して、母の手を自分の両手で包んだ。
 「もうそろそろ浄土へ詣らせてもらう。あねさに一言礼が言いとうて。あねさは、おらの子ではない。孫でもない。孫の嫁や。それながにこの婆をよう世話してくれた。ほんとうに大事にしてくれた。寒い夜は、いつも湯タンポやった。皆がイワシを食うとき、この婆だけカレイやった。ひ孫の四人の子供も、この婆を大事にせよと、良くしつけてくれた。有難いこと、有難いこと」 “よみ”は礼を繰り返す。
 母は、“よみ”の耳に口を寄せて、父が兵隊に取られた留守中には特に婆さまに力になってもらったこと、他村から嫁に来た母をかばってくれたこと、四人の子供の子守りのこと等、“よみ”に重ね重ね、感謝の心をのべている。
 母は、“よみ”の子で存命の一男二女が折角近くに住むのだから呼びに行くという。しかし“よみ”はそれを目で制した。 「子供とて、もう七十歳を過ぎた者たち。どうせ、すぐ浄土でいっしょや」
 「さあ、一足先に詣らせてもらうさかい。浄土で待っているさかい」
 “よみ”と母と、後で入って来た父と三人が、いつしか念仏を称えていた。 “よみ”の念仏が止み、深い息をしたとき、「婆さまが詣らしたぞ。仏壇に燈明を上げよう」と父の声、母と私たち四人も、父に従って深夜の勤行(ごんぎょう)が始まった。
 父は八十七歳、“よみ”のような死を迎えられればと、そんな私の思いは、父に通じると思う。
五木寛之編「うらやましい死にかた」平成十二年, 株式会社文藝春秋から

その2.私の師、細川巌(福岡教育大学教授)先生とその教え子だった関真和先生の往復書簡(関先生がガンで亡くなる一か月前の手紙、細川先生もガンの術後)
合掌 先生、長い間ありがとうございました。このことばは何度いってもいい尽くすことができません。福岡学芸大学時代、本校で先生にお遇いし、仏法にあわせていただき、大きな世界のあることを知らせていただきました。あの当時二年制で教員になることも可能でしたが、四年制課程で本校に行けたことがいかに大きなことであったか、今にしてつくづく思います。先生にお遇いできたことが、最大の収穫でした。
 その後、卒業以来も久留米を中心に仏法を語っていただき、時に父のごとく、時に教育者ともなり、私を育んでくださいました。
 前後しますが、大学四年の時父が亡くなり、その時先生にいただいた日輪没する処、明星輝き出ずる如く、人生の終焉は永遠の生の出発である″ということばは、その当時私の大きな救いとなりました。そして、今、病床でこのことばをかみしめています。
 以来三十数年、先生のみ教を通し、夜晃先生、親鸞聖人、七高僧、釈尊と連綿とつらなる深い歴史観を頂きました。
 このことは私の人生をいかに豊かにしてくださったことでしょうか。また、教育をしていきます上でも大きな励みとなりました。
 お念仏「南無阿弥陀仏」をいただいた故に、生きることができ、お念仏いただいた故に死んでいけます。もし、お念仏にお会いしていなかったら、今ごろこのベッドの上でのたうちまわっていると思います。肉体的には大変きついです。座るのもちょっとの時間でしかできないくらいです。でも、心は平安です。
 先生を通して、たくさんのお同朋をいただき、にぎやかです。
 先生、本当にすばらしい人生をたまわりましてありがとうございました。
 最後の一呼吸までは生きるための努力を続けます。
 先生、本当に長い間ありがとうございました。
 先生は、病気回復期ゆえ、どうかお体お大事になさってお同朋の大きな光となってください。
 ことばは尽くせません。ありがとうございました。
平成五年六月二十四日
関 真和

 これが、関先生が亡くなる一か月前に細川先生に書かれたお手紙です。これに対して細川先生がその二日後の二十六日にお返事を書かれています。

 関君、いよいよ大事な時になったなあ。
 この病気は後になるほど痛みが増すと聞いているが、君もさぞ大変だろう。慰めようもない。南無阿弥陀仏。
 南無阿弥陀仏にお会いできて本当によかった。 これが人生のすべてであった。
 私は昨年十二月以来入院して、このことをいよいよ知った。君も同じだと思う。本当に良かった。南無阿弥陀仏。
 人間、最後の場に立った時、心に残るものが二つあるという。
 一つは死んだらどうなるのかという問題。
 一つは残った者はどうなるのかということ。
 諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向
 如来の至心回向によって、われらは信心念仏を賜わり、願生彼国と生きていく方向を知り、即得往生 住不退転 ここが浄土の南無阿弥陀仏となる。
 死ぬも南無阿弥陀仏   生きるも南無阿弥陀仏ただこのこと一つ
 残った者は私の死を見て、何かを得て、それぞれの人生を歩む。
 私は願う、どうか良い縁を得て、この道に立ってくれよ、南無阿弥陀仏、と。
 このこと一つを願い、このこと一つを南無阿弥陀仏に托して歩んでゆく。すべてを如来におまかせして進むとは、この事である。こうして念仏道に立つ者には、残る問題は一つもない。
 関君、どうか、
 学芸大学時代から、田川、飯塚と、本当に長い間、よく聞法してくれた。有難う。君が一生かけて如来実在したもう証明者として生きてくれてうれしい。
 私の方が先に浄土に行っていると思ったが、君が先かもしれぬ。
 しかし、後も先もない。皆、南無阿弥陀仏を生きてゆくほか道はありえない。
 よかった、よかった。君の人生、苦労もあり、誤りもあり、思うようにならなかったことも少なくなかったと思うが、人生の最後にあたって、感謝し、有難うございますと言える人は、白蓮華である。
 私は大分よくなった。あと何年かは働けるだろう。君の分も背負って、如来のため、報謝の一道を進みたい。
六月二十六日
細川 巌

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