プロローグ





 その部屋は、闇に閉ざされていた。

 扉は僅かに開いているが、しかし、月の灯りは奥まで届かない。切り裂かれぬ重い闇のその中で、ぺらり、と時々奇妙な音がする。それ以外に部屋に満ちているのは静寂。分厚い本がぎっしりと並べられた背の高い棚がいくつも収納されているこの部屋は、たとえ夜でなくとも静謐がその個性でもあり、長所でもあった。

 その部屋の中央に、なにやら気配がある。
 そこから、またぺらりと音がした。どうやら頁を捲る音らしい。
 気配の主は、どうやら本を読んでいるらしかった。
 けれど、部屋には灯りはない。
 魔術によって作り出せる簡易照明すら浮かんでいない。
 この重苦しい闇の溜まりは、月の光ですら侵入を許していないのだ。

 ふと、気配の動きが止まる。完全な沈黙。

 完全な闇の中での完全な沈黙は、無の世界を連想させる。しかし、それは真の無ではない。何故ならそこには闇があり、無音があるから。それらすら無い世界が、完全なる無の世界なのだろう。だから、今この部屋にあるのは擬似的な無の世界に過ぎない。感じられないだけで闇の中には何かがあり、見えないだけで闇の中では何かが起こっている。

 突然ばたんと音がする。
 そして、唸り声が発せられたかと思うと、どん、と棚に何かがぶつかったような音がした。

 止まっていた時間が動き出したその隙に、小指の先ほどの大きさの青白い光が動き、軌跡を描いた。
 しばらくのち、いっときかき混ぜられた空気が部屋の底に落ちて止まり、部屋に静寂が戻る。今度は何も起こらない。何の音もしない。闇は闇のまま動かない。

 そしてそのまま、朝が来て管理人が扉を開けるまで、その静寂は実に平穏に続いた。