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命の大切さをどのように教えるのか
 
1.命は本当に大切なのか
 
 小学6年生の女子が同級生の女子をカッターナイフで首を切って殺害したという、実にショッキングな事件が起こりました。アメリカの映画を見ていると、30分に一人は人が死にます。撮影が終わったらみんな生き返ることを知っていますので、ポップコーンを口に放り込みながら平気で見ていられるのですが、今回は子供が子供の命を本当に奪ったのです。もう生き返ることはありません。
 このような事件が起こると、必ず聞こえてくる言葉があります。「命の大切さ」です。文部科学省の大臣、校長先生、そしてニュース・キャスターの口から何度も何度も繰り返し聞かれるのです。
 「命の大切さ」をどのように子供たちに教えるのでしょうか。「命は大切だ、命は大切だ」と一万回唱えるのでしょうか。もちろんそんなことはありません。でも、そもそも命は本当に大切なのでしょうか。遅かれ早かれ命がなくなるときがあるのです。あなたなら、命がなぜ大切なのかどのように説明をなさるでしょうか。校長先生は生徒たちにどのように説明するのでしょうか。
 もちろん様々な説明が可能であることは言うまでもありません。いま考えようとしているのは、人の命を奪ってはいけない究極的な理由がはたしてあるのかという問いです。究極的で最終的な理由は確かにあるのです。
 究極的な理由をお伝えする前に、一般的な理由を考えてみます。「一般的」を「相対的」と言い換えても同じです。教育委員会や校長先生が子供たちにも用いる説明であるかもしれません。それは有益であり、そのように子供たちに伝えるべきであると私も思います。
 第一には、殺された者の人生を奪うことになるからです。とくに子供の場合は、少なくとも統計的にはより長い時間が残されていたことが予想されます。もし生きていれば、どんなに貴重な経験をしたかもしれません。有能な才能を用いて社会のために貢献したかもしれません。そのような可能性を一瞬にして奪ってしまったのです。
 第二には、その人を愛していた人々を悲しませることになるからです。とくに両親の悲しみはどんなに大きく深いことでしょうか。その悲しみを何か他のもので置き換えることなど到底不可能です。その悲しみを一生背負って生きなければならないとしたら、それ以上に苦しいことがあるでしょうか。そんなにも深い傷を与えてしまったのです。
 第三には、社会に不安を与えます。とくに学校はじめ子供たちとその親たちには特別に大きなショックです。
 第四には、本人にとってもショックであり、まともに立ち直ることは簡単ではありません。一生、心に傷を負って生きなければなりません。
 でもこの四つの理由はまだ、命を奪ってはならない究極的な理由とは言えません。