1. 王都の天覧試合
喚声が続いている。
本日快晴。風は無し。日差しは強く、蒸し暑い。湿気が多いのは、この街が海に近く、また大河にも面しているせいだろうか。それとも人口が多い大都市だからだろうか。
というか、暑いのはここに集まっている奴等のせいじゃなかろうか?
そんな風に男は考える。
さっきから、うわーだのうおーだのやかましい。お前が戦っているわけじゃないだろうに――。
砂を敷かれた闘技場で、二人の剣士が剣を交えていた。白刃がきらめいて金属の衝撃音を出すたびに、周囲の階段席の観客たちが歓声をあげる。
そんな様子を、階段席よりも一段高い場所にある青い天蓋付きの貴賓席から、ひとりの男が眺めている。
男はさらりとした銀の髪をもち、気品のある、整った顔立ちをしている。だが、なにより特徴的なのは男が持つ赤い瞳。この国では、この瞳は王族の証し。
だがしかし、王族たるべき気高いその顔は、今はまるっきり弛緩していた。頬杖をつき、半分閉じかかった目で剣闘を眺めている。
またわっと歓声があがる。戦っているどちらかが優勢になったようだ。
――つまらねぇな。
軽く舌打ちして、赤眼の男は足を組替えた。
ぼんやりと周囲を見渡すと、すぐ近くにあった鉢植えの花が目に入った。大人がひと抱えするほどの大きさの鉢から、緑の葉蔦がにょきにょきと伸び、花をつけている。白の花弁の中央に、挿したような紅がある南国風の鮮やかな花。
まるで、花が決められた鉢から抜け出そうと必死になっているような気がして――、そしてそれが好ましく思えて、赤眼の男は端だけにわずかに笑みを浮かべ、花を眺めた。花は、誰に注目されていなくても、精一杯背伸びをして咲き誇っている。
そのとき、組替えられた赤眼の男の足を、小突くように蹴るものがあった。
隣席に行儀よく腰掛ける、青眼鏡の男。
足を蹴られた男は、唇をとがらせて隣の青眼鏡を見遣る。
(なんだよバルド)
小声で、赤眼の男が非難を込めて囁いた。
バルドと呼ばれた青眼鏡の男は、涼しい表情で剣闘を眺めている。いったい剣闘を楽しんでいるのかどうか、まったくわからないような静かな態度だが、注意は剣闘に向けたまま、小声で応えてくる。
(シェルシマ殿下。きちんと試合を観覧してください。よしんば興味がなくとも、少なくとも興味があるフリをしてください)
しかし、シェルシマ殿下と呼ばれた赤眼の男は、抗弁するように語気を強めて再び囁き返す。
(だってよ、闘場からこれだけ離れてると、剣士がまるで豆粒みたいなんだぜ? ロクに見えやしねぇ)
青眼鏡の男は、言葉で応じる代わりに、自身の左手に持っていたものを、黙って隣の赤眼殿下に押し付けた。
シェルシマは、胸に押し付けられたそれを、しぶしぶ手にとる。それは白地に金の蔦模様の飾りがついた簡易な遠眼鏡だった。
(こんなんで見ろっての?)
そのシェルシマの非難を込めた囁きに、バルドは冷ややかなただの一瞥で応えた。
その意を推すなら――わかりきったことを聞くな、このバカ。
赤眼殿下はしぶしぶと遠眼鏡を覗くと、良く見えるなあと棒読みで言った。
「だから、試合を良く見ておけと申し上げておいたでしょうに」
くいと青眼鏡を押し上げて、バルドが言った。
ふかふかの絨毯が敷かれた闘技場の三階席の廊下を、赤眼の男と青眼鏡の男が歩いている。しかし二人は並んで歩いているわけではなく、青眼鏡が影のように半歩分うしろに下がり、先行する赤眼の男はずかずかと大またで歩く。
トゥーレ王国王都の天覧試合。
年に数度催される王主催の大会は、国家をあげての一大イベントだ。貴族たちだけではなく、一般庶民の数少ない娯楽として、安い料金で広くに開かれている。
その大きなイベントに、この赤眼の主と青眼鏡の臣下は賓客として招かれて、はるばる王都まで出てきたのだった。
「だってよ、試合後にあんなに質問責めに会うとはフツー思わねぇじゃねぇか。よってたかって、『あの試合はどうでした』とか『あの剣士のそのときのあの対応をどう思いますか』とか聞かれたって、わかりゃしねーっつーの!」
「いや思うでしょう、フツー」
赤眼の『フツー』の口調を真似て、青眼鏡が言った。
「シェルシマ殿下、貴方は少し下品なところもありますが、この国の国王様の弟君、すなわち王位継承候補者です。それに口も頭もいまいちですが、ひととはなんとか取り柄があるもので、貴方は王族ながら他国にも聞こえる剣の名手。その殿下が、領地のハノンからのこのこ出てきて天覧剣闘試合を観覧なさるわけですから、他の貴族たちが話題にするのは当然。というか、剣しか能がない貴方にとって、べらべら喋って格好つけるいい機会じゃないですか」
剣しか能がない殿下は、端正な顔を物凄く嫌そうにしかめる。
「バルド、お前は我が家宰の癖に、自分の主君を持ち上げたいのか貶したいのかどっちなんだ」
「私は僭越ながらお説教申し上げているのですよ――殿下」
再びくいと持ち上げた青眼鏡の奥の目が鋭く光る。見据えられた――といっても背後からだが――シェルシマは、う、と言葉に詰まりながらも反論を試みる。
「で、でも主君を助けるのは家宰の役目だろ? あの場で助け舟ぐらいだしてくれても良いだろ?」
「出したじゃありませんかぁ」わざとらしい明るい声で、青眼鏡のバルドが言う。「殿下は実は昨夜より風邪をお召しになったのか体の具合が優れない、それゆえに試合も観覧できなかった。……そうだ、少し外の風に当たってくればその具合も良くなるかもしれない、それ故こうして――」
「わーったわーった」手を振りながら、降参だとシェルシマは言う。「こうしてあの質問責めの拷問部屋から逃げ出してこれたのは、バルドのおかげだよ」
「有能な、が抜けていますよ」
ぽそりと青眼鏡の家宰が付け足す。
「アノバからヌケダスコトができたのは、ユウノウなバルド様のおかげデス」
「わかっていただければ、良いのです」
「本当に体調が悪くなりそうだ……――っと」
赤い絨毯が敷かれた廊下の先、シェルシマは見慣れた人影を見つけ、挨拶のために片手をあげた。
■□■
1年前、この国の国王が崩御した。病死だった。
王はさほど優れた才はなかったが、悪い王ではなかった。強いてわけるならば名君になるのかもしれない。
王には4人の息子と3人の娘がいた。
そして、このうちの誰かに、王位が委ねられねばならなかった。
国民からも議会からも最も人気が高かった第二王子は、2年前に失踪したきりだったので、結局、王位継承候補は男系血族である以下の三人に絞られた。
長子ウーノ。第3子ベルモット。第4子シェルシマ。
誰に王位を継がせるか、貴族院で議論があった。この国では王になるためには、貴族院で承認を受け、王軍から忠誠の誓いを受ける習わしだった。
この大きくも小さくもない王国――トゥーレ王国というのだが――では、男系長子相続が一般的だったが、長子ウーノは体が弱く、国王という激務に耐えられないという意見が強かった。政務を執れない者を強いて王に据えるよりは、王位継承権を持つ他の者――具体的にはベルモット王子かシェルシマ王子を――王として迎えた方が合理的だというのだ。
しかしながら、議論の末、ウーノが王位を継いだ。昔からの男系長子相続を重視し、無用な政治的な混乱を避けた形だ。
即位の直前までウーノ王反対派による別王擁立論は議論されていたが、一度彼が王位につくと、その意見は沈静化した。政争にも、内紛にも至らなかったことは、この王国にとって重大な幸運だった。
しかし、反対派はしぶしぶと賛同の意を示したが、その火種はまだくすぶっている。国王の体調が優れなくなると、さすがにこれみよがしに議題にはのぼらないが、陰でひそやかにこう囁かれる。やはりあの虚弱な王子では駄目だった、と。
それでもウーノが国王として即位してから1年、穏やかな治世が続いていた。
彼は過激なことは好まなかったし、報復的な人事や粛清も行うことはなかった。彼は政治の理念の中心に民衆を置き、彼らのために何かを為すことを好んだ。国民思いの国王は、民衆からも慕われている。
しかし貴族のような為政者たる階級ではそうでもない。表面上では、王に忠誠をつくしてはいる。だがしかし。
――次の国王になるのは誰か。
そんな話題が、為政者階級である貴族たちの間でひそやかに続いている。
聖暦581年の春。
表面上は極めて穏やかなトゥーレ王国は、そのような状況下にあった。
■□■
「ベルモット兄上!」
シェルシマが高々と手を掲げた廊下の先には、ひとりの男がいた。背が高く線が細いために、ひょろっとした印象の男だ。ベルモットは、5人もの取り巻きを連れて歩いていた。
赤絨毯とその脇に林立する円柱。そのうちの一本に集まるようにして、彼らは立っていた。どうやら何かを議論していたところだったようだ。ところ構わず議論をするのは、彼らだけでなく、この地帯の人間の特性だ。
「シェルシマか。相も変わらず壮健そうで何よりだ」
取り巻きの中央から、ひょろりとしたベルモットが声を発し、シェルシマを見とめる。
「兄上は……より一層目の下の隈がひどくなりましたね。部屋に籠ってかび臭い書物ばかり読んでいられては、体に障ります」
「ひねもす剣を振って平然としていられるお前と私とでは、とても比べものにならんよ……ところで、後ろにいるのは、バルド=ネビリムか?」
突然の呼びかけ。シェルシマの後ろに控えていた、青眼鏡の家宰が、深々と礼をする。
「は……」
「噂は聞いている。その若さで法律の大家と言われているそうだな?」
自身の細い顎を触りながら、ベルモットが聞いた。
「めっそうもありません。ただの噂です。尾ひれがついて、迷惑しているところです」
バルドは低頭したまま、謙遜して応える。
「いま、我が領地の統治のために、人材を集めている。もしお前さえよければ、いつでも我が領へと来い。歓迎するぞ」
「ありがたきお言葉……ですが今は、シェルシマ殿下の補佐を我が命としておりますので」
そう言ってさらに低頭するバルド。
ベルモットは、不機嫌そうにそうかとだけ言った。そして、会話もそこそこに身を翻す。ちらとシェルシマに視線を送り、
「ではシェルシマ。達者でな」
「ええ。兄上もお元気で」
頷くシェルシマ。
立ち去りかけて、隈のベルモットが、ふと思い出したように首だけで振り返った。
「そういえばこの先で、兄上が休んでいらした。お前も、挨拶でもしていくとよかろう」
「ウーノ兄上がですか。わかりました」
そして、ベルモットとその取り巻き連中は、風も残さず立ち去って行った。
高い天窓から飛び込む、眩い日差しを避けてだろうか。
日陰に、人影があった。白壁の薄暗さの中で、大きく息を吐く人影があった。
その人影へ、シェルシマが声をかけた。
「ウーノ兄上?」
「……シェルシマか。久しいな」
人影は、もたれかかっていた壁から背を離した。ゆったりとした動き、どこかけだるい様子。小走りに人影へと駆け寄るシェルシマの後ろで、バルドが深々と礼をした。人影――ウーノは、軽く手を挙げてそれに応えた。
「お久しぶりです、兄上。久しぶりに王都に来たので、顔を出しに来ました。義姉様ともこのところお会いしていませんし――と、兄上? やはり体調が優れないのですか?」
シェルシマが良く見れば、ウーノの額にはうっすらと脂汗が浮いていた。
日陰にいたためによくわからなかったが、近くでみれば顔色が良くない。息も少し荒い。
「大丈夫だ」ウーノが言う。「この春は河川の氾濫が多くてな。民の生活保障やら治水工事の追加やら、政務が立てこんでいるだけだ。ただの疲労だよ」
「それでしたら、兄上、このような廊下ではなく、もっときちんとしたところで休まれた方が」
平気だ、とウーノは手をふる。
「それにそんなことをすれば、また国王の体が悪いと良からぬ噂が立つ」
「そんな噂よりも、兄上の体の方が大事です!」
「シェルシマ殿下」控えていたバルドが口を挟んだ。「ちょうど今は、殿下の体調が優れていないことになっています。こんなことを申し上げるのは僭越かもしれませんが、殿下が休まれるのに陛下にもご同行いただいたらどうですか? それなら、一緒に休んでいても不自然にはうつりません」
「そうだ、そうしましょう兄上」シェルシマは賛成する。
ああ、と国王は言って、ゆっくりと歩き出す。その後ろをシェルシマがついていこうとすると、家宰が主君を呼び止めた。
「それからシェルシマ殿下。もう1年も経つのです。君臣のけじめを……」
皆まで言わせずに、シェルシマはバルドの言葉を手の平を差し出して制した。そして、兄王の背を支えて言った。
「――それでは参りましょう。国王陛下」
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