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覚え書き−メモ帖作成上の参考資料です、判る範囲で掲載しました

友人が作ってくれたタカノハとマアの人形

−マア− −直行さん−
タカノハの妻をこう呼んでます。お笑い系キャラ。

坂本直行(さかもとなおゆき。1906-1982)
 親しみを込めてチョッコ−さんと呼ぶ人が多い。
 北大農学部を卒業後、十勝の原野を開墾し、
農業を営む。この間に画作、登山、著作等にも
活躍、多くの作品を産み出した。
  絵は日高山脈や野花のスケッチ等が多く、独
特のタッチで描かれた草花は十勝の銘菓を包装
して長く親しまれている。
 著書も「開墾の記」など多数。
−還らざるものを・・・− −知里幸恵−
俳人伊藤柏翠(1911-1999)の句。
 海の見える公園内に石碑が立てられている。

ちり・ゆきえ(1903ー1922) 登別市に生まれ、
旭川市で育つ。
 言語学者、金田一京助の勧めでアイヌ民族に
伝わる口承を記録、19歳で夭折。
 遺稿「アイヌ神謡集」は、「銀の滴降る降るまわ
りに、金の滴・・・・」のフレーズで多くの人に親し
まれ、その民族の文化を伝える記念碑的な作品
となった。

 後に北大教授としてアイヌ民族研究に多くの業
績を残した知里真志保(ましほ。1909-1961)博
士は幸恵の弟で、姉弟して貴重な文化の伝承者
となった。

−土屋茂− −図鑑−
つちやしげる(1915- )
 広尾町在住の郷土史家、著書「広尾町の歴
史と風景」は、1994年刊行。
 アイヌ語による現地の地名を丹念に調査して、
「地名と共にその時代(アイヌの時代)を視たか
った」という研究成果が収められている。
 自分で現地を確認しながら、近藤重蔵以来の
和人による当地の記録や知里真志保・山田秀
三など後世の研究者の成果も紐解いて慎重な
考察を披露している
タカノハが現在使っている手元の図鑑は、下記の
ものです。

「北海道の花」・・・・・北海道大学図書刊行会
             2001年7月10日 第8刷

−日高山脈−  
えりも岬から北へおよそ140kmに及ぶ山脈。

 タカノハが解説するよりも下記のサイトを紹介
します。山脈各峰の情報が詳細に示されてい
ます。ぜひご覧下さい。

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