「勇者の死は恥ではない。この死が、彼の勇気を小匙ひとすくいほども貶めることではないし、かつての彼の栄光を一枚の銅貨の価値ほどにも陵辱することもない。むしろ、死してこそ、勇者は真の英雄たりえる」長老は村人たちをこう諭すと、彼のために祈ることを次に命じたのだった。






8.『白百合に左腕を添えて』



 白日が海を照らし、海は白漆喰で塗られた建物を白く照らし上げる。陽炎が立つような強い日差しの中、彼女の国葬は行われた。国民は黒い喪服で身を包み、窓から弔意を示す黒い布を垂らした。もし旅人が街を歩けば、家々のそこかしこから垂らした布が、まるで洗濯物のように風でたなびいているのに気がついただろう。
 鮮やかなばかりの、青空と白と黒の、明瞭なコントラスト。
 ヴァレスの防衛戦争は、5日前に彼女の死によって終結した。互いに大きな損害を出したものの、再び訪れた平和によって、交易で栄える海洋王国の活気がヴァレス王国にも戻りつつある。
 だが常は貿易船とその船に乗っている商人や船乗りで賑わうヴァレス王国の界隈も、この日ばかりは静かだった。ときおり響く場違いな子供の嬌声だけがこの静寂をやぶる。表を歩くひともまばらで、ヴァレスの王城に至る石畳の道や家々、つまりはこの王国全体が、さながらよくできた静止画のようでもあった。
 彼女の弔いを国葬とすることへの反対もあったが、その反対を押し切って彼女の国葬は実施された。結局のところ、この国民の弔意の強さから考えると、その判断は正しかったようだ。
 ヴァレス王城前の広場に特設された国葬会場には、数多くの国民が彼女の死を悼むために詰め掛けていた。羊のようにただ黙々と集まるこの群れは、誰もが心からの弔意を表している。ただこれだけで、生前の故人がどれほど慕われていたかがうかがい知れた。そしてこの広場に来ることのできない国民は、各々の家庭で、静かに弔意を示しているのだろう。
 会場の最奥には木を組んで作られた台が設置され、そこに故人が眠る棺が置かれている。ヴァレス神聖王国では国教が薦める土葬と、古来からの風習である火葬とを選ぶことができるが、故人は火葬で弔われることになっていた。まだ棺の蓋は開かれたままで、棺の傍へと寄れば故人へ語りかけることもできた。
 しかし今は、その棺の横にはこの国葬の喪主が、最後の花を棺の中の故人に添えようとしているところだった。右手に一輪持つ花は、おおぶりの白百合。
 薄手の黒い服を纏った喪主は、故人が眠る棺の中に、そっとその白百合を置いた。穏やかな表情で眠る故人には死化粧が施され、美しい。
 そして、喪主の隣にいた黒髪の女性が、そっと白い布でくるまれた細長い包みを、棺の中に一緒に入れた。
 故人と共に、細長い包み――切り落とされた左腕が、棺の中にある色とりどりの花にうずもれる。生花が動き、生っぽい艶やかな匂いを放った。
 喪主は、死に顔の穏やかな故人をじっと眺める。それはただ眠っているようにしか見えない故人の最後の姿を目に焼き付けようとしているようでもあるし、今までのとりどりの思い出に耽っているようでもあった。
 その喪主の袖を、黒髪の女性が、つと引いた。
 喪主は傍らに侍っていたその黒髪の女性を顧み、視線を交わした。心配と励ましとが合わさった感情が、黒髪の女性から伝わってくるのを感じた。
 大丈夫、と黒髪の女性へ喪主は頷くと、故人へと最後の言葉をかけた。

「さようなら、姉さま。ひとりじゃ寂しいだろうから、せめて私を――、私の左腕だけでも、一緒に連れて行ってあげてよ」

 ファリナは呟いた。



                             ◆◇◆



「――もう、お芝居は幕ね」
 旗艦クロニクルでの乱戦の中、振りかぶられたセレーネの銀色に輝く剣は、真っ直ぐに天を指した。
 左腕を切り落とされた痛みに床に両膝をつき、ファリナは立ち上がることができなかった。旗艦と旗艦の一騎打ちという大博打を仕掛けて、その博打は負けに終わろうとしている。彼女は、息も絶えだえになりながら、親しいひとたちを想った。自分についてきてくれた旗艦の乗組員たちを想った。そして、残してきた国民を想った。その間にも、ファリナの左腕からはどくどくと血が流れ、溜りをつくる。
 気を抜けば痛みに何もかもが消えてしまいそうな視界で、ファリナは、振りかぶられたセレーネの剣を見た。赤い血でわずかに汚れたあの銀色の刀身が頭蓋に落ちれば、自分の命は終わる。それまでにあと数瞬も残って無いだろう。ファリナの脳裡には走馬灯のようにいくつかの思い出が閃光のようにまたたいて消えた。
「さようなら。ファリナ」
 膝を折ったまま、立つことも転がることもできない。まるで地面に這いつくばるように頭をさげること、一瞬でも刃の到達を遅らせること。それぐらいしか、今のファリナにはできなかった。
 そのときだった。突然、空気を震わすような轟音とともに、爆発が起こった。
 へたり込んだ姿勢のままで衝撃を受け、ファリナは横倒しに倒れる。
 続けて降る何かの破片が、ファリナの頬を切った。
 この爆発は、退路を断つべく自ら火を放った旗艦ラティーナの火薬に引火したものだったが、これは後で調べてわかったことだ。ファリナは、ただ歯を食いしばったままで、次の瞬間を待った。自分の頭蓋に剣が振り下ろされる、その瞬間を。だがそのときは訪れることがなかった。
 ファリナ様!
 声がして、ファリナは後ろから肩を抱かれ、体を起こされた。声の主は、ジークヴァルドだった。
 お気を確かに、と彼は言ったが、ファリナは返事をすることもままならなかった。
 ただ、眼球だけでセレーネを探した。
 剣姫は、元いた場所から5歩ほど離れた場所に倒れこんでいた。
 ――ま……だ、だ。
 よろめきながら、船べりに手をかけ、セレーネは立ち上がろうとしていた。
 剣をかかげ立っていたセレーネは、思いがけず起こった爆風を直に受け、吹き飛ばされた。当然、無傷ではないだろう。意識は定まっていないように見える。逆に、窮地にあって座っていたファリナの方が、偶然にも爆風によるダメージは少なかった。しかし腕を切り落とされて血もだいぶ失っている。指を動かすことすら、できそうになかった。ただ茫然とセレーネが立ち上がるのを眺めるしかない、そのときだった。
 ――失礼。
 言って、ファリナを背後から抱えていたジークヴァルドが、傍らに落ちていた銃を右手で拾い上げた。続けて、鼓膜を守るために、ファリナの頭を空いている左腕で抱きすくめた。
 そして、彼は、よろめくセレーネに狙いをつける。
 剣姫は、爆風の衝撃で未だ意識がはっきりしていないようだった。
「待っ……」
 思いがけず、ファリナは声をあげた。いや、あげたつもりだったが、声が出ていたかどうかわからない。ジークヴァルドの持つ銃を掴んで止めたつもりだったけれども、実際には指がほんの少し動かせただけだった。

 轟音がした。
 少なくとも、ファリナの耳にはそれくらいに聞こえた。
 ジークヴァルドは3回引き鉄を引いた。続けて4回目を引いたとき、弾は不発だった。
 しかし、放たれた3発の弾は、セレーネの胸部をあやまたずに撃ち抜いた。
 ふらり。ふらり。
 まるでダンスでも踊るように足取りで。
 姉姫であるセレーネは、海へと転落した。
 乱戦の喧騒の中、彼女の落水の音が、ファリナには聞こえたような気がした。
 硝煙の匂いが、鼻に届いた。
 
 ……すぐに、勝ち鬨を。
 ジークヴァルドの腕の中、茫然としながらも、ファリナはそれだけを命じた。





 ノーヴ帝国帝国海軍 セレーネ=ヴァレス司令死せり――。
 帝国旗艦クロニクルから高々とヴァレス王国軍の勝ち鬨があがる。またノーヴ帝国軍は司令官であるセレーネの死を信号旗によって次々と逓伝したため、セレーネの死は、すぐさま両軍全体に知れ渡った。
 そして、もとからして戦意が低いハンザ同盟出身の傭いの船乗りたちは、司令官死亡の報に接して、我先にと撤退を始めた。海軍では司令官の不慮の死でも対応できるように、司令が死んだ場合の指揮権の委譲順が定められているが、ノーヴ帝国軍の戦況不利と見たハンザ同盟出身の彼らは、あっさりとノーヴ帝国を棄てた。
 セレーネの死によって指揮権を引き継いだノーヴ帝国の参謀長は、その状況を見て、戦闘を続けても戦略目的の達成は困難と判断すると、総退却の命令を出した。
 だが、退却の命令を受けても、ノーヴ帝国軍の船舶の大半は、操船の練度が低いためにすぐさま退却行動に移ることができなかった。それらの船舶に対して、ヴァレス王国海軍で比較的損害が軽微だった船が追撃を行い、ノーヴ帝国海軍の船舶の多くを撃沈、拿捕することに成功した。
 こうして、聖暦1305年春のヴァレス王国防衛戦争は、ヴァレス神聖王国の勝利に終わった。




                                 ◆◇◆



 澄み渡る空の下、セレーネの葬儀は続いている。
 眠るように棺に横たわる姉の顔を眺めながら、綺麗だ、とファリナは思った。
 放たれた鉛の弾丸に胸を撃ち抜かれ。そして海へと落ちていった姉。死の直前、このひとはいったい何を思っていたのだろうか。若くして死ななければならない無念さだろうか。彼女の理想とする神のいない世界だろうか。今までの幸福な思い出だろうか。それとも、即死してそんなものを思い浮かべる暇もなかったのだろうか。
 戦闘が終わり、落水した姉の死体を引き上げたとき、ファリナは死んだ姉の表情を見ることが怖かった。もし、死に顔が苦痛に歪むような表情であったら。誰かを憎むような表情であったなら。自分のしたことに後悔はない。しかし、姉の死をこれから背負い続けていくことは、覚悟の上でのことであっても、やはりファリナにとって怖いものだった。だから、死んだ姉の表情が穏やかなそれであることを確認したとき、ファリナはいくばくか救われた思いだった。
 そして、ファリナは、姉セレーネの国葬を提案し、周囲からいくつか出た反対の声を押し切って、姉の国葬を決定した。戦争を勝ち抜いて実績を作ったファリナは英雄となり、名実ともに国の最高権力者となっていた。
 ヴァレス王国最高と言われ、誰からもその未来を嘱望されていた、姉、セレーネ。
 華々しい身分にありながら奇行姫と呼ばれ、平凡な王族としての人生すら危ぶまれていた妹、ファリナ――つまり自分。
 何故セレーネが死に、ファリナが生き残ってしまったのか。故人と喪主の関係は、逆であってもおかしくなかった。いや、むしろこの逆であった方が自然だったのかもしれない。けれど、セレーネは死に、ファリナはたまたま生き延びた。
 ファリナがそこまで考えたとき、セレーネの棺に金貨が2枚入れられ、棺に蓋がされた。そしてその上から、ヴァレスの国旗がかぶせられた。
 シルフィに支えられながら、片腕のファリナは、棺が載せられている木製の台から、一段一段を確かめるように降りた。動くと、切り落とされた左腕の部分が痛んだ。
 木が組まれただけの台の下には、腕ほどもある木材が、薪として格子状に積み上げられている。司祭の祈りが始まると、集まった群衆も一斉に故人に祈りを捧げた。安らかな眠りを願って。そして、薪に火が放たれた。
 火は少しずつ大きくなり、熱気を放つ。葬送の賛美歌が始まった。
 青い空へ、炎と賛美歌の高音とが立ち上る。
 ついに、炎は棺へと届いた。棺にかぶせられていた国旗はたちまちに灰となって、上空へ巻き上げられる。
「ファリナ様。私たちは勝ちました。……けれど、正しかったんでしょうか?」
 ぼんやりと炎と空に立ち上る煙を眺めていたファリナに、シルフィが問いかけた。
 問われた彼女は、少し考えるように間を置いたあとに、ゆっくりと首を振った。
「それは違うわ、シルフィ。私たちは、ただ勝っただけ。正しくなくても、勝つことはできるのよ」
「それでは、私たちは間違っているということでしょうか?」
 いいえ、とファリナは再び首を横に振った。
「私たちは、間違ってはいないと思う。だって、姉さまと戦わなければ、私たちは今こうして、信じたいものを信じ続けて、、生きていることができなかったと思うから。
 けれど、戦争の勝ち負けで正否なんて決まらない。だから、何が正しいかなんて、わからないと思うだけよ」

 わかりませんか? シルフィが訊いた。
 ええ、わからない。ファリナは再び首を横にした。
 
 セレーネを焼く煙は、薄く高く、蒼穹へと立ち昇っていく。ファリナの、左腕と共に。
 彼女がもっとも望んだ、高い空へ。