メモ帖ー’09

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2009/12/24 雪と氷の風景

 北半球を猛烈な寒波が襲ったとか、言われてみれば今週の寒さは寒中に
匹敵するような気がする。

 数日前の早朝には、気嵐が立っているのを見たし、草木は氷を貼り付け
ていた。確かに、年前にはそう見ない光景といっていい。

 

2009/12/22 朝の光

 冬の朝は光が静かに満ちてくる。寒気が流れる水辺では草も木も真っ白
な氷を枝先に貼り付けて、白々と輝いている。

 覚悟というほど大げさではないが、雪を待つ暗鬱な気持ちもいざその時
を迎えてしまうと何ほどのことも無くて、冬景色を楽しんだりスキーに興
じたりするのが人間だ。

 

2009/12/12 動物たち

 ようやく雪が山野を多い、僅かだけれど根雪の気配だ。道路は溶けてい
るが、荒れ地や畑地に降った雪はそのまま残っている。
 そしてまた今週は冷え込みと少しの降雪があった。

 早朝、雪の中を歩き回ると風景ばかりでなく、生き物の姿も目について
くる。先週はエゾシカの群れが雪原に居たし、今週はちょうどレンズを構
える頭上をつがいの丹頂が飛び去っていった。

 

2009/12/01 種

 今年もシラネアオイの種を採ってきた。6月に花を終えてからほぼ半年、
結んだ刮ハが裂けてちょうどこの時期に種を撒き散らしている。

 きれいに種子を落としてしまっているもの、一部を残したもの、すべて
の種子が残っているもの、つまり裂けてからのすべての状態を見ることが
出来る。

 ちょうど雪が積もる(根雪になる)直前、舞い落ちた種は林床を被う柏
などの落ち葉に抱えられ、やがて深い雪の下になって冬を過ごす。

 

2009/11/29 山の雪

 平地の雪は、まだまだ根雪にならないが山々は北から徐々に真っ白な峰
を見せてきている。

 先週辺りから中央部はもちろん、南部に属するピリカヌプリ・ソエマツ
岳も真っ白になっているのだが、更に南に位置する楽古岳はまだ山頂部が
白くなった程度だ。

 季節の進みが視覚にもはっきり見えるようで面白い。南北に走る長大な
日高山脈らしい現象だ。

 

2009/11/25 冬の入り口

 幾度か雪が舞い、その間に寒風に晒された地面が凍れていく。この地は
雪の遅い土地で、一面を覆うような積雪は年明けになることが多い。
 秋が長いと感じるのは、雪を待つ期間が結構あるからかもしれない。

 

2009/11/21 晩秋

 朝起きると春のような大粒のボタン雪が降っている。3センチほどか、
うっすらと庭にも積もり、木々も雪化粧している。
 
 まだ根雪には早いが、冬の気配を感じるには充分だ。車を走らせるとカ
ラマツもほとんど葉を落とし、冬枯れの木々がその骨格を剥き出しにして
いる。

 

2009/11/12 蕎麦

 「よし、蕎麦を食べに行こう」
 冗談めかして宣言し、若い後輩を連れてある町へ視察へいくことにした。
注目していた施設を勉強したいと思っていたのだった。

 それはともかく、好物の蕎麦で有名なところでもあり、時間的に昼食を
そこで摂ることになる。
 片道2時間ほどの小ドライブ、秋の十勝平野を駆け抜ける道中も悪くな
かった。

 

2009/11/07 カラマツの道

 カラマツの葉が、ハラハラと降りかかる道。たっぷりと植林されたカラ
マツは濃密な林を形成し、その間を縫う路上に赤茶色の落ち葉が降り積も
る。

 直行さんの著書で分かったのだが、当時、続々と離農していった跡地に
債権者達がカラマツを植林していったのだという。

 直行さんが描いた楽古岳の前景は柏の林なのだが、現代は黄金色のカラ
マツ黄葉が続くばかりだ。

 

2009/11/03 冷え込み

 あちこちで雪の頼りが聞こえ始め、冬も間近に迫ったことを実感する。
 今朝は当地もひどく冷え込み、漬物用に干してあった大根が凍ってしま
ったと妻がしょげていた。

 紅葉も終わりかけた中、知り合いの農家を訪ねると畑に残っている大根
を持って行っていいと言ってくれた。

 農地はほとんど取り入れを終わり、平原の風景はいよいよ空間を広げて
いる。

 

2009/10/20 紅葉・黄葉

 この時期に走り回ると特有の色合いが木の葉から洩れてくる。朝日、夕
日の差す道路を走っていると捕らえがたい色彩に驚いて振り返ることがあ
る。

 確かに存在し、可視でもあるそんな色彩がどうにも画像に再現できない
という、もどかしい思いが続く。
 特に柏の発する奥深い色模様は、周囲の輝きと振り撒かれる陽光で実に
複雑な表れをして飽かず眺めていた。

 紅葉を経て枯れていく木々の葉は、その僅かな期間の彩りで一年の生活
史を表現しているように思えてくる。

 

2009/10/17 寒くなって

 木々の変色が目立つようになってきた。もうカシワやミズナラは相当色
づいて多彩な輝きを放っている。

 いよいよ花の季節は終わり、野には枯れ色が目立つ。ススキの穂が目立
ち始めた草むらに、ナガボノシロワレモコウが突っ立ている。

  そろそろジャンバーを着ないといけなくなってきた。

 

2009/10/11 台風一過

 もしかすると大型の台風が直撃か?そんな予想もあって、緊張した夜だ
ったのだが、結局は大分南の進路となり雨も風も心配していたほどではな
かった。

 驚いたのはその翌日、朝のうちは見えなかった山が、夕方近くに姿を見
せたときだ。
 楽古岳と隣の十勝岳の山頂付近に白いもの、雲かと思ったが間違いなく
雪だ。
 「そういえば朝方寒かったなあ」「そうだよな」

 台風が雪を呼ぶというのも珍現象かもしれない。南を通過したため、す
ぐ北にあった寒気を引っ張ったらしい。

 

2009/10/06 目に沁みる青

 本当は秋の澄んだ空を背景に撮りたいと思ったリンドウだが、今年の盛
りにはとうとう晴天に恵まれなかった。
 この花には、花びらを透かせるような光が欲しい。あまりにも濃い青は
くすんだ色に沈み込んでしまう。

 

2009/10/01 オミナエシ

 女郎花とはいかにも曰くのありそうな名前で、かねて興味を引かれると
ころだった。

 都の女となれば、その昔の蝦夷地としては縁もゆかりもないということ
になってしまうから、なるほどとすませることにしよう。

 この辺で見かけるオミナエシは、長い手足を持てあました風情で草むら
に突っ立っている。何しろ草丈の割りからいって、いかにもその茎は細い
のだ。

 

2009/09/27 ハナイカリ

 今年もなんとかこの花を見ることができた。
 草原の圧倒的な草むらに埋もれそうになって咲いている。一度見つける
と独特の姿は分かりやすいが、その色は草に紛れて目立たない。

 茎も葉も柔らかそうで瑞々しい感じを受けるから、春から初夏に合いそ
うなのに、と勝手な思いが湧く。

 

2009/09/23 秋らしい風景

 秋という季節もまた、明瞭な顔を持っていると思う。あ、あの花が咲い
た、この花も咲いたと数えるように登場する春とは違って、花々は草むら
からはみ出るように咲き乱れる。多くはその名を呼ばれることもない花た
ちだ。
 

 

2009/09/17 サワギキョウ

 秋の気配がはっきりしてきた夏の終わり、伸びきった草むらはところど
ころに枯葉を混じらせて明らかに店じまいを始めた風情だ。
 
 数年前から湿地の草むらに咲いてくる青い花を知っていたが、なかなか
近づけないで居た。昨年、偶然その花の群生を手の届く範囲で見つけて今
年は狙っていた。

 これまた風変わりな花で、ん?シベはどこ?と疑問に思って調べてみる
と、花弁から離れた上部に鳥の頭のように突き出したものがオシベ、それ
にくるまれてメシベがあるのだという。

 

2009/09/13 エゾトリカブト

 秋の青色はそれぞれに個性的な花だと思う。中でもトリカブトはその毒
にまつわる話題も多く、花を知らなくても名前を聞いた人は多いだろう。

 同じ頃に咲いていても、ツリガネニンジンと違って花が大きく、しかも
房のように固まることもあって実によく目立つ。

 

2009/09/07 秋の野に

  何となく過ぎていった夏、今年はとりわけそんな思いが強い。それでも
季節は暦通りに回って、野には秋の花々が咲き乱れる。

 変だと思いながら、草花も木々もその営みを続けるのか。ツリガネニン
ジンがしなやかな茎で青い花を中空に吊り、もう夏は過ぎていったのだと
教えるようだ。

 

2009/09/04 澄んだ空

 流石に9月にはいると空気が澄んできたと思う。久しく見なかった日高
山脈がくっきりと稜線を見せ始めるのだ。

 そんな朝は、山に向かって歩く僅かな通勤の時間もどこか気分が違って
くる。春から夏にかけて、樹下に花を追い求めてきた視界がスーッと広角
レンズのように遠い山を収める。

 さて、今年の秋は山の実りも良くないようで、ヒグマの目撃情報も相次
いでいる。もちろん農作物も全体に不作のようで、農家の顔もすぐれない。

 

2009/08/28 カラマツのこと

 「開墾の記」を改めて読み返していて、カラマツが植林されていた場面
があることに気づいた。それも数百町歩という広大な面積だという。 

 カラマツの黄葉と楽古岳は、好きな風景の一つなのだが、この時代に植
えられたことがはっきりと記述されている。

 随分読み込んだつもりでも、こんなことも見逃していたのだ。自分の迂
闊さが情けなくもあるのだが、ウシとスズランの話しといい「開墾の記」
はそれだけ豊かな内容なのだと嬉しくもある。

 

2009/08/27 クルマユリの林で

 8月初旬のことだった。クルマユリを探して歩き回っているとき、立ち
並ぶ木々の向こうに動くものが見えた。
 大型の獣だ、怖いのは熊だが茶色が見えて鹿だろうと見当をつける。直
ぐに茶色の地に白斑が確認できた。

 こちらも動いて音を立てているから、気づかれている筈だが特別逃げよ
うとする様子も見せない。どうやら草や葉を食べているようだ。
 最初に気づいたときの距離は50メートルほどだったろうか。動き回るう
ちに20メートルほどに接近した場面もある。
 
 不思議な心境だった。同じ場所に居合わせ、それぞれに我がことを行う
対等の気分。勿論これが熊だったらそうはいかない。

 

2009/08/23 他力本願

 オニノヤガラとギンリョウソウモドキ、腐生植物をクルマユリを撮りに
いった林で見かけた。

 オニノヤガラは、毎年見かけているが、ギンリョウソウモドキは初めて
だった。少し前に、不順な天候でキノコが季節外れに出ていると報道され
ていたが、それと同じ現象なのかとも思う。

 腐生、自らは栄養作りをしないで外界から摂取する。ある意味、動物と
同じような生き様。
 もっとも一般の植物も骸由来の栄養素を取り込むのだから同じことか。
 

 

2009/08/17 クガイソウ

 丈高い夏草の間に、伸び上がるように青い花穂をみせるクガイソウは盛
夏の花の一つだ。

 8月に入って青空も見える日が続き、多少は夏めいた日もあったけれど
どこか物足りない今年。
 それでも季節を違えず咲いてくる花たちが記憶を誘うようにして夏を補
ってくれる。昨年の夏、1昨年の夏・・・5年前の夏。

 

2009/08/13 迎え火

 迎え火という風習は、この町にはないようで少々物足りないような気が
している。生まれ育った実家では8月の13日、玄関先で樺の皮を焚き墓
に先祖を迎えにいく。

 子供心にも特別な日だと思ったもので、そんな風に仏教が身近にあった
ことに気づく。

 

2009/08/09 花時

 忙しい1週間がなんとか終わって、まもなく夏休みが取れる。到底夏と
思えない7月だったが、8月に入って少し暑いと感じる日が続いている。

 いつも、暑気払いという感じで撮りにいっていたエゾアジサイも、どん
よりした寒い夏では持ち味の清涼感も半減という趣で、花時という言葉を
思い浮かべる。

 

2009/08/05 違和感

 今日は久しぶりに明るい一日だった。薄雲の間にも青空がかなり広がっ
て初めて半袖シャツで出勤する気分にもなった。

 ところが、早朝からけたたましいサイレンと共に車が走っていく。ただ
ごとではないと思っていると、黄金道路で大きな事故があって2人が死亡
と聞こえてきた。働き盛りの漁師、傷ましいことだ。

 もう一つ、テレビのローカル特集でキノコが採れだしてびっくり、とい
う話題が取り上げられていた。長雨と、日照の少なさにキノコが季節を間
違えた、ということらしい。

 それほどに例年と違う季節の巡り。むしろいつも通りの時期に姿を見せ
てくる花々に違和感を覚えるほどだ。

 

2009/07/31 湿害

 意外なことに、7月末の段階で発表された農作物の作況は、低温による
障害ではなく日照不足と多雨による湿害とのことだった。

 てっきり冷害の類だと思っていたので、思わず聞き返した。気象データ
によると平均気温はほとんど平年と差がなく、日照時間が55%、雨量が
約2倍だったという。 

 テレビや新聞でも、野菜が高くなったと一斉に報じられていた。北海道
だけでなく全国的に梅雨が長引いて、多雨と日照不足に見舞われたようだ。

 

2009/07/26 エゾフウロ

 この花もいかにも野花らしいと思える花。あのハマナスが咲く海岸の草
原で沢山見ることができる。

 昨年、数年来疑問に思っていたこの花の名前(ハマフウロなのかエゾフ
ウロなのか)を調べてもらう機会に恵まれた。標本を持ち帰って調べてく
れた結果は、エゾフウロでしょうとのことだった。

 ハマナスが盛りを過ぎた頃この花が姿を現し、薄いピンクの花びらが青
空に映える。夏の日差しと青空に似合う花だが、今年は生憎晴天に恵まれ
ず一日だけの撮影だった。

 

2009/07/23 ハマナス'09

 冷夏の予感は、益々はっきりしてきた感じで雨と霧が続く。すっきりし
た空が再び遠ざかって7月も末。
 トムラウシの遭難者が打たれた風雨の冷たさが、この平地でも身に沁み
るような気がする。

 6月の下旬から7月の頭くらいまでは僅かに夏と思える日が続いたのだ
が、その頃咲き誇ったハマナスが懐かしい。

 

2009/07/19 遭難

 大雪山系のトムラウシ岳で大きな遭難が報じられた先週、当地でも一件
の山にまつわる事故が起きていた。

 70才を過ぎたお二人の登山者が日高山脈の十勝岳(大雪山系の十勝岳で
はなく日高山脈南部の楽古岳近く−私の撮る楽古岳の画面上右隣に山頂が
見える)に登ろうとしてキャンプを張った。

 一人が体調を考えてテントに残り、登山した一人が下山してみると残っ
た方の行方が分からなくなっていたというのだった。

 捜索でテントを張った地点から1キロほど下流で遺体が見つかった。予
定より大分遅れた下山だったらしく、心配して迎えに出た途中、暗いこと
もあって付近の川に転落したものと考えられる。
                              合掌

 

2009/07/12 野の花

 まったく個人的な感覚なのだが、幾つか花を見てきた中でいかにも野花
だな、と思うことがある。

 自分でもどこにその根拠があるのか不確かで、きちんとした整理はでき
ない。しいて言えば、生活の場所をあまり選ばない花というところだろう
か。

 そんな一つが初夏から姿を見せるチシマフウロ。ホコリにまみれて路傍
にも多くの姿を見せる花で、一株に蕾から果実まで同居するほど花期も長
い。

 

2009/07/06 夏模様

 ようやく夏らしくなってきた。まもなく始まるコンブ漁が当地の夏を代
表する光景を海岸に描くだろう。

「夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鴎の歌を友に木の葉の様な小船を
浮かべてひねもす魚を漁り、・・・」

 知里幸恵さんが、歌うように記述した遺作の序が好きだ。とりわけこの
夏の部分は心が弾むような響きがある。

 

2009/07/03 牛の中毒

 ある牧場で牛が中毒症を起こして調べたところ、トリカブトの葉を食べ
ていたらしいという話しが聞こえてきた。

 牛と植物といえば、ここ数年スズランの問題があって、興味を惹かれた。
牛とスズランも、直行さんの「開墾の記」が発端だったのだが、トリカブ
トについても確か触れていたという記憶があった。

 直行さんは、牛が間違ってトリカブトを食べることがあり、命に別状は
ないが中毒症状を起こすと記述している。

 現場を見に行ったところ、確かに牧冊の近くにあるトリカブトの葉が茎
を残して食べられていた。はっきりした結論は出ていないが、トリカブト
の毒性と直行さんの記述から牛の中毒と関係はあるだろう。

 面白いことに、獣医さんによるとトリカブトと牛の中毒症について知見
はないらしい。直行さんの時代と現代の発達した酪農経営は随分違うよう
だ。

 

2009/06/29 スズムシソウ

 突然、同僚の一人が事務所の机にやってきて、スズムシソウを見つけた
という。図鑑では知っていたが、姿は見たことがない風変わりな花。

 翌日その同僚に案内してもらってご対面。なるほど個性的な姿、夏草の
中で一人渋い色の花を咲かせている。

 

2009/06/26 一転

 気温10度前後で過ごしてきた先週までと一変、今週はいきなりの夏日を
迎えた。
 雨と低温のい中で待ちかねていた農家が、一斉に一番牧草の刈り取りに
走り回っている。

 この時期は、車で走り回っていても草の匂いが感じられ、夕方の涼しく
なった頃合いにはなんとも穏やかな気分になれる。

 

2009/06/21 冷涼

 太陽を見たのは何日ぶりだろう?仕事で帯広に走った先日、同僚がふと
口にする。
 ここ数日、気温は10度前後に低迷し、肌寒い日が続いている。17度
の帯広がひどく暖かく感じ、海霧のないことで晴れやかな気分さえ湧き起
こる。

 

2009/06/16 今年も雨の

 昨年も雨のスズランだったような気がする。
 週末、痺れを切らして撮影を決行したのだが、すぐに雨が降りかかる最
悪の状態になってしまった。

 ほとんど太陽を見ない6月の初頭、スズランは蕾を抱えながら変色を始
めていた。
 更に、オホーツク海の高気圧が居座って冷涼な大気が絶えず吹きだして
くるから、10度前後の気温が続いている。

 こんな日々を過ごしていると、直行さんが記した開拓の苦労が理解でき
る。彼が見抜いたとおり、今は酪農を主にした農家が多いからさほどでは
ないようだが、一般の畑作であればさぞかしと思われる初夏だ。

 

2009/06/14 エゾノハナシノブ

 いつも6月の声を聞くとハルゼミが鳴く林にこの花を探す。今年は花の
付きはいいのだが、雨が多くていい状態で見られなかった。

 ところで、エゾノハナシノブだとばかり思っていたこの花、中にミヤマ
ハナシノブがあるのだという。

 北大の大原教授にその辺を訊ねてみると、もちろん多くはエゾノハナシ
ノブとのことだった。素人目には判別できそうもないから、それで統一す
るしかなさそうだ。

 雨の週末続きで、初夏の花々がなかなか撮れない。こんな年はちょっと
記憶にない。

 

2009/06/12 夜の雨

 夜の雨も悪くないな、茫漠とした時の行く末を感じるようで。

 毎日が決まり切ったことの繰り返しでは肩も凝る。時には、明日なのか
数年後なのか分からない靄に煙った将来を感じて見るのも一興だ。

 

2009/06/09 シラネアオイ

 ある時、思い立ってシラネアオイの種子を蒔いてみたところ、翌年の春
に発芽した。

 それがきっかけで栽培を試みている。今年で丸3年になったが、最初の
年の株はこの春大きな葉を広げている。開花まで5年かかるそうだから、
来年か再来年には花をつける筈。

 2年目のものは、20本を超える数が姿を見せ、ほぼ100%生き残っ
ているから、3年後には株立ちのようになるシラネアオイの一群れを見ら
れるかもしれない。

 この花が海岸に位置する当地で見られる不思議さを思うと、ゆったりと
したその佇まいは、一入異彩を放ってくる。

 

2009/06/02 花色と姿

 人の入らない山道の斜面などに、おや?っと思わせる華やかな色彩を見
せるのがエゾオオサクラソウだ。
 花のつき方が球状になることも多いので、ピンクの塊のような姿で遠目
にも良くわかる。

 当地では平地の林内でも見かけるが、黄金道路沿いの山中に多いようだ。
山道で斜面のところどころに見かけてはいたのだが、あるとき林道脇の斜
面に濃密な群生を見つけた。

 山菜採りか、ハンターくらいしか入ってこない林道、華やかな姿は人目
に触れることもない。

 

2009/05/23 徒花(あだばな)

 オオバナノエンレイソウが群生する林に隣接して、カラマツを主にした
林がある。ここ数年気になっていたのだが、その林にも素晴らしい群生が
ある。

 その群生は、しかし次世代に続かないものと考えられる。主要な樹種が
カラマツだから、種子が根づかないだろうと大原教授は語っていた。
 種子が落ちても、分厚く林床を被うカラマツの葉が妨げとなって育たな
い。

 エンレイソウ(延齢草)の寿命はその名の通り長い。大原教授によれば、
1980年代に在った花を今も見続けているという。開花までも10余年と長
いが、開花してからも長く存在する。

 だから、まだかなりの期間この群生は見られるだろう。だが、爛漫の時
を謳歌するこの集団に未来はないのだ。徒花という言葉がふと脳裏に浮か
ぶ。

 

2009/05/21 オオバナノエンレイソウ'09-3

 もともと当地では、どこでも見かけることが出来た花だから、なぜこの
花が話題になるのか、古い人々は不思議に思うだろう。

 生息している場所は、ナラの類やハルニレなど広葉樹を主にした林。ま
だ木々が葉を繁らせていない春先にそんな林を見かけたら、大体オオバナ
ノエンレイソウが咲くと考えていい。

 ところが、そうした林も林床が笹に覆われてしまった場合には姿を見せ
ない。どういう条件で笹が繁茂するのか分からないが、多くの林でそんな
状態を見かける。

 

2009/05/19 オオバナノエンレイソウ'09-2

様々な形がそれぞれの個体で表現される。人間が様々な顔や体型を持つよ
うに花々も個性を持つものだと気づいたのは、うかつにもこの10年くら
いのことだ。

 その個性を生み出すものは、種の全体が蔵している遺伝情報ということ
になる。当地のオオバナノエンレイソウは、完全他殖の集団として多様な
遺伝情報を持つのだという。
 大集団の一つのメリットはそこにあり、当地の群生はまさにその状態に
あるようだ。

 

2009/05/17 オオバナノエンレイソウ'09

 連休明け辺りからオオバナノエンレイソウが姿を見せ始めた。ちょうど
今週辺りが見頃で、いつもは人気ない林にも訪問者が見られる。

 この林には4月半ばくらいから出入りするのだが、アズマイチゲ、カタ
クリに続いてオオバナノエンレイソウが咲き始めると木々も葉を広げはじ
め、林内の様相が一変する。

 フクジュソウやカタクリなどの時期はまだ数少ない虫たちも、この時期
は湧いてきたかのように賑わい、鳥たちの声も高らかに響く。

 今年も国内で最大級といわれる群生は健在だ。何日も何回も林の中をう
ろつきながら、この時を満喫する。

 

2009/05/10 早春の3花

 何故この3つの花を選んだのだろう、漠然とそんなことを考えている。
坂本直行さんが記した早春の3つの花、アズマイチゲ、エゾエンゴサク、
キバナノアマナ。

 フクジュソウのあと、枯れ野と見えるあちこちから咲き出してくるのが
この花たちだ。同じ時期に咲く花としてはカタクリやエゾノリュウキンカ
などもある。

 それはさておき、3花が賑わう頃は歩き回っても萌えてくる草花の気配
が山野に満ちている感じがして心地良い。

 フクジュソウを探せば、ポツポツとアズマイチゲの蕾が明るい光に輝き、
さらに日が経つとエゾエンゴサクの青が見えてくる。そして青に呼応する
ように青緑の葉を立ち上げた黄花が姿を現す。

 

2009/05/05 カタクリの白花と

 今年も群生の中に白花を見つけた。もちろん3株と少ない数だが、この
3年は毎年目にしている。

 不思議なのは、毎年見る場所がはっきり違うということで、つまり毎年
同じ株が白花として咲く訳ではなさそうなのだ。
 誰かが白花の株を持ち去るという可能性もあるが、毎年総てをとも考え
にくい。推測だが、後天的な理由で白花が出現する、と当分は考えてみよ
う。

 群生の一方で、山野にポツンと姿を見せる花もある。斜面の岩場にすら
姿を見ることができる花でもある。どのような契機で群生のチャンスを掴
むのか、個と集団という年来の思いが湧き上がる。

 

2009/05/03 カタクリ

 咲き始めの大雪で、カタクリもさんざんだったろう。
 先日いつもの場所に行ってみると、やや早い感じだが群生が萌していた。
早い花は、雪に打たれて花色が褪せ淋しい感じが目につく。

 林にはこの時期になると多くの芽生えがあって、歩くのに気を遣う。オ
オバナノエンレイソウ、キバナノアマナ、スミレの類、他にもわからない
芽があちこちに出ている。オオバナノエンレイソウは相変わらず賑わいを
見せそうだと足元を見ながら安心する。

 カタクリは、あちこちで姿を見かけるのだが、ポツンと咲いても群生に
なっても、早春を感じさせる花だ。

 

2009/04/29 無惨にも

 先日の大雪の後、咲き出していた花の様子が気になって、晴天の今日山
に入ってみた。
 車を停めてしばらく歩き、ミズバショウの姿が見える林に入ってみる。
まさに惨憺たる有様、水の流れがある部分は雪が積もらないから、葉が破
れたり折れたりした無惨な姿を見せている。

 そして、水辺の湿地に生えていた花は、花穂だけ雪から顔を出している
もの、無惨に花穂までも折れているもの、雪の冷たさか花穂の色が赤っぽ
く変色しているもの、まともな姿のものは1割もないといっていい。

 

2009/04/26 春の花と大荒れ

 今日は一日、雪と風の荒天。夜に入って風も強まり吹雪、まるで冬に逆
戻りというところだ。
 3寒4温ではなく、真っ直ぐに春が来たと思っていたのだが、さすがに
こちらの春は一筋縄ではいかない。

 先週辺りから、雪融けと共にフクジュソウやらヤチブキ、ミズバショウ
に春の3花、カタクリと春の花が続々咲き始めていたのだが、気の毒にこ
の雪だ。

 今日が大荒れという予報で昨日は半日あちこち駆け回ってきた、ミズバ
ショウが林間に賑やかだったのだが・・・

 

2009/04/22 直行さんの絵

 世の中いろいろなことが起きるから面白い。ヤチブキを撮りに行った夜
のこと、近しい仲間と飲み会を持ったのだが、そこで幸運が待っていた。

 2次会で流れたスナックで、なんと直行さん直筆の野花のスケッチを見
ることができたのだった。それも、今までR亭の包装紙などでも見ること
がなかったエゾノハナシノブのスケッチだ。

 酔っていたから、厚かましくも「写真を撮らせてくれ」と頼むと「いい
ですよ」との言葉。

 良くそこの主を知っている仲間の一人が、早速借りてきてくれて写真に
納めることができた。昔、近所に住んでいた親が直行さんからもらったの
だという。

 地元ならでは、自分の絵を知人に贈っていたという直行さんを偲ばせる
出来事だった。(一般には未公開の絵だと思う)

 

2009/04/12 ヤチブキ

 エゾノリュウキンカのことを、この辺りではそう呼んで早春の山菜とし
ている。谷地に生じる蕗の意だろう、葉が蕗に似ている。
 ある知り合いが、ヤチブキのいい場所を案内してやると言ってくれてい
て、先日その約束を果してくれた。

 案内された林の奥深くへ入り込むと、木がまばらになった傾斜地のあち
こちに小規模な湧水があり、幾筋かの流れを作っている。その中にみずみ
ずしい緑の葉が何箇所にも立ち上がり、蕾をつけているのが分かる。

 それが、目指すヤチブキだった。見てまわると、花を開いているものも
在る。今までに見たことのない群生だった。
 澄んだ水辺に木漏れ日が反射し、黄色の花と柔らかな緑の葉がいかにも
早春らしく若やいで見えた。

 幾つか間引きするように茎ごと採取してきて味噌汁にしてみたが、評判
通り癖のないほろ苦み、柔らかくもしゃきっとした葉は美味だった。

 

2009/04/06 春の光

 十勝の冬は明るいと記したが、ここに来て感じる春の陽光は違った意味
で明るく柔らかい。

 冬の明るさは、地表を被う雪氷が、澄んだ大気の中で少ない光を散乱さ
せた煌めきがもたらすといえる。

 春の光は、明るさに加えて温もりがある。雪をなくした地表は少しずつ
そのエネルギーを吸収して光を散乱させることはない。しかし近づいた太
陽の光自体が雪氷が反射していた分も補って余りある。
 

 

2009/04/05 黄色い光

 福寿草の花は、不思議な光を放って雪融け直後の野に在る。まだ虫も少
ない季節、それでも虫たちがついている場面をよく見かけるから優れた誘
引のシステムを持っているのだろう。

 専門の研究者たちが当然、科学的な考察をしている筈だが、林を覗き込
んだときに私たちの目に飛び込んでくる輝きもその一つに違いないと思っ
ている。 

 一杯に花開いた黄花は、木々を抜けてくる日の光を眩しいほどに反射す
る。

 

2009/04/03 牧場の春

 思い立って天気のいい日の午前中、牧場を歩き回ってみた。一面にあっ
た雪もようやく消えかけてはいたが、さすがに奥まではいけなかった。

 あちこちうろつく間に、小川の脇にフキノトウがてるてる坊主の風情で
立ち並ぶのを見、思いがけない場所で開き始めたフクジュソウも目にした。

 丘の上に登ると前山に隠れて見えなかった日高山脈の白い主稜線も目に
入ってくる。立ち並ぶ柏の木立も宙に突き出す枝先は新しい色を纏ってい
る。

 

2009/04/02 急ぎ足

 あっという間に4月、最低気温も0度を下回らない日が続くようになっ
て、庭の雪もすっかり消えた。
 今週からは、コートを脱いで身軽に出勤している。時折、よその家の庭
にフクジュソウが咲いているのも目にする。

 どうやら冬はこの数日で足早に去っていったようだ。歩きながら自分の
身体も、軽くなったような気がする。コートを脱いだこともあるが、雪と
氷に身構えることがなくなった開放感に寛ぐのだ。

 

2009/03/30 埋まった!

 油断というか、過信というか、遂に愛車のミニ4駆を立ち往生させてし
まった。
 晴れた土曜日に、いよいよフクジュソウをと意気込んで出かけた。雪も
大分少なくなって、長靴で充分入っていけると考えていた。

 目的の場所で下見をし、迷ったのだが結局車で行けるだろうと判断した。
走り始めると、片側は地面に出ていて、問題はないと思ったのだが、僅か
な距離全面雪の所があった。

「えい、何とかなるだろう」と、そのまま進んだのが間違い。窪地のよう
になっていたそこは、腹がつかえる深さ。ズブリと埋まった車はそのまま
立ち往生となった。


 それでも、目指すフクジュソウは雪の間に覗いた地面から、黄色い合図
を送って寄越して、救援を待つ間に撮影してきた。

 

2009/03/24 淡雪の野

 幻のような雪景色だった。2日後の昨日には、和らぐ春の日に木肌は明
るく輝いていた。
 加速するように融けだしている雪は、一段とその厚みをなくして、日当
たりの良い斜面などは土が見えている。
 

 

2009/03/22 一息ついて

 「彼岸荒れ」と言い慣わす言葉通り、今年も春の雪がこの冬の名残のよ
うにふりまかれた。

 先週は仕事上一年のピークを迎えていたのだが、無事乗り切った3連休
の初日。ちらほら落ちていたと思った雪が、翌朝になると思いがけない量
で一面を白くしていた。
 まだ、山野に残る根雪は30センチほどあるだろうか、急ピッチで融け
ていたのだが、まだ地表は出ていなかった。その上に10センチほどの新
雪。

 この時期の雪は湿雪だから、木々の枝に張り付くようになって、時計を
巻き戻したかのような光景が束の間広がっている。

 

2009/03/15 雪融けの候

 先週の大雨で雪の量は大きく減った。それでも先に立て続けに降った雪
はまだ山野を厚く被っている。

 和らいだ日差しと、高まった気温で雪原の雪は角が取れたような印象を
受ける。さらさらした寒中の雪と違って、この時期の雪は表面が繋がって
いるようだ。

 木々が明るく見える。もちろん日差しが強くなっていることもあるだろ
うが、雪と風に晒された季節を潜って、木々も生命活動を再開させている
と感じる。

 

2009/03/08 雪原を歩く

 台風並みの雨と風だった。雨は夜のうちに上がったのだが、風は翌日も
続き、二晩に亘って家を揺らせた。

 晴れあがった雪上を歩いてみた。先日スノーシューを買ったので、試し
てみたくてうずうずしていたのだ。

 大雨で雪は相当にボリュームを失っているが、まだまだ数10センチの
積雪が残る広大な農地。夏場は足を踏み入れるのも憚られるのだが、今日
は遠慮しつつも縁を奥まで渡って見た。

 

2009/03/01 春めいて

 しばらく週末に荒天が続いていて、久しぶりの晴天に恵まれた週末だっ
た。
 あちこちを撮り歩いてみると、穏やかな天候になったせいか、すっかり
春めいた風景と感じる。

 木の幹も心なしか温もりを感じるし、なにより日差しが強くなって、ま
だ深い積雪も尖った感じがしない。

 

2009/02/26 雪降り積む

 「・・・太郎の屋根に雪降り積む」という感じ。日曜日の雪は、ここ最
近に珍しく静かに降り積もる雪だった。こんな風に降る雪は、室内から庭
を眺めていてもどこか和んだ気分になれる。

 先日までの雪と重なって、餌場がすっかり埋まったのだろう、朝から我
が家の庭は鳥たちで賑わった。
 中2階の書斎でPCに向かっていると、下から妻が声をかけてくる。
「来た来たよー」「珍しい鳥が来てるー」、という具合だ。

 

2009/02/22 荒れ模様

 予想していたほどではないにしても(雪の多い冬と予想していた)、こ
こに来てドカドカとまとまった雪が降っている。
 先週に引き続き、今週も土曜日の朝から雪の始末に追われる。50センチ
近く降っただろうか、先週の雪と重なって我が家の庭の一角は背丈を超え
る雪山ができあがった。

 風が強く、道路はところどころが畑地からの雪で吹きだまりになってい
る。何枚かは取ってきたが、強い風が新雪を巻き上げて地吹雪のように雪
原を駆けめぐっている。

 

2009/02/13 時の流れ

 気が向いたので撮りだめた画像を整理していた。被写体はそう変わらな
いから、日付順に並べた画像をパラパラと眺めると時々の違いがふと見え
てくる。

 カメラに対する慣れもある、編集に対する考え方の違いも反映している
ようだ。もちろん、風景の変貌や撮り方の変化もある。

 その一方で妙に納得できる画像もあるから、自分が見ようとしているも
のはそう変わっていないとも思える。

 

2009/02/08 雪原のキツネ

 久しぶりにキタキツネと遭遇。ちょうど望遠レンズをつけていたので、
車を停めて撮ってみようという気になった。
 
 最初一頭だと思っていたが、車を降りて見ると遠ざかっていくキツネは
2頭だった。この時期だから親子ではなくカップルだろう。

 すぐに逃げていくと思っていたが、道路から遠ざかって藪の近辺で立ち
止まる。なんとか撮れそうな距離。そこでこちらを覗うように離れていか
ない。

 

2009/02/01 日高山脈

 いつもの年と違う冬。十勝晴れと言われる晴天の中、厳冬期に輝くよう
な山脈風景もなかなか見せてくれなかった。
 真っ白な十勝の雪原と真っ青な空に浮かぶ日高山脈の白い峰峰はこの地
に欠かせないものの一つ。それが目にできないというのは淋しいものだ。

 厳しい寒さであっても、十勝の冬は明るい。典型的な冬型の気圧配置に
なると晴れ上がる土地なのだ。

 予想通りというか、昨日発表された一月の月間平均気温は観測史上の最
高を記録したそうだ。当町だけでなく、帯広や札幌など史上2番目の高い
記録となったところが目白押しという。

 

2009/01/30 ケアラシ再び

 気嵐が立ちそうな気候になって、また早朝に出かけてみた。極端な暖冬
にほとんど諦めていた撮影、晴天であること、気温が低いこと、風がない
こと(微風まで)という条件が揃いそうな朝だった。

 果たしていつもの河口を眺めると白いものが立ち込めている。日が差す
と温泉のように水蒸気を上げる気嵐と川霧がはっきり見えてくる。
 日常の生活をする中では、見ることも知ることもない現象。こうした光
景に出会えると心が躍る。

 ファインダーが捕らえた水平線にポツンと赤い点が浮かぶ。それがグン
グン大きくなって光を撒き散らすと、沿岸に立ち上る気嵐がはっきりと姿
を現す。そして立ち上る川霧もオレンジの光に写し出される。

 

2009/01/22 苦悶する魂

 一人の老人の無念の思いが吹きつけられる。怒りを含んだ言葉は相手も
論理も関係なく、身を守るための刺のように周囲に突き刺さる。

 どうしようもないのだ、本人も分かっているに違いない。やりきれない
思いが理屈を超えて迸っているのだと感じられた。
 自分がしてきたことの一つの決着、意に添わなくても受け入れないわけ
にはいかない。

 そのように開拓の歴史が繰り返されてきたのだと思う。地を這うように
生き、老いていった人々が脳裏に浮かぶ心地でもあった。

「俺の敗北の跡を晒すのか?」
 坂本直行さんが、自分の入植跡地に記念碑をと持ちかけられて答えた、
そんな言葉も同時に思い起こす。

 

2009/01/19 冬の雨

 大寒の前日というのに前夜から降っていた雪が雨に変わった。暖かい冬
も極まれり、という感じだ。

 数年前にも1月中に雨ということはあったが、それは寒の合間というよ
うな本当に一時的なものだった。今年は、暖の合間に寒が入ってきている
ような具合。

 

2009/01/17 牛とスズラン

 以前この日記で、坂本直行さんが「開墾の記」に記述している牛とスズ
ランについて問題にしたことがあった。(日記2004/06/05、参照)
 毒草であるスズランを食べる筈がない、なぜ直行さんがそう書いたのか
という疑問である。

 あれから数年、そのことを確かめようと知り合う酪農家の方たちに牛が
スズランを食べるかどうか聞いていた。
 思いがけなく貴重な話を耳にする機会に恵まれたのは、つい先日のこと
だった。

 ある農業関係者と懇談する機会があって、雑談の中で私がその話を持ち
出すと、すぐに答える声が上がった。
「自分はまったく同じような経験(直行さんと)をしている。」というそ
の方は、次のような話を聞かせてくれた。

 昭和30年代、中学を卒業して牛5、6頭居た家業を手伝っていた。その
頃、私らのような貧乏農家はちゃんとした草地を持つわけでなく、自然の
草地に牛をつないで食べさせたものだ。
 当然自生するスズランもあって、繋いでおくと間違いなく牛はスズラン
を食べていた。だから、牛乳の集荷所に持っていくと、担当のお姉さんに
「またスズラン臭い牛乳かい?」と声をかけられたほどだった。
 私らのような農家は、6月頃はみんなそんな状態だった。今のように整
備された牧場では、分からないだろうが。

 はっきりしたお答えだった。どう受け止めるかは自由だが、私はその通
りに違いないと思う。直行さんは、自分の体験として記述したと理解して
いいのだろう。

 考えてみれば毒というのも人間にとっての話で、例えばトリカブトでも
その蜜を吸いに来る虫たちはいる。
 種によって生理機能が違うのは当りまえ、牛はスズランの毒成分に対す
る耐性、或いは解毒機能を持っていると考えれば不思議でもなんでもない。


 酪農業は飛躍的に機械化、大型化されて直行さんが苦闘した時代を思わ
せる縁(よすが)もほとんどない。
 その席での会話の続きは、「おいおい、スズランの香りがする牛乳なら
売れるぜ」「いやいや、それだけのスズランはもうないよ」「そうだよな
あ」・・・

 

2009/01/12 穏やかな正月、一転

 この連休は猛烈な吹雪と積雪、その後片付けで過ぎた。松の内は実に穏
やかな天気で過ぎたのだが、改めて冬本番の時期なのだと思い知らされた。

 連休前日の夜から降り始めた雪は、初日に大荒れとなって一日中吹雪い
ていた。2日目はほとんど上がり朝から雪かきに追われる。およそ60セ
ンチ程度の降雪と言っていたが、庭は吹きだまりになって70〜80セン
チは積もっていた。

 年明け後にどか雪というパターンの当地、その通りと思いながらもどこ
かでいつもとは違う感じがする。
 暖かいのだ、この雪も湿った雪でみぞれになりそうな気配もあった。3
日ほど寒らしい冷え込みはあったが、それ以外は冷え込みを感じないでい
る。

 

2009/01/08 朝の景

 −15度の冷え込みと聞いて、下手な腕も鳴った。この時期には気嵐
(けあらし)の撮影を逃すわけにはいかないのだ。

 早朝6時頃に目覚ましをセット、気合いを入れて跳ね起き一目散にポイ
ントに走っていく。
 途中の川筋を見て思ったほど立っていないことが分かったが、空振りは
覚悟の上。

 7時ちょっと前の日の出まで僅かな時間の勝負、完全装備でも寒い中や
や薄い気嵐だったがなんとか撮ってきた。

 

2009/01/04 囚われないで

 孔子様の言葉だったと記憶している。ある年齢で、思うように振る舞っ
ても「矩(のり)を超えず」、つまり人の道に反しないようになれたそう
だ。
 まあ、立派な人間になれるとも思えないが、自然体で生きたいものだと
年頭に考えた。

 ところが、撮影にしても撮りたいときに撮れるわけでもなく、早々に壁
にぶつかってしまう。
 かの言葉は分かるような気もするが、どうやら何かしたいという人間に
は無理なようだ。あれを取るかこれを取るか、人間のすることはいくつも
の欲求との戦い、生身を抱えて汗するしか無いということか。

(「從心所欲、不踰矩」心の欲する所に従って矩を踰(こ)えず、 と読み
下すようだ)