題「死んで往くことの物語」副題「死の物語をどう伝えるか」 田畑正久 龍谷大学学会 「龍谷大学論集」第486号、p25-54(平成27s年10月発行) 序論 日本の医療界は明治時代以来、今日まで宗教性を排除して展開してきた 。 欧米の医療を日本に導入する過程で医療知識・技術を学んできたが、その背後にある宗教性は徹底的に排除された。そのため、現在の医療関係者の教育課程の中で宗教的な思考はほとんど触れられていない。そういう教育を受けた医療関係者も必ず直面するのが患者の老病死に関係する苦悩である。宗教抜きの医療で患者に寄り添った適切な対応がなされているだろうか。 生老病死の現場である医療において、科学的な客観的事実に基づく医療(EBM,evidence based medicine)が展開されているが、生活習慣病やガンの緩和ケアの患者への対応では、患者の人生観、死生観 、価値観、病気観を聞きながらの対応が求められる場合がある。患者の人生観、価値観などを尊重する医療を「物語に基づく医療(NBM, narrative based medicine)」という。患者の苦悩に全人的に対応する為には、前記の両者(EBM+NBM)による対応が必要であるという認識がなされるようになっている。 臨床の現場で患者から発せられる「死にたい」「もう生きている意味がない」などの訴えがある。これらが求めている内容は実存的、宗教的な内容に関する問題である。 医学が準拠する科学的思考は病理の解明や治療の進歩に大きな寄与をしている。しかし、科学は人生の「意味」や「物語」を思考するには不適であると思われる。人間や人生の物語性を思考するには哲学・宗教の叡智が求められる。残念ながら現代の医療関係者には宗教にその苦悩を除く方向性を尋ねようという発想が乏しい。一方で、宗教の関係者も老病死に悩む人達との接点が少なく、具体的に対応が求められても、対応への心構えが十分に出来てないことが現状である。 この問題点を解決する方向性の糸口が仏教 と医療の協力関係で見出すことができるのではないだろうか。仏教の智慧は自分自身を照らし出す鏡の様なものであり、人間に生まれること、生きること、死んでいくことに宿される意味や物語性に目覚めさせるものである。仏法の学びを通して仏の智慧 (以後「仏智」と略す)をいただき、念仏することで気付かされる物語が苦悩する患者の人生のQOL(quality of life, 生活・生命の質)を向上させることが期待できるのである。 筆者は医療という実学の領域の仕事に長年携ってきた。同時に継続した仏教の学びを続ける機会に恵まれてきた。その立場から、仏法の学びから知らされた物語、特に本論文では「死の物語」を提示して、一般の人や医療界の皆様にどのように伝えることができるかを考察する。 第一章 仏教の教える「生きる物語」 医療、看護、介護の臨床現場は人間の生老病死の四苦が渦巻く現場である。明治以来、日本が西洋医学を学び、医療を実施する過程で宗教性を排除してきた特異な歴史がある。結核などの感染症との闘いが医療の中で大きな割合を占めていた昭和30年代頃までは、「病気と闘う」ことにおいて宗教性の関与の有無は問題にならなかった。しかし、疾病構造が変化して悪性腫瘍、脳・心臓血管障害が日本人の死因の六割以上を占めるようになった。これらの病気は生活習慣病と呼ばれるように患者の生活習慣、および加齢現象に起因するものと考えられ、闘病よりもむしろ、患者が日常生活をいかに生きているかが問われる疾病なのである。 つまり、生活習慣病は長年の食生活、運動、喫煙などの日常生活の集大成として出現してきた疾病であり、これまでの生き方の結果と思える部分が多く、軌道修正しようとしても大勢は決まっており治療によってほころびを修復しながら長持ちさせる工夫をすることが大切になる。まさに「生きてきたように死んでいく」、過去の生き方を踏まえて、これからの生き方、すなわちどういう人生を生きるかが問われるのである。人生を生きるにあたって人生観、価値観、死生観といわれる物語が大事になってくるということである。 では、医療現場で働く人たちへ仏教の教える「死にゆく物語」、それに関連する「往生浄土」の歩みをどう伝えるかを考える。 第一節 物語に基づく医療と客観的事実に基づく医療の役割 従来の診療は、医師が有する医学的知識と経験的技術に基づいたものであるが、医師個人の経験や勘だけにたよる“独りよがりな医療”に陥る危険があった。同じ病院、診療科であっても担当医によって診療内容が異なることも珍しいことではなかった。それが最近は客観的事実に基づく医療(EBM)が重視されるようになってきた。客観的事実とはすなわちは客観的なデータである。医療機械や検査が次々と開発されて、細やかな画像診断、感度の高い検査結果などが得られるようになっている。EBMはそのような最新の臨床研究に基づいて統計学的に有効性が証明された治療を選択することにより、より効果的な質の高い医療を提供することである。実際、EBMの考え方に基づいた診療指針は医療の世界では尊重されている。しかし、患者の客観的情報は万能ではない。数字では測れない悩みや苦しみを訴える患者は癒されないことになる。そこで重要になってくるのが物語に基づく医療(NBM)である。 EBMとNBMは対立するものではない。むしろ、互いに補完するものといえる。日野原重明氏(聖路加病院名誉理事長)は「医学というのは、知識とバイオテクノロジーを、固有の価値観を持った患者一人ひとりに如何に適切に適応するかということである。ピアノのタッチにも似た繊細なタッチが求められる。知と技をいかに患者にタッチするかという適応の技と態度がアートである。その意味で医師には人間性とか感性が求められる。」と述べた。まさにEBMとNBMはサイエンスとアートの両輪として、真に患者の満足度が高い“患者中心の医療”のためには不可欠のものといえる。 第二節 人間として生まれた物語、生きる物語 筆者は先の論考で臨床現場の人たちに「仏教が教える物語をいかに伝えるか」について論じた 。善導大師の「自らが業識を内因となし、父母の精血をもって外縁となして、因縁和合するがゆえにこの身あり」に示されるように、迷いの主体が迷いを超えるために人間として生れて、仏法に出遇い迷いを超える人生を生きるという物語として受け取ることができる。 そして生きるということは、人間として生まれた意味 を実現するための人生であると見ることができる。われわれは仏法に出遇わないと、せっかく人間に生まれたとしても、三悪趣(道)、すなわち地獄・餓鬼・畜生の世界に堕してしまい、空過して迷いの流転を繰り返すことになるであろう。それを知らせるのが無量寿経48願の第一願 、無三悪趣 の願である。仏教の教える救いの方向性は迷いの連鎖を超えて、解脱することである。 第二章 死をどう考えるか 前章で論じた「仏教の教える生きる物語」を踏まえて、本章では「死にゆく物語」について論じよう。現代の多くの日本人は戦後の教育を受けてきて唯物論的科学思考を身に着けているように思われる。そのために、我々の発想は「死んでしまえばお終いで、無になる」、「命あっての物種」、「生まれたことに別に意味はなく、気付いてみれば人間に生まれていた、そのことを考えてしょうがない」、「生きていく以上は利用できるものは何でも利用して楽しまなければ損だ」、といったところであろう。この発想では、どこまでも死を排除して、死と対決ということになり、死と闘って、長生不死をめざし現代医療と軌を一にするものである。 小児科の医師から、「今、受け持っている神経難病の子供さんが10歳を超えた。病状が進み、入退院を繰り返している。その母親が一生懸命にお世話をしているが、その母親にどんな言葉かけをしたらよいだろうか」と相談を受けたことがあるがある。「老病死はあってはならないことだ、元気な状態に戻すことが治療だ」という発想にたって医療に従事する者には、回復不可能な病気や死に直面する人に対する言葉かけは、非常に難しいものとなる。 世間一般になされている「死」への対応は、「死からの逃避」、すなわち「死をできるだけ深刻に考えない」といったところではないだろうか。「4」のつく病室を作らず、友引の日の葬儀を避けるのが好例である。しかし、死から目をそらしたり、迷信のようなもので避けたりしてもなんの解決にもならず、かえって執われて振り回されている。また、生命や肉体は滅んでもその代わりの何かをこの世に遺(のこ)しておこうとしたり、死を何らかの意味づけ(国のため、大義のためなど)することで納得しようするが、それが死の解決になるだろうか。 フィヒテは世間的な我々のあり方に「死は一つの仮象である。それはどこかにあるものではない。真に生きることのできない人にたいしてのみあるのである。死が人を殺すのではなく、死せる人間、生きることができない人間が、死を作り出すのである」と意味深い指摘をしている。 第一節 死を取り巻く状況の変化、及び医学的な死 医学・医療が普及する以前は「死」の現場は家庭であることが多かった、昭和25年までは80%以上の国民の死の場所は自宅であった。その後、医療を取り巻く社会構造の変化で平成6年以降は自宅での死亡が20%を切ってしまい、死の場面が病院・施設に移ってきて、「死」への関わりが家庭、地域文化で担っていたものが医療機関の関わりが大きくなるという変化が起こっている。高齢社会を迎え、死亡原因として3人に2人は生活習慣病や悪性腫瘍によるようになっている。悪性腫瘍への緩和医療、ケアの実施が注目を集め昭和52年に「死の臨床研究会」が発足し、医療は人間の死にどう対応するかを、課題として取り組みはじめた。しかし、関心を示す医師はなかなか増えず、現在でも緩和ケアを担当する医師が不足している。それは医師教育の基盤である科学的な思考が「死」にまつわる領域に関して十分に対応できないからだと思われる。 生物学的には生命活動の停止を死とするが、医療技術の進歩により、人間の解釈で受け取り方に時間的、現象的な幅が生まれた。つまり、生命活動の停止を心臓、呼吸、脳の三徴候死 から判定していたのが、現在は自発呼吸停止や脳死など、「死」について現象的な幅が出てきた。 現代人の多くは、生きていることと、死とは別々の事で未来に死、ないし死後世界を分別して考える、しかし、仏教ではそのような「分段生死」の発想は物事を正しく見てないと指摘する。人間として避けられない老・病を出来るだけ医学・医療で健康増進、救命・延命で先送りした結果としての「死」であり、それを「永眠」あるいは「他界」と表現して、医学の準拠する科学的思考は、それより先の領域には及ぶことができないのである。 第二節 生物学的な生と死 生命を生物学的に捉えるとき、生と死は表裏一体であることが分かってきている。すなわち、生物学的生命は生命を維持するために身体が壊れていく ことを先取りして細胞を壊す一方で再合成するということを繰り返していることが分かってきた。この危ういバランスの上に辛じて成り立っている秩序が生命現象である。生命が生きていることは死に裏付けされているという事実である。生命の表が「生」で裏が「死」という一体の現象である。恒常的に見えて、二度と同じ状態はない。大きく変動しないために、いつも小さく変わり続ける新陳代謝で生命が維持されている事実がある。 新陳代謝の停止や細胞の破壊を「死」と考えると、死は自分自身の中で起こっていると言える。さらに分子レベルで考えると、この世界に存在する基本的な原子の総量はほぼ一定である。そして、ある時は結合し、また別の時は切断され、ぐるぐると環境中を回り続けている。一時的には、私の身体を構成し、次には自然の中に拡散していく。そして次の何かに宿る。 意識や心という現象は生物学的には客観性をもって捉えることができず、意識の死は物質代謝の停止をもって死と考えられていて、それ以上は科学的思考が及ばない。 第三節 仏教の視点からの死 第一項 輪廻転生の解脱 釈尊の時代、インドでは輪廻転生の思想が多くの人の考えとしてあり、そこでは死後はどこかに生まれ変わるということ、そして生死を繰り返す苦の連鎖を解脱することが主な関心事であって、死後の世界についてはそれ以上は考えられてなかったと思われる。日本で死後の居場所のように考えられている墓は輪廻転生の思想を持つ文化の地域にはないと聞いている。 釈尊が悟りを開かれて、教化活動の後、死去することを「入滅」とか「涅槃に入り給ふ」と表現され、涅槃は「さとり」〔証、悟、覚〕と同じ意味であり、煩悩の火を吹き消すこと、吹き消した状態を指している。釈尊が入滅してからは、涅槃の語には(1)有余涅槃・無余涅槃 とわけるもの、(2)灰身滅智(けしんめっち) 、身心都滅(しんしんとめつ) とするもの、(3)善や浄の極致とするもの、(4)苦がなくなった状態とするもの、などの意味付けがある。涅槃寂静は諸行無常、諸法無我の真実に目覚めたこととされる。 涅槃は迷い、苦しみの連鎖を超えた、輪廻転生の苦を超えた世界とされており、親鸞も「臨終一念の夕べ、大発涅槃を超証す」 と表現しているように死を「涅槃に入る」という受けとりをされている。 第二項 縁起の法 仏教の縁起の法は「諸法無我、諸行無常」のごとく、我々の生命という実体的な物はなく、あらゆる事物は因・縁・業・果・報によって変化し続ける結果の産物である教えている。つまり、無数の因や縁が一時的に和合して私の命という現象を呈していて、一刹那ごとに生滅を繰り返していて、固定した実体的な身体や心はないということである。言い換えると、執われたり、亡くなるのを心配する「身体」「意識(心)」はないと教えている。 しかし、実体として自分や他人の身体があることに関する疑問点が残る。しかし、仏教は一時的な分子の集合体が行為や動作を感知しているだけで、動作や行為の主体者はいないこと、すなわち無我を教えている。表現を変えると死ぬ主体者は存在せず、「死」という変化(行為・動作)があるのみ、あるいは食べたり歩いたり動くという変化はあるが、変化の背後に食べたり歩いたりすることを管理支配する不変の実体(私やあなた)はないということである。仏教の智慧は行為の主体者の「我」は存在しないこと、すなわち無我だと教えている。 その教えに従うと、「死」とは変化し続ける生命現象の一局面であり「生きる」あるいは「生きている」という過程の一部である。すべての存在や行為は縁起の法で説明できる現象であって自然現象の一コマであるということができる。 第三項 分段生老、変易生死 我々が「死とは何か」と問われれば、過去の誕生日に生まれた者が、ある一定時間を過ぎて、種々の原因で死ぬ、生物学的生命の停止だと答えると思われる。仏教では、過去に生まれ、現在を生き、未来に死ぬだろうという「生」と「死」を分けて別々に考えることを分段生死と言い、間違った考えとする。仏の智慧で見ると生命の有り方は生死一体、生死一如として捉えて変易生死という。一瞬一瞬に生まれ変わり死に変わりするという刹那生死という様に、生命の表の相が「生」であり、裏の相が「死」である。生と死を分けることはできない、一体のいのちであるとの受け取りが智慧の受けとめ方である。分けることはできないいのちの有り方を、分別で分けて、生きていることのその先、未来に死があると受け取っていくのが間違いと仏教では指摘します。 仏によって言い当てられている「煩悩具足の凡夫」の我々が仏の智慧の視点をすぐに分かったということは難しいでしょう。しかし、仏道を歩むことで仏智、すなわち人知を超越した見方により、ものごとへの執われや「行為者としての私が存在する」という無知、我見(邪見)を軽減してゆく道が教えられる。 「我」「我が物」があるという邪見(我見)から目が覚めれば、「死」に対する不安や恐れはなくなるであろう。千年の暗室も一瞬の光で明るくなる譬えのごとく、仏智・無量光は死の不安や恐れを根こそぎ除いてしまうであろう。 浄土門の教えも「死」に関しての考えは基本は同じである。我々が世俗の分段生死の考えで生きているところを、仏智、南無阿弥陀仏として届けられる仏智によって、あるがまままをあるがままに見るように導かれる。現象としてあるように見える物を実体的にあると考え違いして、それに執われて苦しんでいるのが自分である。南無阿弥陀仏と念仏することで迷いの自分に気付き、その間違った考え方が正されて、振り回されることが少なくなっていくであろう。 第三章 死後の世界 我々の日常生活が拠り所とする科学的思考は客観性,再現性,実証性を尊重する思考である。他人の死の現象を観察することはできるが、自分の死、および死後の世界を認識することは不可能なことである。 臨床の現場で「死んだらどうなるの?」「死んでしまえば無になる」など不安が患者から発せられても、科学的思考方法で教育を受けてきた医療関係者は自分自身に分からない実存的・宗教的問題にどう対応したらよいか、戸惑いが満ち溢れている印象を受けている。 一部に死後の霊を見た、対話したという人が種々の発言、情報発信をしてマスメディアで取り上げられることはあるが、見たと語る事象の客観性がなく、その当人にしか見えないことを医学と言う科学的思考の土俵で論ずることは不適切であると識者に指摘され医学雑誌から除かれたことがあった。 第一節 医学における死後の世界 医学は科学的思考を尊重するために、一人称の「死」や死後の世界を論ずることは適切ではない。しかし、医学の応用の医療、臨床の現場では患者から「死」にまつわる種々の訴えが露呈される。特に悪性腫瘍による死の前後の状態は意識状態もわりと明瞭であり、身体的な疼痛に対応する種々の方法に大きな進歩が見られ、痛みの心配はしなくてものよいと言われるぐらいになっている。そのために「死ぬときは、悪性腫瘍という病気で最後を迎えたい」という人も出るくらいである。 しかし、一人称の死、および死後の世界の情報がないために、「死んでしまえばお終い」「命あっても物種」「死んだらゴミになる」などと百家争鳴である。自分の死および死後の世界は分からないというのが一番正確ではないだろうか。医学・医療や心理学などが扱いうのはこの世のことであり、死や死後のことに言及するのはやはり宗教であろう。 第二節 仏教における死後の世界 仏教では死後の世界は「ある」というのも間違い、「ない」というのも間違いである。釈尊はその質問には答えてなく「無記」として伝えられていると聞いている。正信念仏偈の龍樹に関する部分で「有無の見を破する」と言われている。そのように理性知性分別から有る、無いという議論がどんなになされても、理知的言うならば、有無の見の執われに気付き「分からない」と言うべきであろう。 第一項 聖道門仏教における死後の世界 仏教以前のインドの思想では、生の核のようなアートマン というものがあり、これが死後も存続して次の生へと受け継がれるという死生観が中心となっていた。そのアートマンが清くなるか、穢れるかによって、次の生では、どんなカーストに生まれるか、また人間界より高次の生を得るのか、低次の生を得るのかが決まるとされていた。そのためにこの世で修行する必要があるとされたのである。 釈尊は次の生に引き継がれるアートマンやその穢れというものが存在するかどうかは人間には分からないとした。アートマンのような、確固たる実態があると決め付けるより、生や穢れというものはこの世の関係性の結節点のようなもので、この点を確かな実在だと思い込んでいると気付き、「縁起の法」に目覚めたのであろう。これを後の後継者が「空」の思想とし、「空」とは確固たるものが存在すると根拠もなく確信することでもないし、存在しない虚無的考えでもないとした。 そして、死後の世界や輪廻転生も「空」であると受け止め、それらに頼る心を修行して越える心のあり方を教え示された。ただし普通の在家信者に、死後の世界があるかどうかはわからないと言い切ってしまうのはなかなか受け入れがたく、その後の仏教の展開では死後の世界があると「方便」として容認して、次第に「空」の思想に耐えられるところまで信者の心を導いていくようになっていったと思われる。 聖道門を代表する禅仏教は、分別や知識や学問の世界を捨て、「生」そのもののまっただ中に飛び込み、「随処に主となる」 の言葉のように、いつ如何なるところにあっても「ここが仏さまから私に与えられた処」と受け止めて、精一杯生きること、すなわち「今、ここ」で完全燃焼するがごとくに生きることを目指していると思われる。 禅仏教は、この世で悟りを開き、無心とか「無」といったものを体現することで、死後の世界や輪廻転生の有無(認めるとも認めないとも言わない)に振り回されずに自由闊達、縦横無尽に創造的実践の道を歩む教えと受け取れる。悟ってしまえば迷いの苦しみの連鎖から解脱してしまい、輪廻の輪からはずれるので死後の世界を考える必要はないということである。 第二項 浄土門における死後の世界 釈尊在世の時代や、釈尊の影響力が強く残る時代は、出家修行して釈尊と同じ悟り、目覚めを成就する菩薩の方々が存在した。しかし、釈尊亡き後、適切な指導も受けられず、転迷開悟の能力のない在家の我々には仏の説かれた往生思想が注目されるのである。阿難に説かれた仏説無量寿経に浄土の教えが示されている。元々、菩薩の修行によって苦の輪廻から解脱して仏の悟りを開く仏道が、世間生活の中で在家の凡夫においても仏の悟りに等しい世界が実現することを教えるのが浄土の教えである。浄土の教えは法蔵菩薩が迷える衆生に寄り添い、仏のはたらき(智慧と慈悲)が苦悩する衆生と一体となって、救いを実現せんとする本願念仏の教えである。 浄土の教えにおける救いは、すべてが仏の力、本願力に依る。南無阿弥陀仏の名号(名前)となって智慧と慈悲の働きを我々に届けようと、よき師・友を通して仏の働きが届けられ我々の信心となり、念仏するように導かれる。自分の無明性を身柄全体で知らされた者は、自然と頭が下がり、仏の仰せのごとく、念仏一つによって、慈愛に満ち溢れた仏に導かれ、「仏にお任せ」の人生を送る存在にせしめられるのである。浄土に生まれた者は、仏の本願の働きで必ず成仏に導かれる。 念仏で届けられんとする仏智は、この世やあの世、死後の世界という枠を超えた、世間の次元を超えた仏の世界である。仏の心に触れて智慧をいただく者は正定聚不退の位、往生浄土して必ず成仏する位に住することになり、死や死後と言う概念を超えた往生浄土の歩みを生きる者たらしめられる。 世俗の執われを超えて「仏へお任せ」する世界を生きる者は、仏の教えのごとく、念仏して往生浄土、そして浄土でまた会おう(倶会一処など)という仏の救いの世界を生きることになるのである。 仏の世界を浄土、涅槃と表現されるが、阿弥陀経に「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽という。」 とある。これは浄土というものを理知分別の次元で思考していくと、我々がいかに努力精進しても浄土には届かないぐらいに遠い世界であることを示している。しかし一方、『観無量寿経』には「去此不遠(此を去ること遠からず)」 とある。これは、浄土は念仏する私に「今」「ここ」に働いていると受け取れるのである。 妙好人才市が「浄土は何処か。ここが浄土の、南無阿弥陀仏」と自問自答して仏の働きを感得した言葉を残しています。 仏のなった存在は自利利他円満のはたらきを発揮して、迷える衆生済度のためにすぐにこの世に「南無阿弥陀仏」の名号となって仏のはたらきを展開する。 第三項. 親鸞における死の受けとめ方 親鸞は、死ぬことを幸、不幸ではなく、人間の思いの及ばぬ死の彼方の浄土へ行くことを説いている。 第十八願、至心信楽の願について信の巻では「欲生というは、すなはちこれ如来、諸有の群生を招喚したまうの勅命なり」 「我が国(浄土)に生まれんと欲え」という仏(欲生)の勅命を聞き従うことで浄土に生まれる、苦の世間生活から往生浄土させて救いを実現したいということが仏の強い願いであると示されている。これは迷いを繰り返す凡夫のために仏のはたらきの場、本願によって建立された浄土、浄土を生きる存在になることによって、凡夫が苦を超えることが実現すると受け取っている。 「弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものを極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候なり。(中略) この身は、いまは、としきはまりて候へば、さだめてさきだちて往生し候はんずれば、浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候べし。」 弥陀の本願は念仏を称える者を極楽(浄土)に迎えるとの誓いである、(中略)、私は今はもうすっかり年を取ってしまいました。私があなたに先だって浄土に往生するでしょうから、あなたを浄土で必ずお待ちいたしましょう」 そして、死別しても全く同じ阿弥陀仏の他力によって救われるから、同じ浄土の世界でまた会えること(「倶会一処」)を明かすことで、人々に確かな安らぎを与えようとした。 一方で「阿弥陀仏去此不遠」と言われるように念仏の心を受け取る念仏者には、今、ここで浄土のはたらきを感得しながら生きる世界、正定聚の位に定まると、現生における正定聚を教え示された。 「真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則をまたず。 また親鸞は、飢饉で苦しみながら亡くなった同朋の死を悼みつつ、「まづ善信(親鸞)が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定のひとは、疑なければ正定聚に住することにて候ふなり。さればこそ愚痴無智の人も、をはりもめでたく候へ。如来の御はからひにて往生するよし、ひとびとに申され候ひける、すこしもたがはず候ふなり。」 と平生において、人間の計らいを超えた、阿弥陀仏の本願を信順して念仏するところ、往生すべき身に定まると、親鸞は明かした。 親鸞は臨終における人間の心の状態によって往生が決まるのではない。百パーセント救う側の仏の力のみによって成立するという、いわゆる全分他力の思想が打ち出された。そして死の迎え方の外見の善し悪しによって、救いの是非を言わず、悲哀に満ちた死をもめでたき往生として受けとめた 。 親鸞は、臨終において計いで念仏し来迎を期するのをやめて、摂取して捨てない阿弥陀仏のはたらきに乗託した。第十九・二十願の道から、第十八願の道への転入である。それは「愚者になりて往生す 」る道であった。 浄土に往生した後、速やかに仏となって、再び生死の苦しみの世界に還って、人々を導くと、親鸞は明かしている。 「おくれさきだつためしは、あはれになげかしくおぼしめされ候ふとも、さきだちて滅度にいたり候ひぬれば、かならず最初引接のちかひをおこして、結縁・眷属・朋友をみちびくことにて候ふなれば、」 仏の智慧、無量光に照らし出された親鸞は、「汝は凡夫」の言葉に言い当てられたように、仏の前では、愚かで迷いを繰り返す自分の相への疑いようのない確信に導かれ、同時に救われるはずのない私を目当てに「親鸞一人がためなりけり」と慈悲の働きを感得したのである。そこに念仏の教えの前に懺悔、合掌して、仏へのお任せを生きる念仏者の誕生がある。そこには仏の教えを素直に受け取り、死に執われず、死を超えて、死を一つの通過点として受け止めて、念仏して「仏へお任せ」を生きる者の相がしめされている。 生物学的死、即ち臨終については、「念仏衆生は、横超の金剛心を窮むるがゆえに、臨終一念の夕、大般 涅槃を超証す。」 と示されている。念仏の衆生は、自力の修行の長期間の必要な過程を、本願力で一とびで正定聚の身に救いとられて、一息切れる(肉体的死)と同時に、阿弥陀仏と同じ仏のさとりを開く、涅槃に至る、と明言されている。 親鸞にとって大切な点は、信心の確立、正定聚・不退の位につくことであった。法然上人との出遇いを通して教行信証』「化身土巻」のに「雑行を棄てて本願に帰す」 と方向性が決したのであろう。現生正定聚と言うように正定聚・不退をこの世で生きているうちに得ると、自分の体験を通してはっきりと示された。生きている現在に信心をいただく。そのことさえはっきりすれば、往生するのが現生か、死後かということは、大きな問題ではないということであろう。 我々にとって死は必然ですが、いつかは予想できません、同時に死の縁も無量です。どんな死に様であろうと、仏へお任せの世界を一日一日生きる身に定まった者には生きる死ぬは仏の領域、私のなすべきことは生かされているこので気付かれる自分の役割、使命、仕事を念仏して取り組むということに尽きるのです。親鸞は死を挟んでの「この世か、あの世か」という問題の発想を超えていることでしょう。「この世」と「あの世」を共に超える世界を、浄土としていただいておられる。つまり、わが身が何処にあろうと、そこにおいて、「この世」と「あの世」を共に超える世界に出遇う。それが浄土を生きることだと。そして生身が尽きる時、「臨終一念の夕、大般 涅槃を超証す」、成仏するといただいていると思われる。 第四項 無生の生 天親は願生偈 で「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国」と願生安楽国、即ち「願生浄土」と言われている。このことについて曇鸞が願生浄土の「生」とは生・老・病・死の「生」であり、生まれることがあれば必ず死ぬことがある。生死、生滅ともいうように、「生」とは迷いの世界に生まれることをいっている。それなのに、天親はなぜ「願生」と言われるのか、これは迷いの世界を求めているといわざるをえないのではないか、と往生論註の中で問題を提起した。そして自分で答えている。 願生の「生」は「無生の生」である。「無生の生」とは無生無滅、一如真如、その「無生の生」なのである。それを天親は「生」と言われているのである。なぜ「無生の『生』」というのかというと、「生とは得生者の情ならくのみ」 と述べられている。浄土は涅槃に直結しており、その本性は無生無滅。どこか地理的に浄土があって、そこに向かって死後の楽しみを求めてゆくというようなものではない。生死を超えた世界に出る、広大無辺、一如真如の仏の世界を生きることをいっている。それは無生の「生」を生きる者の心情としては、どうしても「願生浄土」といわざるをえないのである、と答えている。 仏智で育てられる者は必ず自己を知らされる。自己の貪欲・瞋恚・愚痴に目覚めて懺悔する、如来にお詫びする(機の深信)。そして、ここまで育ててくださった諸仏、如来のはたらきを知って(法の深信)感謝せずにおれない存在となる。自己を知り仏を感得する者は、頭を下げて仏の前にお礼を申す、即ち、南無阿弥陀仏と念仏申す。 念仏して往生浄土の歩みを始める者は、貪欲・瞋恚・愚痴がなくなるのではなく、それを超えて、絶ち切って、離れて去る。私の貪欲・瞋恚・愚痴が、「これが私の現実、南無阿弥陀仏」と念仏になってゆく。その時、貪欲・瞋恚・愚痴は何も私を障たげず、何も私の邪魔にならず、何も私を引きずり回さない。私が念仏して歩むことが、転悪成善の徳で迷いを超えせしめられるのである。地理的にどっか良い所に行くのではなく、自分の心を仏智に照らされて深く目覚めさせられるのである。 いよいよ教えを聞いてゆき、仏の心に触れ、十八願の「欲生我国」、浄土に往生させんとする如来の心を深く知るようになる。仏の働きの圧倒的な大きさに触れる者は、自然と仏の働きに報いんがために浄土に願生せんとするようになる。迷いの世界で右往左往していた者が、如来の世界に出遇い、迷いの自己を深く知らされて、その者を救おうと摂取不捨する仏のはたらきを感得する時、その人の心には「願」といわざるをえない感謝の思いが起こる。それを「願生浄土」ということができる。つまり如来の世界、一如の世界に生きる身と転じられる。それは私の心ならぬもの、本願の呼びかけから生まれ、如来の願心のおかげと、感謝の心が自然と起こる。それを「願生」ということができる。 曇鸞は「無生の生」なら「生」といわなくても良いのだが、「願生安楽国」、「往生浄土」と言われた。そういうふうに表現せずにおれないのは、煩悩の世界ではなく、涅槃の世界が、生きる方向・目標となり、無明の世界を絶ち切り、離れてゆく人の心情なのである、と言われている。 第五項 仏の世界、浄土・涅槃 仏の世界を「三千大千世界」という。「大千世界」は、ひとりの仏が教化できる範囲で、仏国土とも言われている。そしてその数について釈迦は、ガンジス川の砂の数程も仏様はいる、と言われている。それは仏の働きの及ばぬところはないことを示している。 仏の世界は人間の煩悩を持つ肉眼には見えない世界で、仏にしか分からない世界である。仏のはたらきで人間の煩悩の炎が吹き消された悟りの世界で涅槃と言われ、静かな安らぎの境地とされ涅槃寂静という。 涅槃は第三節、第一項に記したように、悟りの世界、煩悩の滅却した世界である。釈迦の入滅こそ、輪廻転生の苦からの完全な解脱であると見るとこができる。仏道は涅槃を目指した道と言うことができる。 我々の理性知性分別の目で見ているこの世を包み込んで超えている世界が、我々が言うところの仏の世界と考えて良いと思われる。我々が言うところのこの世・あの世、此岸・彼岸の区別を超えて大きな世界と表現する世界。時間的空間的に無限の大きさと表現する世界であろう。仏の世界は智慧の世界(悟り、目覚め)で仏の働きの場に身を置く者は、仏智をいただく存在になるのである。 釈尊にはじまる仏教の歴史を大局的に見たとき、この世において悟りを開くことを目指すのが当初は仏教の主流・本流であった。しかしながら、この世において悟りを開くことの困難性、そして釈尊以後この世で釈尊と同次元の悟りを開いた者が無いという現実から彼岸(浄土)で悟りを開くことを目指すという往生思想が展開してきた。 天親菩薩は『浄土論』を著し、 阿弥陀仏の浄土を褒め称え、 三厳二十九種 の功徳荘厳を説き示している。 そして、 その三厳の浄土について、 「この三種の成就は、 願心をもって荘厳せり」 といい、 浄土が法蔵菩薩の因位の願行によって成就された願心荘厳の世界であることを明らかにした。 曇鸞大師はこれをうけて 「この三種の荘厳成就は、 本(もと)四十八願等の清浄願心の荘厳したまへるところなるによりて、 因浄なるがゆゑに果浄なり」 (論註・下) と述べ、 浄土建立の因が法蔵菩薩の清浄なる四十八願心であるから、 成就された果の浄土も清浄であると説き、 浄土といわれるゆえんを明らかにした。 往生浄土の思想は、迷いから悟りへと歩む能力の乏しい存在のために提示された道である。それゆえ阿弥陀の浄土に生まれるためには、阿弥陀仏の力、迷いの世界で苦しむ生きとし生けるもの全てを救おうとする阿弥陀仏の根本的な願い(本願)に基づく力が要るのである。そして、経典に説かれる阿弥陀仏の本願の意義が、阿弥陀仏の名号(=南無阿弥陀仏)を称えるものを浄土に生まれさせると理解され、ここに称名念仏による往生という流れが成立してきた。日本においては、法然・親鸞によって念仏往生の教えとして確立した。 現代に生きる我々には自分の力を出し切って仏の智慧の世界には往くことは不可能である。しかし、仏の働きを受ける、いただくことで仏に等しい世界を生きることができる。まさにその仏の働きが本願として我々に釈尊の悟りの内容として、仏説無量寿経に説き示されていたのである。南無阿弥陀仏、名号として我々に届けられている言葉になった「仏」であったのです。我々が本願の心を受け取り、南無阿弥陀仏と念仏する時、仏と一体となる、仏の智慧をいただく身になるのです。 往生浄土は100%仏の力による、それゆえに往生する時に人間の側の条件は問われないのである。同時に仏の力によるので同一の仏智の世界、阿弥陀仏の浄土に迎えられ、成仏する。このことを「臨終一念の夕、大般 涅槃を超証す」と表現している。 第四章 死の物語としての往生浄土 科学的思考になれた医療者や一般の人に、仏教の説くところの往生浄土の世界をいかに伝えるか。それにはまず、科学的思考と仏教の智慧の相違を理解してもらう必要がある。本論文では文献(4)(6)と同じようにその相違を述べてきた。仏教における智慧は、科学的思考と対立したり競合したりするものではない。仏教における智慧は科学的思考の基盤となるものであり、科学的思考を下から支え、なおかつ包含するものと見ることができる 。 「仏教などなくても幸せに生きていける」と仏法無視の生き方をする多くの現代人であっても老(病)死から逃れることはできない。臨床の現場で課題となるのが、まさに「老病死」の受容である。科学・医学は老病死を先送りはできるが、人がそれに直面せざるをえない時、自分の人生をあたかも「不幸の完成」 や「廃品」のごとくに見て、そして仏教が語るところの空過、孤独、虚無主義(ニヒリズム)の問題に苦しむ結果となっている 科学的領域(医学の基礎として)では客観性、再現性などが求められ、誰もが具体的に認知できる形で示さなければならない。そのために死や死後のことを、科学的にとらえるのは難しい。科学で生物学的死を扱うことはできるが、本論考で問題にした自身の死、意識の死、死後の世界については、科学の及ばない宗教の領域である。 分別で考える死や死後の世界は想像でしかない。死後の世界は、理性・知性・分別の思考によっては正確には「分からない」領域である。分からない世界であるために、死後の世界の有無についていろいろな見解が出てくるのは避けられない。死とは経験したことのない未知の領域である。同時に死は、今、生きている私の存在を全くの「無」にするからである。自分の生きる意味の無、無化、虚無化は、自分の意識では受け入れられないものである。 仏教、特に浄土教が説くところの「浄土往生思想」とは、仏智を通して「人間とは何か」「人生とは何か」を大局的に見ることにより気付かされ、知らされる意味・物語だといえる。人間に生まれた物語、生きることの物語についてはすでに文献(4)(6)で述べている。その続きとしての「死」の課題である。 仏教においても人間的な発想で、能力があったり、努力が報われるような救いを考えがちであるが、浄土教は在家の「迷える、愚かな、器量の劣った凡夫」を含めた、すべての人々の救われる道としての教えである。 救い難い者を救う、すべての人が救われる万能薬には、最高の救いの能力を備えた力が必要である。まさにその力を備えた本願力が、釈尊によって、悟りの内容として『仏説無量寿経』として説かれたのである。理知分別による思考は、精神的死や死後の世界を扱うことができない。そのために知的に分かるのではなく、情緒的に受け取りやすくするために、往生浄土の物語として配慮して説かれたのではないか。 浄土という世界を死後に想定する見方は、仏教の本来の智慧の世界とは違うのではないか、この世の延長線上に楽しい世界があるという教えは、涅槃寂静なる仏の世界を表現するには矛盾があるのではないだろうか。しかし、その批判の出る理性・知性の合理的発想は確かに理に適っているが、分別の次元を超えた仏智の視点に立つと、理知・分別は知的傲慢さにおちいっていることに気付いてない。仏のはたらきの場である浄土に触れる者は、智慧の働きによって、自分の無明性、愚かさを知らされる。 自分の愚かさゆえに迷いを繰り返し、苦しみの連鎖に陥っていることを感得する時、自分の思いを翻し(自我意識の死)、仏智によって生きるように転じられ、仏の教えにしたがって生きる自分が誕生する。仏智によって生きる姿勢を正されながら、念仏して、仏にお任せして、教えのごとく往生浄土し、そして成仏に導かれる。 念仏の徳に転悪成善があるように、念仏者は無碍の一道 を歩むようになる。そこで生かされていることに気づく時、果たすべき私の役割、使命を知るのである。そして、仏からいただいた仕事を果たしていくことが主な関心事となる。そこでは死や死後のことは「仏へお任せ」するように転じられる。その思考のゆえに「念仏する者を浄土に迎えとる」の往生浄土、そして成仏の物語が素直に受け取れるのである。「無生の生」の項目で触れたように、無明の世界を絶ち切り、離れてゆく者の心情として、往生浄土と「仏の世界に生まれる」と言わずにおれないのである。 親鸞の語る現生正定聚とは、死後ではなくこの世で正定聚 に就くことである。浄土に往生し成仏するのは、すべてが阿弥陀仏の働きによる。すなわち、人が往生浄土するのは、すべて阿弥陀仏の本願力によるのである。その浄土は、阿弥陀仏によって必ず成仏することが決まっている浄土である。法蔵菩薩は五劫の間の思惟によって、衆生を無条件に救わんとして選択本願の念仏を提示したのである。仏に成った者は自然と、迷いのこの世に還相して衆生済度のはたらき、菩薩道を展開するのである。 成仏するとは、輪廻転生の苦しみの連鎖からの解脱を意味する。迷いを繰り返さない悟りの世界を生きる存在としての仏になるのである。そして迷える衆生を救う仏としての働きに就くのである。具体的には、浄土から「南無阿弥陀仏」の名号として迷える衆生のもとに届き、還相の菩薩として念仏者と一体となり智慧と慈悲のはたらきを展開するのである。 仏教の教える往生浄土の物語は、科学的思考からは受けとめることができない。それは何故なのか。我々の科学的思考の弱点として、(1)意識が煩悩、即ち我痴、我見、我慢、我愛に汚染されて正しく物事が見えない。(2)分別して考えるために局所的思考となり、全体が見えない。(3)物事のからくり(how to)を解明する計算的思考であって、全体的(根源的)思考、何故(why)を考えることに適してないことに気付かなければならない 。 仏教は日本の文化に、内観、すなわち自分の相(すがた)、自分の深層意識の思索を展開させることにおいて貢献したと言われている。仏智の思考、仏が示すところの内観の世界を知らされる時、我々が教育を通して身に付けて来た思考方法(特に医療関係者が教育されてきた科学的思考方法)の限界性に気付く。同時に自分の愚かさ、罪悪深重、煩悩具足を痛感する。 仏法の智慧の世界を受け止められるようになるためには、仏法を聞く(具体的には法話を聞く、聞法)ことに代表される仏法の学びが望まれる。よき師・友の人格性を通して感得する仏智の世界がある。仏智に照らされる時、理知分別が煩悩に汚染され、物事を正しく見ることができていない自身の愚かさを、身をもって知らされる。そして分別の次元を超えた仏の圧倒的な、大きな世界(無量光、無量寿、南無阿弥陀仏)を思い知らされる。その学びの歩みにおいて、迷いを超えて依るべき大地、浄土があることを感得することにより、仏教への理解が深まる。 仏の存在を疑う現代人でも、仏教の智慧によって育てられ、照され、分別の自我意識が破られると「仏は、私の愚かさと迷いの姿をはっきりと知らせるはたらきにおいて存在する」と受けめられるようになるのである。そして仏のはたらきの場としての「浄土」を感得するようになる。そこに仏道を歩む人が誕生する 仏の智慧に照らされて、自身の凡夫性に気付き、その凡夫を救わんとする仏の本願力、仏の働きが感得される。自我意識の闇が破られて、「依るべき仏の世界、迷いを超えた浄土がある。依るべき浄土がある」と教えるのが浄土教である。南無阿弥陀仏に込められた智慧と慈悲によって、人間に生まれた物語、生きることの物語、死んでゆく物語に気付き、受け止められるようになる。そして本願、念仏の教えにより迷いの連鎖、苦しみの輪廻より解脱して生老病死の四苦を超える道に導かれる。 自身を取り巻く外の状況について、善悪、好き嫌い、損得などの分別ばかりしていた者が、「その事象をどう受け止めるのか」という内面性が大切であることに仏智によって気付くのである。そして仏智によって、与えられた外的種々の条件は私を生かし、支え、教え、鍛えようとしていることに目覚める。そうすれば生かされていることで果たす、自分の与えられた役割・使命を精一杯、果たし遂げるという生き方に導かれる。それは完全燃焼するが如く、一日一日を念仏して未練なく生き切って、燃え尽きるように生きることになる。そこには、「今」、「ここ」に、「生きる」ことに徹する、いわゆる「私になりきる」ことが実現する世界である。そのような世界を生きる者には、「死」や「死後の世界」は2次的な問題となり、「私になりきる道」を教える仏に任せて行く人生を生きることになる。 臨床の現場で、医療者が患者に寄り添うためには、感受性、共感する力、包容力などが求められる。本願の教えに触れて、仏智から見える人間観察、人生の意義・物語を受けとめることができるようになる時、医療者は、深く、大きく、幅の広い包容力のある人格へと導かれるであろう。 第五章 結論 医療者は患者の苦悩を救わんがために、病気の治療において、最新の科学的進歩を出来るだけ取り入れて取り組んでいる 。確かに治療のための努力はしているが、患者の精神的な苦悩を救わんがための取り組みは不十分なのではないだろうか。病気に対する生物学的な治療への取り組みの姿勢は素晴らしくとも、老、病、死の問題に苦悩する患者の心の内面の精神性への配慮が抜け落ちてしまうことが多い。 医療者、特に医師は唯物論的・科学的思考を訓練されており、患者の医学的全身管理などを学ぶため、人間を全体的に把握できるというような自信を抱きがちである。その現場では仏教的な要素の関与はなくても生命維持の管理が可能な現実がある。そのために仏教の智慧の学びがなくとも、医療現場では対応できていると考える傾向になっている。それ以上の取り組みは患者の私的な心の問題として、対応しようとする発想が乏しいのである。 臨床の現場で老・病・死に直面して、患者から「何のために生まれてきたの」「私の人生ってなんだったの」「何のために今日まで生きてきたの」「どうして私だけこんなめにあうの」「死ぬってどういうこと」「死んだらどうなるの」「火葬場で焼かれるのは嫌だ」 などの訴えがなされる時、科学的思考に立つ専門職の医療人はほとんど対応できないという事実を、謙虚に受け止めるべきであろう。なぜなら医療の基盤は科学的合理思考(客観性、再現性などを重視する)であるために、死や死後の世界については、知識がないか、またはそのような領域があるという発想に至らないのである。 この課題に答えるのが仏教的思索の蓄積である仏教文化である。特に仏智によって気付かされる「物語性」が注目される。本論文の第一章では人生観、価値観、死生観と言われる物語性の大切さに言及した。そして第二章では、本論文が主題とする「死にまつわる物語性」を考えるために、生物学的死、仏教の視点からの死を考察した。 釈尊の誕生以前、インドでは輪廻転生の思想があり、生まれ変わり死に変わり苦の連鎖が続くと考えられていた。釈尊は瞑想修行を通して、苦の連鎖から解脱する道に目覚め、生老病死の四苦をこえる救いの道を説いた。そして浄土の教えでは、「死」は迷いの連鎖を超えて、往生浄土し、成仏へと向かう一通過点である、と示している。 浄土教とは、迷いの世界である娑婆(この世)の命を終えて悟りの世界である浄土に生まれることを目指す仏道である。第三章では「死後をどのようにとらえるか」を考察した。読者諸氏には、科学的思考と仏教の智慧の思考の違いを踏まえることで、科学的思考が局所的であるという弱点に気付いてもらいたい。治療のためには最新の科学的知見や技術をもって対応するように、患者の苦悩にも哲学・宗教的な深い思考、文化の蓄積の助けを借りて対処することが願われる。医療者の発想に仏教的発想がないことが多く、医療者は患者も自分と同じと思い込む危険がある。そのために宗教的配慮によって患者に寄り添うことが足りないのではないか。 仏の世界は「通常の思考の次元を超えた」と表現される智慧の世界である。そのために科学的思考による死の受けとめとは質的に異なる視点に立つ。医療従事者には、生死の四苦を超える仏教の智慧に耳を傾けてほしい。人が死を受け入れるという問題が、医療者には対応できない分野であることに気づき、宗教者とチームを組んで取り組むことが願われる。 臨床の現場で老・病・死に直面する者が、これから厳しい修行が求められる菩薩道を歩まなければならない仏道であるならば、患者には実現不可能であろう。体力も弱り、不安や苦悩で考えることもでき難い患者には、患者の置かれている状況、備えなければならない条件を問わない浄土の教えにこそ救いの可能性を見出すことができるのではないか。 「汝はこれ凡夫なり。心想羸劣(るいれつ)にして未だ天眼を得ず」 と言われるような我々に菩薩に等しい生き方を実現する方法として、浄土の教え、念仏が説かれて、伝えられたのである。道綽の言葉のごとく、時代、そして人間の資質を考慮するとき、浄土の道こそ、すべての人に実践可能な道として開かれていることを自分の身に引き替えて知ることになる。 死や死後の世界は我々の理性知性の分別から言うと、分からない領域である。分からないという理知分別の無明性、愚かさをはっきりと指摘するのが仏智の世界である。仏の悟りの内容として説かれた浄土の教え、「念仏するものを浄土に迎えとり、浄土にて必ず成仏せしめる」との仏の誓いがあり、さらに成仏した者は仏の世界,涅槃より迷える衆生を救うはたらきの菩薩となって、この世界で還相のはたらきを展開する仏にならしめられる。 往生浄土の思想の特質として、衆生に受け入れやすいように情的な面を尊重して物語として神話風に説かれている点を挙げることができる。往生浄土と言うと「浄土」が実体的存在であることに執われる危惧がある。即ち、浄土を彼方の世界として憧憬し、仏を慈愛に満ちた救済者とする情的な把握につながるということである。しかし、仏の智慧に照らされる歩みの中で実体的な浄土への思いや執われも仏の智慧によってさらに解放されるであろう。 自分の愚かさと迷いの生の実態に気付かされる者は、今ここで生かされて生きることの精一杯を生き、後は仏にお任せするのである。仏の働きを感得する者は死や死後の未来を夢見るのではなく、今、ここで浄土の教えに乗託して、念仏して、与えられた時を、与えられた場所で、与えられた役割を、今までお育ていただいた報恩行として歩む勇気をいただくのである。その念仏者の心意気は、「讃仏偈」に「仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔(たとひ身をもろもろの苦毒のうちに止くとも、わが行、精進にして、忍びてつひに悔いじ)」と、法蔵菩薩の全存在をかけた願いの宗教的心情が表白されているように、往生浄土の道を歩むように導かれるであろう。 「死の縁、無量」と教えられるように、どのような死に方のご縁に廻り会うかは、全くわからない、人知の及ばないところである。そのことを今、取り越して心配、不安な心で生きるのではなく、いや心配せずにはおれないとしてもその事実を、「これが私の現実、南無阿弥陀仏」と念仏に返して、限りなく仏の働きに触れる生活をさせていただくのである。そこには生死を超えた、「仏へお任せ」の世界が展開する。 臨床現場で、「死んだらどこへいくの?」という子供の問いに、「お浄土にいくんですよ」「仏さまのところに帰るんですよ」と話をし、亡くなられた人の遺族・知友の方々に、「だれだれ様はお浄土へ帰っていかれました」と答えることのできる対話が成立する文化が生まれることが願われる。 老病死を受け止められずに、患者や家族が種々の訴えや愚痴を発する時、寄り添って、「頼りになる仏がいらっしゃる」「目覚めさせる仏のはたらきがある」「依るべき浄土がある」「帰っていく浄土、そして懐かしい人々と再会を期することのできる浄土がある」と伝えずにはおれないのである。 |
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