倫理


 
Q.ギャンブルを教会はどのように考えているのですか。
A.「ギャンブルはいけません」と聖書に書かれているわけではありませんが、「あなたは盗んではならない」という旧約聖書の「十戒」の中に、間接的な答えが含まれていると思います。ギャンブルには競輪、競馬、スロットル・マシン、ルーレット、麻雀、花札、等々、様々なものがありますが、基本的な仕組みは共通しています。敗者の損失を勝者が受けるという原則です。主催者(胴元)が最初に分け前を取り、残りを勝者が分ける場合もあります。つまり敗者のさいふから勝者が奪い取った、という意味でギャンブルは「正しい盗み」と言えるのではないでしょうか。一方、株や為替などは投機であり、ギャンブルとは上記の理由で区別する必要があります。全員が勝者になる場合も、全員が敗者になる場合もあり得るのです。宝くじがギャンブルと言われることはあまりありませんが、原理的にはギャンブルに共通したものがあります。ちなみに、宝くじの購入者への配分率は、競輪や競馬よりはるかに低いため、当たる率が最も低いことを参考のため付け加えておきます。
  
Q.セックスは汚れたもの、またはよりレベルの低い行為なのですか
A.セックスそのものとその悪用を区別することが重要です。聖書にはセックスそのものに否定的な言葉はありませんが、その悪用や誤用を警告する聖書の箇所は少なくありません。つまり結婚関係以外の性的な交渉には否定的です。カトリック教会の聖職者は独身でなければなりませんが、そのような考えには聖書的な根拠はありません。
 
Q.インターネットでポルノを少し後ろめたい気持ちで見ています。教会はポルノをどのように考えるのですか。
A.まずポルノを見ることに否定的であることに、希望があると言わなければなりません。なぜなら、普通は少しずつ無感覚になって、後ろめたい気持ちが減少していき最後にはそのような気持ちさえ完全に消えてしまうからです。アメリカのある統計によれば、男性の72%がポルノを見ているそうです。ポルノの危険から安全であると言える者は誰もいないと言わなければなりません。学校の先生も聖職者も例外ではありません。ポルノは麻薬より依存症になる危険が高いとも言われます。まずどの程度、依存症になっているかを知る必要があります。普通は次のような段階を踏んで、エスカレートしていきます。①最初にドアを開けて中に入ります。②次にくせになり、繰り返し見るようになります。③さらにエスカレートし、より刺激的なものを、より長く見るようになります。④刺激的なものにも無感覚になり、しかし同じ強さの刺激を求めるようになります。⑤ポルノでは満足できなくなったとき、現実の世界で実行するようになります。これが最終段階であり、レイプ、レイプ殺人、援助交際、売春、などに行き着いてしまいます。強盗は強盗すること自体ではなく金が目当てであるのですが、性犯罪はそれ自体が目的であるため再犯が多くなります。最後の段階まで進む者は多くはありませんが、レベルが上がるほど止めにくくなるのは麻薬と同じです。欲望にえさを与えないようにしなければなりません。
 
Q.結婚を約束しているのに結婚前の性的な交渉はだめなのですか。
A.結婚と婚約は区別しなければなりません。婚約は100パーセント結婚に結び付くとは限りません。その場合そのときの経験はずっと心に残り続け、次の結婚に大なり小なりマイナスの影響を与えることになります。自分の欲求をコントロールし、お互いのためにもう少し待つことが、本当の愛であると思います。クリスマス・ケーキはクリスマスの日まで待った方が、子供たちはもっと喜ぶことができるのではないでしょうか。もう取り戻すことができない場合は、これからでも気をつけましょう。
 
Q.同棲してうまくいくか試してから、結婚するかどうかを決めるのは良くないのですか。
A.試してから決める方がよいことと、そうでないことがあります。洋服は試着してから買うかどうかを決めるべきですが、結婚はそうではないと思います。よい人であれば結婚しましょうという方針は、そうでないと思ったときに愛すること止めることになり、結婚は確実に破たんしてしまいます。どんな夫婦でもそう思うときが来るからです。結婚とは単にこの人を夫や妻とすることを決心することではなく、夫や妻として愛することを決心することです。それ以外の結婚は、うまくいかないことは始めから決まっていると言わなければなりません。
 
Q.キリスト教では離婚は絶対にできないのですか。
A.教会は原則として二つの理由で、離婚が正当であると認めています。一つはいわゆる不倫であり、これは結婚の絆を断ち切る行為であるからです。しかし相手が不倫をしたからといって離婚をするべきであるという意味ではありません。心からの謝罪と悔い改めがあるなら、もう一度やり直すのがよいと思います。もう一つは遺棄(いき)であり、配偶者を見放して戻ってこないことです。やはり結婚生活を断ち切る行為です。その他、暴力(DV)や、生活費をすべて酒やギャンブルに使い果たすなど、結婚生活を続けることができないような状況も遺棄に準ずる行為と考えることができるでしょう。
 
Q.同性愛(男性、女性)を教会はどのように考えるのですか。
A.教会によって理解が分かれ、少数派ながら海外では同性愛者の聖職者を認める教会もあります。日本では、公式には態度を表明していなくても、一般社会と同様、実質的には否定的である教会が多いと思われます。新約聖書(ローマ書2章など)を単純に読めば聖書は同性愛に否定的であるからです。それはある時代の一時的な命令であるのか、いつの時代にも通じる普遍的な命令であるのかを正確に解釈することが求められます。教会にとって重要なことは、同性愛に否定的であることと、同性愛者を差別することを区別しながら議論をもっと深めていくことです。差別はどんな場合でも悪であり避けなければなりません。
 
Q.性同一性障害を教会はどのように考えているのですか。
A.同性愛と同様、多くの教会は公式の見解を表明しているわけではなく、どのように対応するのかとまどっているのが現状です。また聖書の言及も同性愛よりも少ないため、間接的に関係のある箇所の解釈を積み重ねることが重要であると思います。たとえば「神は人を男と女に創造された」と男女の区別を最初に明確にしています。男女の区別は段階的(グラデーション)であるとする、性同一性障害を全面的に肯定する考えとはかなり異なっています。ただしどんなことにも例外があることも認めなければなりません。無差別に認めるのではなく、どのあたりに境界線を引くのかが、もっと真剣に議論されなければなりません。たとえば生まれつき性が生物学的にはっきりしないような特殊なケースから、異性の服装をするのが趣味であるようなケースまで、同じように考えすべてを承認するのは適切ではありません。与えられた肉体に苦痛を感じるようなケースについて、教会は真面目に考えなければなりません。