・・・ 著書「松代藩の和算家・測量家 東福寺泰作」の概要・・・ |
本書は、数学の本でも、測量の本でもありません。 東福寺泰作を取り巻く環境と、彼の人生を追うことを主眼にしました。 構成を章ごとに追ってみます 第1章 東福寺泰作をたずねて 過去帳の記録を元に、東福寺家の初代から現代までの系譜を示しました 初代は北信濃の武将「村上義清」配下の「地侍」(地主であり、部下を持つ武士)でした。 義清が「武田信玄」との戦いに敗れたとき、初代は、当時の歴史の流れの一つ「帰農」を選択し、武士の地位を捨てました。 本書の主人公、東福寺泰作は当家の9代です。 第2章 泰作の出生と幼少時代 出生の記録は、明治になって作られた戸籍だけでなく、切支丹宗門御改帳からも確認できました。 江戸時代に生まれた人物の生年月日が特定できるのは珍しいほうかもしれません。 幼年時代は山寺常山の漢学塾に通いました。 第3章 修業時代 算術(和算)を習い、保科清水寺に算額を奉納しました。 (泰作に授与された和算明元流免許の冒頭部分) 次いで測量術(規矩術)を習います。 第4章 松代藩士の時代 松代藩の足軽にそして小頭に取り立てられます。 藩の測量事業に抜擢され、安政2年(1855)に「松代封内測量図」を完成させました。 この測量図は、現在、信濃教育博物館と京都大学総合博物館に保存されています。 (松代封内測量図の内、「鬼無里日影諸村」の部分 松厳寺付近、京都大学総合博物館蔵) 第5章 松代封内測量図を見る 6千分の1縮尺で作成された、9枚の測量図をすべて掲げました。いずれも部分の拡大図付きです。 第6章 時代の波の中で 松代藩に仕えたため、 1 藩内の勢力争いの影響を受け 2 アメリカのペリーが来航した時、警衛隊の一人として横浜へ出向き、 3 戊辰戦争にも出兵しなくてはなりませんでした。 第7章 明治維新以降の泰作 明治になっても、泰作には藩内測量の大役が舞い込み、「松代藩支配地絵図」などを完成させます。 明治34年12月31日に、波乱に富んだ、力一杯生きた80年の人生を閉じました。 第8章 泰作から子孫へ 泰作の子孫は、泰作の残した史料は子孫によって大切にされ、多くは公的機関に寄贈されました。 第9章 そして現在 松代封内測量図は、弘化4年(1847)の善光寺地震から数年後に作成されたため、地震災害の後が多数記録されています。 このため、現代の巨大災害への対策を考える重要なデータとなっています。 平成10年(1998)以降、博物館の企画展などで何回も泰作の業績が紹介されています。 泰作の業績は現代になっても、その重要性は高く評価されています。 (泰作の所有した甲冑、長野市立博物館蔵、東福寺家より平成27年に寄贈された) |
| 東福寺泰作に関連して初代から現代までの「約500年間の時間の旅」として構成しました。 内容は、和算や測量の具体的内容はほとんど触れずに、歴史をたどっています。 ただし、文系の人物の経歴ではないので、それに比べれば少しだけ理系かな、という気はします。 少し面倒なことは、資料にして巻末にまとめました。ここは、読み飛ばしても差し支えないと思います。 索引を付けました。読者へのためというよりは、何をどこに書いたか自分で忘れそうですから。 口絵8ページにカラー資料 私に分かるように易しく書いたつもりです。私のレベルは、全くの歴史初心者です。 これまで読んで下さった方によると、「易しくて良く分かる」、「2日で読めた」。 |