HOMEDATA『雪の味』書簡にみる俳人地方別一覧≫丹後他

      木下百尾    

  木下百尾:  -寛政10年6月25日没。江戸時代中期の俳人。 <きのした ひゃくび>
 百尾は、木下氏。別号に橘中亭。湊屋五兵衛。法名一叟了白庵主。宮津住。酒造業。寛政10年6月25日没。国清寺に葬られる。(現在は確認できない)。明和から寛政にかけての俳諧活動が盛んで、丹後俳壇の中心的人物の一人。鷺十の俳諧の実質的後継者。寛政12年4月(跋)には、百尾の追善集『二季のつゆ』が刊行された。

田中布舟: 1734-1808 江戸中期-後期の俳人 <たなか ふしゅう>
 享保(きょうほう)19年生まれ。播磨(兵庫県)高砂の酒造家。菊岡布仙に俳諧をまなび、与謝蕪村らと親交があった。「愚老半臀(はんぴ)を殺がれ候心地」という黒柳召波の死を惜しんだ蕪村の手紙は、布舟に送られたもの。文化5年9月2日死去。75歳。名は左太夫。通称は鍵屋孫右衛門。別号に暮桜亭。

佐々木松雨: 1752-1830 江戸中期-後期の俳人。 <ささき しょうう>
 宝暦2年8月16日生まれ。佐々木松後(しょうご)の子。備前岡山の総年寄役職人頭同列をつとめた。俳諧を父と田中五竹坊にまなぶ。文政13年2月16日死去、79歳。名は朝綱。通称は淀屋与三太夫。別号に松宇、金馬仙、比仙斎。著作に『黄わらび』、『俳諧発句藻塩草』など。

矢野風葉: 1714-1800 <やの ふうよう>
 備後、上下の人。漢方医。名を厚益。若いころ儒学を室鳩巣に学ぶ。『道の枝折』の編纂の折(56歳)に京の蝶夢を尋ね、以来師とする。蝶夢は風葉を「風雅の好士」と称した。

李岱: ?-? <りたい>
 江戸後期、江戸小石川俳。『五万才(ごまんざい)』(1801-1804)初-五篇撰。俳人老狐の父。

多賀庵風律: 1698-1781 江戸時代中期の俳人 <たがあん-ふうりつ>
 元禄11年生まれ。安芸(あき)広島の漆器商。志太野坡(しだやば)にまなび、門下4俳人のひとり。近在の広瀬村に草庵をつくり、頼春水らとまじわった。天明元年4月29日死去。84歳。名は敏行。通称は木地屋保兵衛。著作に『紙魚(しみ)日記』、『俳諧癖物語』、編著に『ささのは』など。