「医療現場で求められる仏教」 田畑正久 日豊教区・四日市別院 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要法話集@ 二〇一六年十二月一日発行 日豊教区出版委員会編集発 医療と仏教の協力 皆様こんにちは。今回、この場をお借りして、私が取り組んでいる医療と仏教の協力ということを紹介させていただきたいと思います。日本の文化、特に医療文化の中で、仏教というものが一緒にやっていけるようになるといいなと思い、いろいろとお仕事をさせていただいています。そして今は龍谷大学でそういう取り組みをしながら学生さんと一緒に学んでいます。 大学で関わる寺族の学生に、医療と仏教は別々の世界だと思っていたという人が多いのです。確かに、私自身も外科の仕事をしながら仏教の学びをしているときに、医療と仏教は別々の世界のような感じがしていました。しかし、秋月龍aという埼玉医科大学の哲学の教授が、医学部の学生さんに「皆さん方がこれから医療の仕事をするということは、人間が生まれて、生きていくうえで必ず老いて、病気で、死ぬという生老病死に医療は係るのですね。仏教は生老病死の四苦に取り組み、その解決の方法を見出しているのです。2500年の歴史を通して、医療と仏教は同じことを課題にしているのです。ですから医療に携わる者はぜひとも仏教的素養というものをもってほしい」ということを語りかけていたということを本で読みまして、私が仏教の学びをするということと、医療の仕事するということは同じことの課題に取り組むのだということ知らされて、勇気づけられたことがありました。 しかし現在、日本の医療現場は宗教性がほとんどないような形で展開をしております。キリスト教の病院や、奈良にあります天理よろづ相談所病院など、宗教者が常駐している病院があるにはありますが、多くの国立病院・大学病院には宗教者はいません。真宗大谷派(東本願寺)関係であれば、新潟県の長岡西病院に、緩和ケア病棟、ビハーラ病棟がありまして、そこにお坊さんが常駐しております。浄土真宗本願寺派(西本願寺)ではあそかビハーラ病院にお坊さんが常駐して、患者さんのいろいろな苦しみ悩みに対応しているという形になっています。 多くの人は、別に病院にお坊さんが来てもらわなくても良いという思いが多いかも知れません。医療がどのようなことをやっているのかと言えば、私が外科をしていたときの話ですが、例えば、大腸ガンの手術をして経過をずっと診ていき、五年経ったところで、「あなたもう大腸ガンの心配ありません」と言って、開業医の先生におかえしをします。ところがその二年後に黄疸、体が黄色くなって病院へ帰ってきた。調べてみたら、今度はすい臓ガンができていて、すい臓ガンが肝臓にたくさん転移して、結局手がつけられない状態でお亡くなりになりました。このように、医療ができることは、老病死に捕まることを五年や七年先送りにはできるわけです。しかし、そこで必ず死ぬわけです。ということは、医療は必ず敗北で仕事が終わるわけです。 この老病死に対して、仏教の場合は生死を超えるという形で教えてくれているわけです。この「超える」ということはなかなか理解しづらいのですが、本当にその生死を超えたらどうなっていくのかというと「人間に生まれた良かった。生きてきて良かった」と言って人生を生ききっていけるというのです。そして死んでいくときは仏様に「おまかせ」って形ができる。この「超える」というところが大事なのですが、医療界の先生たちには解りづらいことですし、お寺にお参りしない一般の人はそういう世界は信じられないということが多いわけです。医療と宗教が一緒になって、一人ひとりの生老病死の四苦に取り組むということは、なかなか理解しづらいところもありますが、なぜ協力できるのか、この原理を少しだけご紹介しておきます。 生老病死の四苦 仏教で四苦と言われる「生老病死」ですが、苦がどうして起こるのかというと、私の「思い」と私の「現実」、ここに差があるためです。例えば、病気をしたという「現実」が出てきた時に、この病気を私たちの「思い」である「健康でありたい」ということに戻す仕事を医学・医療は担っています。確かに病気で苦しんでいる場では、病気が治ることによって、患者さんが救われて、苦しみが少なくなるということもあります。ですからお医者さんに対して、医療ミスや医療過誤が無いようにしっかりと治療をしてくださいということを言うわけです。 ところが、もう病気が治らない状態になることは当然あり得るわけです。今、国民の二人に一人がガンになり、三人に一人がガンで死んでいるという統計が出ているわけです。このガンになって良くなる場合はあります。しかし、先ほどの話のように、一つのガンが良くなっても、また次のガンがでてくるという、つまり「健康でありたい」という思いに医療が応えられなくなってきた時に、お医者さんが苦を少なくしてくれるかといったら、もうこれはしてくれません。 ただし、痛みをとるという治療は非常によくなりました。私が大学卒業した当時はガンの患者さんというのは結構痛んでいました。ところが、今から三十年くらい前くらいに、ガンの痛みには麻薬を使うことができるようになってきました。もちろん以前から麻薬を使うことによって痛みが取れるというのは解っていましたけれど、安全性や副作用に問題があるのではという懸念があったのです。医療の進歩の結果、副作用、便秘になるとか、眠気がくるとかはありますが、ガンの痛みに対して麻薬を使えるようになりました。このことが医療現場には非常に助けになりました。今はガンの痛みに対してはあまり心配しなくても良いと思います。 ところが、麻薬で痛みを取ったとしても、病気がよくなった訳ではありません。必ず死んでいくということが見えてくるわけです。その時に、「なぜ私は悪いことしていないのに、こんな病気になったのだ」「死んだらどうなっていくのか」という、様々な心の悩みが表面に出てくるようになってきたのです。この時、医師や看護師は悩みの種類によっては、もう対応できないような状態が出てくるわけです。 この状況に対して、何もできないのではないかとも思うのですが、仏教では、禅宗でいうならさとり、浄土教でいうなら、お念仏の心をいただいて、信心という世界に出させていただくことによって、結果として、私の「思い」が私の病気を受容する、つまり私の「現実」を受け止めて生きていくということで、この「思い」と「現実」の差を縮めることができるということがあるわけです。 これがまさに「生死を超える」というかたちで、私たちに教えられている仏教の智慧の世界です。ですから、一人ひとりの患者さんの苦しみ悩みを少なくするためには、医療と仏教が一緒になって一人ひとりの苦しみ悩みを聞く、そして協働して対応するということが求められる時代になってきているということです。 医療現場と宗教者 ところが、日本の医療現場はお坊さんを受け入れる土壌がありません。私は昭和5五十八、五十九年ごろに研究のためアメリカのシカゴのノースウエスタン大学に行っていました。シカゴには、西本願寺と東本願寺の別院があります。そこの開教師の人と仲良くなって、いろいろ話を聞きました。アメリカでは門徒さんと言わずにメンバーと言うのですが、メンバーが入院したら必ずお寺に連絡が来るのです。そして、お坊さんが病院にお見舞いに行くことが仕事になります。お見舞いに行かなかったら職務怠慢といって叱られます。その上、お坊さん、つまり宗教者が行くと、病院のどのようなところでも自由に入らせてくれることになっています。そこには、一人ひとりの苦しみ・悩みを取るのは、医療だけでは解決ができない。医療と仏教(宗教)が協力するということが大事だということがあるわけです。医療は確かに病気をよくする。しかし、それができなくなってきても、この現実を受け止めて、本当にお任せしますというかたちで超える世界がある、ということが原理としてあるのです。 時間の都合で細やかなところまではご紹介できませんけれども、ご紹介したいことがあります。大谷派の大谷大学や、本願寺派の龍谷大学のようにお坊さんを育てる私立の大学はありますが、今から四年ぐらい前から、国立の東北大学で臨床宗教師を育てるコースが始まりました。臨床というのは患者さん、病気の人に直に接するということです。この講座設立に、一生懸命支援をしたのが岡部健という医師です。 この先生は肺ガンの専門家でした。ガンの痛みをとる治療もやっていました。しかし、先生自身が胃ガンになり、そして、手術を受けるときには、既に肝臓にも転移していて、胃の手術と共に肝臓も一緒に取った。ところが、術後にすぐまた転移が見つかって、ガンの患者さんの世話をしていた先生が、今度は自分がされる立場になってきたわけです。そしてこの先生がおっしゃるには「日本の文化というのは、美味しいもの、美しいもの、良い音楽と、そういう情報はたくさんあるけれども、いざ自分が老病死に捕まった時には、死にゆく者の道しるべを失っている。そのことに驚いた。やはりそこに宗教者が常駐して欲しい」ということなのです。 医療の現実 もちろん医療が助けられる間は助けてもらわなければならないのですが、こういう現実があるということをご紹介します。これは二〇一五年の六月に『日本医事新報』という医学関係の雑誌のお医者さんが書いている文章ですが、ガンの中でも、ステージがT・U・V・Wとあって、ステージのTはほとんど九十五パーセントは良くなる。一方、ステージのWは、もうほとんど良くならない。必ず死んでいく。そういう意味だと考えて下さい。 ちょっと読ませていただきますと、「食い物にされるステージW。全身に転移したステージWの五十歳代の胃ガンの患者さんがおられる。まだ若いので、なんとかガンを克服しようと必死で戦っておられる。抗ガン剤、放射線治療、免疫療法、温熱療法、そして、民間療法等々、なんと三つの病院をかけ持ちされている。それぞれの病院を検査しては、それぞれの治療を受けている。その上に温熱療法や免疫療法や民間療法も並行して行なっている。つまり、六つの医療機関にかかっている。当然、超多忙だ。衰弱して、もはやでは歩けないため身内が付き添わなくては外出できない。ご飯も十分に食べられずガリガリに痩せてきた。在宅医療を依頼されるも連日通院中で訪問日の調整がつかない。複数の医療機関へ通院自体の大きな負担になっているのだが、本人はそれにも気が付かない。いや、薄々分かっているはずだが認めたくないのだろう。どこの医療機関の医師も、「一緒に治しましょう」としか言わない。「もう治療やめようよ、やめ時だよ」なんていうことを言う医師は、ひとりもいない。それどころか、全身骨転移の痛みが強いので、「在宅で緩和治療、痛みを取る医療をしましょうか」と提案したら、免疫療法の主治医から、「まだ早い」と言われた。その患者さんに接していると、ステージWに、たかられているように感じ、一方、ご家族は、経済的理由もあり、「早く高価な治療はやめてほしい」と願っている。世の中には、ガンを治す為の、さまざまな情報があふれている。誇大広告を鵜呑みにした患者さんは、「全部組み合わせれば、何とかなるかも」と、すがりがちだ。周囲を見渡すと、現在のガン治療ではステージWの患者さんは結構さまよっておられる。」 これはお医者さんの原因だけでもないのです。製薬会社に勤めていた、私よりも三つ若かった従兄弟が四十九歳のときに腎臓ガンになって、いろんな治療をして、最新の治療、実験的な治療まで次々と受けたのですが、治療するたびに転移が見つかったりして、病状が進むわけです。その従兄弟は札幌に住んでいましたから、私が電話で相談を受けた時に「もう、病気を良くする治療ではなくて、痛みを取るという治療のほうに移って行ったらどうなの」と言いました。そうしたら従兄弟は「明るい方向が見えないというのは、いたたまれない」と言うわけです。明るい情報はいっぱいあるのだけれども、いざ老病死に直面して、必ず死ぬということが見えてきたときの、道しるべが無いわけでしょう。だからこの言葉が出てきた。それ以上、私は言いようがなかったです。 だから、お医者さんだけでなく、患者さんたちもやはりよくなるという方向しかないのではないかと思っているわけです。死んでしまえばおしまい。往生浄土して人生を生ききるということではなくて、良くなるという方向しかイメージできないというのが、仏さんの智慧で言えば、分別というものの愚かさで迷っている姿ということなのでしょう。 続きでこんなことも書いています。「ボクシングであれば、セコンド係がタオルを投げ込んで試合をストップさせてくれるので、ボクサーはリングでは死なない。しかし、現代のステージWは、黙っていたら死ぬまで闘わせられる。町医者をしていると、こうした、食いものにされるステージWの若い患者さんとたまに出会う。現代のガン医療を、横断的に見てしまうと、まず、医療拒否本を渡してあげようか、と思うときもある。くもの糸にすがる患者さんには、今さら、町医者が言っても、聞く耳を持たないことが多い」それぐらい、現実を受けとめて生ききっていく、そういう仏様の世界の文化が無くて、それがないと思っているものだから、駄目とわかっていながらお医者さんは「一緒に治しましょう」とこう言うしかないのでしょう。 朝生まれ、夜死んでいく私たち 私は死を越える道があるということを今回是非ご紹介したいのです。私たちは、今、生きていて、そして未来のどこかで死ぬ、とこのように思っています。しかし、仏教の智慧の世界が教えられてきますと、私たちは一刹那ごとに、生滅を繰り返しているということが見えてくるのです。そうすると、未来に死ぬのではなくて、今日の朝、目が覚めたときに「今日もいのちがいただけた。南無阿弥陀仏」と、お念仏でスタートし、そして、今日の夜、休むときに、「今日のいのちはこれで終わりだ。死ぬのだ。南無阿弥陀仏」で、死んでいく。お念仏で今日の夜死んでゆくという世界です。 一日一日、朝、目が覚めてその日を初体験する私が誕生して、その初体験した私はその夜死んでいく。毎日が一日一日の足し算なのです。このような世界をお念仏の智慧によって気付かされて来ますと、明日はないということになります。本当は今日で終わりなのです。その一日一日の足し算が、結果として、一週間になり、一月になり、一年になり、十年になっていくということです。 この足し算の人生を生きましょう、ということはたしか鈴木章子さんという方が、自分がガンになってそういう世界に気づいた、ということを本に書かれています。この世界が、いわば仏教の智慧の世界なのです。毎日毎日がもう終わりだ(完結している)、今日しかないとなれば、今日を目的のように生きていこうとこのような世界が展開します。 よその世界のように思うかも知れませんが、ついでにちょっとご紹介しておきましょう。加賀乙彦さんという精神科のお医者さんでもあり、小説家でもある人です。この方が、死刑囚と無期懲役囚の研究のため、死刑囚の人たち百人と面接をしています。そこに行くと、静かにしなければいけないはずなのに、ものすごく騒然としているのだそうです。しかし、ある時たまたま朝七時くらいに刑務所に行ったら、あのにぎやか所が驚くほどシーンとしていた。「どうして今日は賑やかでなく、こんなに静かにしているのですか」と看守の人に聞いたら、日本では死刑執行することが、朝の七時から七時半の間に告げられるのだそうです。だから皆、今日は自分の番かもしれないとシーンとしているのだそうです。そして、七時半を過ぎた瞬間に、「ああ。大丈夫だ」とにぎやかになる。これを毎日繰り返しているわけです。 一方、無期懲役囚の人たちはどうかというと、無期懲役囚が収監されているところに行って同じように面接をします。ところが無期懲役囚の人たちは、全然賑やかではなく、静かで、言うことをよく聞いて、なにか生ける屍のようだというのです。たまたまレクリエーションでソフトボールをしていた時があった。ある人がホームランを打ったけれども誰も拍手しない、もうまさに時間つぶしをするように生ける屍のごとくというのです。死刑囚の人で裁判の結果、無期懲役に減刑になって移ってきた人もいたようです。向こうにおるときはもの凄くにぎやかだった人が、一週間もしないうちに皆と同じようにボーっとなっていく。 加賀乙彦さんはこのことについて「死刑囚の人達には残された時間が一日しかないから、その一日をいかに使おうかということで濃縮な一日を過ごそうとする。一方無期懲役の人たちは死ぬまで保障されている。」とこう言います。皆さんは税金や介護保険料を払っていると思いますが、刑務所の人たちは全部要らないのです。でも死ぬまで保障されている。だからボーっとなる、死ぬまで大丈夫だとなる。 そこで加賀さんは一日一日が区切られていることと、区切られてないことが、一人ひとりの生き方を生き生きさせるかどうかに深くかかわっているというのです。 空しく過ぎるということ 先ほど私が述べたように、朝、目がさめた時に今日の命がいただけた。そして今日休む時に、今日の私は死んでいく。その間を思い出して南無阿弥陀仏とお念仏をする。そうすと、明日の朝、目が覚めなかったら死んだということですから、往生浄土におまかせでしょう。もし目覚めたら、あれは寝ていたということで良いわけです。その一日一日の足し算をしていくということが、お念仏で私たちが本当に生きることの輝きに導くのです。仏さんの智慧をいただく、お念仏によって智慧をいただくというかたちで、一日一日を目的のごとくに過ごす。 どうして目的のごとくに過ごさなければいけないかと言うと、キリスト教が背景にある人の話ですが、パスカルが『パンセ』の中で、「明日こそ幸せになるぞ、来年こそもうちょっと良くなるぞと言って、いつも明日のための準備が今日だという形で生きている人たちは、明日こそ幸せになるぞ、明日こそ幸せになるぞと死ぬまで幸せになる準備ばかりで終わる」と書いてあるのです。明日のための準備ばかりで終わったら、この終わった後、なんかむなしくなるのだというのです。仏教が教える一番の罪は、人生空過なんです。人生を空しく終わったということが、仏教が教える一番の人間の罪です。 どうして罪かと言えば、せっかく人間に生まれながら、人間に生まれた甲斐がないままむなしく終わるからなのです。伊藤元という先生が、お念仏の心をいただくということは、人間に生まれてよかった、生きてきてよかったという人生を歩むものになってほしいということが、お念仏の心ですと言われます。ということは、お念仏に出遇ったら、必ず人間に生まれてよかった、生きてきてよかった実りある人生を得た、ということになる。 それを、明日こそ幸せになるぞと死ぬまで幸せになる準備ばかりで終わったら何か空しくなっていきます。これは仏教が教えるように、せっかく人間に生まれながら、人間の生まれ甲斐が分からないで終わってしまうということです。私たちがお念仏の心をいただくということは、そういう実りある人生に私たちを導いてくれる世界があるのです。このことに気付かずに終わっていったら、まさにむなしく終わったということになります。 医療と仏教の協力例(小牧専一郎医師) 少し臨床宗教師の話に戻らせていただきます。先ほど紹介したように臨床宗教師というような資格で、お坊さんが病院の現場で働く取り組みをしている人がいます。長倉伯博先生という本願寺派のお坊さんですけれども、鹿児島のほうでお医者さんと連携をして、患者さんの苦しみ悩みに対応しているお坊さんがいらっしゃいます。その長倉先生と最初に一緒に連携した小牧先生という方が私の大学の先輩なのです。大学の仏教青年会の先輩でもありますが、その先生をご縁にして、長倉先生が病院のなかで仕事をするようになったらしいです。 この小牧先生は、鹿児島の別院で聞法されていて、是非とも医療と仏教は協力をしたいという思いがあったらしいです。長倉先生は協力をもとめるために百件以上の病院に問い合わせたようですが、全部断られたというのです。そのような時に、高校の先輩である小牧先生から声をかけられたそうです。私はお医者さんのほうの受け取りはどうなったのだろうかという情報は集めておりましたが、この先生はすでに肺ガンで亡くなられておられて、奥様から情報をいただきました。その情報をもとに、小牧先生はどう考えていたかということをちょっとご紹介して、病院で医療と仏教が協力するということの一つのヒントを考えてほしいです。 小牧先生の文章です。「私自身は、かねがね終末期の医療に仏教を組み込まねばと思っておりました。枕元にお坊さんに来てもらうことを希望する患者さんがいたら、是非お願いしようと思っていました。そして遂に二人の方に巡り会いました。一人は、斉藤さんという五十八歳の男性。お腹のガンで、三年前から三回の手術を当院で受けた方です。最後の手術では、いろいろな臓器にガンがくっついており、完全に取ることが出来ませんでした。ほとんどガンの半分は残してお腹を閉じました。そのことは彼に伝えてなかったのですが、時間とともに増大し、いよいよ最後が近づきました。しかし、いかに腹がぱんぱんに張って赤く痛くなろうとも、愚痴一つ言わず耐えていました。私は彼の見事な耐えっぷりを、驚嘆の眼差しで見ていました。でも、いよいよ一人では歩けない程重症の段階になって、死を覚ったのでしょうか、悩みをしゃべり始めました。特に気になっていることといえば、その昔つまらない夫婦喧嘩で家を飛び出し、以後妻子の生活の面倒をみなかったこと。それが原因で実家の出入りも難しくなり、実の母の葬式にも出なかったことでした。これを聞いて、初めて彼がじっと痛みを耐えていた理由が分かったような気がしました。つまり自分を罰していたのです。しかしながら、私がこの悩みを聞いてあげただけでは、何ら彼の心の重石を取ることにはならなかったようです。そこで私は、これこそお坊さんにお願いしようと思い、長倉先生にお願いすることになりました。先生は心安く来て下さいました。患者さんの、その前後の興奮状態は見ものでした。その日は朝からそわそわしていたのです。私が病室に行くと、一人歩きも出来ない状態なのに、『何を着ましょうか。何をお礼にしたらよいでしょうか』と聞く姿は、まるで小学校の遠足前というところでした。二人部屋でしたので、その間だけ一人部屋に移しました。そしていろいろと話をしたそうです。後妻の奥さんも一緒でした。」 この時に、小牧先生が院長をされていた病院の他の内科の先生が、このように言っていたそうです。「うちの院長は変な事をし始めたな。病院に坊さんなんか呼んで、頭がちょっとおかしくなったのではないか」と、こう言っていたそうです。批判的だったお医者さんがいっぱいいたということです。しかし、「お坊さんが帰られた後の彼の晴れ晴れとした顔、これは一生忘れられません。よかった、よかったと繰り返すのです」このことがあって、他の先生達もそういう患者さん方にお坊さんを呼ぶようになったというのです。 「後日、長倉先生に、『どういう話をしていただいたのですか』と尋ねたところ、要点としては二つあった。一つは、世の中にはこの方よりも家族に酷いことをした人がおり、そうした人でも、仏さんはちゃんと救って下さるということ。もう一つは、母への供養のお勤めをお寺でしてあげる約束をしたこと。このようなお話を我々医師にせよと言われても、それは逆立ちしても出来ません。その道の方が、それらしく喋って、始めて有り難くもなろうというものです。お蔭さまでこの方は、ながらく先生がまた来ると約束して下さいましたので、それを楽しみに残り二十日位を生ききりました。往生の後の彼の顔は安らかで、正直ほっとしました。後日ながくら先生と話をして分かったことですが、一回目の訪問の折、『今何が一番気がかりですか』と問い、その問いに対して彼は、『後妻が神経痛を患っていまして、私がいなくなった後苦労をするかと思うと不憫でなりません』と言ったそうです。するとそれを傍らで暗い顔をして話を聞いていた後妻の顔が、ぱっと輝いたそうです。後妻という立場にしてみれば、これ以上の愛の告白はないと思います。結局この方に対するビハーラの役割としては、本人に安らぎを与えたのみか、残された人にも愛を残したといえましょう。とても医師の私に出来ることではありません。本当にお坊さんにお願いしてよかったと思います」 「おまかせします」という世界 癌を患い、必ず死んでいくという場面、医学でも対応出来なくなってきた時にでも痛みを取る治療は出来るわけです。そうすると、頭はしっかりしている。そうすると、いろんな悩み事が出てきた時、中でも宗教的な問題が出てきた時に、死にゆく者の道しるべを失った日本の文化では、死んだらどうなるのかという問題とか、罪悪感という問題を抱えている人達に対して、救いの道は医師や看護師では対応出来ない。ですから医療関係者と宗教者の両方の取り組みにおいて、一人ひとりの患者さんの苦しみや悩みに対応できるということが要るわけです。 私も長い間、四十年近く医師をしていて、患者さんから、「お坊さんを呼んでくれ」という話は出てきたことはありません。だけど是非とも、そういう問題が出てきたら、「お坊さんに来てほしい」という声を上げてほしいわけです。また、声を上げられるような坊さんになってもらいたいと思います。病院がお坊さんを呼ぶということは、国立病院とか日赤とかの病院では出来ないわけです。でも患者さんが「来てくれ」と言ったら断れないわけです。そこで医療と仏教の協力という文化が出来てくる可能性はあると思います。 もしかしたら、病院や医者に対して「痛みさえを取ってくれればいい」という期待を持っている人が多いかもしれません。しかし、痛みだけでなく、心の悩みというものを持っている人に対して、宗教的な対応も必要だと思います。何故かと言えば、今生かされている世界を精一杯生きたら、後はおまかせという世界が、お念仏によって開かれてくるわけです。 そんなことはなかなか出来ないと言うこともあると思いますが、その出来ないという分別が、仏さんの智慧に照らされたら、愚かで、迷いを繰り返して、浅くて、狭くて、幸せを目指しながらも、結果として老病死に捕まって、正に不幸の完成で終わるという愚かさになっていっている。このことに気付いていくならば、自分の分別を拠り所とするのではなくて、仏さんの智慧を拠り所として、お念仏におまかせしますという世界に出される時に、本当に今を精一杯生きる道に導かれて、後はおまかせになれる、と仏教は教えているのです。 そのおまかせが出来るお念仏の心に、常日頃の聞法ということを通して私達が導かれるならば、正に本当に医療と仏教が協力して、一人一人の苦しみ、悩みが、「本当におまかせの世界で解決でき、生死を超えていける」と言える世界がある。 私は幸い若い時に、仏教の先生に出遇って、仏教の教えを通してそういう世界があるのだということを教えていただいてよかったと思います。本当に今日本の文化に、医療と仏教が協力するという文化が求められている時代ではないかと思わされています。今日はご清聴ありがとうございました。 |
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