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3.どの程度良い人の命が大切なのか
 
 この度の事件の場合、殺された子供の両親は深い悲しみのどん底に落とされたことでしょう。その傷がいやされるには、あまりにも長い年月が必要でしょう。そしてほとんどの殺人事件の場合も全く同じことが言えるのです。自宅近くの狭い交差点でひき逃げ事件がありました。現場には、その後いつも新しい花が備えられていました。先日たまたま車でその前を通りかかったとき、婦人が花を新しいものと取り替えてバイクで走り去りました。
 愛する者に対する尊敬と愛する者を失った悲しみを、多くの人は同じ方法で表現することでしょう。それが普通の感情です。しかし、ほとんど誰にも愛されていない人々も世の中にはいるはずです。その存在さえいやがられている者もいるのです。刑務所に入っている犯罪者の家族に対する配慮をする組織を創立したキューバ人のメニー・ミルという男性は、彼自身が元犯罪者であり、刑務所に入っている間に奥さんには離婚され、子供たちからも引き離されてしましました。アメリカでの話ですが、家族持ちの男性受刑者の約半数が妻から離婚されるという統計があるそうです。犯罪者の82パーセントから92パーセントは、2年以内にまた刑務所にもどってくるそうです。刑務所が好きだからでも、食事がおいしいからではありません。別の犯罪を犯して刑務所にもどってくるのです。愛する者が悲しむから人を殺すことはいけないという説明は、誰からも愛されていないと思える人々の命の尊さを説明することはできません。それともそのような悪い人々の命は大切ではなく、良い人々の命だけが大切なのでしょうか。もしそうだとしたら、それをどこで区別するのでしょうか。私たちはみな、ある程度良い人であり、ある程度悪い人ではないでしょうか。大切なのはどの程度良い人の命なのでしょうか。
 たとえ両親からこよなく愛されている子供であっても、他人にとっては同じように価値があるわけではありません。検査のために病院に入院しました。ベッドのそばにあるテレビは自動販売機でテレビカードを買わないと見ることができません。3日間ぐらいテレビがないのもいいだろうと思ってカードを買うのは止めました。このメッセージはそのときの書いたのですが、事件については私が一番知らないで書いたことになります。同じ病室の他のテレビの映像だけがたまに目に入りました。同室の患者は、みんなこのニュースを見ていました。アナウンサーが何を言っているのかはわかりませんが、7時のニュースの大きな部分を、少女の殺人のニュースがしめていることだけは分かりました。テレビのチャンネルはその後すぐに巨人の野球やお笑い番組に切りかわりました。殺された少女の父親は、こんな時に野球やお笑いを見る気にはなれないでしょう。第三者にとっては興味を持つことはできても、事件から命の大切さを考えるのは困難であると思いました。北朝鮮に拉致された人々の家族の行方を気にしていた多く人々の心はしばらく、佐世保の小学校の事件に釘付けにされていたようです。