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2.忍耐強い人
 
愛の第一の定義は、「忍耐強い」。他に「寛容」、「長く被害をこうむる」という翻訳もあります。弟子たちに寛容を教えるマタイによる福音書18章26節にも同じ言葉が用いられており、この箇所は言葉の意味の最良の解説であると思います。こんな話です。ある人が王に巨額の借金をしていました。しかし期限がきても返すことができなかったため、この人は王に嘆願して言いました。「どうか待ってください。きっと全部お返しします」と。この「待ってください」と言う言葉が、ここで用いられている「忍耐強い」という言葉と同じであるのです。
「ゆるせることと、ゆるせないことがある」と怒っている人があります。しかし人をゆるすとは、そもそも「ゆるせないことを、ゆるすこと」であり、それ以外の意味はありません。王は借金をしている者に返済を待たなくてもよかったのですが、猶予をするどころか全部免除にしてやったのです。「我慢にも限界がある」という言葉も何度も聞いてきました。「仏の顔も三度まで」は少し柔らかい表現でしょうか。「何回までゆるすべきですか。七回までですか」と質問したペトロにキリストは、「七の七十倍までゆるしなさい」にお答えになりました。
マタイ18章のたとえ話は、「忍耐強さ」「寛容」の根拠は私たちのうちにはないと教えているのだと思います。王から巨額の借金をゆるされた男は、自分のわずかな借金のある者をゆるさず牢に入れてしまいました。私たちが他の人の悪をゆるさないこと、私たちがゆるす限界を定めることは、それと同じことをしているのですよとたとえ話が教えているのです。
他の人の悪をゆるすことができるようになるためには、神は私たちの罪をゆるすために、御自分の独り子を十字架につけて殺されたことを知らなければなりません。人間関係の中で起こったことだけを見ているなら、絶対にそのような方向は見えてきません。「絶対にあいつが悪い。なぜゆるさなければならないのだ」というところに永遠に静止していることでしょう。