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2.一般的な理由の不十分さ
 
その他にも様々な理由をあげることができるでしょう。そしてそうすることは有益です。でもいまは、これぐらいで止まりたいと思います。相対的な理由をいくら積み上げても、やはり相対的な理由であり究極的な理由とは言えないからです。
 今回の事件を離れて、殺人事件一般を考えてみてください。殺人事件の被害者の中には、殺されても仕方がないと思われるような悪党も含まれています。いやむしろ正直なところ、あんな奴は早く殺されて良かったんだ、と犯人に同情するような事件もまれにはないでしょうか。ドストエフスキーの「罪と罰」の主人公の学生は、高利貸しの老婦人を斧で殺害して金を奪うことを計画します。多くの人を苦しめているあんな悪党は早く死んだ方が、社会のためにも本人のためにもなると考えたからです。そして殺人の現場を目撃した妹をも殺してしまうのです。
 作家の三浦綾子は「赤ちゃんが生まれても、まだめでたいかどうかは分からない」と書いています。赤ちゃんが成人して殺人者や詐欺師になる可能性もあるからです。全くの一般論として考えれば、本人の人生を縮めることは、それだけではまだ悪いかどうかは判断できないのです。その意味では、第一の理由だけでは命の大切さを説明するには不十分であると言わなければなりません。
 この度の事件の場合、殺された子供の両親は深い悲しみのどん底に落とされたことでしょう。その傷がいやされるには、あまりにも長い年月が必要でしょう。そしてほとんどの殺人事件の場合も全く同じことが言えるのです。自宅近くの狭い交差点でひき逃げ事件がありました。現場には、その後いつも新しい花が備えられていました。先日たまたま車でその前を通りかかったとき、婦人が花を新しいものと取り替えてバイクで走り去りました。
 愛する者に対する尊敬と愛する者を失った悲しみを、多くの人は同じ方法で表現することでしょう。それが普通の感情です。しかし、ほとんど誰にも愛されていない人々も世の中にはいるはずです。その存在さえいやがられている者もいるのです。刑務所に入っている犯罪者の家族に対する配慮をする組織を創立したキューバ人のメニー・ミルという男性は、彼自身が元犯罪者であり、刑務所に入っている間に奥さんには離婚され、子供たちからも引き離されてしましました。アメリカでの話ですが、家族持ちの男性受刑者の約半数が妻から離婚されるという統計があるそうです。犯罪者の82パーセントから92パーセントは、2年以内にまた刑務所にもどってくるそうです。刑務所が好きだからでも、食事がおいしいからではありません。別の犯罪を犯して刑務所にもどってくるのです。愛する者が悲しむから人を殺すことはいけないという説明は、誰からも愛されていと思えない人々の命の尊さを説明することはできません。それともそのような悪い人々の命は大切ではなく、良い人々の命だけが大切なのでしょうか。もしそうだとしたら、それをどこで区別するのでしょうか。私たちはみな、ある程度良い人であり、ある程度悪い人ではないでしょうか。大切なのははどの程度良い人の命なのでしょうか。
 たとえ両親からこよなく愛されている子供であっても、他人にとっては同じように価値があるわけではありません。検査のために病院に入院しました。ベッドのそばにあるテレビは自動販売機でテレビカードを買わないと見ることができません。3日間ぐらいテレビがないのもいいだろうと思ってカードを買うのは止めました。このメッセージはそのときの書いたのですが、事件については私が一番知らないで書いたことになります。同じ病室の他のテレビの映像だけがたまに目に入りました。同室の患者は、みんなこのニュースを見ていました。アナウンサーが何を言っているのかはわかりませんが、7時のニュースの大きな部分を、少女の殺人のニュースがしめていることだけは分かりました。テレビのチャンネルはその後すぐに巨人の野球やお笑い番組に切りかわりました。殺された少女の父親は、こんな時に野球やお笑いを見る気にはなれないでしょう。第三者にとっては興味を持つことはできても、事件から命の大切さを考えるのは困難であると思いました。北朝鮮に拉致された人々の家族の行方を気にしていた多く人々の心はしばらく、佐世保の小学校の事件に釘付けにされていたようです。