「老病死の苦に共に取り組む医療と仏教」
田畑正久
『ともしび』第804号、2019年10月1日発行 真宗大谷派宗務所発行


はじめに ―医療と仏教の協働―

 皆さま、おはようございます。ご紹介いただきました田畑です。龍谷大学の実践真宗学研究科で十年間仕事をさせていただきましたが、この三月に七十歳で一応定年ということになり、ようやく大分・京都の往復生活が終わると思って一段落しております。今日は「老病死の苦に共に取り組む医療と仏教」というテーマで、お話をさせていただきます。
 明治以来、日本の医療現場は、ほとんど宗教性なしで展開してきました。淀川キリスト教病院、聖路加国際病院などのキリスト教系の病院や、天理よろづ相談所病院といった宗教立の病院であれば、施設の中に宗教者が常駐して、こころのケアというかたちで関わっています。しかし、大学病院や国立・県立・市立・済生会・赤十字などの公的な病院で宗教者を見ることはほとんどありません。
 私の前任地である大分県国東市は、観光キャッチフレーズが「仏の里、くにさき」で、たくさんの仏教的施設があるところです。しかし、そんな「仏の里、くにさき」の公的病院である国東市民病院であっても、宗教者がお坊さんの格好をして病院に入るというのは、ウェルカムという感じではありませんでした。
 私は平成元(一九八九)年に東国東地域広域国保総合病院(現在の国東市民病院)に赴任したのですが、ぜひ病院の中で仏教講座をしたいと思い、地域のお坊さんたちにお願いして回りました。その時、臨済宗のお坊さんで安岐町の町会議員をしている方を訪ねて「病院の中で仏教講座をしたいので、ぜひご協力をお願いします」と言ったら、「先生、いいことを始めてくれますね。私たちは今まで死んだ人を相手にしておけばよかったけれども、やはり仏教は生きた人を相手にする時代ですよね」と、私を励ましてくれました。そういう雰囲気が日本全体にあるということです。
 二年前、大分県中津市の長久寺で「医療と仏教の協働」という講演会とシンポジウムの取り組みをしたのですが、そのとき書いていただいたアンケートの中に、「死ぬことについて、お寺に相談してもいいのですか」というご門徒さんからの質問がありました。お寺は死んだ後にお葬式や法事を頼みに行くところであって、医療だけでなく仏教も生老病死の四苦に関わっているという意識が、あまりご門徒さんにないということでしょう。やはりそこに、生きているうちは医療で、死んでからは仏教という日本全体の雰囲気があるわけです。
 私は二十二歳のときに仏教の先生に出会って聞法を始めたのですが、それからしばらくたったころ、ある本の中で、埼玉医科大学で哲学の教授をしている秋月龍a(一九二一〜一九九九)という禅宗のお坊さんのことを知りました。この方が、医学部の学生さんに「皆さん方がこれから医療の世界で仕事をするということは、人間が生まれるというところから、そして生きていく上で、老病死という生老病死の四苦に関わり、取り組んでいくのですね。この生老病死の課題は、仏教が二五〇〇年の歴史をもって取り組んできた課題であり、その解決の方法を見いだしているのです。同じ課題に取り組む医療者ですから、医療に携わる者は、ぜひとも仏教的素養を持ってほしい」と語りかけていました。このことを本で読んだとき、私自身も医療の仕事をしながら仏教を学んでおりましたから、医療と仏教の課題は同じであったのだと教えられ、勇気づけられました。そして、生老病死の四苦に、医療と仏教が共に取り組んでいるのが本来の姿であると、改めて確認することができました。
 では、医療と仏教が生老病死の苦にどのように共に取り組むのかということについて、私自身が医療の現場で仕事をしながら仏教を学んで思うことをご紹介します。

苦を超えるには

 苦はどういう原理で起こってくるかというと、私の思いと私が直面する現実の間に差があるということが、思いどおりにならないというかたちで苦となるわけです。医療の現場でいえば、病気という現実が起こってきたときに、それを健康という思いのところに持っていく、つまり病気を治して健康にするということが、医療によって苦を救う一つの取り組みです。
 しかし、それによって救われるのは、よくなる病気の間だけです。四週間ほど前、中学校の同級生から、「最近、下腹部にちょっと違和感があって、病院に行って検査してもらおうと思っているが、何科に行けばいいのか」という医療相談を受けました。「下腹部といえば膀胱などの問題が考えられるので泌尿器科かもしれないが、まずは内科に行った方がいいのではないか」というメールを送りました。そうしたら、十日ほど後にメールが来て「ショック」と書いてありました。「総合病院を受診したら、『膵臓がんのステージ四で、余命半年は無理でしょう』と言われた。もう連絡しないでください」と。私たちの世代は七十歳ですから、いつそう言われてもおかしくないのですが、その現実が起こったのです。彼の場合は病気がステージ四ですから、よくなる見込みはありませんと言われたわけです。
 この現実をどう超えていくかという問題です。医療は病気がよくなる間は一生懸命治療します。しかし、もうこれ以上は治療できませんという状態になったとき、医療では痛みを取るという症状緩和しかできないのです。
 では仏教はどう関わるか。浄土真宗に来たら病気がよくなりますと言いたいところですが、そんなことは口が裂けても言えません。それは無理なわけですから。お念仏を喜ぶといっても、それによって病気をよくすることはできません。だから、世間や医療関係者は「仏教では病気はよくならないから、仏教で救うことはできない」と言うわけです。ところが、禅宗でいえば悟り、浄土教でいえば信心をいただくということの中に、私の思いが私の現実を受容するという展開が起こってくるのです。しかし、これがなかなか現代教育を受けてきた者には理解できません。
 大分県にある九州大学温泉治療学研究所で長らく外科の教授をしておられた辻秀男(一九二四〜二〇一一)先生という方が、七十歳を過ぎたころ、私が別府で開いている「『歎異抄』に聞く会」に時々いらっしゃっていました。そこで私がこの話をしたところ、先生は「私は今まで、患者さんの苦しみを救うことができるのは、病気をよくすることしかないと思っておりました。しかし本日お話を聞いて、思いが現実を受容するというかたちで苦を超えていくことがあると、七十歳を過ぎて初めて知りました」とおっしゃいました。これが日本の医療者の代表的な思いだと思います。
 仏教と医療それぞれに苦を超える世界があるというところで、私は仏教と医療の協力によって、患者さん一人一人の苦しみ、悩みに向き合っていくことができると思っています。けれども、今の日本の医療界では、仏教との協力関係はまだ十分にできておりません。しかし、アメリカであれば、病院に宗教者が入ってきて、終末期の患者さんたちのこころのケアをすることがあります。
 数年前に「西本願寺医師の会」というものを立ち上げて、医療と仏教の協働ということに取り組んでいるのですが、この会に入ってくれたある医師が、アメリカで一人の患者さんの治療をしていたそうです。その患者さんは心臓の病気で、だんだん悪くなっていったのですが、そろそろ死が近いとなったときに病室に宗教者が来て、「あなたは今、死につつあります。必ず天国に行けます」と言うのだそうです。すると患者さんも家族の人たちも「よかった」といって喜ぶのだそうです。日本に帰ったその医師は、「宗教者が医療の現場に来て、『あなたは死につつあります』と言うなんて、びっくりした」と話していました。
 こういうかたちで、病気がよくならない状況であっても、その現実を受け止めながら生きていく世界があるという深さを共有できたらいいなと思います。そういう意味では、医療者と宗教者が、お互いに自分たちのできること・できないことの分限を自覚しながら協力することによって、一人一人の苦しみ、悩みに対応していくことが求められていると思うわけです。

世間的な知恵と仏教の智慧

 もう少し具体的なことをご紹介しますと、例えば人間が生まれるということについて考えるとき、医学・生物学では人間として生まれるからくり(メカニズム)を研究します。そして、そのからくりが解明できたら、それを利用して不妊症で悩む患者さんたちを治療し、それによって子どもを授かるというかたちで、現実を思いの方に近づけることができるわけです。
 しかし、人間に生まれたことにどういう意味があるのかという質問に対しては、医学・生物学は何も答えてくれません。どういうからくりで人間が生まれるのかという、英語でいえばWhatとかHowから始まる疑問に対しては、科学は答えることができるわけです。しかし、生まれたことに意味はあるのか、生まれる意味は何かという、英語でいえばWhyから始まる疑問については、哲学とか宗教でないと答えられないわけです。ですから、やはり医学・生物学の領域と、宗教の領域の両方がなければ、人間全体を考えたことにはならないと思うのです。
 このことを言い換えるなら、世間的・科学的な意味での知恵の世界と、仏教を学ぶことによる智慧の世界という、二つの世界が必要だということでしょう。
 世間的・科学的な知恵の世界というのは、ものの表面的な価値を計算する見方ということができると思います。例えばお店に行くと、この品物は新しいか古いか、安いか高いか、おいしいかおいしくないかといった価値を考えて、それが自分に合えば買おうとなります。ものの表面的な価値を計算するということがなければ、私たちは日常生活をすることができません。これはもう必ず要るわけで、否応なしにやっているわけです。
 では、仏教の智慧の世界は何かというと、ものの背後に宿されている意味を感得する見方ということです。例えば私たちが「いただきます」と言って食事をするとき、その食事には料理をしてくれた人たちのご苦労があり、また流通業者や、農業、漁業に携わる人たちのご苦労があって、初めて「いただきます」ということが実現できるわけです。ですから、ものの背後に宿されている意味を感得するということは、目には見えないけれども、そういうものが確実にあると感じることです。そして、そのことを思えるということが、精神生活を豊かにすることにもなっていくわけです。
 もし人間に生まれることの意味について、世間的・医学的な知恵だけで考えたならば、「生まれることに別に意味はない。ただ親が勝手に産んだだけだ」となるかもしれません。

ものの声を聞く

 これは又聞きなのですが、ハイデッガー(一八八九〜一九七六)は人間の思考には二種類あると言ったそうです。その一つが計算的な思考です。計算的な思考とは、物事のからくりを解明し、それを人間が管理・支配しようとすることです。医学の世界でいえば、人間の生理的現象や病態、治療の方法などを解明して、それらを組み合わせて病気を治療することですね。しかし、管理・支配しようとして思いどおりにならないと、これが苦になるわけです。これは世間的な知恵の世界です。
 そして、もう一つが根源的な思考です。どういうことかというと、「ものの声を聞く」のだそうです。例えば、思わぬ出来事が起こった、思わぬ人に出会った、思わぬ人が思わぬ反応をしたというようなことがあります。ものの声を聞くということは、これらの現実が私に何を教え、何を気付かせようとしているのかという見方で見ていくことです。これは、ものの背後に宿されている意味を感得するということです。仏教の智慧の世界ですね。
 私自身の最近の出来事で紹介しますと、去年の二月、三月頃にハッサクがたくさんなったので、腐る前にジュースにしようと思って、一生懸命二週間にわたって機械を使って左手で強く押さえつけて搾ったのです。すると左手にじんじんと鈍い痛みが出てきました。最初は一時的なことだろうと思ったのですが、五月、六月になっても中々よくなりません。そこで整形外科医をしている次男に診察してもらうと、「お父さん、これは頚椎症性神経根症という病気だ」と言うのです。年とともに首の骨がだんだん変形してきて、首から手に行く神経が出口のところで圧迫され、こういう症状を起こしているということだったので、治療法を聞いたら「ありません」と。仕方がないと思って、二週間ほど鎮痛剤を飲んでみたのですが、やはりよくなりませんでした。
 その時、腰痛で困っていた友人が、福岡県飯塚市にあるせき損センターに診察に行った時の話を思い出しました。その友人を診察した先生は「この腰痛は、使い過ぎと加齢現象です。順調に年を取っています。前向きに考えてください」と言って、それで終わりだったそうです。薬も出してくれなかったそうですが、その友人は理由が分かってよかったと言うのです。その話を私も思い出して、「ああ、そういうことか」となりました。
 ものの声を聞くとは、こういうことです。今まで七十年間、何不自由なく左手が使えていたにも関わらず、それにお礼を言うこともなく過ごしてきたことを、この症状が教えてくれたのです。まさにものが私に言っているわけです。お念仏の催促ですね。
 お念仏の催促として、「今まで当たり前としていたことが、当たり前でなかったことを教えてくれた。南無阿弥陀仏」と受け止めることが、ものの声を聞くということです。そして、管理・支配しない。つまり思いどおりにしようとせず、「これは私の引き受けるべき現実である。南無阿弥陀仏」と引き受けていく。これがまさに仏教の智慧、ハイデッガーが言うところの根源的な思考です。
 私たちは、世間的な知恵だけで考えているときはアンチエイジングなどと言って、どうしたら健康で長生きできるか、若々しくあれるかということばかりに悪戦苦闘しています。しかし、私たちが信心・悟りの世界に出されることによって、受容するということが起こってきます。この現実は私に何を気付かせようとしているのかと受け止めることによって、病は決してマイナス因子だけではないと知らされるのです。また私たちが本当に生きるということは、人間として成熟して仏さんになっていく歩みであると、老いることが教えてくれるのです。これは、私たちが老病死をどのように受け止めながら日々の生活をし、そしてこの人生をどう生き抜いていくかという問題です。
 私は医学の世界で医療の仕事をしてきましたが、やはり人間を相手にするわけです。そのなかで仏教を学びながら、人間ということ、人生ということの全体像について、仏教と医療のどちらが見えているかと改めて考えてみると、やはり仏教の方が全体像を教えてくれているように思います。  私たちが仏教を学ぶとき、必ず縁起の法について学びます。縁起の法とは何かといえば、私という存在は、ガンジス川の砂の数ほどのいろんな因や縁によって、たまたま現象としてあるということです。このとき、私の存在(身)と私の周囲(土)は、ぴったりと一つ(不二)の関係である(身土不二)と教えてくれるのが縁起の法です。
 ここから、世間の知恵と仏教の智慧の違いが見えてきます。私たちはいつの間にか「身」と「土」を「不二」ではなくて「二」と見ているわけです。「二」と見るとはどういうことかといえば、周りにあるものを三人称的に見るということです。私から遠いものとして眺めるわけです。私にとって損か得か、勝ちか負けか、利益になるかならないかというふうに見るわけですね。一方「身土不二」とは何かといえば、周りにあるものを二人称的に見なさいということです。すべてのものは切っても切れない関係であり、都合の良いものも悪いものも、みんな私を生かし、支え、教え、願っている存在であるということです。この現実は私に何を願い、何を教えようとしているのだろうかと見ていくということです。
 ということは、ものの声を聞くというのは、都合の良い声も悪い声もどちらも聞かなければならないということです。そういう関係が「身土不二」という関係です。吉川英治(一八九二〜一九六二)が「われ以外、みんな先生」(出典?)と言ったのは、こういうことです。

老病死に向き合う

 そこで、私たちが老病死にどう向き合うかということになるのですが、先ほど言ったように、老いるということは人間として成熟していくことです。このことを、三木清(一八九七〜一九四五)は『人生論ノート』の中に「幸福は人格である」(『三木清全集』第一巻二一二頁。岩波書店、一九六六年)と書いています。私たちは人格と幸福は全然関係ないと思いがちですが、三木清は仏さんの智慧をいただいた人格になることが本当の幸福であると言いたかったのだと思います。ものの背後に宿されている意味を感得する世界に目を開き、おかげさま、もったいない、ありがたいという世界が見えてきて初めて、私たちは本当の幸福を生きていけるということでしょう。
 三木清はまた「この幸福をもつて彼はあらゆる困難と闘ふのである。幸福を武器として戦ふ者のみが斃(たお)れてもなほ幸福である」(同前)とも書いています。いま存在すること自体に満足するという世界を生きる者は、常におかげさまの世界を生きていますから、早く死んでも、遅く死んでも、幸福に死んでいくということです。私たちは生きている時間が長い方がよいという先入観を持っていますが、決してそうではないと教えてもらいました。
 だから、老いることは仏教の智慧をいただいていくことであり、ついには往生浄土して仏さんにならせていただくことが、老いることの意味ではないかと思います。また、病にはならないに越したことはないですが、たとえ病になったとしても、この現実は私に何を気付かせ、何を教えようとしているのかというふうに受け止める視点が、仏さんの智慧の視点であるわけです。
 そして、死についても、今の医学の世界では平穏死・安楽死・満足死・尊厳死といろんな言い方をします。しかし、これらはすべて、人間は死んでしまえばおしまいという発想から出ている言葉なのです。
 中城ふみ子(一九二二〜一九五四)さんの詩に「遺産なき母が唯一のものとして残しゆく『死』を子らは受け取れ」(『花の原型』作品社、一九五五年)というものがあります。これは「私は子どもたちに財産なんかを残してやることはできないけれども、最後に人間が死ぬとはこういうことであるという死に様を見せて生き切っていくから、子どもたちよ、そのことを通して人生とは、人間とは、ということを学んでほしい」ということでしょう。私に縁のあるこの母・この父は、その死に様を通して、人間とは、人生とは、ということを教えてくれた菩薩・諸仏であったと受け止められれば、こんな素晴らしいことはありません。
 私は四十歳ぐらいの頃、国立中津病院で外科の責任者をしておりました。外科ですから悪性腫瘍の手術をするのですが、よくなっていく患者さんはいいのです。しかし、再発した人たちや手遅れで見つかった人たちは、やはり亡くなっていかれます。そういう人たちと日々対話する中で、この人たちも救われなければならないという思いがありました。
 そこで私は仏教の先生に、亡くなっていく人たちにどういう言葉をかけたらいいでしょうかと質問したのです。すると、先生は二つの大事な点があるとして「一つ目は、お任せするということをしっかり言ってあげなさい。二つ目は、仏さんがいらっしゃるということをしっかり言ってあげなさい」と言われたのです。
 私は聞法して十数年たっておりましたが、「仏さんがいらっしゃるということをしっかり言ってあげなさい」と言われたときに、ものすごく戸惑いました。仏さんとは何か、仏さんがいらっしゃるとはどういうことかが分かっていなかったのです。それから、このことが私の聞法の課題になりました。龍谷大学で真宗学を学ぶ学生さんたちに「仏さんはいらっしゃいますか」と問題提起をすると、八割方は分かりませんと言います。皆さん方は「仏さんはいらっしゃいますか」という質問に対してどう答えますか。
 そして、これはまた別の機会でしたが、先生は「私たちが日々の生活において大事なことを考えるとき、まず『仏さんはいらっしゃいますか』という問いを持つことが大事です。その問いに自分なりの受け取りができるようになってきたら、次は『仏さんはどこにいらっしゃいますか』という問いを持つことが大事なのです。これら二つの問いは、答えがあればいいというものではありません。問いを持つことが救いになるのです」ともおっしゃいました。
 おそらくこれは、日々考えながら生きていきなさいということでしょう。そういう意味で、仏前で「南無阿弥陀仏」と言うことは、「ちゃんと生きていますか」と私たちの生きる姿勢を正してくれるお念仏なのでしょう。「汝、小さな分別を超えて、大きな仏さんの世界を生きなさい」という私たちに対する呼びかけが、まさに「南無阿弥陀仏」、お念仏なのでしょう。そして、念仏する者を必ず浄土に迎え取るという摂取不捨のはたらきにおいて、仏さんがいらっしゃるということを、私たちがどう受け止めるのかが問われているのです。

よき死を迎えるとは

 いま欧米の医学会において、医学の大きな展開が起こってきています。いまから十年ほど前、ある医学会でGood Deathを目指す医療というものが提案されました。これまでは死は不幸の極みであったけれども、これからはよき死を目指した医療が要るのではないかということです。
 高齢社会を迎えて、よき死ということが必要になる。では、よき死、Good Deathとは何かといえば、先ほど言ったように平穏死・安楽死・尊厳死・満足死などいろいろと言えるかもしれません。しかし、私たちにとって本当のGood Deathとは何かといえば、成仏するという世界をいただくことでしょう。私を生かしている縁が尽きて、往生浄土して仏さんになるという世界が受け取れるようになれば、まさにそれはGood Deathと言えるのではないでしょうか。
 いまは日本人の半分以上が寿命八十歳を超える時代ですから、老いを人間の成熟として受け止めていくと同時に、死をどう受け止め、どう人生を生き切っていくかが問われているのだと思います。細川巌(一九一九〜一九九六)先生は、「人生を結論とせず、人生に結論を求めず、人生を往生浄土の縁として生きる。これを浄土真宗という」(出典?)という言葉を残されています。私たちは人間の死に様を、大往生だとか、平穏死だとか、若死にだとかいろいろと評価しがちですが、そんな必要はないということですね。これはまさに、三木清が「幸福を手に入れた者は、戦いの途中に倒れても、幸福に死んでいく」と言ったような、仏教の智慧をいただくことの大事さを教えてくれる言葉だと思います。
 このしんらん交流館で講演されたこともある長倉伯博先生は、亡くなっていく患者さんとの対話の中で「人生の見直しはできますよ」とおっしゃいます。今まで大事だと思っていたものが全部何の役にも立たなくなる「死」に出くわしたとき、私たちは途方にくれてしまいます。キューブラー・ロス(一九二六〜二〇〇四)は、ある患者さんに「先生、私はいい生活はしてきたけれども、本当に生きたことがない」と言われたそうです。世間的に見ればいい生活はしてきたけれども、本当に生きたという実感がないまま人生を終わろうとしている、本当に生きるとはどういうことなのかという問いかけです。
 曽我量深(一八七五〜一九七一)先生の随行をされていた藤代聡麿(一九一一〜一九九三)先生が「これからが、これまでを決める」という言葉を残されています。私たちは過去の出来事は取り返しがつかないと思っていますが、本当にお念仏の教えに出遇うことができたなら、もう取り返しがつかないと思っていた過去のいろんな出来事の意味が変わってくるのです。あの悲しかったこと、あの恥ずかしかったこと、あの悔しかったことはすべて、私がお念仏に出遇うためになくてはならない貴重なご縁であったと見直されてくるのです。
 つまり、長倉先生がおっしゃる「人生の最後に見直しのチャンスは残されていますよ」ということは、お念仏の智慧の世界に出遇うことによって、「人間に生まれてよかった。生きてきてよかった。あとは仏さんにお任せします」といって、人生を生き切っていく世界がちゃんと残されていますということでしょう。
おわりに ―現実を受容する世界―

 最後に、現実を受容するという世界をご紹介します。岩手県に沢内村(現在の西和賀町)というところがありました。この村は、昭和五十年ごろ、行政と医療が地域のいのちを守ったということで、保健関係者では知らない人がないぐらい有名な地域だったのです。
 この村にあった沢内病院(現在の西和賀さわうち病院)で長らく院長をつとめられた、増田進という先生がいらっしゃいます。この先生の対談が、ある雑誌に載っていました。それは、いろんな訴えをして医師や看護師も困り果てていた末期がん患者の女性が、たまたま同時期に入院していたお年寄りに出会い、その方に「お念仏しなさい」と繰り返し言われるうちに、いつの間にか穏やかになって亡くなっていかれたという内容でした。東北は真宗が少ないので、そのお念仏は何宗のお念仏だったのかなと思っていたところ、当時の村長さんは太田祖電(一九二一〜二〇一五)というお東のお坊さんでした。
 そこで、この出来事について詳しくお聞きしたいと思い、増田先生に「この時のいきさつを詳しく教えてください」と手紙を書きました。その時にいただいたお返事を読んで、今回のお話を終わらせていただこうと思います。

 あれは古い病院のころでしたから、昭和四十年代の後半です。患者は五十歳代の女性でした。隣接する秋田県の病院で、横行結腸がんの手術を受け、沢内病院へ紹介され、自宅療養となったのでした。
 患者さんは元気になると頑張っていたのでしたが、ふとしたことで夫婦が口論になったとき、ご主人が「おまえはがんで、もう治らないんだ」と言ったことがきっかけで、彼女は地獄の思いに落ちたのでした。
 往診していた私は、「本当にがんか。今まで隠していたのか。治療はしているのか」と責められました。私はありのままを話し、抗がん剤を使っていることなどを説明しましたが、納得したように見えても、元気が失われました。
 やがて病状が悪化し、入院しました。彼女は「目を開ければ、鬼が来る。目をつぶれば、地獄が見える」と訴えられたものでした。
 そのとき、近くの病室にいたおばあさんが、彼女の枕元にしげく通ってくるようになりました。そして、「死ぬのは怖くないよ。お念仏を称えなさい」と繰り返し言うのです。そのうち、彼女はおばあさんの言うとおりに、お念仏を称えるようになりました。
 やがて彼女は落ち着き、表情も穏やかになってきました。笑顔も見られるようになって、私たちもほっとしたものでした。そして、安らかに永眠したのです。
 そのことを当時の村長に、村長さんよりもすごい宗教者がおられましたよと話した記憶があります。田舎で長く暮らしていますと、ここの人々の生死に対する達観といいますか、素直さを感じ、私はよく、町の人たちはかなわないねと言ったものでした。本当に尊敬する村人がいたものです。

 まさに、現実を受容したということが起こっています。宗教者ではなく、おばあさんがお念仏を伝えたのでしょう。そこにお任せして最後まで生き切ったという世界があったのだろうと思わせていただきました。
 お話ししてきたように、「老病死の苦に共に取り組む医療と仏教」というかたちで、医療と仏教が力を合わせて、一人一人の本当に苦しみ、悩む患者さんを救うという世界が展開できればいいなと思っております。

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