「人間に生まれた物語 ─親鸞聖人の生誕をご縁として─」
田畑正久
『菩提樹』(京都女子大 宗教部発行)第38号 p10−31 2020.3


皆さん、こんにちは。ご紹介いただいた田畑(正久)です。降誕会ということでお話をする機会を頂き光栄に思っております。ありがとうございました。
 私たちは、お釈迦さんの誕生日、そして、法然さん、親鸞さんという先輩、先達があって仏教に巡り合い、そして仏教に出合いました。仏教に本当に助けられた者は、そういう先輩がこの世に誕生して仏教を説いてくれたことを、心から感謝せずにはいられません。
 先ほど紹介があったように、私も大学5年のときに、浄土真宗のご縁につながる先生との出会いがありました。化学の先生で仏教研究会をしているご縁に巡り合い、その先生のお話を聞いたのは本当にたまたまでした。
 どういうふうにたまたまかというと、大学に入るのもたまたま運よく入れました。そして、九州大学仏教青年会という寮にたまたまのご縁で入寮しました。そして、あるとき新聞を見ていたら、お誘いの欄に、福岡教育大学仏教研究会という催し物があるということをたまたま目にしました。そういうたまたまの積み重ねで先生に出会いました。
 蓮如上人が、「宿善開発して善知識にあう」という言葉を残していますが、聞いてみれば、自分の家も祖父母がよくお寺に参っていました。「宿善開発して善知識にあう」ということはこういうことなのかという思いがしました。それと同時に、私は、仏教の師に出会って、先生が私の親のような存在だと思っていましたが、先生はいつも親鸞聖人を仰いで、親鸞聖人の著作の学びをすることの大切さをいつも言っていました。今回、親鸞聖人の誕生ということを機会に、「人間として生まれた物語」ということを、私がどう受け止めているかということを少し紹介します。
 私は医学部で教育を受けてきたので、人間が生まれるからくりなど科学的なことは授業でずっと学んできたし、卒業して医療の仕事をしながら、人間の体のいろいろな所の異常、正常ということを経験しながらさらに学びました。それと同時に、大学五年のときからずっと仏教を学び続けました。先生は最初、「一年続けてみてください」と言われましたが、続けてみて、なかなかよく分かりませんでした。すると先生が、「田畑さん、三年続けたら分かりますよ」と言って、その3年がもう40数年になっています。
 ここで話をする機会は何度もありましたが、初めての人も居ます。誕生ということにも少し関わりますので、仏教に出合った最初の例えを紹介します。
 その先生の初めての講義の中に一つにこういう例えがありました。「私たちは、生まれたままでは卵の殻の中におるような存在ですよ」。この殻というのは、私たちで言うならば、自己中心の思い、今風で言うならば、理性、知性、分別という、科学的合理主義でものごとを考えていくという殻の中に居るということです。でも、私たちは、それが殻だとは思いません。「そんな殻はない。私は世の中をちゃんと見てるんだ」という思いがありましたが、先生は、「私たちは殻のなかにおる存在です」と言われました。
 この殻の中に居る私たちは、人間に生まれて幸せになりたいということを目指しています。その幸せを目指すために、幸せのためのプラス条件をできるだけ増やそう、マイナス条件はできるだけ少なくしていこうと考えます。善悪を考えれば、善がプラスで悪はマイナス、損得で言うならば、得になるなることがプラスで損はマイナスです。勝ち負けで言うならば、勝ちがプラスで負けがマイナスです。そのプラスを自分の周りにたくさん集めて幸せな人生を生きていきたいと、私たちは考えています。
 でも、卵の殻の中に居る限りは、この卵は、善悪、損得、勝ち負けに振り回されながら、結局、卵は腐って死んでしまいます。卵が生まれた意味は、決して卵のままでいるのではありません。この卵が親鳥から熱を受け、その卵の殻の中で育てられながら、目ができ、頭ができ、足ができ、手ができ、そして、時期熟してついにひよこになります。この殻が破れてひよこになることを、仏教では、例えば禅宗であれば「悟り」と言い、浄土教では「信心をいただく」と言います。私たちは、ひよこになって初めて、殻を超えた大きな仏さんの世界があるということに気付くと同時に、自分自身が分別という殻の中に居たことに気付かされます。そして、このひよこは、さらに教えを聞きながら親鳥になっていく。これが仏になっていくということです。こういう例えでした。
 私は、先生が私のこれまでの二十二年間の歩みをどこかで見ていたのかと思いました。まさに図星で、プラス価値を上げマイナス価値を下げていけば幸せになっていける、これしかないと思っていたのに、先生は、「これは殻の中の世界です」と言われました。びっくりしました。
 そして、先生から教えを学ぶ中で、先生は「多分、皆さんが人生をいろいろ経てきて、大きくなって、ある年齢を超えたら、きっと仏教に出合ってよかったと感謝されるんじゃないかな」と言っていました。そして、私自身、今年、ちょうど七十歳になりました。先生の言うように、ずっと聞(もん)法(ぽう)を続け、いろいろな仕事をし、七十歳になってみて初めて、あの先生が学生時代に、「仏法をずっと続けてくれば、きっといい人生であったって感謝するようになるよ」と言われたことが本当だったとあらためて思いました。そういう先生との出会いを通して、仏教の大きな世界に出合える、そして、自分の人生の方向ががらがらと、世俗ではない仏教の世界を向く方向を教えられたと思っています。
 そういうことを通して、仏教に出合ってみて、人間に生まれる意味(物語)をどう考えていくのかということを紹介します。私の学びの中(仏教に出合う)で、人間として生まれるということの一つとしては、善導大師が、「自の業識を内因とし、父母の精血を外縁として、因縁和合して人間として生まれる」と書いています。これは、言葉だけではすぐには難しいかもしれないので、少し砕いて紹介します。それが一つです。
 もう一つは、私たちがお念仏の教えに出合うということは、出世本懐の教えに出合うということだということに気付かされてみると、お釈迦さんの出世本懐の教えに出合うために人間に生まれさせていただいたということも、一つ受け取れます。
 でも、仏教との縁がなかったら、多分、こういう意味はなかなか受け取れなかったと思います。私は、昭和58年前後、アメリカのシカゴのノースウェスタン大学に留学していました。言葉は不自由でしたが、研究室でいろいろ世間話をするときに、アメリカの人が私に、「第二次世界大戦をどういうふうに考えているんだ」と問いました。私は英語が十分にしゃべれないし、自分が生まれる前の戦争の話も、私が関わっていないので、どう言っていいか分からないので、「私は戦後の生まれだから、戦争の話は知らない」と言って逃げましたが、何となく後ろめたさを持っていました。
 ところが、日本に帰ってきてから、仏教の学びをしながらいろいろな仏書を読んでいたときに、法藏館から出ている「ひとりふたり」という小さい冊子がありました。そこに、金龍(静)先生が短い文章を書いていました。それを紹介します。
 「十年ほど前、福井県板井郡のある寺院で過去帳を見る機会があった。各年は半紙一枚ほどの死者数だが、天明期には二年にわたって数十枚の紙数が費やされていた。どのページも、法名、俗名、年齢の単調な羅列。だが、さすがに町の文化財、どんな小説よりも圧倒的な迫力を持って無言の告発をしていた。 まず子どもたちが、続いて老人が、女性が、だだだーっと無機的に記されている。これはおとぎ話ではない。二百十年前だから、恐らく、六、七代前の先祖の人々が実際に体験した事実である。
 恐らく、『清く、正しく、美しく』がモットーの家庭はまず全滅だろう。他人のものを盗んでも食いつなげた者だけが生き残る世界。平成の私たちに命を継いでくれた先祖は、親殺し、子殺し、妻殺しの生き地獄の中をくぐり抜けてきた人々だったのである。
 外国のある種の報告書では、このような体験者は容易に生殖機能を回復できず、自滅の道を歩んでしまうケースが多いと記されている。深すぎる心の傷を負った北陸の人々は、ぼろぼろになった命をいかに癒やしていったのか。当時の人々にとっての経典は、蓮如上人の『御文章』だけであった。記憶しているものといえば、『たとえ罪業は深重なれども、必ず阿弥陀如来救いましますべし』のほかにどれほどもない。頭の中で済ますことの可能な機の深信の理解ならどんなに幸せなことだろう。『罪悪は深重』そのものの地獄図を体験した人々は、『必ず阿弥陀如来救いまします』のわずか十数文字だけを唯一の支えとして、以後の過酷な人生を辛うじて生き抜いていったと、私は思っている」。
 この文章に出合って、私の責任範囲は生まれてから死ぬまでだけだと思っていましたが、私がこんにち人間として生まれて生きさせていただくということは、こういう過酷な人生をくぐり抜けて命をつないでくれた先祖が、ということを思いました。これは二百十年前ですが、ホモサピエンスの歴史で言うなら二十万年です。その過酷な条件を何回もくぐり抜けて、私たちに命をつないでくれたと思いました。
 しかし、これは科学的合理主義で生物学での受け止めです。そこで、先ほどの善導大師の言葉、「自の業識」は少し分かりにくいですが、これは、西本願寺の注釈版聖典では、「迷いの主体」と書いてあります。 どういうことか。仏教の教えに出合っていくことによって、仏さんの光に出合って、自分の姿が本当にはっきり教えられます。まさに卵の例えのとおりに、形に見えるものだけを頼りにして、自分の分別でものごとを考えて、「世の中、分かってるんだ」と言いたいけれども、仏さんの光に出合い、見えない世界があるという、そういう世界を仏教を通しながら教えてもらうと、私たちの心の闇を…。仏さんや仏教の教えに出合い、その後の先輩の思索の中で、例えば唯識という教えを学んでみると、自分の表面的な自我意識ではなく、その自我意識の背後にある末那識(まなしき)や阿頼耶識(あらやしき)という世界まで知るようになってきます。教えられてみると、本当に自分は愚かな煩悩の塊だと知らされます。
 そうすると、いったん愚かな迷いを繰り返している私だと知らされた私の有りようは、そこでとどまるわけにはいきません。光に出合ってそういう世界を知らされたということは、そんな狭い迷いではなく、広い明るい仏さんの世界に出たいというものを持つようになるのが自然です。
 それが、まさに迷いの主体を内因としてどうなるか、その迷いを超えるためには人間に生まれないといけない。人間に生まれて、仏教に出合っていかないと迷いは超えられない。そこでまず人間に生まれたい。どうしたらいいか。
 仏法の先輩が、「この迷いの主体が、何とか人間に生まれるために何億という男女に、『私の親になってください』、『私の親になってください』と頼み続けたけれども、みんな断られ続けてきたんだ。ところが、このたび、『あなたがそんなに人間に生まれたいんだったら、あなたの親になってもいいよ』と言う両親に巡り合って、それがまさに、迷いの主体を内因とし、父母の精血を外縁として因縁和合して、このたび、人間に生まれさせていただいたんだ」と、味わっていました。
 なるほど、そうなのか。私自身、生物学的、医学的な、人間に生まれたからくりを学びながらも、仏法の世界に出合ってみれば、仏法が教えてくれている物語というものがうなずけます。
 どうしてそういうことが大事だと思うことを二つ経験したので紹介します。昭和四十年代、学園紛争で全国の大学が荒れていました。そのときに、「私は、親が勝手に生んで、自分は被害者だ。親には何の恩もない」というある学生の発言が新聞に出ていたことがありました。
 私自身も、自分が何か困ったことに出合ってみたら、「何で私がこんな人間として生まれたんだ。もうちょっといい状況で生まれたらいいのに」と、つい親に文句を言いたくなるような状況が度々ありました。でも、仏法に出合ってみて、そうではなく、自分が生まれたのは被害者ではなくて、私は気付かなかったけども、やはりそこに、人間に生まれたい、人間に生まれて迷いを超えたい、愚かを脱したい、そして仏の智慧の世界に出ていきたいという物語があったのではないかと受け止められるという一つの方向性です。自分は単なる被害者だというところから人生をスタートするのか、自分は人間として生まれて大きな世界に出たいという方向性があるということを知らされて人生を歩めるかは、大きな違いが出てくると思います。それが一つです。
 もう一つは、北九州のある僧侶から聞きました。その僧侶は、三歳のときに母親が肺炎で亡くなり、小学校三年生のときに父親が何かの病気で亡くなりました。その後、父親と再婚した義理の母親に育てられたけども、どうしても義母になじめませんでした。そして、お寺に生まれて、どうしても自分の思いどおりの人生ではなく、長男として後を継がなければいけないというので、親は勝手に生んで私は被害者だという思いがあって、親を恨んでいたと言います。
 ところが、大学を卒業して、お坊さんになって、いい先生に出会って仏教を勉強しようと少し意欲が出てきて、この善導大師の言葉に触れ、人間に生まれるというのは、私が主体的に生まれてきたと思えるようになってきて、いつの間にか、両親に対する恨みが消えていました。
 そして、自分の姉から、母親が姉に、「ごめんね」と言って亡くなっていったという話を聞いたときに、幼い子どもを残しながら死んでいかないといけない境遇にあった母のことが本当に無念だっただろうと思われて、母の気持ちを大変だっただろうなと思えるようになりました。
 これはすごい展開ですね。今までは親を恨んでいました。それは、多分、私たちから言ったら、損得、勝ち負け、善悪の欲の視点から見ると、自分にとっていいことは何もありません。でも、仏さんの智慧の視点でものごとを見てみたら、その背後に宿されている母親の心、いろいろな状況が見えるようになってきたときに、「幼い子どもを残して亡くなっていくというお母さんの無念さが本当に思われました」と言われていました。
 このように、私は、医学、生物学を学んでみて見えてくる人間に生まれた物語、仏教の智慧を通して教えられる物語を見ながら、人間とは、人生とはという全体を、仏教が見た物語のほうが正しいか、納得できるか、科学、生物学、医学が見た物語が人間全体、人生全体を把握しているかということを考えてみました。
 (マルティン・)ハイデッガーは、医学、科学は「計算的な思考」だと言っています。疑問形で言うと、「what, ホワット」や「how, ハウ」、どういうからくりでどうなっているかを考える計算的な思考が医学、生理学、心理学です。だから、人間に生まれた意味を医師や生物学者に聞いても、「それは私の領域ではありません」と言います。
 疑問形で言うなら、「why, ホワイ(なぜ)」です。なぜ人間に生まれたのか、生きることに意味はあるのか、死んだらどうなっていくのかということに対する思索は、やはり哲学や宗教の領域です。そうしてみると、人間という全体、人生という全体を見るのは仏教だと、私は思うようになってきています。
 その例えです。大分県中津市に、お東(東本願寺)の正行寺という寺があります。そこには、江戸時代に(末弘)雲華さんという、真宗では非常に学識があると言われた先生が居て、その雲華さんと頼山陽は交流があったらしいです。大分県の耶馬渓には、頼山陽筆落としの岩と言って、あまりにも景色が良すぎて筆を落としたという所があります。
 その頼山陽と雲華さんが交流があったときに、こういうことがあったらしいです。頼山陽が、お釈迦さんと孔子が相撲を取って、お釈迦さんが投げ飛ばされたけれども、お釈迦さんはにこっとしている絵を描いて、雲華さんに、「賛を書いてくれ」とリクエストしました。
 頼山陽とすれば、この世での処世訓はやはり「論語」のほうが上ではないか。お釈迦さんはそんなことをあまり説いていない。お釈迦さんよりも「論語」の孔子のほうがすごいのではないかという意味を込めて描きました。
 すると雲華さんは、絵をちょっと見てさらさらと賛を書きました。どういう賛かというと、「孔子、三世を知らず。釈迦、顛倒してこれを笑う」。仏教の場合は、三世の救いを説きます。論語はこの世での処世訓を説いています。確かに、それは学ぶものが多いです。でも、本当に人生という全体を見た場合は、過去、現在、未来の三世の救いを説く仏教が本当に人間を救うということを知らされます。
 そういう意味では、私たちは、科学的合理主義で見える世の中の現象と仏教の智慧を通して、自分というものの本当に愚かさ、迷いの深さに気付き、「わが名を称えよ。念仏する者を浄土に迎え取るぞ」の南無阿弥陀仏の智慧と寿(いのち)を届けたいという仏さんの心に触れてみたところから見えてくる人生の物語を考えます。
 医学、生物学では、人間に生まれたのは単に卵子と精子がくっついて生まれた、それ以上の物語は出てきません。でも、先ほどの天明の飢(き)饉(きん)の記録、私がこの世に誕生したということは、生命三十七億年の連鎖の最先端に、今、ここに誕生させていただいているということです。京都女子学園の中にある草にしても、木にしても、虫にしても、鳥にしても、みんなDNAのかなりの部分を共有するという考え方で言うならば、命の仲間です。その三十七億年の生命連鎖の最先端を生きている命の仲間という受け止めは、生物学的に十分に間違いないと思っています。
 同時に、迷いの主体がずっと連綿としてきて、何とか人間に生まれて、仏教に出合って、迷いを超えたいという、自分では分からなかったような過去からの思いが、仏さんの智慧に出合ってみて、物語として知らされます。私自身が人生を生ききっていくうえで、仏教は何を目指しているかというと、「人間に生まれてよかった、生きてきてよかった」、そして、私が生きるという意味は、生かされていることで果たす私の役割を精いっぱい生ききって、あとは仏さんにお任せすれば、何の心配もありません。
 そういう世界に出合わせていただくなら、やはりそこに人間に生まれたということのすごさを感謝し、懺悔せざるを得ないと同時に、お釈迦さんが誕生して仏教を説いてくれた、それを法然さん、親鸞さんが私たちにも分かりやすく説いてくれて、そして、この七百年、八百年の日本の浄土教の歴史の中で、今日までそれを伝えてくれた先輩たちの苦労を思うときに、やはりそこに、出世本懐のお経、出世本懐の教えに出合うために、私は人間に生まれさせていただいたのではないだろうかということもうなずけるということを知らされます。
 自分の姿が本当に愚かで迷いを繰り返しているということがうなずけるようになってきた、仏さんの智慧を垣間見るようになってきたときに、お東の藤代聡麿さんの「これからがこれまでを決める」という言葉にもまた出合いました。
 今までは過去を見ていました。私たちは、過去はもう取り返しがつかないと思います。ところが、これからあなたが仏教の智慧に出合っていくならば、過去を振り返ったときに、あの悔しかったこと、寂しかったこと、人にも言えない恥ずかしかったこと、それらがみんな仏教に出合うことによって、仏教に出合うためになくてはならない貴重なご縁だったと見直されてきます。
 これは、医学の世界で、終末期の医療でこれから命を終えんとする人たちに、「人生は見直しの機会があるんですよ。見直せるんですよ」と言ってサポートをするということも聞いています。そういう意味では、仏教の智慧を通して気付かされるというか、うなずける物語、それは、人間として生まれた物語があり、その物語が受け取れるまで、言うならば、お育てをいただいて、そういう物語は、決して生物学、医学と矛盾しないと、私は思います。矛盾しないというか、本当に一緒にやっていける世界だと思います。
 ですから、人間に生まれた物語を、私たちはどう受け止めるか。そのために大事な点は、仏教の教えに照らされて、私たちが日々生きていく理性、知性、分別の世界、これは確かに、この世を生きていくためにはなくてはならないし、しっかりと考えていかないといけません。しかし、この理性、知性をよりどころとしている私たちが仏教に出合います。これは、私の先生は、「私たちの世間の世界から言ったら、仏教は異質な世界です」。言われてみれば、この世の分別の思索の延長線上に仏教はありません。「まさに異質な世界に出合ってみて初めて、自分というものが、理性、知性が絶対だと思っていたものが相対化されて、多様性ということに気付かされる一つのご縁になるんですよ」と言っていました。
 これは、仏教でなくても、外国語に触れるということもその一つの例です。浄土真宗を大事にしているある学者が、仏教の学びをしていますが、インドのヒンディー語を学びました。ヒンディー語には非常に仏教的な視点があるそうです。例えば、「私はあなたを愛しています」と言ったときに、「私に、今、あなたに対する愛の気持ちが起こって、留まっています」という表現をするそうです。愛の気持ちが起こってとどまっているということは、なくなる可能性があるから大事にしないといけないという発想になります。
 私たちは、いつの間にか、「私はあなたを愛しています」と言うと、その愛がずっと続くように思いますが、縁しだいではどうなるか分かりません。私たちは、仏教で言うなら、「縁しだいではいかなる振る舞いもすべし」。そういう意味で、過去も因縁の集合体としての私であっただろう。それを「迷いの主体」と言い、そして、現在も因縁の集合体としての私であり、未来も因縁の集合体としての私があるだろう。それはこの世からは分かりません。でも、そこに、仏教の基本の因縁の集合体としての私があります。ですから、「縁しだいではいかなる振る舞いもすべし」。
 これは、私たちは、例えば、腹を立てたりうれしかったりすると、その心こそ私だと思いがちですが、私は、仏教の学びを通して、「感情の奴隷になんなさんなよ」と言うことがあります。どちらにしても、異質なものに触れることによって、自分が今まで生きてきた価値観、世界観、人生観が相対的になって、多様性を知ることによって、私たち自身の人生を豊かなものにしてくれます。
 私はたまたまこの十年間、龍谷大学大学院で学生と一緒に学び、学部の学生や大学院の学生に講義をするときに、いつもこう言っていました。京都女子大も同じだと思いますが、「龍谷大学、大谷大学で学ぶというのは、世間の物差しではない仏の物差しがあるんですよ。その世間の物差しでない物差しを学ぶという機会があるということが、世界の大学の中で、浄土の教えに出合うということが、宝の蔵に出合っているのですよ。大学に居る間にぜひともその世界を学んでください」と言いますが、学生はなかなか単位されればいいと言って、なかなか聞いてくれません。
 仏教という異質な世界に触れることによって、自分の考えてきた世界が本当に狭い世界だったということを知らされるときに、自分の思い、価値観が相対化され、多様性が知られてくるという機会を、ここもそうだし、そういう学びの場に私たちは居るということを大事にしてほしいです。
 そうしてくると、そこに、今までは親が勝手に生んだとしか思えていなかったものが、そうではなくて、人間に生まれたということの背後にこういう物語がある、こういう意味があるということまで知れるようになってきたら、私たちは、この人生を生きていく方向性をいただけることがあるのではないでしょうか。
 そういう意味で、親鸞聖人の誕生ということは、まさにお釈迦さん、法然さん、親鸞さんの誕生を通して、私たちの人生が方向性を大きく変えられます。私自身がそうでした。そして、そういうことを通して、そのことが本当によかった、それはまさに、「人間に生まれてよかった、生きてきてよかった」と、人生を生ききっていく道を仏教は教えてくれています。
 医学が人間を救うか、仏教が人間を救うか。医学は老・病・死を先送りするだけで、最後は敗北で終わります。仏教は、生死を超える道を説いて、本当に人間を救っていくという世界を私たちに教えてくれます。  どうして仏教は生死を超える道で人間を救ってくれるのかということを、私たちが本当にうなずいていけるというのが、この仏教の智慧の深さであり、智慧に触れることによって、人間に生まれた物語が受けとれる、そして、生きることの意味が受け取れるようになり、死んでいくことの物語、死んでいくことの安心という世界があるということを知らされます。
 私たちは、仏教の智慧を通してそういう人生の物語を気付かされます。それは、仏法に出合って本当によかったという先輩方の文化の蓄積を学びながら、人に出会い、先生に出会って、私たちは教えられます。私は、浄土真宗の場合は一生が被教育者としての歩みだと思っています。
 どこまで学び続けても、途中であっても、その途中で、人間に生まれてよかった、生きてきてよかったという味わいをいただきながら、人生を生ききっていく道に、今、私たちは立たされていると思っています。親鸞聖人の誕生をご縁として、仏教が教える物語の一部を、私なりの受け止めで紹介しました。ご清聴ありがとうございました。(令和元年五月二十一日 親鸞聖人降誕会記念講演より)

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