肉親を失ったとき、あれほどの悲しみにひたっていたのが、日とともにその感情はうすらいでいきます。
それはしかたのないことでしょう。いつまでも悲しんでいたのでは、現実生活が送れなくなります。それではあまりにも、申しわけないという心のあらわれが、百カ日以後、伝統のしきたりにしたがって年回法要として営まれます。1年、3年、7年と年を区切って仏事のための一日を設けるのです。毎月の月忌法要もおなじです。
それは亡き人をしのび、亡き人への追慕を通して、浄土真宗のみ教えにふれる「仏法の日」であります。そして、その一日だけではなく、心をこめて準備にとりかかり、あとかたづけをする前後もふくめて、仏法とのご縁を深める貴重な生活です。こうした「仏法の日」を重ねることによって、私たちは仏縁を深めていくのです。これもひとえにご先祖のおかげで、人としてこの世に生をうけさせていただき、亡きあとなお遇い難い仏法にあわせていただくのですから、なによりも仏事は、そのよろこびをたしかめあうことが大切といえましょう。形式的にしてしまうと準備や接待に追われて、しんどさだけが残ります。
「かけた情けは水に流し、うけたご恩は石にきざめ」
兄弟、子どもだけでもいい、無理なときは家族だけでもいいのです。亡き方から受けたご恩をよろこび年回法要や月忌法要をお勤めいたしましょう。
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