科学


 
Q.科学が進歩すれば、何でも分かるようになり、やがて宗教はなくなるのではないでしょうか。
A.明治の俳人であり物理学者である寺田虎彦は、「科学的な真理が拡大すると未知な部分との接点が増え、分からないことが増える」、万有引力を発見したアイザック・ニュートンは、「私は砂浜のひと粒の真理を発見したにすぎない」と言いました。科学が進歩するとは、分かることよりも分からないことが増えることだと思います。
 
Q.宇宙の起源が証明されつつあり、聖書の宇宙観はやはり神話に思えるのですが。
A.聖書は宇宙の成り立ちを科学的に説明しようとしているのではありません。聖書の中心的なメッセージである「神の国」という視点から宇宙を説明しているのです。昔の人にとって「国」とは王の支配する領域のことであり、神が宇宙を支配する王であると聖書は最初に宣言しています。アインシュタインは宇宙に始りがないと考えましたが、その後、ビッグバンによって宇宙が始まったと考えるのが、天文学者や物理学者の間ではほぼ常識になり、さらにその前にインフレーションと呼ばれる宇宙の瞬間的な膨張があったという仮説が最近は定着しつつあるそうです。きりがないのですが、聖書は科学と対決するのではなく、宇宙の最初の起源を神に求めているのです。
 
Q.進化論は当たり前と思っていたのですが、聖書は神が世界を創造したと言っています。クリスチャンはみな進化論を否定しているのですか。
A.進化論を否定する教会、進化論を肯定する教会、神は進化をも用いて世界を創造したと考える教会。様々な立場があり一定していません。改革派教会では牧師や個人の自由な判断にまかされています。進化論は完全に証明された理論ではなく生物学の有力な説です。有力な生物学者の中には進化論に反対する者もあります。アメリカでは州によっては、進化論を真理としてではなく、学説の一つとして教えなければならないことが州法で定められています。進化論の最大の問題はミッシング・リンクと言われる進化の中間段階の化石が圧倒的に少ないことであり、発掘されたごく少数のリンクと思われる化石から理論を組み立てていることです。生物が長い年月の間に少しずつ進化したのであれば、中間のもの、さらにその中間、中間の中間、さらに、、、と無数の中間状態の化石が発見されてもよいはずです。しかし実際に発見されるのは、アンモナイトや恐竜などすでに絶滅した生物か現在も存在する生物の化石ばかりで、中間と考えられるものはそれに比べると極端に少ないのです。この不自然なバランスの中に疑問が残ります。
 
Q.人間はアメーバ―のような単細胞の生物から進化したと、学校で習いました。聖書はそうではないと教えているのですか。
A.上の問題続きになりますが、進化論では説明のできない重要な部分が人間にはあります。なぜ人間は音楽や絵画や夕焼けの美しさに心を動かされ、悪いことをしたときに良心の呵責を感じ、どこまでも真理を探究する心があるのでしょうか。つまり人間の心だけが「真善美」を感じるのはなぜでしょうか。動物園のサル山でサルたちが礼拝をするのを見たことがありません。なぜ人間にだけ、宗教、芸術、道徳があるのでしょうか。神が人間の魂を創造されたと聖書は教えています。それを証明することはできませんが、それ以外に説明する方法があるでしょうか。