船頭より 
 

  淡隆丸の名前は、遊漁船業を始めるにあたり当時友人であった淡島神社の先代宮司さんにつけてもらいました。 ちなみに写真は、日付から見て、創業して間もない頃のもののようです。 あれから随分と長い年月が経ったもんだと、感慨深く見入ってしまいました。

  お蔭さまで、長年に渡ってこの仕事を続けることができました。感謝の思いに加えて、最近ひしひしと感じていることは、お客さんとの一期一会の出会いが大切である、ということです。たしかに釣りは一見どこか勝負ごとに似ており、それを極めようとすればたいへん奥の深いものであります。しかし、何よりもまず、ただただ楽しいことが一番だと思うようになりました。釣りを通してお客さんと共に楽しい時間を過ごす、これが長年かかってようやくたどり着いた自分なりの考えです。

 
 

  漁師になって早や15年が過ぎました。これからも初心を忘れず、初志を噛みしめていきたいと思います。 (以下、2004年原文ママ)

  漁師になって日もまだ浅く、毎日が学ぶことばかりです。
“経験のなさ”と“未熟さ”なら,おっとガッテン承知のすけ!

  ならばこそ,“永遠の初心者”としていつまでも初心を忘れず,
初めて魚を釣ったときの驚きと喜び,そして身体が震えるほどのあの感動に立ち返り, 釣りに向きあっていきたいと思います.

「水にすむとき,魚をつるあり,人をつるあり,道をつるあり. これともに古來水中の風流なり.さらにすゝみては, 自己をつるあるべし,釣りをつるあるべし, 釣りにつらるゝあるべし,道につらるゝあるべし.」   (「山水経」道元『眼蔵』)

  この言葉は,釣りをしているとき, いつも念頭にあって心から離れることがありません. これから先もずっと,波に揺られ,心も揺られながら, 海の上でこの言葉の意味を探求していきたいと思います.

 

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