「念仏の教えを通して考える対人援助」 佐藤第二病院院長、龍谷大学客員教授、大分大学非常勤講師 田畑正久 第十五回事務職員研修会(東本願寺大谷学園) 「会報」(2018年度版、p29-51.2019.10.10.発行) みなさんこんにちは。ご紹介いただいた田畑です。皆様とは初めてのご縁のように思いますので、自己紹介をしながらお話しをさせていただきます。浄土真宗との出会いは私が大学の五年の時でした。福岡教育大学の化学の教授の細川巌先生が「仏教研究会」をされていて、その会に参加したのがご縁で浄土真宗の学びを始めました。先生に出会って、蓮如上人の御文の中に「宿善開発して、善知識にあう」(真宗聖典七九〇頁)という言葉があることを聞いて、あぁ自分の出会っている浄土真宗とはこういうことだったのかということと、じいちゃん、ばあちゃんがよくお寺に参っていたことも宿善だったのだと思わせていただいたわけです。ただ、私は一九四九年生まれですので、戦後のまだみんなが貧しい時代に生まれて育ちました。学校の教育には歴史で習うぐらいで、宗教教育は全くありませんでした。だけど、仏教に対する偏見だけは持っていました。それは、仏教はまだ科学が発展してない時代、死ぬ間際の人が藁をもつかむ思いで「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」と言っているのが宗教だろう。科学が進歩したら宗教は役割を終え、人間はみんな幸せになる、快適な人生が送れるという偏見を持っていました。 私たちが大学に入った時代は学園紛争の騒然とした雰囲気の時代でしたので、いやおうなしにいろいろ考える機会はありました。たまたま剣道をしていて、剣道部の同級生が大学の仏教青年会に入っていました。その仏教青年会は、医学部と法学部の先輩方が色々なボランティア活動をしていまして、そのボランティア活動の加勢をする学生は部屋代が「ただ」でした。私は仏教には全く関心がありませんでしたが、部屋代が「ただ」の方にひかれて仏教青年会に入りました。週に一回朝六時半に起こされて、仏間で勤行をしていましたが、その勤行は般若心経で、浄土教とはご縁がありませんでした。 二年目にその仏教青年会の総務という係になりました。自分では仏教はもう世の中の役割を終えたものだという偏見を持っていたのに、仏教青年会の活動を引っ張るというという非常に悩ましい立場になってしまったわけです。そんな時、たまたま新聞に「福岡教育大学仏教研究会講演会」という三行か四行の、お誘いの欄が目に止まりました。他の大学でもこういうことをしている人がいるのだと思いました。距離的には四〇km位離れた所でしたが訪ねてみたのです。そこで初めて仏教の講義を聞いて、その講義が本当に私のその後の、今日まで人生を、大きく方向転換する、ものになったという思いがしております。その時のたとえ話が、今でも非常に意味深く受け取れるということがありますのでご紹介します。 先生は、私たちは生まれたままでは卵の殻の中にいる存在だとおっしゃるのです。その殻というのは自己中心の思い、私たちがよりどころにしている理性とか知性で分別(ふんべつ)して考える、その殻の中にいるというのです。私は殻の中にいるなんて思いもしませんでしたし、これしかないと思っていたのに、殻の中にいるというのです。 その殻の中で私が目指しているのは、分別で幸せになりたい。幸せのためのプラスを集めて、マイナスは少なく。その中で皆からいい人間だと思われたい。悪い人間だとは思われたくない。できれば「得」になることを心掛け、「損」になることには近寄らず、「勝ち組」に入りたい。「負け組」には入りたくない。「善悪」、「損得」、「勝ち負け」、そんなことを考えながら、卵は卵のままに、殻の中にいるままだと、卵は結局腐って、卵の死を迎えるしかない。腐って死ぬために卵は生まれてきたのかというと、決してそうではない。親鳥に抱かれ、親鳥から熱を受けて、これを仏教でいうと「教え」です。浄土教で言えば「南無阿弥陀仏」の教えを、親鳥つまり良き師、良き友を通して育てられる。そうすると卵の中味はだんだん育てられ、ものを見る眼、考える頭、食べる嘴、羽ばたく羽、歩む脚ができて、時期熟して「ひよこ」になる。それを禅宗では「悟り」といい、浄土教では「信心をいただく」という。ひよこになって殻から出て、初めてここに大きな世界、仏様の世界があるということがわかる。と同時に、自分が理知分別の自己中心の思いの殻の中にいたことを知らされる。そして、このひよこがさらに教えをいただきながら親鳥になっていく。それが仏になるということです。こういうたとえでした。 今改めて、長年お育ていただく中で色々な意味があることが見えてくるのですが、ただ最初にこれを聞いた時には驚きました。それは私の二十二年間の自分の思いや価値観が、この先生は、私をどこかで見ていたかのように、まさに言い当てられていたから驚いたのです。「これしかない」と思っていたのに、「それは殻の中ですよ」、「そこを超えた大きな世界がありますよ」と言われたのです。その後の質疑応答の時間に「今日初めてそんな大きな世界があると聞きました。一度そういう世界に出てみたいのですが、どうしたらいいのでしょうか」と質問しました。すると、「毎月一回こういう会をしていますから、一年続けてみてください」と言われました。それから一年通いました。一年経った時に「一年続けてみましたがまだよくわかりません。ただ、非常に興味深い世界だと思います」と話したら、先生が「田畑さん三年続けたらわかりますよ」とおっしゃるのです。それから続けて、途中で仏教は分かったわけではないのですが、一生聞いていく教えなのだという方向が少し見えてきました。それが四十八年あまり続いていることになります。一生聞いていくことが大事なのだと思います。 ここでまず自分自身の姿、私は自分が一番よく知っているし、自分の心の内面は他の人には見えない。自分のことは自分が一番よく知っていると思っていたのです。ところが、仏教の学びをしてきたら、自分のことは自分が一番よくわかってない。人間の心の内面や煩悩性というものを聞かされると、いや、仏様のほうがよく私たちのことを見抜いておられるという思いがあります。人間の全体像、人生の全体像を、私たちの理知分別が理解しているか、仏様の智慧の世界がよく受け止められているかという問題だと思うのです。私たちは自分のことは自分が一番よく知っていると思っているのですが、仏教の学びの中で、仏様のほうが私たちの人生、人間という全体をよく受け止めているという思いが強くなったのです。 私は大学を卒業してから外科の道に進み歩み続けてきました。医療の仕事は人を相手に病気を治す仕事です。するとたとえば胃がん、大腸がんの手術をすると術後は、一週間、場合によれば一ヶ月二ヶ月、点滴だけで患者さんを管理するということもあります。するといつの間にか、人間を管理支配できるという傲慢さに陥ってしまうのです。ところが私たち科学的合理主義で人間を理解しているのは、ほんの少しの、身体的物理的領域だけであって、人間全体を把握してないということが、仏教の学びを通して知らされるのです。そういう意味で人を援助する、人を救うとき、私は外科の仕事をずっとしてきたのですが、その中で思ったことは、本当に人間を救うのは医学か、仏教か考えた時、医学は老病死に捕まるのを先送りにするけど、最終的に人間が亡くなれば医学では敗北で仕事が終わります。ところが仏教は生死を超える道を教えると学んだら、本当に人間を救うのは仏教だという思いを強くするようになりました。 日本の医療現場はほとんど宗教抜きで展開しています。医療と仏教が一緒にやろうという文化自体がほとんどありません。たまたま私は仏教の学びと医療の仕事を続けてきました。そういうこともありまして、医療と仏教の協力が非常に大事だという思いを強くしました。私は国東の市民病院の院長を十年務めたのですが、やはり自分は管理職には向いていないという思いと、仏教の先生が「世間の仕事は余力を残してやめなさい」、「後生の一大事の解決がつかずにどうしますか」とおっしゃっていましたので、五十五歳で辞めました。少し時間ができた頃、たまたま同朋大学の田代俊孝先生とのご縁があって、「ちょうどよかった。飯田の女子短大でビハーラ看護論の講義をしてくれる人を探していた。先生来てくれないか」、「いいですよ」と安請合いしたのですが、大分から飯田までは片道八時間かかりました。それを月に一回の集中講義で五年間通いました。そこでは医療と仏教の協力という講義をさせていただきました。その後、龍谷大学の大学院で実践真宗学の研究科が立ち上げられました。これは「教学なき現場」、「現場なき教学」という問題があって、教学と現場の間の接点を作っていこうという形で始まったようです。私が育ったのは大分で、本願寺派の門徒でした。ただ、本願寺派とはほとんど縁がなかったのですが、その後龍谷大学の大学院で今年の三月までの十年間、大分で四日間、京都で二日間の仕事を続けてきました。こういういきさつの中で、私が今、今回のご縁をいただいているのだと思います。 仏教に出遇うということと、私たちがよりどころとしている理性知性のありかたについて、池田勇諦先生のお話が東本願寺のしんらん交流センターの日曜講演録の「ともしび」に載っていたのですが、「凡夫」とは「異生(いしょう)」、本来性を失っているありかたをしているのが私たちの凡夫という姿だとおっしゃっています。もう一つ思い出すのが、私の仏教の先生の「仏教というのは私たちから見たら、これは異質な世界です」という言葉です。私たちのこの分別、理性知性で一生懸命考えているけども、仏教はそれを超えたという意味で異質な世界なのです。異質な世界と言われてもわかりづらいと思いますので、配布していただいている資料の(い)をご覧ください。 東京工業大学の中島岳志先生がヒンディー語を学ばれたそうです。例えば「私はあなたを愛しています」という日本語をヒンデイー語では「私に、今あなたに対する愛の気持ちが起こって、愛の気持ちがとどまっています」と表現するのです。私たちが「あなたを愛しています」と言うと、一生変わらないはずなのに、いつの間にか変わってしまう。「とどまっている」ということは、それが「なくなるかもしれない」、この気持ちをなくさないように大事しなくてはいけないということになってきます。これは非常に仏教的、「ご縁」ということに非常に近い発想だと思います。そういう意味で外国語を学ぶということは、私たちの日本語文化を見直すきっかけになります。私は「これしかない」、絶対的だと思っていたのが相対的なのだということが知らされる、多様性に気づくご縁になると思うのです。 次に(ろ)、「能力」を見てみましょう。日本語で能力というと一つしかありません。ところが英語では「ability」と「capacity」という、どちらも「能力」と訳される言葉があります。皆さん方は教育にかかわる学校で、私は医療の世界で、方法や内容は少し違うかも知れませんが、人を相手に援助する形で関わる仕事という意味では似ていると思うのですが、abilityは課題や仕事をテキパキとこなす能力です。その仕事をしていくのに最低限必要なabilityを、医療の世界では医師や看護師の国家試験で測って、国家資格が与えられます。低いより高いほうがいい、ないよりはあったほうがいい、数量的に測定され、数量的に表現できる相対的な能力がabilityです。ところが、医療、教育、福祉といった基本的に対人援助に関わる仕事に携わる場合、その仕事に必要なabilityをいくら高めようと、それだけでは不十分だし通用しないのです。 もう一つの能力がそこでは求められます。それがcapacityです。capacityは対人的能力、人間関係調整能力といえるもので、常に人と人との関係の上に出てくる、「あの人はcapacityが貧しい人だね」、「あの人はcapacityが豊かな人だね」という、数量的に測ることも表すこともできない質的な能力です。医療・福祉・教育という広い意味での対人援助の仕事をする上でなくてはならない、より豊かで広いcapacityを身につけることが専門性を支える、専門家として求められる能力です。日本語で能力という一つのイメージでいたものが、外国語に触れることを通して、このように二つに分けて考えることができるという視点が与えられると、人間の全体を把握する、人間の全体を見るという発想や考え方をより深めることができるように思います。 このことと関係することですが、(は)感受性にも「sensibility」と「sensitivity」という二つの単語があります。sensibilityは自分に対する敏感さを意味する感受性で、周囲の人が私をどう評価しているか、馬鹿にしてないだろうか、陰口をたたいているのではないかなど他人の自分に対する目を過剰に気にする、いわゆる自意識過剰という感受性です。一方のsensitivityは目の前にいる他者に対して敏感に感じる感受性です。私の存在、言動が周囲に迷惑をかけていないか、悪い印象を与えていないかなど相手のことを慮って、配慮する感受性です。この前ある老人会でお話しをさせていただいたら、真ん前に座った人の携帯電話が鳴りだして、しゃべり始めました。その人は自分が周りにどんな影響を及ぼしているか全く無頓着なのです。そういう感受性がないのはちょっと困ります。自分が周囲からどう思われているかという感受性と、同時に、私の存在が周囲に何か迷惑をかけていないか、不快な思いをさせていないかという感受性のバランスが非常に大事になるわけです。 改めて英語の言葉を学ぶことで私の発想や考え方が相対化されて知らされる。異質なものに触れることによって、私が絶対だと思っていたものがそうではなく、相対化され、多様性に気づかされることは、私たち自身の発想や考え方をより広く深くさせていただくことになります。私は仏教を学ぶのはそういう一面があると思うのです。特に、人間とか人生を本当に全体的にみる視点を仏教の学びを通して、幅広く深く導かれていくことがあります。 余談になるかも知れませんが、医学もそうなのですが、私たちの理性知性、分別では「この世がすべてだ」、「死んでしまえばおしまいと」という世界観や発想をどうしても持っています。仏教の場合は過去から現在、そして未来という三世の救いを説くといわれています。これもやはり、人生の全体を見るという意味で大事だと思うのです。私は昭和五八年頃、研究でアメリカのシカゴにあるノーストウェスタン大学に行っていたのですが、語学があまり得意ではなく、研究についての質問ならなんとかなりますが、日常会話は苦手でした。ある時、なんとなく第二次世界大戦の話になりました。指導してくれている先生方はその戦中を経験した人たちで、日本から来た若者に、第二次世界大戦をどう考えるかと問いかけてきたわけです。私は語学が得意ではないし、何より自分が生まれる前のことをとやかく言われてもと思って、「私は戦後の生まれだから分からない」と逃げました。気持ちとすれば、自分が生きている間、生まれてから死ぬまでの、自分が関われる間のことはある程度責任を持つべきだと思いますが、自分が生まれる前や死んでから後のことは関わりようがない、つい理性知性がこの世がすべてだと思わせてしまうのです。 ところが、私たちの命を考えた時、今私たちがここにいる。この境内に木がある。木に虫がいる。今生きているものは、生命三十七億年の連鎖の中で、途中途絶えなかったということが、皆共通なのです。私がシカゴの留学から日本に帰ってきた後、『ひとりふたり』という法蔵館から季節ごとに出ている冊子があります。そこに、西本願寺の史料研究所に関わっていた金龍先生がこんなこと書いておられました(一九九九)。文化財調査の時、福井県坂井郡のあるお寺の過去帳を見る機会があったそうです。その過去帳には大体一年に一頁、亡くなった方の名前が十人前後書いてあるのですが、二百十年前の天明の飢饉の時だけは、数十頁にわたって亡くなった方の名前が記されている。たぶんこの飢饉の時、この村の半分は死んだ。そして「清く正しく美しくの家訓の家は全滅したであろう。親殺し子殺し妻殺しの生き地獄を生き延びた人たちが、今日の私に命を繋いでくれた人たちだ」と書いてありました。それを見て、生まれてから死ぬまでが自分の責任範囲だと思っていたのですが、本当にそういう過去を引きずって私が今生きている。まさに三世(過去・現在・未来)という世界があるのだと思ったのです。ホモサピエンスは二十万年、生物では三十六億年命の営みがある。この間にそれと同じような飢饉、危機は何百回、何千回と繰り返されてきた中を、今日、私たちは命をつないで生かされているのです。三世という視点がないと、人間という存在の全体像、人生の全体が見えないのではないでしょうか。 大分県の中津に大谷派の正行寺という大きなお寺があります。そこに江戸時代の末期、雲(うん)華(げ)という人がいました。東本願寺で「講師」と呼ばれる教学を支えていた人だと聞いています。頼山陽とも交流があり、ある時頼山陽が、もちろん時代が違いますからたとえなのですが、お釈迦さんと孔子が相撲をとって、孔子がお釈迦さんを投げ飛ばしている絵を描いた。たぶん頼山陽はお釈迦さんよりも孔子の論語の方が世の中で役に立つのではないか、つまり孔子の方が世の中を分かっているのではないかという気持ちで描いたのではないかと思うのです。そこに讃を書いてくれといわれた雲華さん、見るとお釈迦さんがニコーと笑っているように見える。筆を取ると、「孔子三世を知らず、釈迦?倒してこれを笑う」と書いたそうです。私たちは目の前の問題だけしか見ていないから全体が見えていない。本当にこの人生の全体を見る、三世の救いを説く仏教が物事の全体を見ているのではないかということです。浄土真宗の学びでいうと、曇鸞の『浄土論註』に「?(けい)蛄(こ)春秋を知らず」という言葉があります。「?蛄」というのはセミのことです。夏鳴くセミは夏の専門家と思われるかも知れませんが、本当に夏がわかるのは、春があって夏があり、秋があり、冬があるということがわかって、初めて夏がわかる。夏しか知らないセミは、夏ということ自体がわからないというのです。仏教の視点は全体を見る。私たちの理性知性、分別の視点とは違ってくるのではないかと思うのです。 医療の世界でもう一つ紹介したいのは、人間の全体を見るという時に、身体的な面と精神的な面、社会的な面の三つの面から見るということがあります。国連の中にある世界保健機構(WHO)で、人間の健康についてこれまでは、皆さん方自身や、生徒さん、学生さんが身体的、精神的、社会的にうまくいっていることが健康だと定義されていました。ところが、一九九九年に、この三つでは人間の全体をカバーできていないということで、四番目の要素として「spiritualに健全である」という項目が入ってきたわけです。Spiritualの元になっている「spirit」は「霊」などと訳される言葉で、いわゆるキリスト教文化から出てきた言葉ですので、仏教の立場ではからはこれをどう受け止めるかという定義が難しく、「スピリチュアル」とそのままカタカナで使っています。一人の人間の全体を見る時に、やはりこの四番目の要素まで入れないと全体が見えてこないのです。つまり、患者さんたちの病気が悪くなって、亡くなっていくその時の「死んだらどうなっていくのか」、「なぜこんな病気になってしまったのか」という問題は医学ではカバーできない。身体的、精神的、社会的な問題は医学でだいたいカバーできますが、「人間が死んだらどうなるのか」、「なぜ人間に生まれたのか」、「悪いことをしてないのになぜここまで苦しまなければならないのか」という医学では扱っていない問題が、老病死の現場で出てくるようになり、それに対応するために、このspiritualが加えられたのです。 仏教で「四苦」という生苦・老苦・病苦・死苦に関わって、欧米でも、東南アジアでも、世界的に医療と宗教が一緒に取り組んでいます。ところが日本だけ、この生老病死に対して宗教、仏教がほとんど関わってこなかった歴史があります。それは特に江戸時代から死後のお葬式や法事には関わるけれども、死に直面した人たち、生きている問題に宗教が関わることが少なかったために、医療と仏教は別々だと思われてきたのです。ところが今、高齢者が増えてきて、たとえば癌の患者さんは頭はしっかりしていて、死にまつわる不安を訴えてこられる。それに対して医師や看護師は対応できないのです。そこでアメリカのようにchaplain、臨床宗教師の人たちが現場にいて欲しいという雰囲気が出てきました。私は医療と仏教の協力という形で仕事をしていましたので、アメリカでchaplainの訓練をしてきた方にそのあたりの事情をお聞きしました。東本願寺の笠原さんという方が今、武田病院の関係の緩和ケアでchaplainの仕事をされています。笠原さんが十年以上前に日本に帰ってきた時はchaplainを雇うところはなかったので、福祉の施設でソーシャルワーカーのような仕事をしておられたのですが、数年前からchaplainの仕事をされています。この笠原さんにchaplainの仕事をうかがった時、私に「先生、大学にもねchaplainを置くべきです。アメリカでは大学にも、警察署にも、軍隊にもchaplainがいて、心のケアに関わっていますよ」と、そんなところにまで宗教者が入っているのかとまず驚きました。と同時に、chaplainの仕事の内容が「患者さんや家族の心のケアの時間は三割ぐらいで、後の七割の時間は医師や看護師のメンタルケアです」といわれたのにも驚きました。現実に老病死の問題に直面されている方の訴えに応えるけれども、患者さんが亡くなった現場の医療者のメンタルケアに七割もの時間を使っているという中で、大学でもchaplainを置いておいた方がいいのではないかというのです。心理学的なカウンセリングはよく言われますが、chaplainという仕事は日本ではまだほとんど知られていません。ようやく二〇一二年に東北大学で臨床宗教師を教育する課程が始まりました。その教授の岩本さんが、臨床宗教師と臨床心理士の違いを言っておられましたが、たとえば皆さん方が生徒さん、学生さんに接した時に、「これはちょっと問題を抱えているのではないか」ということがあると思います。一人ひとりを大事にした学園という意味でも、そういう感性を持っておいていただくことが、それなりに配慮ができるということにつながると思うのです。若い人たちが生き方に迷うとき、自分で「ああして、こうして」と考えて幸せを目指してやっていくのですが、思い通りにいく人はほとんどいませんから、壁にぶつかった時、悩んだ時に相談できる人がいるかどうかです。一人ひとりを大事にするといっても、対応できないような問題にぶつかった人たちに対する配慮がなければ、結果として大事にしていないことになりますから。 やはり人間のいわゆる全体像を把握するという意味で、「知識」や「他の人の話」ではなく、皆さん一人ひとり自分自身の人生を考えた時、例えば「人間に生まれた意味はあるのか」、「生きることの意味はあるのか」、「死んだらどうなっていくのか」ということに対して、自分なりに頷きがあり、本当に今生かされている中で精一杯生きて、「これでいい。あとはおまかせ」と私の人生の全体を受け止められるかどうかです。現代人の「この世がすべて」、「死んでしまえばおしまい」、「愉快に楽しく」という発想でいると、仏教でいうと結局それは人間ではなく、地獄・餓鬼・畜生的な人生、終わってみたら空しい人生になってしまいます。仏教ではそれを「空過流転」といいます。私たちは自分自身、周りのご縁のある人たちの人生を、仏教的な視点をもって人間や人生の全体を考える時、全体に対する配慮ができるようになる。そしてそれは、私たち一人ひとりの人生にフィードバックされて自分の人生を豊かにすることに繋がってくるのです。 そういう意味で心のサポートの領域に関わる、仏教が積み重ねてきた文化の蓄積は、とんでもなく深く、大きく、広いものがあります。西洋的な心理学は、日本でいえば弥生時代の頃に確立していた仏教の「唯識」でいわれていたことを今、後追いしている部分もあるのではないかと思われるぐらいです。仏教文化の奥深さを知ることによって、自分自身の問題、また自分にご縁のある人たちの問題を受け止めて、それに対応していくことができるようになるわけです。 少し資料に沿ってご紹介しますと、二頁の#3.人間の思考の二種類に、(1)計算的思考と(2)全体的(根源的)思考とあります。私たちの分別、理性知性の分別の思考をハイデッカーは「計算的思考」といいます。人間のもう一つの思考に全体的、根源的思考があります。別の言い方をすると、「世間的知恵」と「仏の智慧」、「世間のモノサシ」と「仏のモノサシ」ということになります。私が龍谷大学で授業をしていた時、学生さんに「龍谷大学には世間のモノサシでない。仏様のモノサシがある。それを学べるのはここしかない。せっかくこういうチャンスをいただいているのだから、仏様のモノサシを学んでいってください」と言ってきました。もっとも学生さんは「単位が取れれば」という感覚で、なかなか仏教の学びをしてくれませんでしたが。 世間のモノサシはものの表面的な価値を計算する見方です。それは私にとって「プラスかマイナスか」、「損か得か」、「勝ちか負けか」といういつも私たちがやっている思考です。この計算的な思考は、英語でいえば「what」や「how」で始まる疑問形に答える形の思考で、分析的で局所的な、どういうカラクリでそういうことが起こっているかという計算的な思考です。私自身も日常的にどっぷりつかっています。プラスを求め、マイナスを避けて幸せになりたいと頭の中で計算しているのに、最終的には老いにつかまり、病につかまって死をむかえる。それは分別からいえば老いはマイナス、病はマイナス、死はマイナスでしかありませんから、幸せを目指しながら、まさに老病死につかまって、不幸の完成で人生を終わります。幸せを目指して不幸で終わるということは、どこかでとんでもない間違い、一八〇度間違った方向へ歩いているわけです。世間的知恵はものの表面的な価値しか計算しない。局所的には計算できていて、思い通りに動かそう、管理支配しようとするのですが、全体が見えてないから計算が狂う。そんなはずではなかったということになるのです。 「仏の智慧」の考え方、発想はそうではなくて、「ものの声を聞く」のです。ものの声を聞くというのは、この現実は私に「何を気づかせようとしているのか」、「何を教えようとしているのか」、「何を伝えようとしているのか」と見ていくのです。仏教では私という存在は色々な出来事、因や縁によって、私が今「生かされている」、「支えられている」、「教えられている」と見る。私と周りは切っても切れない関係なのだということです。ところが私たちは都合のいいことはそのまま受け取れるのですが、都合の悪いものが私を支えているものだとは思いもしません。たとえば人間関係で、職場の困った人、私にいつも迷惑をかけている人は私を支えている、教えているどころか、この人は早く辞めてくれたらいいのにと思ってしまう。私の場合でいうと、今で五十人程、かつては三百人の職場で管理職の立場にありました。すると看護師さんの能力にも色々あります。同僚が婦長に訴える。「もうあの人と夜勤を組みたくない。あの人と一緒だとあの人の分の仕事まで私がしなければいけない。もうあの人と組みたくない」といったようなことが出てきます。するとついつい私たちは「どうやって辞めてもらおうか」とか、よからぬことを考えてしまうわけです。私たちの発想ではそんな都合の悪いものを「おかげさま」と受け取れません。それは私たちの理性知性では限りなく物事を対象化して三人称的に見ていくからです。この三人称的に見るのが、仏教では迷いの根源だといわれます。迷いの根源といわれてもよく分かりませんが、例えばこの研修会の一ヶ月位前にロシアの飛行機の不時着事故の火災で四十何人が亡くなりました。その事件をテレビで見て、その日心配で眠れなかった方はおられるでしょうか。誰もいないでしょう。それは三人称的な、全部他人事だからです。私たちは周りのことを三人称的に見るからマイナスが受け取れないのです。ところが、仏教はこのマイナスの声を聞くというのです。この現実は、この事件は私に何を気づかせようとしているか、目覚めさせようとしているかという、この発想がまさに仏教の発想なのです。これがなかなか難しいのです。 私も田舎の病院の院長をしていましたが、皆協力してくれる人ばかりではありません。二十数人ドクターがいると、中には非常に批判的なドクターもおられました。まとまって引っ張っていって欲しいのに、批判的な人がいると困ったことになります。その時私は一つには分別で、プラスを集め、マイナスの人を除こうとすれば「早く辞めてくれればいいのに」という思いも起こります。だけどもう一方で、この人はその言動で私に何を気づかせようとしているか、何を教えようとしているか、という二段構えで受け止めていくことができれば、私を育ててくれることになるわけです。 もう一つ、ものの声を聞くということで私の例を紹介しますと、去年の三月、私の田舎では八朔がたくさんとれるのです。三月、四月頃になると腐り始めますから、腐る前にジュースにして保存しておこうと思いまして、半分にカットしたのを機械に入れて押さえながら、グルグルグルグルとジュースをしぼりました。土日に二時間も三時間もかけて三〜四リットル作りました。ところがその後、左手がジンジンジンジン痛むのです。パソコンを打とうとしても、首を後屈して画面を見ると鈍い痛みが出る。どうしたのかなと思いながら放っておいたのですが、二〜三ヶ月しても全然よくなりません。たまたま私の次男が整形外科医で、帰ってきたときに診てもらったら、「頸椎が歳とともに変形して、頸椎から出ている神経を圧迫して、その症状が出ている」といいます。「頚椎症性神経根症」という、私が学生の頃にはなかった病気なのですが、インターネットで調べたら、もうピッタリの症状でした。「治療法は?」と聞いたら「ない」と、「まあ鎮痛剤を二週間ぐらい飲んだら」というので、飲んでみましたが一向によくなりません。人間には自然治癒力があると医学でも教えられていますので放っておいて、年末ぐらいにやっと九割方よくなりました。今は九五%ぐらい改善でしょうか。この痺れが出てきた時に分別で言えば、「ジュースを作っても一万円もしないのに、あんな馬鹿なことをしなければよかった」という愚痴になります。ところがその時に、七十年間左手が動くのは当たり前だとこき使って、お礼も言ったことなかった、そのことに気づきなさいというサイン、お念仏の催促だと受け止めるのがまさに、ものの声を聞く、管理支配しないという全体的な思考なのです。それができるかどうかは別の話ですが。 これはフランクルが言っているのですが、「周りの、外の状況がよくなれば、自分たちは幸せになれると思っている人たちは、強制収容所に入ったら絶望しかない。そういう人たちは皆、殺される前に潰れていった。ところがその過酷な条件は私に何を気づかせようとしているか、何を演じさせようとしているかという発想を持っている人たちは殺されない限り生き延びていった」というのです。私たちは自分の周りに都合のいいものばかりを集めて仕事をしようとしてしまいがちですが、必ずそこに都合のいいものも悪いものも出てきます。私がその与えられた状況の中で精いっぱいの仕事をするのです。清沢満之先生は「天命に安んじて人事を尽くす」と、私の仏教の師の先生は「宿命を転じて使命に生きる、これを自由といい横超という」(住岡夜晃)とおっしゃいました。人生に意味がある。この老いは、この病は私に何を教えようとしているのか、その意味を、そのものの声を聞くのです。それは「そのものの背後に宿されている意味を感得する」ということです。お念仏によってこのことが実現できるのです。 私はこの受け止めを、学生さんにこう言ってきました。麻雀で配牌を見て気に入らないとか、自分がツモってきた牌をいやだと外に捨てていったら、麻雀というゲームは成り立たないでしょう。与えられたものの中で最大限の役を作って上がっていこうと目指すのが麻雀というゲームです。人生も同じなのです。自分に与えられた場、境遇を、これが私が引き受けるべき現実、南無阿弥陀仏と受け止めて、そこで精いっぱい生き切っていくことが結果として一番大事なことなのです。本当に与えられた場で、与えられた状況の中で精いっぱい生き切って、あとはお任せという物事の受け止め方、そういう発想があるのです。 そこでこの発想にどうしたらできるかということなのですが、この発想の場、仏様の智慧のはたらく場を私たちは「浄土」というのです。この世に浄土が全部出ているかというと、分現している。仏様の智慧のはたらきが分現、部分的に出ているのが、私たちのこの世のありようです。その仏様のはたらきの場にいると、分別だけの発想ではなく、この現実は私に何を気づかせようとしているかという受け止め方ができる。そういう浄土に身を置くことに導かれた状況を仏教では「正定聚(しょうじょうじゅ)」といいます。正定聚というのは「必ず仏様になる位」ということですが、資料の#5.現生正定聚に(1)教えを持つと書いておきました。教えは「経」です。(A)経は鏡なりとあるように、教えつまり経は常に私の相(すがた)を照らし出す、私の相を知る鏡なのです。私たちは自分のことは自分が一番よく知っていると思っていますが、仏様の光に照らされると、私が気づいていない闇の深さまで知らされる。本当に私の相を、仏様の方がよく知っていると思えるようになります。そして(B)経は縦糸、織物を織るときに縦糸がしっかりと通っていたら、毎日一本一本横糸を、強い糸や弱い糸を織り込んでゆくと、その人ならではの輝きをもつ織物になる。ところが縦糸がはっきりしていなかったら、いくらしっかりした横糸を入れても、糸がもつれるだけで、布にならないのです。これを仏教では「空しく過ぐる」といいます。縦糸とは南無阿弥陀仏の教えです。私たちが仏教の教えにご縁があるということは、鏡を持ち、縦糸を持つということなのです。 それともう一つ、(2)主を持つと書いておきました。今、私はここ(ホワイトボード)に「しあわせ」とひらがなで書きました。ちょっとテストなのですが、「しあわせ」を漢字で書いてみてください。書けたでしょうか。今日のご挨拶の中で『広辞苑』に触れておられましたが、『広辞苑』を見ると「しあわせ」の漢字は「仕合わせ」、これが正しい漢字なのですが、これを書いた方は手を挙げてください。あまりおられないようですね。漢字の原点は中国にあるわけですが、中国ではいわゆる皇帝に仕えるポジションを得る、つまり仕えるべき人に出会うとか、仕事に出会うことが仕合わせということだったようです。ところで、私たちが何に仕えているかというと、たいていは煩悩に仕えているのです。夕方になると「ああ今日はビールが飲みたい」と煩悩に仕えて、しあわせだと思っているのです。ところが本当に仕えるべきは、仏様の智慧なのです。仏様の智慧に照らされて、仏様を主(あるじ)に持つということが大事なのです。蓮如上人は「仏法をあるじとし、世間を客人とせよ」とおっしゃっています。私たちは自分の周りにプラス価値のあるものをいっぱい持ったら仕合わせだと思っていますが、それはすえ通らないのです。本当の仕合わせとは一体何か、それは本当の主を持つ、仕えるべきものに出遇う、つまり正定聚となることです。 資料では次の頁になりますが、(3)友が与えられると書いてあります。友が与えられるというのは、『阿弥陀経』に「勧・証・護・讃」が説かれています。本当の友とは「勧」、正しい道を、この道を生きていけば、人生が本当によかったと言い切れる道になると勧めてくれる人である。「証」、一歩前を歩いて証(あかし)だてしてくれる、この道を歩んでいけばこのようになると証明してくれる人である。「護」、私が道から逸れそうになると、正しい道に導いてくれる、護ってくれる人である。「讃」、その道を歩み始めると頑張っていることをほめてくれる人である。私たちにはクラスの友、同窓の友、同業の友など様々な友がいますが、仏教ではこの「勧・証・護・讃」というはたらきをする人を本当の友というのです。浄土という場を私たちが生きるということを通して、そういう友が与えられるのです。学生時代に聞いていたこのことが、七十歳になってみて本当のことだと思わせていただいています。 そして(4)浄化される。「転(てん)悪(まく)成(じょう)善(ぜん)」といいますが、分別で言えば都合の悪いものも、頭痛の種も私にはなくてはならない貴重なご縁だったと、仏様の智慧の視点、お念仏のはたらきの中で受け止めることができるのです。これは確か藤代(ふじしろ)聰(とし)麿(まろ)先生の言葉と聞いていますが「これからが、これまでを決める」という言葉があります。過去はどうしようもないと私たちは思うのですが、仏様の智慧の世界に出会ってみたら、あの恥ずかしかったことも、あの失敗したことも、あの悔しかったことも全部私が仏法に出遇うためになくてはならない貴重なご縁だったと受け止めることができる。そういう世界が仏教にはあるのです。 資料の#4に触れていませんでしたが、ストレスの多い現代社会において、今変な宗教はこの宗教を信じたら病気がよくなるとか、世間的な利益で誘導しますが、私はお念仏で病気がよくなるとは言えません。ただ、ストレスによるうつ反応に関わって念仏の「現生十種の益」の一つである「転悪成善」が、後悔、愚痴をいうしかないものにぶつかって、しかし、ぶつかったこの現実は私に何を気づかせよう、何を教えようとしているか、貴重なご縁であったと受け止めることができる。そのことによってストレスを超えていく智慧が与えられるのではないかと思っています。 このことと少し関係するのですが、高光大船という先生の逸話が残されています。少しかいつまんでご紹介しますが、金沢の、仏法を聞かない息子に何とか仏法にあわせて欲しいという両親が願いをこめて、今度高光先生が来るから一緒にお話を聞きなさいということで、高光先生「いい機会だから何でも聞いてみなさい」、息子「仏法って一体何や」、先生「鉄砲の反対や」、息子「鉄砲の反対って何や」、先生「鉄砲は生きているものを殺す。仏法は死んでいる人を生き返らせる」、息子「棺桶の中の死んだ人を生き返らせるのか」、先生「死骸が生き返ってどうする。本当に生きていない人を生き返らせる。あんたは国鉄(今のJR)の機関士で機関車を動かしているらしいが、あれは生きているのか動いているのかどっちだ」、息子「あれは生きとるんやない、動いているだけや」、先生「おまえもその通りじゃないか。お前は毎日ご飯食べて動いているだけで、本当に生きとらんじゃないか」と、こういうお話です。私たちは自分では生きているつもりでいますが、それは本当に活き活きと生きているのかということです。本当に人生を、活き活きとしたものにさせるのが仏教なのだと、この対話から教えていただくわけです。 少し元に戻りまして、異生というのは本来性を失ったありかたです。これはマルチンブーマーという人が言っているのですが、私たちの理性知性の分別は物事を、英語でいうと「I・it」(我・それ)という三人称的に対象化して見ているのです。私たちは常日頃、理性知性の分別でいつの間に相手を三人称で見る。その結果、相手を物や道具のように見てしまうのです。そこには血の通わない冷たい関係しか出てきません。もう一つ「I・you」(我・汝)という見方があります。これが切っても切れない、「ものの声を聞く」という発想に近い形で、他人事ではないと受け止める方法です。相手を二人称で見る時には、ここに血の通った温かい関係が出てくるのです。 分別だけで生きていますと、私たちは物や道具の関係になっていきます。私も結婚して四十年になります。四十年も一緒にいますと、お互いに小賢しくなって波風が立たないように気を付けてはいるのですが、どうしても時々波風がたつ。その時に私がつい、「僕の良さは僕が死んでからやっとわかるんだろうね」と言うと、奥さんは「そうね、あなたが死んだら高いところのものは取ってもらえないし、重たいものは運んでもらえもらえないし」と返してくる。理性知性だけでいくと、いつの間にか自分の周囲ですら、物や道具として見てしまうのです。 これを仏様は見抜いている。南無阿弥陀仏の教えは「汝、小さな殻を出て大きな世界を、仏様の世界を生きよ」という呼びかけです。私の仏教の先生は「南無阿弥陀仏」は、「汝、小さな殻を出て大きな世界を生きよ」ということだと教えてくれました。ここに、汝、友よと呼びかけているわけです。このお浄土において、仏様のはたらきを受け止めることによって、I・itで血の通わない冷たい発想で生きている私たちに、I・youの世界がありますよと呼びかけているのです。「小さな殻を出て大きな世界を生きよ」、「I・youの世界がある」という呼びかけがまさに南無阿弥陀仏なのです。つまり、私たちがいつの間にかI・itで生きているのを、I・youの世界があるよと呼びかける場がまさに仏様の智慧のはたらきの場、お浄土が部分的に出てきている姿です。そして、分別ばかりで生きている私たちに、呼びかけて、呼びさまし、呼びもどす、お浄土に呼び戻そうとしているわけです。だから私が「南無阿弥陀仏」と言うのですが、その声が自分の耳に聞こえた時に、目覚めなさいよ、小さな殻から出て大きな世界を生きよ、と呼びかけている声を聴くわけです。そして生きる姿勢を常に正されていくのです。 仏教では、このI・itで生きる世界を地獄・餓鬼・畜生といいます。そこに本当に血の通った関係ができるとき、初めて人間になれる、だから仏教は「人」から「人間」へ、そして「完成した人間」へという道筋を教えてくれているのです。「死んでしまえばおしまい」という私たちの分別の世界が、「人間に生まれてよかった」、「生きてきてよかった」と人生を生き切って、本当に仏様になる。そして南無阿弥陀仏となってまた迷える人たちにはたらく、助けるはたらきを展開していくのです。今日は全然話していませんでしたが、人間に生まれた物語があり、生命の、生物科学的には生命三十七億年の連鎖の物語があるわけです。迷いを繰り返していた私が、何とか両親をご縁として人に生まれて、畜生的な人には生まれたけれど、結局人間になれないままで終わってしまう可能性も十分にある中で、仏法に出会って、初めて人間になる。そして仏様になっていくというスケールの大きな大河ドラマが、三世の救いとして説かれているのです。そのことが頷けた時一人ひとりが、生かされていることで果たす私の役割がある。それがこの世で私が果たす使命であり、仏様からいただいた仕事だと受け止めていくことができると思うのです。 私がちょうど四十歳の時、大分県の中津の国立病院の外科の責任者をしていました。そこから七十km位離れた、大分県の瀬戸内海に面した国東半島、その国東半島の別府湾に面したところに東国東(ひがしくにざき)郡という地域があって、その郡立病院の院長は私の大学の先輩がずっと務めていました。私が大分県に帰っていましたので、その院長候補として来ないかと誘ってくれたのです。その時私は分別でちゃんと計算的に考えて、何もいいことがないので断りました。それから一年くらい経って、教授と医局長がまた言ってきたのです。どうしようかと思って仏教の先生に相談しました。すると先生が「田畑君、苦労するかも知らんけど大学がそんなに言うんだったら行ってみるか」と言ってくれたので、引き受けることにしました。着任すると仏教の先生から手紙が来ました。色々書いてある中の一節に「あなたがしかるべき場所で、しかるべき役割を演ずるということは、今までお育ていただいたことに対する報恩行ですよ」と書いてあったのです。この手紙をいただいた時に、私は損得、勝ち負け、善悪でそろばんをはじいていただけだった、ああ餓鬼だったと、人間になれてなかったと本当に強く思いました。ですから、理性知性で進んでいくと「損得、勝ち負け、善悪」で、「地獄・餓鬼・畜生」で生きて、そして、愚痴を言いながら人生を歩むしかないのでしょう。ところが先生を通して、あなたがしかるべき、今与えられている場所で、ご縁があって、そのご縁の中でその役割を精一杯果たしていくことが、今あなたに期待されている役割ではないですかという、仏教の智慧の世界に触れることができたのです。人生が今私に何を期待しているのか。つまり私たちが生かされていることに気づいたら、生かされていることで果たすべき役割がある。それが使命であり、それが仕事だと受け止めるという展開に、仏教は私たちを導いてくれるのだと思います。 ところが私たちは三人称的に見ていくから、都合がいいとか悪いとか、時代が悪かった、金がなかった、能力がなかったと私ができないことを愚痴って、私がしようとしたことをあの人が邪魔した、この人が協力してくれなかった、他人が悪かったと愚痴をいうことは本来性を失っている姿というわけです。そうではなくて、本当は二人称的に見て、その中で生きていくというのが本来性の姿です。都合のいいのも悪いのも皆、今あなたの置かれている境遇がピッタリなのですよと、その境遇の中であなたが何を演ずるかということが、大事な発想なのです。学生や生徒さんたちも、自分が置かれた境遇をこれが悪いあれが悪いと、どうしても分別で考えたら、いいことばかりの人はいません。しかしその中で、あなたがいかに精一杯生きるかということが大事なのだと、仏教は教えるのです。 私の例でご紹介しますと、振り返ってみると本当に愚痴ばかり言っていたなと思います。小学校の時、社会の授業で加工貿易というのを習いました。日本は資源が貧しいから、資源の豊富な国から輸入して工業製品にして輸出する。その授業を聞きながら、しまった、日本に生まれなければよかったと、資源の豊富なアメリカに生まれたらよかった。何故私は日本に生まれたのだと、生まれた国が受け入れられない。高校の時は、田舎ですから、進学校のある中津に行くのに、朝七時には当時は汽車に乗らないといけない。すると朝六時には起きないといけない。当然、十一時とか十二時にはもう眠たくて勉強ができない。学校に近い友人は一時まで起きていたという。何故私は宇佐市に生まれた、中津市に生まれたら受験勉強をもう少しできたのにと。今度は歴史の勉強をしながら、明治時代に生まれていたら昭和と大正の歴史を覚えなくてもいいのに、何で昭和に生まれたと。これ全部愚痴ですね。私が日本でなく、宇佐でなく、昭和生まれでなかったら、私自身がないのです。ところが私たちは私の周りを分別して、色々自分に好ましい条件を満たせると思っている。もし私が大分が嫌だからと京都に住んだら、京都がまた同じことになるかも知れません。やはり他所がよく見えて、自分の場が物足りないように思うわけです。これは若くても、老いても皆だいたいそういう発想になるのです。分別はそういうふうに私たちを愚痴、愚痴の方にもっていくわけです。 この三人称的に見る発想と、二人称的に見る発想があって、仏教は二人称的に見る発想を教えようとしているのです。いいとか悪いとかは分別がすることであって、本来性からいえば、いいも悪いも全部あなたになくてはならない、今あなたがいるということにおいて動かすことの出来ない、避けられない現実なのです。それをあなたが少し修正しようとして、修正してもいいのですが、修正したものがまた新しい一つのご縁になっていきますから、その現実をあなたが受け止めて、そこで精いっぱい生き切る。精いっぱい生きていく道を仏教は教えようとしているのです。 なかなかそれがうまく受けとれないわけですが、それを受け止めることができた表現をしている人がいます。大分県に三浦梅園という、江戸時代の医師で思想家だった人がいます。国東半島の真ん中に両子山という山があり、その山のふもとに三浦梅園先生がいた旧家があって、今そこは記念館になっています。晩年に残した書に「人生恨むなかれ 人知るなきを 幽谷深山 華自ずから紅なり」とあります。人生を恨むなかれ、人からちやほやされるようなことがなくても、人生を恨むことはありませんよ、谷深い山の中で梅の花が、桜かも知れません。時期が来れば精一杯紅の花を咲かせる。それでいいのですよと、ここに「私は私でよかった」という世界が表現されています。三浦梅園は浄土教には触れることはなかったようですが、禅宗には触れた方でこういう書を残されています。専門家に聞くとこれは三浦梅園のオリジナルではなく、中国の方に出典があるようですと教えてくれました。この自分に与えられた場で精いっぱい生き切っていくという世界を大事にすることを私が紹介したら、ある人から詠み人知らずの、「あれをみよ 深山の奥に花ぞ咲く 真心尽くせ 人知らずとも」(別説「あれをみよ 深山の桜咲きにけり 真心尽くせ 人知らずとも」)という、こんな歌があることを教えていただきました。 今日はちょっと日ごろにないテーマのお話になって、話があちらこちらしましたが、私の思う学生や生徒さんを相手とした対人援助の時、仏教の智慧の発想のところをお話しさせていただきました。ご清聴ありがとうございました。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。 |
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