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12.不義を喜ばず、真実を喜ぶ人
 
 愛の人は、絶対に怒らないでいつもニコニコしているわけではありません。なんでも丸く収めるのが良いわけではありません。愛は真理とともに歩むからです。洗礼式の誓約には、「教会の平和と純潔のために努力することを誓いますか」という項目があります。
 「平和」と「純潔」の両方がセットになっていることが重要です。ある人は「平和」だけしか見えません。そして他方を犠牲にして「平和」を実現しようとします。「丸く収める」という言葉は、どちらかというと悪い意味を含んでいると思います。「純潔」と「正義」を犠牲にして「平和」を求めようとする場合が多いからです。「長いものには巻かれよ」も親戚の言葉であるかも知れません。
 またある人は、「純潔」だけしか見えません。教会を含め、様々なところで問題を起こすのはこのタイプです。「竹を割ったような性質」と言われるかも知れません。「問題だ」、「問題だ」と言う人がだまれば、問題はだいたい解決するのが普通です。
 「平和と真理」、「平和と純潔」の両方を守っていくことが求められているのです。真理はバランスの中にだけ見出すことができるものです。バランスをとるには慎重でなければなりません。真理は平均台の上を歩くようなものです。放っておけばどちらかに傾いてバランスをくずし、自分の傾向の方に落っこちてしまいます。
 愛もバランスの中にあります。自分の子供が成功することばかりを考えている親は、「真実を喜ばず、不義を喜ぶ」天才を作っているのかもしれません。成功や不成功よりも正義であるかどうかが肝心です。正義であっても平和を乱すなら、正義の求め方が間違っているのかも知れません。おそらく「自分の正しさ」を証明したいだけなのでしょう。ここで用いられている「喜ぶ」という言葉は、「ともに喜ぶ」というニュアンスをもっています。「愛と真理」、「平和と正義」がともに喜び合わなければなりません。