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5.ただ一つの解決
 
 命の大切さを教えることが、無駄であることを証明するのがこのメッセージの目的ではありません。それが無駄であるのではなく、それだけでは不完全であり相対的であるのです。命は大切だと力説することによって、命が大切になるのではありません。命は大切にすることによってだけ大切になるのです。自分の命を投げ出してでも子供を救いたいと思っている親がいるからこそ、その子の命が大切になるのです。
 最も強調したいのは、命は大切であるということです。これまでは、神の愛を除外して考えるなら、という前提のもとに語ってきました。神の愛を除外して考えるなら、命の大切さを最終的に説明することは絶対にできないのです。私の敵であろうが味方であろうが、私が好きであろうが嫌いであろうが、「神は、その独り子を与えるほどに世を愛された」のです(ヨハネ3:16)。
 なぜこんな事件が起こったのか、専門家は様々な分析を行うでしょう。子供の心理、インターネットのマナー、親の接し方なども議論されるでしょう。文部科学省のお役人や教育委員会は、「あってはならないことが」「こんなことを二度とおこさないため」という言葉をこれからも繰り返すでしょう。しかし本当の解決は、一人でも多くの子供が神の愛を知ることです。神が価値の無い私たちを、独り子を犠牲にするほど愛してくださったことに子供たちの心が動かされることです。家庭で神の愛を子供たちに伝えることは決定的に重要です。地味で気が遠くなるような働きです。私たちも「自分によくしてくれる人を愛するだけでなく」、自分の利益や名誉を乗り越えて愛し合う努力をしなければなりません。夫婦が互いに許し合い、愛し合っていることを子供たちに示すことこそ最も重要です。
 もしあのベートーベンが、第九交響曲や月光ソナタなど一曲も作曲せず、ただ音楽の大切さを唱えているだけの人であったなら、たった一つの魂でも感動させることができたでしょうか。「愛の行為を離れて愛はない」(サルトル)。神は、命は大切だという言葉だけでなく、私たちの罪のために神の尊い御子を十字架にかけてくださったのです。人の命は、神にとって独り子を犠牲にするほど価値があるから尊いのです。命の大切さに関する相対的な説明にはそれなりの意味があるでしょう。しかし、神の愛を離れて命の大切さを最終的に説明することは不可能です。
 自分から完全に解放されている者は、私たちのうちにはだれもいません。ですから自分という視点から人の命の大切さを考えるなら、ある人の命は大切であるが、ある人の命はそれほど大切ではない、という結論にならざるを得ません。そしてある人の命は奪われても仕方が無いと考え結局は何の解決にもならないのです。神は御自分に似るものとして造られた人を、独り子を惜しまないほど愛しておられるのです。