「おめでとう、遙」
「たんじょうびおめでとうおねえちゃん」
今年もまた、誕生日会が開かれている
涼宮家では恒例の行事
今日で遙は10歳になった
さて、この誕生日会、実は本人が居ないかもしれないという危機に直面していたのだ
その詳細を話すとしよう
さて、誕生日といえば、この年頃の人たちにとっては一大イベント
プレゼントがもらえる日、料理が豪華になる日という認識があることから
特別な日という思いが強い
家族によるかもしれないが、その日もしくはその近くの日に祝うところがほとんどであろう
涼宮家もまた、そんな家庭のひとつで、毎年誕生日会が開かれていた
母は料理をたくさん作り、父はどんなにいそがしくても必ず時間に間に合うように帰宅する
そんな理想的な家庭であった
数日前になって父と母はこのパーティーをどうしようかというような、話し合いをしていた
妹の茜は、姉の遙の誕生日ということで、華やかな雰囲気になる家庭にまたうれしさを感じていた
そんななか、遙が一言
「ことしはパーティーいらない。」
遙はこんな約束をしていたのだ
「こんど遙ちゃんの誕生日があるよね。だからうちにおいでよ
いわってあげる」
この頃遙と仲がよかった友達(この時点での親友)の言葉、
そして、その仲いいグループで それなら私も、私も というような流れ
遙にとっては、友達が祝ってくれるということが嬉しかった
だから「わかった」と言った
親が祝ってくれることは当たり前で、少しそれにも飽きていたのかもしれない
もちろんお祝いをするのは誕生日の日
「友達が祝ってくれるからお父さんとお母さんに祝ってもらわなくてもいい」
運命は残酷とも言うべきか。
3月21日の午後になってこんな電話があった
「遙ちゃん、ごめんね・・・お父さんがこれから旅行にいくっていうの
だから祝ってあげられない・・・ごめんね」
一番リーダーとなっていた子が参加できない
また、半分以上の子が親の都合で参加できないことになった
大人からみれば「無責任」とも見えるが、
計画性がなく、その場の気分で行動してしまう小学生にとって「いつもどおり」なこと
結局遙を祝う誕生日会は中止になったのである
3月22日
遙の誕生日。自分で「友達のうちで誕生日会やってもらう」といった手前、
遙は「行ってくるね」と笑顔で出かける
内心はすごくさびしかった
行く当てもなく、だけど近くの公園に行ったりしたら見つかっちゃうかもしれないという考えから
少し遠くの公園までいく
かぁーかぁーかぁーとカラスの鳴く声が聞こえるまでブランコをこいだりしていた
楽しいはずが無かった
やっぱり寂しさでいっぱいだった
去年までの誕生日会を想像した
なんだか自分が情けなくて・・・
強がっては・・・いられなかった
涙がぽたりと落ち、こらえきれなくなって大きく泣いた
・
・
・
「お姉ちゃん、帰ろう。」
突然の茜の声
顔を上げるとそこにハンカチをもった茜
そして少し後ろにお父さんの姿があった
「帰ろうか」と何も言わずにおんぶしてくれたお父さん
そばにとめてあった車にのって家に帰る
家に入るといつもどおり、1年前と同じように、自分を祝う誕生日会の光景があった
「誕生日おめでとう、遙」
「おめでとう、遙」
「たんじょうびおめでとうおねえちゃん」
だれも、「いらない」と言ったことを責めずに笑顔で祝ってくれた
そんな光景をみて遙はまた泣き出してしまった
寂しい・悲しい、そんな涙ではなく、安心した・嬉しい、そんな涙
楽しい時間が流れた
いつもより楽しく感じたのは、さっきまですごく寂しかったからかもしれない
このとき遙は誓い、思ったのである
もうこれからはお父さんやお母さんの誕生日会を「いらない」なんていわないと
だって、お父さんやお母さんや茜が大好きだもん ・・と。
そしていつか子供ができたら、こんな風に誕生日をいわってあげられるお母さんになりたい・・と。