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7.礼儀正しい人(対等の関係の中で)
 
 大教理問答はさらに、「人を自分よりすぐれた者として尊びながら、違いの尊厳と価値を認め合うこと、また互いの賜物と進歩を自分のことのように喜ぶことである」と言って対等の関係の中でも、礼儀正しく行動しなければならないと命じています。逆に対等の人に対する罪を「求められている義務を無視することのほか、互いに相手の価値を低く評価したり、賜物をうらやんだり、進歩や繁栄を残念がったり、互いに人の上の立とうとすることである」(132問)と指摘しています。
 上であるとき、下であるとき、対等であるとき、すなわちあらゆる人間関係の中で、私たちは礼を失するという罪を犯す可能性があることを覚えていなければなりません。親子関係や夫婦関係など、最も親しい関係の中ではとくに礼儀を忘れやすいものです。これまで何度か結婚式の司式をしたことがありますが、結婚式の説教ではこのような理由から、必ず夫婦の間の礼儀に触れるようにしています。
 夫婦は上下の関係ではなく、基本的には対等の関係です。確かに聖書では、妻は夫に従い、夫を敬うことが命じられていますが、昔の日本がそうであったように、妻が夫より下であるという理解からではありません。それが妻が夫を愛するし方であるからです。夫に対しては「自分を愛するように、妻を愛しなさい」と命じており、夫と妻の愛の表現の仕方が少し異なっているのです。家庭問題に関するある専門家は、「夫は妻の尊敬がなければたいしたものにならない」と言っています。夫は妻の励ましや尊敬を絶対に必要としているのです。
 さて対等の関係である夫婦関係でも私たちは礼儀正しくなければなりません。日本社会は三重の構造をしているといわれます。「内」と「外」とその間の「義理」です。私たち日本人が礼儀正しいと言われるのは、主にこの「義理」の世界の中であって、後の二つの世界でも礼儀正しいとは限りません。「義理」の関係とは、礼を失することを極端に恐れる世界です。そのため、やたらと「お礼」と「おわび」が多くなります。かつてのベストセラー「甘えの構造」によれば、「義理」とは「人情」が強制的に持ち込まれた世界だそうです。「内」の関係の中にある自然な思いやりが、あたかも存在しているかのように行動しなければならない世界であるというのです。そのため、自然な愛の代用として、形式的で表面的なあいさつが大量に入り込んでくるのです。聖書が「礼を失せず」というとき、全くそのような意味ではありません。「内」でも「外」でも守られなければならないような礼儀です。
家族にはやさしくてもあかの他人には冷たい人があり、外ではあいそがよく家庭では無愛想な人があります。あなたがどちらのタイプであれ、自分の傾向を乗り越えて、すべての人に正しく行動しなければなりません。