様々なテーマ

いじめを考える
 
1.いじめは学校の問題か
 
 いじめが社会問題としてクローズアップされています。もちろんこれまでいじめがなかったのではなく、隠しておけない深刻な事件がおこったため、いじめが学校で蔓延している実態が少し明らかになったのだと思います。しばらくするとまた忘れられ、忘れたころにまた現れて大騒ぎし、それが繰り返されているように思えます。
 日本のいじめ問題の特徴は、「すべて」でなければ「ほとんどすべて」が学校の問題と考えられていることです。学校は周りの社会がそのように判断すると知っていますから、できる限りいじめを隠そうとするのはある意味で当然かもしれません。事実、いじめが原因で事件が起こると、ニュースでも問題になるのはほとんど学校だけです。校長先生が出てきて「あってはならないことが起こり、、、」などと言って頭を下げるシーンはすっかりおなじみになりました。
 いじめ問題が大浮上したとき、NHKの特集番組の中でイギリスの学校の校長先生のインタビューがあり、「学校にはいじめがあることを前提にしてやっています」というイギリス人の女性校長のコメントに、日本との大きな違いを感じました。日本社会は基本的には性善説、西洋社会にはキリスト教の原罪説が根底に流れていることが、この差になって現れているのかも知れません。
 いじめ問題は最終的には人間の問題であり人間関係の問題です。そして子供たちにとっては、学校が親子関係以外での人間関係が、最初に実践される集団であり社会であるのです。いじめた本人の責任、その親の責任、学校の責任、社会の責任、それぞれは密接に関係していると同時に、すべてを学校や先生の責任にするのではなく、それぞれの役割と責任を区別して考えることも重要だと思います。学校にも責任があるのは確かですが、すべてでないことも確かです。いじめた生徒やその親を告訴するなど、最近のいじめ事件の後はこれまでとは少し異なる動きが見られることも確かです。