夫婦の心構え

 
「男と女の違いを知る」
 
エフェソの信徒への手紙5:15~21
 「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。」
 
 
 悪循環という方法
 聖書はなぜ、まず妻に「夫に仕えなさい」と命じることから始めているのでしょうか。なぜ夫に対しては「妻に仕えなさい」ではなく、「妻を愛しなさい」であるのでしょうか。その理由を知らない時、良い夫婦関係と幸福な家庭を築くことに大なり小なり失敗しているはずです。
 聖書の命令の言葉が男と女で少しだけ違っているのは、夫と妻にとって何が困難であるのかが少しだけ違っているからです。夫婦関係の良くない夫婦は少なくありません。どのように良くないのでしょうか。ここに記されている妻と夫に対する、それぞれの命令の裏にその答えが示されています。そうなっていくのが自然の力です。地球に引力が常に働いて物体は下に引っ張られているように、ある下向きの力が人の心にも働いているのです。夫婦を引き裂くその力とその見事な方法を見破らなければなりません。
 その方法は日本語では悪循環、英語ではヴィシャス・サークル。最初の問題がぐるっと回って、戻ってきた時には事態がさらに悪くなっている。サークルは円ですから、メリーゴーランドのように何回でも何回でも回りながら、最初の一つのきっかけがどんどんと問題を悪くし、悪の円が無限に拡大していくことです。最初の一つの悪のきっかけだけ作っておけば、後はそれが自分でどんどん拡大し、そして夫婦を含め、人間関係があちらでもこちらでも破壊されていく。そのような悪循環をできるだけ早く見破って断ち切らなければなりません。
 
 実例
 妻には「夫に仕えなさい」あるいは「夫を敬いなさい」、夫には「自分を愛するように妻を愛しなさい」。夫と妻に対するそれぞれの命令の裏に隠されているのは、それを守らないときに悪循環が始まる巧妙な仕掛けのスイッチです。そして男も女も、ゴキブリホイホイにゴキブリがかかるように、この仕掛けに次々とかかってしまうのです。
 たとえばこのように。夫がどこにでも靴下を脱ぎ捨てるくせがあり、妻が何とかしてほしいと思っていると仮定します。夫は仕事から帰宅すると、いつものように無意識に靴下をその辺に脱ぎ捨ててしまいました。そこで妻は夫に向かって叫びます。「何回言ったら分かるの、そんなことぐらい幼稚園の子供でもちゃんとできるわよ」と。夫は不機嫌になります。夫は妻の作った夕飯に「おいしい」の一言も言いません。夫は妻の努力と親切をそのように台無しにしてしまいます。
 妻はおいしい料理を一生懸命に作って、夫の帰りを待っていました。夫はそこに注目をするべきであったのに、聞こえたのは「幼稚園の子供でもできるわよ」の一言、妻に侮辱されたと感じてしまいます。一生懸命に作った料理に一言も言わない夫に、「私を愛していない」と妻は感じます。そしてそのような不満が、だんだんとエスカレートし蓄積されていきます。そんな残念なことが、なぜあちらでもこちらでも起こってしまい、次々と夫婦関係と家庭が破壊されていくのでしょうか。「靴下」や「幼稚園の子供」の部分は私の作文ですから、自分たちの状況に合わせていろいろ入れ替えながら考えてみてください。
 
 夫と妻
夫が感じるようには妻は感じない、妻が感じるようには夫は感じない。夫と妻の感じ方が違うということに、お互いが無神経であるために悪循環が始まってしまいます。それが悪循環のやり方であることを一刻もはやく見抜かなければなりません。夫は妻に尊敬されているかどうかを第一に考え、妻は夫に愛されるかどうかを第一に考えます。結婚が十年にもなれば、何もかも知っている妻に尊敬されている、という自信のある夫はそう多くはありません。そこでいつでも夫は妻に尊敬されているかどうかに神経質になっています。「馬鹿にされていないかどうか」と消極的に言った方が分かりやすいかも知れません。そのような夫にとって、妻の「幼稚園の子供」という小さな言葉でも、あまりにも大きな打撃を与えるに十分であるのです。そんな夫を見て、妻はさらに夫を子供みたいと馬鹿にし、悪循環のスイッチを入れてしまいます。
 プライドは女性にとっては第一のものでも第二のものでもありません。横断歩道で停車すると、ほとんどの女性はお辞儀をしながら横断歩道を通っていきます。しかし男性の半分ぐらいは、そうではありません。「こっちが優先だ」みたいな感じで通っていく男性が多いのです。確かに横断歩道は歩行者が優先であり、男性の方が論理的には正しいのかも知れませんが、どちらも気持ちよくなるのは女性のやり方です。これはほんの一例でありあくまでも一般論ですが、男性と女性の違いの一つのように思えます。
 妻は時間をかけて一生懸命に作った料理を、夫が不機嫌で食べることにショックを受けます。愛されていないと感じます。さらに夫に対する不平不満と小言が増えます。小言を言われた夫は機嫌が悪くなり、もっと妻に不親切になります。たとえばこのようにして悪循環のターボ・エンジンがフル回転に達するのです。
 
 悪循環を打ち破る
 私たちはこのような悪循環をどこかで断ち切らなければなりません。そうでなければどんどんと拡大していくからです。夫か妻の両方がそうすることが理想的ですが、そうなるとは限りません。その場合は夫か妻のどちらかが始めるべきです。
 自然の思いだけでやると、たとえ牧師の家庭であっても、悪循環はいとも簡単に回り出すでしょう。単に喧嘩をしない夫婦というのでは十分ではありません。積極的に良い夫婦関係を実現しなければなりません。そのための第一歩は、悪循環の悪だくみを見破ることです。